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旋律の吸血姫と眠れよ勇者 竜鱗騎士と読書する魔術師2  作者: 実里 晶
誰だって死ぬときゃ死ぬよ。
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 番外編2 椿と子守り

 校内戦がはじまるまではまだ時間があり、銀華竜との戦いが過去になりつつある頃。


 窓枠の外に穏やかな午後があり、陽光が窓辺に差し込み、微細な埃をきらきらと輝かせる。

 近くの路地を犬を連れた老人が歩いていく。

 散歩なんか大して好きでもないのに、鉛筆を持ちノートに向かっていると、無性に羨ましくなるのは何故だろう。アリスから渡された教材をひたすら読み解き、ノートに繰り返し書くことで記憶に植え付けて行く作業がやや単調に感じられつつあった。

 これが終わったら、青海文書の読み解きもしなければならない。しかも、それはどこかにメモを残すこともできない、誰かに質問することもしてはいけない作業だった。

 教科書を閉じようとしたとき、小さな指がノートの文字をなぞった。

「ここ、綴りが違うよ」

 みると、隣に男の子が座っていた。

 ビー玉のような緑の瞳がみみずがのたくったような字を追っている。

「ここも、ここも、そっちもちがう」

 小さな指があちこち示していく。

 この子、いったいいつからいたんだろう?

『さっきからいたよ。ずっと君が気がつくのを待ってた』

 オルドルが指摘してくれる。

 いつも人がいない図書館に、部外者がいるところを初めて見た。

 男の子はいったん椅子を降りると、ぺこりと頭を下げた。

「マルテです。今日はアリスさんに勉強を教えてもらいに、イネスさんに連れて来てもらいました」

 その名前に覚えがある。あるどころじゃない。忘れたくても忘れられない。

 それなのに、意志の強そうな瞳も、利発そうな顔立ちも、記憶にある《マルテ》とは違っている。

 記憶にある《マルテ》は惨劇の起きた部屋の片隅で震えていた幼い子供だった。両親を目の前で殺されて……ショックでしばらくの間、心神喪失状態になって事件の記憶も曖昧なまま、病院で回復を待っていたのだった。

 目の前にいるマルテはそれに比べると、ずいぶん元気な姿だった。

 それに、その表情は記憶にあるよりずっと大人びている。

 マルテは挨拶を終えると再び椅子に腰かけて、じっとうつむいた。

「……アリスさんに勉強を教えて貰いにっていうのは、ウソだよね」

 子供は大の苦手だ。考えていることがまるでわからないから。しかし、そんな僕にも他ならない僕自身に何か用事があるのだろう、ということくらいはわかる。

 マルテはこくり、とうなずいてみせた。

「はい……嘘をつきました。先生、ぼくに魔法を教えてください」

 手から鉛筆がこぼれ落ちた。

「魔法学院の先生が、ぼくみたいな子供を相手にするわけないってわかってます。でも、教えてもらうまでここを動きません」

 マルテはぎゅっと膝の上で拳を握りしめていた。

 僕だって、齢だけで考えると十分子どもなわけだが……まあ、小学一年生の頃には、たとえ六年生でもすごく大人びて見えたものだ。

 困ったな。マルテがどうして突然そんなことを言い出したのかは、見当がつかないこともない。

「それは、お父さんとお母さんのため。仇うちのためだ、そうだろ?」

「……どうして?」

 縋るような瞳が、見上げてくる。

 弱っているけれど、芯の強そうな子だ。

「自分から言わなかったからさ。悪いことだってわかってたから、言わなかったんだよね?」

 マルテはじっと黙っている。頑固だ。すごくすごく頑固だ。

 取り調べを受けている犯人だってもうちょっとしゃべるだろう。

「……まあ、言えない気持ちは少しわかる。君が復讐したいなんて言い出したら、真っ先に飛び出して行きそうな人がそばにいるからね」

 カウンターのほうに視線をやる。見覚えのある赤毛の背中が廊下の奥に消えて行くところだった。こっそり、こっちの様子を窺っていたにちがいない。

 警備員のイネスは、かつてマルテの父親の部下だった。

 事件のあとは、施設や病院まで頻繁にマルテの様子を見に行っていた。

 僕は彼が礼儀正しく飄々として、それでいて人好きのする好青年、という仮面の下にどんな顔を隠し持っているのか、ほんの少しだけ知っている。正義感が強くてまっすぐで、仲間のためなら命も惜しまない。そんな奴なんだ。

