21 勝利のパンツ
空から降りしきる、雨というより死の鉄槌。
狙いは極めて荒く、追撃する気が失せればそれでいい、という援護射撃に過ぎない。
白い竜鱗が大瀑布となって降りしきる中、僕はいくつかが体を掠めるのを感じながら全力疾走で修練場に駆け戻った。
とはいっても、直線距離ではない。リブラは別のカードが出現した中等部校舎へ、僕は普通科校舎へと二手に分かれるフリをして、途中で引き返し、修練場に走ったのだ。
背後からは例の幻覚ではないモロクが全力疾走で追いかけてきている。その度に天藍が降らす死の雨に打たれ、その度に手足の爪が何枚か持って行かれるという謎のサイクルが発生していた。倒され、再び出現する度に僕の爪はハゲる。
原因がわからず、治療をしても繰り返すため、痛みを麻痺させた状態で修練場に滑り込み、呼吸の苦しさで倒れ伏した。
倒れ伏す僕の背中にカリヨンが現れ、宣言する。
《おおっと、まさかのゴール・イン!! 一番乗りはマスター・ヒナガ!》
空の端にオレンジ色を残していた風景が、夜になり、闇に閉ざされる。
そしてくるりと舞台が反転し、背景が変わるように、真昼の世界が戻ってきた。
それから観客席から僕たちに向けられる歓声と……歓声と、ブーイングが半々、といったところだ。
後からウファーリと天藍、それからのんびりとした足取りでリブラもやって来た。それから、マスタープリムラ教室の女の子たち。
最後に、マスター・プリムラ。
「裁定者カリヨン、勝利条件は満たしているの?」
息が切れて喋れない僕のかわりに、プリムラが訊ねる。
あまりにも速すぎる、と思われただろう。僕も思った。
噴水のところでカードを手に入れ、確認し、その時点で僕は修練場に向かう決断を下して天藍とウファーリを動かしたのだから。
《カードの内容を御覧下さいませ》
プリムラやウファーリ、天藍までもが降りてきて、確認する。
全員一様に、何ともいえなそうな妙な顔つきをする。
そして僕をじっと見つめる。
まあ……噴水のところで、そのカードを見たときは、僕も似たような反応だった。
《品物を確認いたします》
僕は上着の内側から、クシャクシャになった紙袋を取り出し、差し出した。
カリヨンだけでなく、出場者全員がその中身を検め、眉をしかめた。
「……何故こんなものを貴方が所持しているのです?」と、代表してプリムラが訊ねる。
「話すとそこそこ長くなるんだけど」
肩をすくめてみせただけで話が終われば楽なのだが……。
記憶をさかのぼって、昨日。
僕は図書館の自室で、大慌てで学院に向かおうとしていた。
「待ちなさい、マスター・ヒナガ」
家具の影から腕を突き出し、上着を掴んでクヨウ上級捜査官が僕を引き留めた。
「餞別だ。拘置所で使用されているものだが、君に必要なものだと思う」
そう言って差し出された紙袋を、最高に急いでいたためそのまま上着のポケットに突っ込んだ。後で中身を検め「何だこれ!」とツッコミを入れたものの、どうしようもないのでまたポケットに戻し、そのまま今日を迎えたのである。
「待って。海市市警のクヨウ、というと魔術捜査官よね。彼女が今日の試合を予見していた、ということ? 参加者以外の未来予知、となるとそれは不正ではないの?」
「いえ、そういうことではありません」
僕はうなだれた。
《カリヨンとしましては、自鳴琴そのものには未来予知に関する魔術に対する防御機構があり、突破は非常に難しいものと思われます。まあ、それを破ったとするなら天晴れ、ではございますが……どうなんですか、そのへん》
「違うんです。彼女は……その、親切で……僕が、つまり、着たきりなので……」
ダメだ。女性陣どころか全校生徒を前に、それ以上は言えない。
恥ずかしくて死んでしまう。
