18 迷い。運命の風よ、吹け
テーブルの上には、参加者向けにお茶と美味しそうな焼き菓子が用意されていた。
「……天藍」
焼き菓子をひとつつまみ、差し出す。
天藍は嫌そうな顔をして口を近づけ、ひと口かじり取って咀嚼し、飲み込まずに吐き捨てた。
「幻覚剤だ」
竜鱗騎士は竜討伐の旗印であると共に、王族守護のため毒味役の任務も担う。体内に取り込んだ毒素も、人間用であれば分解してしまう。そのことを知らないわけでもないだろうが、僕やウファーリが先に口にしていればまんまと術中にハマってた。クヨウから、事前の妨害があると教えて貰っていなければ危なかったかもしれない。
残りの菓子と茶は、ゴミ箱に突っ込んだ。
少し時間には早いが、修練場には生徒たち、参観するその父兄や市民が溢れかえっていた。来賓席も海府や女王府の関係者たちで埋まってる。
思わぬ注目度に、控室にいても落ちつかない気分だ。
不安要素が多いせいもある。校内戦は教室どうしのなんでもありの《戦い》だ。ただし、一回戦では特殊なルールが課せられる。それが何なのかは、事前に配られた要綱には記載が無かった。
メンバーが集まらない以上、僕たちが切れるカードはどうあっても三枚だけ。
『ボクがいるじゃな~い』
はいはい。
不安や緊張と裏腹に、欠伸がふたつ重なった。
同じタイミングで同じ動作をしてしまった天藍アオイが嫌そうな顔をする。
「一応言っておくけれど……僕の欠伸には理由があるからな」
忠告を送り、懐から紙の束を取り出した。
天藍は面倒くさそうな顔で束を受け取り、眉をしかめた。
「……この情報を、どこで?」
そこには本日の対戦相手の経歴や得意とする戦術のデータが事細かにまとめられていた。
「真珠イブキだよ」
昨夜、イブキのアルバイト先に押しかけたのにはちゃんとした理由があるのだ。
僕は校内戦に出場することを見越して、食事の提供と引き換えにデータ収集係、端的にいうとスパイとして竜鱗学科の三鱗騎士、真珠イブキを採用していた。
「情報の正確さは元より、分析も的確だ」
一瞬で内容を記憶し、感想とともに束を突きかえしてくる。
本当は、イブキを賞金を餌にメンバーとして採用しようとしていたのだが、そっちは《担当教官の機嫌を損ねて成績が下がったり、不利益を被るのが嫌だ》という至極もっともな理由で却下された。カガチの機嫌をうかがわず、堂々と敵につく生徒など天藍アオイくらいしかいない。
「卑怯なやり方が板についてきたな。精々足元をすくわれないようにすることだ」
卑怯でもなんでも、協力者はひとりでも多いほうがいい。
それに、イブキから得た情報はこれだけじゃない。
そのことを考えると、気分が重くなってくる。
「何を余計なことを考えている?」
天藍の刺すような視線が、核心を抉ってくる。
こいつ、ときどき妙に勘がいいんだよな。
「……古銅イオリのことだよ」
昨夜、重箱の中身と屋台のまかない飯をかきこむ彼女に、僕は古銅イオリの話を振ってみた。
~~~~~
休憩室なんて上等のものはないので、路地裏の人目のつかないところに移動し、イブキは飯を口いっぱいにほおばり、口元を汚しながら質問に答えた。
「ああ……ええと、あれって本当の話、なんですか? かなり広まってますけど」
魔術通信網の使用は、学院でも当然のことながら禁止されている。
でも、魔術に造形が深く、何事にも興味津々好奇心旺盛な十代を止めることはできないらしい。止めたところで、できるのに、どうしてやってはいけないんだ? という十代独特の青臭い反応が返ってくるに決まってる。
「それより先生が藍銅共和国公王の隠し子だって噂も広まってるんですケド、そっちのほうこそどうなんですか?」
まさか、そっちの話も広まっているとは……。
「それはコメントを差し控えさせて頂きます。で、どう思った?」
「うーん、自分の適合率とくらべると、凄すぎてわけがわからない、という感じですかね。手術が大変そうだな、とは思いましたけど」
移植には苦痛を伴う。延々と続く痛み、熱、嘔吐。竜の力が強いほど、枚数が多いほど、苦痛は大きくなる。そして、古銅が体験するのは誰も経験したことのない苦痛だ。
「竜鱗騎士にならない、という選択肢もあるんです。適合したとしても、女王国が定める重要な役職……手っ取り早いところで有名な学校の教職とか、医師なんかの貢献度が高い職業につくか。それとも研究や芸術分野で多大な功績を納めるとか……そういったことで免除される場合もあります。ただ……」
イブキは手招きで、屋台の裏に回って中を示した。
覗くと、店主のリョクトンとかいう男が仲間たちと楽し気に酒の杯を掲げていた。
「救世主様に乾杯!」
そう、音頭を取って杯を打ち合わせて、労働の疲れとともに一気に飲み干す。
「救世主……?」
「もちろん古銅イオリのことですよ」
イブキは声を潜め、難しい顔をする。
彼女のアルバイト先の店主リョクトンは雄市の出身で、向こうではちょっとした人気の食堂を構えていた。しかし銀麗竜に襲われ、仕事も家も失ってしまった。
彼らが楽し気に話しているのは、故郷に帰ったらまず何をするか、という話だ。
まずは食堂のあった土地を探し、瓦礫を掃除して、最初は小屋のようなものでいい。いちから食堂を立て直す。故郷の仲間たちが戻り人が増えてきて、商売が軌道に乗ったら、家族を迎えてやりたい。
そういう夢物語が酒精に乗ってどんどん広がっていく。
果ての無い希望、果てのない未来が、際限なく……。
「それって、つまり……」
「そうです。古銅イオリが騎士になって、五年経過して未だに全然方針のみえてない雄黄市奪還の旗印になってくれる、という夢をみてるんですよ、彼らは」
雄黄市奪還……!