 マルテがもしも復讐を誓ったら、イネスはアルノルト大尉の息子に手を汚させるようなまねは絶対にしないだろう。そんな気がする。

「魔法を教えて、か……」

 いつかの自分も同じことを願った。同じだけれど、マルテの純粋な怒りにくらべれば、濁った、汚い気持ちだった。

『代わろうか?』

 水筒の中からオルドルが声をかけてくる。

「お前に子供の扱いができるのかよ」と、僕は小さな声で言う。

『これでもボクは一応、育児経験者だったりするんだナ』

「…………うわ、ほんとだ」

 よく考えると師なるオルドルは、物語中で子供を育てたことになっている一児のパパなのだ。

「……なあ、マルテ。ほんとうに魔法を使いたい?」

 マルテは頷いた。

 なら、仕方ないだろう。

 僕はオルドルが指示する通り、倉庫から大きなたらいのようなものを探し出して来た。

 それに水を張り、マルテと向かい合わせに座り、水の上で両手をつないだ。あとはオルドルがやってくれる。

 マルテはおろおろとして、居場所がないような面持ちだった。

 けれど、僕が呪文をとなえ、そして――目を閉じるように言う。瞼が下ろされる寸前に、オルドルの湖となった水を張ったたらいから、白い腕がぬっと伸び、僕とマルテの手を引きずりこむのを見ただろう。体が関節や骨の形をなくし、ぐにゃりと歪んで、水の中に落ちて行くのも感じたはずだ。