天藍を見ると、自殺をするなら介錯してやる、とでも言いたげな絶対零度の瞳で睨んできてるし、ウファーリはそっと目を逸らし、リブラは何かに気がついたらしく申し訳ない、というジェスチャーを送ってくる。
カードにはこう書かれていた。
『罪人のパンツ』
そしてクヨウから渡された袋には、オレンジ色の男性用下着が入っていた。
僕が着た切りスズメでいるのを見咎め、あまりに哀れだと感じたらしく差し入れてくれた代物である。拘置所にいるやつらが全員罪人かどうかはわからないが、基本的な設計思想はそのようなものといっていいだろう。違ったなら再び試合再開するまでだ。
《偶然をチャンスに変えるのも、不運を幸運に変えるのも、魔術師には稀有な才能……としておきましょうか。ま、いいでしょう。裁定者カリヨンの裁定は絶対でございます。ここに、マスター・ヒナガ教室の勝利を宣言します!》
微妙な空気を広げながら、勝利が確定する。
その瞬間、プリムラ教室の女の子がわっと泣き始めた。
本部棟で見かけた、ハーフアップの子だ。
「先生、すみません! あのとき私がカードを落とさなかったら……!」
そうなのだ。僕の幸運は、本当はパンツじゃない。
あのカードにあった『不死鳥の生血』。
あれが彼女たちの手に渡らなかったこと、ということのほうなのだ。というのも、ソロモンの魔神の中には『フェニックス』またはフェネクス、と呼ばれるものがいる。鳥の姿で現れる魔神だ。
彼女たちなら、それを召喚して用意することは容易い。
「いいのよ、シエラ。あれは私の計算違いでした。怖い思いをしたでしょう? ごめんなさいね」
プリムラは、涙で前が見え無さそうな女子生徒を抱き、頭を優しく撫でた。
それから、僕のところに来た。
「……魅惑の術を解いてくれませんか?」
プリムラは微笑んだ。
「いいでしょう。あなたにその術をかけたのは、間違いでした。聞いていたよりもずっと貴方の幻術が強かった。おかげで、貴方を不必要に傷つけることにもなりました。謝罪いたします」
「僕の幻術……?」
「あら、お気づきではなかったの?」
『いや、気づいてはいた。あのモロクを作ったのは、ボクたちの幻だよ』
プリムラにオルドルの声は聞こえない、はずだが、僕がびっくりした表情を浮かべたので、彼女は勘違いをしたようだった。
「そう、お気づきの通りです。魅惑の術と一緒に、私はあなたに他の暗示も植え付けたの。あなたの恐れる悪魔が、目の前に現れるようにと。そしてそれを私の作った幻だと勘違いするように」
「ああ……」
僕にも大体の事情が呑み込めてきた。
「もしかすると、貴女が召喚したのは、マルコシアスでもモロクでもありませんね」
「ええ、最初から幻術を使っていました」
彼女は振り返る。
そして呪文を唱えると、召喚陣が浮かび、捕らわれている一体の悪魔が現れた。
書物を抱えた道化師、といっていいだろう。サーカスの前座をやるような、派手な格好に、表情のうまくつかめない……老人のような、若い男や女のような顔がはりついている。人ではない。
「悪魔ダンタリオン……」
「ええ。力を貸してもらっています。貴方が幻術を使う、と聞いていたので、勝負のつもりでしたの」
ダンタリオン。ある意味今回の試合で見たどんな悪魔よりも、厄介だ。
こいつは人の心を操り、幻覚を送り込む能力を持つ。その力ゆえに扱いが難しく、召喚者は逆に自分が操られないために心を砕かなければならない、というしろものだ。
けれど、学院でマスター、と呼ばれる者があつかうにはふさわしい。
プリムラはダンタリオンの幻術を使い、モロクを作り出して危険な天藍の足止めをはかった。モロクだけがソロモンの魔神でないのは、恐らく彼女が僕が一番恐ろしいと感じる(そして少しだけ見てみたいと感じていた)悪魔が誰なのかを知っていたからだ。彼女たちの本来の得意分野ではない。
