29 壊れた旋律、氷炎のアステリズム -3
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『昔々、ここは偉大な魔法の国。
あるところに若い魔法使いがいました。彼は美しい青い髪と、尽きることのない泉のような知識の持ち主でした。
あるとき、王様は青年に大切な魔法の書を与え、来たるべき日まで守るようにと命じました。魔法使いは命令を忠実に守り、屋敷に書を隠して守ることにしました。
ですが、王国に恵みを与えてくれる大切な本を盗みだそうとするものは後を絶ちません。
ある者は盆にいっぱいの黄金を盛り、本を譲るよう交渉しました。
またある者は年老いた母親と、病の子を連れて来て懇願しました。
美しい女の魅力で誘惑しようとした者もいます。
金でも涙でも女でも篭絡することはできないとなると、またある者は血と暴力によって脅そうと考えました。
彼らはたった一冊の本のために家族を攫い、恋人を殺し、友人を人質にとり、どんな悪辣非道な行いでもやってのけたのです……。』
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溢れ出した水の表面が、氷の規律アイスルールに従って凍っていく。
「どうしてオガルがオルドルの魔術を使ってるんだ!?」
『どうもこうもアイツは《泉の守り手》だよ。王から魔術書を授かった青海最強の魔法使い、湖の名の賢人……ボクから勇者を奪った魔法使いの血統なんだ』
それってつまり……つまり……どういうことなんだ?
物語の中の常識と単語だけで喋られても、情報の処理が追いつかない。
『ともかく、アイツは青海文書を使ってるわけじゃないってコト』
青海文書を使っているわけじゃないのに、オルドルの魔術を使うことができる、ということか? 事情はぜんっぜんわからないが、何でもいいから動け、動かなきゃ死ぬ、と本能が告げてくる。
氷に飲み込まれれば身動きがとれなくなるどころか、あっという間に体温が下がり生命維持もままならなくなる。殺すつもりはないと信じたいけれど、足下の水かさはひざ下にまで迫ってきていた。
見た目には大した量じゃなくても、既に全力疾走はできない量だ。
これに波が加わると人間の脚力じゃ移動もままならなくなってしまう。
「先生、掴まれっ!」
ウファーリが手を伸ばし、氷の結晶に飲みこまれる前に僕を救い出す。
それと同時に、大量の水が大きな波になって、急速に凍結しながら襲いかかってくる。
固い氷の塊のタックルを当てられ、僕とウファーリは氷の平原に叩き落とされた。
ウファーリは素早く立ち上がりスカートの下から回転する鋼の刃をオガルに向かって放つ……が、分厚い水の層が盾となって教師の前に立ち上がり、飲み込まれた刃は速度を失って氷漬けになってしまった。
そうこうしている間に、オガルは魔術を完成させようとしていた。
バキバキと激しい音を立てて氷が固まり、短足寸胴の巨人を形成していく。
僕が大量の金属で作るやつの氷版だ。
強度は劣るだろうが、人間を叩き潰すための質量なら十分だ。
「聞いてくれ、マスター・オガル! やったのは僕じゃない!」
オガルは何も言わずにこっちを睨みつけてくる。
……確かに、怪しいのは僕だ。
借金苦から、この校内戦の口火を切った奴を信用なんかできるはずない。
オガルは全力で僕をねじふせようとしている。そうしなければ真実はわからないと思っている。それほど強い怒りを感じてるんだ。
そうとわかった瞬間、杖を構えていた僕の腕から力が抜けた。
体の力じゃない。いつでも合図があれば発動できるはずだった魔術の組み合わせが解かれていく。それを準備していたオルドルの気配が離れて行った。
『お~い、ツバキくん? ちょっとちょっと! どうしちゃったのサ、コッチは準備万端だってのに!!』
巨人が胴体の部分を完成させ、幹のような両腕を形成しはじめる。
「先生は下がってろ、あたしがオガルを止める!」
ウファーリがクナイを抜き放つ。投擲武器は効果がないと切り捨て、接近戦をしかけるつもりだ。僕のために。
僕が彼女の友達だから、なのだろう。
「ウファーリ……やめるんだ」
考えるより、言葉が先に出ていた。
オガルを攻撃したくない。
「僕は、僕らは何もしていない。だからオガルを攻撃する理由はない」
「その理屈が通用すると思っているなら、お笑いだな」
そう言ったのは、天藍だった。すでに剣を抜いている。
「戦う意味を見つけてやると啖呵を切ったのはお前だ」
まっすぐに見つめてくる銀の瞳に、怯む。
そうだ。これは僕がはじめたことだ。
でもまさか、死人が出るなんて思っていなかったんだ。
「悪いが、アタシも天藍に賛成だ。オガルは本気でやるつもりだ。黙ってるだけで止められるとは思えない!」
巨人はほぼ完成し、そぞろ腕を動かしはじめる。
ウファーリと、翼を生やした天藍が宙に飛び出すのがほぼ同時だった。
空を飛ぶ機動力の無い僕だけが、地面にひとりで残される。
……どうする、どうすればいい。ふたりがオガルのところに辿りついたら、流石に接近戦では天藍が勝つはずだ。
オガルが素早く何かを唱え、巨人がウファーリに拳を叩きつける。
巨人の腕を避けたウファーリの進路に、ちょうど天藍が飛び込んだ。
ぶつかる寸前、反射的に天藍が抱き留める。
「何してる、周囲も見れないのか!?」
「悪い!」
動きの止まったふたりに、巨人は両手を叩きつける。
拳は回避したふたりをすり抜けて地面とぶつかり、砕け、大量の氷の破片を撒き散らした。
そして、奇妙なことが起こった。
応戦しようとして天藍が放った竜鱗が、ウファーリの手裏剣にぶつかり、邪魔されたのだ。おまけに射線を遮られて《息吹》が使えない。
連携がとれてない……せいもあるが、それだけであんなミスをするふたりじゃない。運が異常に悪すぎる。
まるで、さっきの僕みたいだ。
これって、もしかするとオガルの妨害なのか……?