 マルテはオルドルとは喋れない。

 オルドルに対する共感も、天藍たちのように鋭い魔力を感じる能力もないからだ。

 だから、僕を通してマルテに姿を見せる、とオルドルは言っていた。

『目を開けてごらん』

 言葉にしたがい、ゆっくりと瞼を開く。

 目の前は、無限に続く青だった。

 細くたなびく雲が、そこが空の上なんだと教えてくれる。

 足元には小さくなった天海市が見渡せる。

 隣には、額に角を生やしたオルドルがいて、僕の手を右手で握り、さらに反対の手でマルテの手を握っていた。

『いらっしゃ~い♪ 二名様空の上までご案内。あれっお兄さん、こういうの全然平気なほう? ……からかいがいがないなァ』

 オルドルが僕を見て、左右非対称な邪悪な顔を浮かべる。

「だいぶ慣れてきたからね、こういうの」

 本当は、じっとりと汗をかいている。

 それはオルドルにも伝わっているだろう。

 ただ、翻弄されたくないだけだ。それにこれは大部分が僕の心の中の出来事のはずだ。

『そう。噂の魔術通信網とやらも、こういったもののはずだと思って、試してみた。これを日常的に、恒常的にやろうなんて気がくるってるとしか思えない』

「そんなに危ないモノなの?」

『何らかの障壁がいる。相手と自分の《意識》を区別するための』

 マルテは僕たちの話より、足下がおぼつかない様子だった。下をみたり、上をみたりして、でも声を出さないように必死に堪えていた。

『いらっしゃい、かわいいねえ。小さい子って久しぶり。思ったよりも利口そうなぼうやだ……肌がきれいだね、肉も柔らかくておいしそう』

 オルドルが舌なめずりをして瞳をにんまりとした笑みの形に歪める。

 尖った爪を伸ばすと、生命の危険を感じたらしく、マルテは僕の腰のあたりにしがみついてきた。

「先生、あれは何?」

 そう言って、オルドルを指さす。誰、と言わずに、あれと呼んだところは、勘が鋭いな。本能的に危険人物だと理解しているみたいだ。

 オルドルはあぐらを掻き、膝の上に金杖を載せて、ニヤニヤ笑っていた。草花の紋様を染め抜いた鮮やかな衣が、ほんとうに風が吹いているかのようにたなびいている。

 きちんと、足はある。人の姿で出てきただけ良心的かもしれない。

「……あれが、僕に魔法を教えてくれた奴なんだ。魔法を教えてもらいたいなら、あいつに教えてもらうといい」

 我ながら、他力本願だ。

「ちなみに、人を食べるので気を付けたほうがいい」

 マルテはいまにも泣きだしそうな顔だった。

 それでも勇気を絞り出し、一歩、人の形をした狂気の化け物に踏み出した。

「あの……僕に魔法を教えてくれませんか」

 お、直球。

『ン~そぉだな~~~』と、オルドルはわざわざ考える素振り。『ヤダ』

「なんでもします。ええと、お肉が欲しいなら、少しだけならあげますから」

 僕はその後ろで両腕を交差させて「×」のサインを出し続けていた。

 オルドルはくすくす笑いながら、パチン、と指を鳴らした。

 恐ろしい景色の足元に木の床ができ、周囲を壁が取り囲み、天井が載せられる。

 小さな小屋ができる。

 小屋にはテーブルがあり、僕たちはいつの間にか椅子に腰かけている。

 火の入っていない暖炉、壁には色んな色柄の布が下がり、棚には様々な道具が思わぬ几帳面さで並んでいた。

「なんだ、ここ?」と僕が訊ねる。

『落ち着いて話そう、と思って……さて、そもそもキミが知りたい魔法ってなんだと思う』

 そう言うと、オルドルの目の前にお茶の入った把手のないティーカップが現れた。

 マルテは質問の意図がわからないのか、首を傾げている。

『それじゃ、魔法を見せてあげよう。このカップをキミにあげよう』

 オルドルはカップを掴み、動かし、マルテの前に置いた。

『今、このカップはここからこの距離を動いた。これは魔法かな?』

「ちがう」

『どうしてちがう?』

「それはあなたが動かしただけだもの」

 オルドルは頷いた。

『ちなみに、ボクは同じことを魔法によってすることができる』

 オルドルは僕の前にも空のカップを寄越し、手をパチンと叩いてみせた。

 空のカップに暖かい、中心部が紫で花弁が浮き、外側に行くに従い薄緑になる名称不明の飲み物が自然に湧き出て湯気を立てる。

『基本的に、さっきしたことと、魔法でしたことの結果に差異はない。だから、魔法はその間にあることになるね。基本的には大事なのは結果ではない。物事の間になにがあるのか、ということだよ。魔法でできることは、大抵、他の手段でもできることだ。膨大な手間もかかるし、時間もかかるし、別の頭を使わなければいけないけれど』

 オルドルがマルテではなく、こちらを見ていることに気がついた。

 彼は僕にも同じ内容を聞かせようとしている。

『その間になにがあるのかを考えるのは、大事だよ。ボクが淹れたお茶を、キミは飲みたくないと感じる』

 オルドルがパン、と手を叩くと、皿の上に焼き菓子が大盛になって現れる。

 もう一度手を手を叩くと、マルテが悲鳴を上げた。

 僕はすんでのところで堪えた。

 皿の上には大きなネズミの死体が重なり、カップには虫が這っていたからだ。

 もう一度手を叩くと、元に戻った。けれど、食欲は遠い向こうだ。

『でも、これが親しい友人のくれたものだったらどうだろう。茶葉をえらび、湯を沸かし、香りや温度に気をつけながら淹れてくれたなら? 君はうれしいと感じるだろうね。それは魔法ではないが、その過程を魔法で再現することもできない』

 オルドルは自分のカップにも茶を注ぎ、ばりばりと奇妙な音を立てて咀嚼し、平然とした顔で飲み込んだ。

『さて……茶飲み話はここまでだ。どうしてもというんなら、復讐の魔法を教えてあげてもいいよ、どうする? そのために、そうだね。いくらか血と肉を貰うことになる。キミだけじゃ足りないだろう。健康な若い男の生血を……うん、そうだね、赤毛がいい。兵士だとなおさらいい。それを、バスタブ一杯ぶんはもらおうか』