次いで猟犬を生み出し、僕たちの追跡もした。四体にしたのは、他の女生徒たちが召喚を行っていると思わせるため。実際のところは、召喚は最低限で、残りの生徒はカードの回収に回ってた。
そして僕には魅了の魔術とダンタリオンの支配の力を送り込み、幻でありながら現実に多大な影響を及ぼすオルドルの幻術を発動させた。
だから、後から襲って来たモロクは天藍に傷をつけ、僕を吹き飛ばすことができたんだ。
オルドルの魔術は幻だが、それは彼が望むときだけ幻にできるというものだ。
僕はダンタリオンの影響で、それをプリムラがやっている、と勘違いしていた。
『キミは彼女に操られ、自分で魔術を使っているという自覚がまるで無かったから……ボクでは魔術の発動を止められなかった』
「ああ。だから、言っても意味がないって言っていたのか……」
もしも僕がオルドルそのものだったら、彼は魅了の魔術に抵抗し、ダンタリオンの干渉にも気がついたかもしれない。でも、魔法を使うか否かの意思決定をしている僕にはもともと魔術の素養が無いからダンタリオンの力に抵抗できない。
あの状況を切り抜けるには、自分の魔法でモロクを倒し、強引に勝利するしかなかった。
天藍やウファーリと別れたのも、偶然だが正解だ。
自家中毒を起こしている状態の僕のそばにいれば巻き添えを食らう。
『ボクとキミの落差に、プリムラの作戦がうまくハマってしまったんだ』
おかげで爪が台無しになった。プリムラは、もしかしたらこういう代償が出る、ということも知らなかったのかもしれない。
彼女はリブラと共に、治療を助けてくれた。
リブラが僕のことを精査し、呪いが残っていないことを確認する。
それで、全ては終わり、だ。
僕たちの勝利はずいぶん意外なものだったらしく、途中で追加の参加者が入ったこともあり、歯切れの悪い勝利である。
「……ところで、マスター・プリムラ。どうしても聞きたいことがあるんですが」
修練場から去ろうとする魔女を呼び止めた。
どうしても、これだけは知らなければならない。
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試合終了後、僕はとある屋台に押し入り、逃げ出す店員、というか真珠イブキに金杖を突きつけていた。
「イブキ……まさか君が裏切っていたとはね。本当に残念だよ」
「いやーっ、ごめんなさい! 出来心だったんです!! っていうか勝ったんだから見逃してくれてもいいじゃないですかあっ」
彼女の罪状はひとつ。
僕にプリムラたちの情報を売ると同時に、プリムラにも僕たちの情報を売り、稼いでいたことだ。なんて見事な二重スパイなんだろう。儲け話に敏感すぎて逆に関心する。
天藍が釘をさしたように、うまいこと足下をすくわれ、飯の種にされた僕がいけないのだが、それは棚の高いところに上げておく。
「オルドル、やるよ」
『えっ……本当に? ボクが若干引き気味になるくらいくっだらない使用方法なんだけど』
素早く幻術を発動。銀の茨が彼女の全身に絡みつき、拘束する。
「ああっ」
「この僕を怒らせたらどうなるのか、存分に思い知らせ、二度と裏切ろうという気にさせないように調教しなくてはね」
イブキは仰向けの状態で壁の両側から生え出た銀の蔦に手足を絡め取られ、宙に無防備な格好で浮かされていた。暴れれば暴れるほど、蔦は体に食い込む。
靴をはぎとり、靴下を脱がす。
その健康的な脚の甲を優しく撫で、僕は微笑んだ。
「というわけで、全身くすぐりの刑です」
「やっ、やめ、やめてっ! にひゃひゃひゃひゃ!!」
「謝るまでやめないからな!」
「ごめ、ごめんなさ! やだ、そんなとこ……あにゃっははははは! く、食い込む! 謝ってるのに~!!」
身を捩って悶え苦しむイブキの姿を鑑賞しながら、大いに憂さを晴らしたのだった。