考えてみれば、雄黄市は竜族に奪われた土地なのだ。相手が人ではない、というだけで、それは戦争のようなもの。報復しよう、失ったものを取り戻そう、という反動が起きるのは当然のことだ。
それが《古銅イオリ》と結びついて、話は、こんな安食堂にまで広がっているとは……。
盛り上がる屋台の面々に反して、イブキは冷ややかな眼差しをしていた。
「こんなこと言いたくはないですがね、正直……こっちとしては堪ったもんじゃないですよ。そりゃ、古銅とかいうやつはいいですよ。強いんだから。でも、自分たちは違います」
彼女は適合率の低い三鱗騎士だ。
実家が貧乏すぎて、騎士になるという選択肢以外が存在していない。もしも竜との戦いが再開しようものなら、真っ先に戦場に赴き、命の危険に晒されることになるだろう。
あそこにいる罪のない人たちは、土地を取り戻すということを救世主という言葉のせいもあって簡単にとらえ過ぎている。
その裏に無数の騎士たちの犠牲が伴うことを忘れているのだ。
リョクトンたちにとっては、古銅イオリが失われた故郷をとりもどせる希望でも、イブキのような生徒にとっては竜との戦いを呼びよせる災厄にしかならないのだ。
問題なのは、古銅イオリそのものじゃない。
イブキたちが国土を取り返すための戦いに命を費やす、そのこと自体に意味を見いだせていないこと……救世主を待ち望む人たちと、そうではない人たちの間に深い溝ができていることだ。
それは僕みたいな部外者が考えるようなことじゃないかもしれない。
でも、もう無関係だと切り捨てることも難しい。
「僕は、できればあいつを元の世界に戻してやりたい」
天藍アオイは、何としても古銅をこちらに留めると言っていた。真反対の意見だと知っていて、それでも言わずにはいられなかった。
天藍は腕組みをしたまま、イブキとはまた別の温度の冷たさで答える。
「もう手遅れだ。市民は既に存在を知ってしまった。竜に蹂躙された全ての者たちの嘆きと怨嗟が、あいつをこの国に縛りつける」
「古銅には、元の世界に家族や友達だっている。こんな何も知らないところで竜と戦いたくなんか、無いはずだよ」
「では、何故お前は女王国に留まる?」
僕は言葉に詰まる。
天藍は、僕が古銅と同じ異世界人であることを知らない。けれど、藍銅共和国から来た部外者だ、とは思っているはずだ。
「縛られているのは、古銅イオリだけではない」
銀の瞳は、まっすぐ僕を見据えてくる。
縛られているのは、古銅だけじゃない……天藍も、イブキも。すべての竜鱗騎士が、騎士となるべき運命の人たちが、竜にまつわる期待や、希望や、憎悪や、悲嘆に縛られて、逃れられない。誰かひとりだけ抜け出ることなんて許されない、そう言っている。
「おい、あんたたち。いい加減はじまるぞ!」
扉を開けて、ウファーリが怒り気味に入って来た。話し込んでいるうちに、だいぶ時間が経っていた。
古銅のことも、竜のことも、話をしただけじゃ解決したりしない。
今は目の前のことを全力でやる、それしかできることはないと切り換える。
慌てて飛び出した会場では、灰簾がイライラしながら待っていた。
先日、キヤラ公姫が僕を義弟宣言してからというもの、彼女の矛先はあまり僕に向かって来なくなった。
権力に弱い、というか、他国の王族が持つ権力がどんなものか知っているんだろう。
政治に関わらない公王の、隠し子。あるいはキヤラ・アガルマトライトそれがどんな力を持っているのか、僕はさっぱりわからないけれど。
「あれっ……」
対戦相手側を見て、僕は首をひねる。
中央のラインの向こう側にいるのは、紫水プリムラひとりだった。
「全員、揃っていませんよね……」
「昨日、理事は修練場が開始地点だと仰いました。過去の試合から、全員が競技の場に揃っていればいいのであって、開始地点に全員がいる必要はありません」
紫水プリムラは、帽子の下で挑むような視線を投げかけてくる。紫色の眼差しが、宝石のように輝いている……引き込まれそうな、いつまでも眺めていたいような素敵な色だ……。
『あんまり見ないほうがいいね~』
オルドルの忠告で、僕は慌てて正気に返り、視線を引きはがす。
何かの魔術のように感じられたが、ウファーリや天藍には効果が無いみたいだ。
「それでは、第一回戦マスター・プリムラ教室対マスター・ヒナガ教室!」
理事の合図と共にオルゴールがファンファーレを鳴らし、その音が修練場全体を包みこむ。