 そんなに血を抜かれたら、普通の人間は死ぬだろう。

 マルテの表情が青ざめた。

「だめです」

『どうして? なんでもするんじゃなかったのかな~?』

 今までマジメだったのに、突然、いつものオルドルに戻りつつあった。

「だめです、イネスおじさんはお父さんと戦った勇敢な兵士なんです」

『だったら、彼も喜ぶと思うよ。なんなら、ボクがかわりに血を絞り出してあげようか』

「お父さんの仲間に手出しさせるもんか! ばけもの!」

 マルテはカップをつかんで、オルドルに投げつけた。

「いてっ!」

 それがぶつかると同時に、僕は頭に鈍い痛みを感じ、目覚めた。

 視界の端に、語学の教本がどさりと落ちた。

 僕の手を振り払い、それを投げつけたマルテは、呆然と僕と本を見比べている。

 オルドルの姿も、あの小部屋も消えていた。

 人気のない図書館があるだけだ。

 魔法を教えてもらうことができなかった、と知り、マルテは堪えていた涙を零し、めそめそ泣き始めた。

 こっそりオルドルに語りかけた。

「……やりすぎ」

『ボクは子供に甘い。なぜかそういう仕様になってる』



                 ~~~~~



 ノートを一ページ切り取り、その右上の隅を摘まんで、長方形の底辺に添わせるように三角形に折った。できあがった三角形に添ってハサミを入れると、四辺が同じ長さの正方形になる。二つ折のそれをさらに折りこみ、日本人なら誰でも知っている鶴を折りあげると、イネスに渡した。


「お守り。大したものではないけれど。よかったら、マルテに」


 折り紙、というものを見たことがないのか、イネスは羽を広げた鳥を興味深そうに眺めていた。まるきり外国人の反応だ。

「こういうのの作り方なら、いくらでも教えてあげるよ」

 日本にいた頃、学校の行事で何度かこの手のものを大量に折らされた。

 そのときは単なる義務だったけれど、今はちがう。

 結果は同じでも……ちがうと思う。

 マルテは、これから福祉施設に帰る。まだ引き取り先がきまっていないからだ。

 海市にいる叔母夫婦と、遠く離れた祖父母のどちらかが引き取ることになっているのだが、揉めているらしい。かわいそうな境遇ではあるが、引き受けるほうにもそれぞれの事情がある。どちらに引き取られるにしても、マルテの辛い気持ちや、この先に待ち受ける苦難は変わらなかった。

 考えてみれば、事件後間もないというのに、あれだけ大人びてみえたのは……その準備のようなものなのだろう。

 イネスはヘルメットを片手に、申し訳なさそうな顔をしていた。

「先生、お世話になりました。どうしても、俺じゃ諦めさせられなくて」

「本気ではなかったと思うよ」

 言おうか言うまいか迷い、素直に言った。

「もしも本気なら、僕ならこう聞く。《お父さんとお母さんを殺したのは誰?》」

 マルテは、たぶん、復讐をやめる言い訳がほしかっただけだ。

 彼は利口で、それでいて勇敢で、優しい。きっと両親がそのような人で、そういう風に育てたのだろう。自分を支えてくれる人の優しさゆえに復讐を諦めようとし、そして、勇敢さゆえに怒りのやり場を探しあぐねていただけだ。

 だから、無理だとわかれば引き下がる。

 僕は席について、自分の勉強に戻った。

「……誰なんです?」

 もう行ってしまった、と思っていた背後から微かな声が聞こえた。

 体内の、温度を持たない熱によって掠れたような声だった。

「すみません、忘れてください」

 イネスはゴーグルで表情を隠して図書館を出て行った。

 魔法を使っても、使わなくても、結果は同じ。

 けれど、その過程に何があるのだろう。

 いったいどんな、苦しみが、悲しみが、怒りが……行き場のない思いが。


 声をかけることで何かが変わってしまいそうで、僕は後ろ姿を見送ることしかできなかった。


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