僕は下がって、オガルを観察する。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国》!」
髪の毛一本を代償に、半獣の特性をもったオルドルの鋭い感覚を借りる。
どんなに小さな物音でも察知する五感が備わり、距離が離れていても、僕の瞳はオガルの唇の動きを捉え、その呼気まで耳元で聞こえてくる。
オガルの唇が動き、再び唱える。
おん、さらば、だっしゃたら、さんまえい、しりえい……そわか。
『ヘンな呪文~』
オルドルとの共感を切り、僕は叫んだ。
「呪文じゃない、真言だ!」
信じられない。
巨人の拳がこっちにも降ってくる。地面を転がって回避しながら、頭上の二人に叫ぶ。
「天藍、ウファーリ! オガルの手の内がわかった! ――オガルが使ってるのは《宿曜道》だ!」
波が襲ってきて、言葉と体が水に飲み込まれ、流される。
オガルは水の魔術と占星術とを同時に使ってる。
それは平安時代に持ち込まれた、インド占星術の形を変えた姿……宿曜占星術、紛れもなく日本産の占術だ。宿曜道を専門にした宿曜師の多くは密教僧で、星の運行を調べて人の運命を占い、凶が出れば星を祀る儀式や祈祷を行って災いを取り除こうとしていたらしい。
それが、何かの形で女王国に持ち込まれ、オガルは完璧以上に自分のものにしている。
日本では他愛ないおまじないでも、魔法や魔術が現実のものとして存在する女王国ではちがう。
オガルが自分の運勢を占って、その結果を好転させているのは間違いない。
これは呪詛でも魔術による攻撃でもない。驚くべきことに彼の信仰による祈念の結果なんだ。
たぶん世界で一番、信憑性と確実性のある占いだろう。
「きっとオガルは僕らのことも占ってる。その上で最善手を選択してるんだ」
『ボクたちとオガル、という関係性を占って射程内に入れてしまえば、祈祷の効力はこっちにも及ぶ。オガルを勝利者とするための祈祷だから、相対的にこっちの運勢は急下降、というワケか~へえ~初耳~、おもしろくな~イ』
「ただ占星術を行うためには、少なくとも名前と誕生日、誕生時間が必要だ」
名前はお互い知っているが、他の情報をくれてやったことはない。魔術の学校だ。そういう情報を教師だからといっておいそれと公開するとも思えない。
「考えられるのは《雑占》だ」
雑占とは、初対面の人物の仕種や表情、手相や顔の相から相手がどんな星のもとに運命を受けているかを逆に推測していく占い師のテクニックだ。ある種の推理力といってもいいかもしれない。時間経過と共に天藍とウファーリにも効果が表れてきてるところをみると、占いが正確になってきている恐れがある。
オガルは天才占い師だ。いや、天才を越えて超常の域に入っている。
『で、キミは戦わずにどうするの~?』
「……どうしようもないだろ!」
ここまでのところはオガルが凄腕だ、というのがよ~くわかった、というだけの話だけしかない。オガルが怒りを治めてくれるか、それとも諦めてくれなければ不運な出来事は続き、厄介な水の魔術がつきまとうことになる。
僕は走り出した。
修練場の外へ。
「魔力切れを起こすのを待つ……それしか案が浮かばない!」
魔術で脚力を上げて走り抜ける。
来たときと違い、妙な妨害は受けなかった。敗走する敵には効果がないのかもしれない。
修練場を出たところで急ブレーキ。
排水溝から水が溢れ出て、二体目の氷の巨人が登場した。
巨人が立ち上がり、僕を見下ろす。
陽光に溶け落ちた氷の体液が、ひやりと頬の上に落ちた。
次に死ぬと、今度は本当に校内戦に出場できなくなるだろう。
どうする、どうすればいい?
「――――ヒナガ先生っ!!」
僕を呼ぶ声が聞こえた。
衝撃が腹部に加わり、息が詰まる。
瞼を開けると、エンジン音と僕を連れ去る風を感じた。