観客の歓声が高まり、そしてふっ……と無音の吐息を漏らして消える。
「……え?」
観客の姿が一瞬にして消えていた。
そこは、魔法学院であって、学院ではない。
そして空の色も違っていた。今まで晴れ渡る青空だったのが、朱色に染まり、東の空に夜が近づいている。
「何これ……?」
天藍は呑気に欠伸なんかしている。
ウファーリは周囲を警戒。
《さあっ皆さん、とうとう注目の一回戦がはじまりましたよォ~~~!》
突然、男か女かもわかららない、甲高い女のようでもあり、しわがれた老人でもあるような声による実況の声があたりに響く。
見回すと、異様なものが空を飛んでいた。
大きさは握り拳くらい。小さなピンクのドレスがふわふわ空を飛んでいる。
しかし、そのドレスには頭がなく、冠が載せられているだけなのだ。そして袖口からは金属の鎧のような腕と、スカートの裾から同じく脚が飛び出している。
《今回初参加者がいらっしゃるようなので、自鳴琴より説明役として派遣されて参りました。親しみを込めて、進行役、あるいは裁定者カリヨンとお呼び下さい!!》
どこから声が出ているのかわからないが、ピンクのドレスが滔々としゃべり続ける。
「なんだ、この煩わしい魔法生物は」と天藍がうざったそうに言う。
《こらこら、無礼な態度はマイナス三カリヨンポイントですぞ!》
「カリヨンポイントって何……?」
僕が訊ねると、カリヨンはドレスの胸元を張って、自慢げに応えた。
《裁定者カリヨンが特別に与えることのできるポイントです。礼儀正しく、そして正義に準ずる行為に対して与えられ、十ポイント溜まると、こちらの等身大カリヨンキーホルダーが与えられます!》
カリヨンの似姿に鎖が繋がったものを見せつけてくる。
「で、マイナスのほうは?」
《礼儀を失い、ルールを破った者に対して与えられ、マイナス十カリヨンポイントで罰ゲームとなりますな》
「罰ゲームって?」
《食らってからのお楽しみでございますぅ~!》
なんだそりゃ……と思ったが、口にはしない。罰ゲームの内容がわからない以上、こいつの機嫌を損なうのは得策じゃない。
《さてさてそれでは、紳士淑女の皆さまご注目。第一回目のルールの発表にございますよ、皆さま!》
カリヨンが片手に持った巻物を開く。
そこには、小さくて見えにくい字で《借り物狂騒》と書かれていた。もちろん女王国の言葉で。
「…………字が違うと思う」
《い~~~えっ。これでいいのです》
翡翠女王国ではあまりメジャーな遊び、あるいは競技ではないのか、ウファーリも天藍も不思議そうな顔をしている。
《コチラの競技、はるか昔の逸話に準じております。当時の王様が、即位の際に罪人たちに恩赦を与えようと、罪人たちを集めたそうです。しかし恩赦が与えられるのはたったひとり。そのひとりをどう選ぶかというと、ずばりこの競技でした。街中に品物の名前を書いた紙を隠し置いておき、その品物を街の人たちから借りて持ち帰れた者が罪を許され、解放されるのです。罪人たちは我先にとこの紙を奪い合い、街中を走り回ったと言います》
あれれ? ……僕の知っている借り物競争と何か違うぞ?
言うなれば、真剣味が違う。運動会の種目の中でも、遊び的な楽しいイメージが消えて無くなっている。
《しかし、街の人々は罪人に何一つ貸し与えることなく、罪人たちは全員、日暮れとともに死刑になったと言われております……なんともはや、教訓めいた愉快な話でしょうか!》
いや、愉快要素は全然ないぞ? 絶対に助かることのない罪人たちが走り回る様を眺めて、全員処刑するなんて、最高に趣味の悪い王様だ。
「それで、あたしらも罪人のように走りまわって、モノを借りて来い、ってことか?」
ウファーリが訊ねる。
《そのとおり……ただし品物はご自分でご用意ください。ここは自鳴琴のつくりだす結界内で、競技者のみしか入れません。その分、建物を破壊しても、元の世界には影響がございません》
カリヨンが右手を広げる。
四角い画面が開き、そこには元の修練場の様子が映っている。
修練場には、灰簾理事や観客たちがいて声援を送ったりしている。僕たちの姿はオルゴールから同じように展開する、巨大なホログラム映像で確認しているみたいだ。
《それでは……血と勇気の祭典をはじめましょう。両者用意!》
僕が金杖を、天藍が双つの剣を抜く。
ウファーリの体がふわりと浮き、周囲に手裏剣の星が舞う。
紫水プリムラもまた、木製の杖を手にしていた。




