28 壊れた旋律、氷炎のアステリズム -2
純白の騎士は長い、長すぎる溜息を吐いた。
銀色の瞳に輝きは無く、鉛色だ。
たぶん……というか確実に二戦目の相手が不満なのだ。
今日、僕たちが対戦する相手はマスター・オガル教室。占星術が専門、という、血みどろの戦いになることが確定している校内戦に何故参加したのかが不思議すぎる教室だった。
たとえ、ここが偉大な魔法の王国であっても占いは占いだ。
星の運行を読み、人のあるべき未来を予測するだけのそれに、戦う能力なんてあるはずない。
「あからさまな溜息つくなよ。もしかしたら、サカキみたいに本来の専門とは違う魔術を身に着けているってこともあるんだしさ」
「え、なに? こいつが元気ないのってそういう理由なわけ?」
ウファーリが聊か拍子抜けした調子で聞いてくる。
「もしお前の言う通りだったとしても、竜鱗魔術に対抗できるほどのものではあるまい」
乙女のような唇が、人類を天上から見下ろしてくる神族、みたいな上から目線の発言を紡ぐ。
魔術は便利だが人が扱う魔術は威力と即効性が小さすぎる。プリムラは僕を追いつめたが、悪魔召喚には儀式も時間も必要で、天藍とまともにぶつかっていたら勝利の目は万にひとつもなかった。僕にとっては生死を賭けた戦いでも、こいつにとっては退屈でつまらない遊戯に過ぎないのだ。
ウファーリはかわいそうなものを哀れむ瞳で、器だけが優美な戦闘馬鹿を見つめた。
「あたしなんか、誰と戦っていても退屈しないけどな。そっかぁ、自分自身が強すぎるっていうのも考えモンだな……」
「……なんか妙な共感が生まれてるけど、そもそも普通はケンカや戦いが趣味とか社会常識として通用しないからね?」
忙しそうな人々の間を縫って僕たちは競技の場に向かう。
バックヤードはお祭り騒ぎの片づけをする人たちが溢れていた。校内戦はまだまだ続くが、サカキVSカガチというビッグカードが早々に切られてしまい、残された僕たちには興味がない、というわけだ。現金でわかりやすい話だ。
「おい」と、不機嫌そうに天藍の声がかかる。
「なに?」
振り返った僕は、靴の下に異物の感触をみつけて立ち止まる。
菓子の袋のようなものが散らばって落ちていた。
もうあと一歩、何も考えずに進んでいたら踏みつけて滑ってしまうところだった。
「危ないっ!!」
悲鳴が聞こえ、不意に顔を上げると、黒い大きな鍋が中身を撒き散らしながら空を飛んでこちらに来るのが見えた。
それはひどくゆっくりな動きだった。
ウファーリが海音を使って鍋の動きを止めてくれているが、流体は完全に止め切れていない。
慌てて飛び退くと、足下に熱された油が飛び散った。
飛沫がはねて、頬や手にはねる。
「あっち!!」
「すみません、大丈夫ですか!?」
生徒が青い顔をして必死に謝って来る。
屋台で使う揚げ油を捨てるところだったのだろう。危ないものを持ち運んでいるときくらい注意してほしい……とはいえ、僕もついさっき、同じもので滑って転びかけたのだから強くは言えない。
「大丈夫大丈夫。これくらいなんともない……いてっ」
元気さをアピールしようとして振り回した掌が、おもいっきり壁にぶつかり、痛む。
生きているのが恥ずかしいどんくささだ。
「先生!!」
ウファーリが叫ぶ。
今度はなんだ、と見上げると、立てかけてあった資材が倒れてくるところだった。
~~~~~
会場まで辿り着いたとき、僕は満身創痍だった。
幸い時間には間に合ったものの、倒れてきた資材が直撃し、額から血が流れ落ちて来る。
他にも掃除用具につまずいて水を被ったり、清涼飲料水の売り子と正面衝突して制服が甘味料でべとべとになったり、落ちつこうとして腰かけたベンチがペンキ塗りたて、という古典的なボケまで演じた。鳥のフンだって落ちて来る。
朝はぴかぴかだったのに、現在では頭からつま先まで汚れていないところが存在しない、といった有様だ。
「運が悪いにしても、異常すぎる」
妨害を受けているのだとしたらオルドルが気がついて警告を送って来るはずだが、今回はそれもない。
『だって魔術をかけられてる感じがしないんだモン』
何がモン、だ。何が。
会場に入ると、微かに妙な雰囲気が漂っていた。
開始時刻にはまだ五分ある。
マスター・オガルは二人の生徒を連れていた。
今まで意識することのなかったオガルという教師は薄水色の髪に、きれいに整えられた顎髭を生やした四十代前半、といった見た目をしていた。
フルネームは菫青オガル。
カガチの生徒である菫青ナツメの、年の離れた兄だ。
いかにも研究以外に興味のない学者肌、といった風体のサカキとくらべると、教師というよりおしゃれな喫茶店のマスターのほうが似合っていそうな、物腰柔らかな男だ。
彼は灰簾理事と話し込んでいた。真剣な表情……でも、少しだけ怒っている、と思う。
灰簾は僕に気がつくと、こちらにやってくる。
その向こうで、オガルは杖を握りしめてこっちを睨みつけていた。
様子がおかしい。
「マスター・ヒナガ。試合前ですが、お訊ねしたいことがあります」
理事は強張った表情をしていた。
彼女の肩に手を置き、オガルが下がらせた。
「――私の生徒に何をした!?」
怒声が、僕に向けられる。
杖の先を突きつけてくる。彼の杖の意匠は星と円だ。
「僕、が……?」
「そうだ。あなた以外に誰がいるのだ」
いったい何をしたというんだ。
問いかけようとした言葉が掠れて消える。オガルが向けてくる怒りと憎悪は、既に彼の器を越えて、魔力の熱となって僕に届いていた。
魔術が発動するときの感覚は、上手く言葉にできない。見えないものが現実を捻じ曲げる力、とでもいうのか。それが彼から発せられていた。
「マスター・オガル。落ち着いて……ヒナガ先生、今朝方、彼の教室の生徒が二名、病院に運ばれたの。一名は死亡が確認されています」
ウファーリが息を呑み、眠たい表情をしていた天藍が銀の虹彩を細めた。
校内戦に出場する予定だったオガルの生徒が、死んだ。
彼の怒りの理由がわかった。
「それは……そんな、僕は知ら……」
知らない、と言いかけた言葉より、オガルの怒りが決壊するほうが速かった。
凄まじい冷気が杖の先からあふれ、飛び退いた僕の足元が水音を立てる。
オガルの足元から大量の水が溢れ出ていた。
占星術師は呪文を諳んじる。
「《清き水の流れよ、万物を浄化し流転する力よ。その源に誘いたまえ、その力を知らしめたまえ、我が名のオガルの元に下りたまえ》!」
嘘だろ。
聞きなれた呪文の羅列に、頭が真っ白になる。
あれは僕の、僕と同じ……いや、オルドルと同じ呪文で、魔法だ。
「ツバキ、どうなってる!?」
天藍が叫ぶ。奴も気がついたようだ。
それが僕の呪文とまったく同じだってことに!




