12 晴れ後、死 -2
どんな異世界でも、まず間違いなく違法となるであろう速度で、クヨウはアクセルを踏み込みクルマを走らせていた。
今、僕を占う占い師がいたら、まず間違いなく《女難の相》が出ている、と警告を送っただろう。というか、この国に来てからというものの、頭を悩ませたのは大半が女性由来の何かしらだった。なんなんだ、この国の女性たちは、バケモノだらけか。
そしてハンドルを握っているのも、バケモノ――というより、魔女のひとり。
「あの、その、クヨウさん。怒ってます……?」
クヨウは片目を細め、もう片方を引きつらせた。
「怒っているか、だと? 何か怒らせるような真似をしたのかね?」
否定したいが、心当たりがある。
銀華竜が出現したのと前後して、僕は彼女から散々情報を引き出した挙句、見返りを与えなかった。
「まァ、だがしかし、あの事件は表に出ない気がしていた。犯人はどうなった?」
「…………死んだ」
考え、それだけを伝えた。
誰が、とも、誰が殺したとも言っていない。
クヨウはふん、とつまらなさそうに鼻を鳴らした。
「もう少し他人を信用する気があるなら――次は引きずってでも私のところに連れて来い。永遠には無理でも、最大限の努力で保護し司法の裁きを受けさせる」
違う。彼女は僕が殺したんだ。司法の裁きなど、受けさせないように。
でも、そんなことは口が裂けても言えない。
「ああ……そうするよ」
バックミラーを介して、サングラス越しのクヨウの鋭い視線が僕を刺す。
苦い気持ちを飲み下し、過去の過ちを振り払う。
「……で、このクルマはどこに向かってるんだ? そして、何故、学院までわざわざやって来て、僕を誘拐したんだ?」
「人聞きの悪いことを言うんじゃない。暇をしていると思ってドライブに誘ってやったんじゃあないか。君、校内戦をやるらしいな」
話の前後がまるでかみあっていない。僕は大忙しだとわかっていて連れだしたらしい。
「何で知ってるのさ」
「私はあそこの卒業生だ。懐かしいなあ、出場したことはないが、教官の命令でよく他の教室の出場選手を拉致……いや、ドライブに誘って欠場させたものだよ」
クヨウが魔法学院の卒業生、というのも大概、驚きだがそれよりも、校内戦の裏側でそういう悪質な妨害行為が横行していたという事実が驚きだ。
品行方正な優等生ばかりが集う学院だから、卑怯な真似はしないと勝手に思っていた。気を付けたほうがよさそうだ。
車は細い通りに入り込み、止まった。
貧しいわけでも汚いわけでもなく、整備の追いついていない古い街区なのだとわかる。
クヨウは先導するように歩き、二階建てアパートの手前で止まった。
市警の職員たちが集まっていて、そうだとわかる。
アパートというより、これは。
「なんていうか、下宿……っていうか」
そばに大学がある、とクヨウが言った。
「ナーレッジ国際大学のキャンパスだ。学院から進学する例は滅多にないだろうな」
海市にある大学のうちでは、伝統も実力も頭一つ下だとみられている、ということらしい。
僕としては親近感が湧く。
クヨウは職員たちを一瞥しただけで、アパートの建物に入っていく。
玄関口には、壊れかけの郵便受けと、あと自転車が乗り捨てられていた。どうも空室が多いらしい。
「う……」
金属の格子がはまった門のような扉を開け、踏みこむ。籠った倉庫のようななんともいえない臭いが立ち込めている。廊下に出しっぱなしのごみ袋もみえる。窓は閉め切られていて、換気が悪いのだ。
二階に上がると吐き気を誘発するさらに異常な臭いがした。
まっすぐ伸びた廊下の奥に、何かある、と感じる。
「腐臭だ。死体がある」とクヨウが事もなげに言う。「発生源はこの一番奥、207室からだ。もともと空室だらけなのと、衛生観念に無頓着な住人のおかげで、気づかれなかったらしい」
207室に住むのは一人暮らしの男性。国際大学に通うが、講義の出席率は悪く、学友も少なく引きこもりがちだった。
アパート住人が最後の外出を確認したのは一週間前。
腐敗がすすんでるとみえ、下の部屋に腐った体液が落ちてきたので、異常に気がついた。
「……こんなところに僕を連れてきて、なんのつもりだ?」
「挽回をさせてやろうと思ってな。捜査に協力したまえ」
「やっぱり、根に持ってるじゃないか」
「根に持っていないとか、言ったか? いつ? どこで? 何時何分何秒?」
小学生かよ。
「断るならあの手この手で海市で出歩けなくしてやる。協力するなら、海市の定めるところの協力者報奨金を出す」
金……なんかで、絆されるわけないだろう。
「いくらですか?」
あれ? 思考と口から飛び出した言葉が真逆だ。
これくらいか、とクヨウが提示した額は、日本円に換算して三万円弱。
僕の借金に比べればスズメの涙、焼け石に水程度の額でしかないが、一日の労働の対価としては破格だ。
でも、クヨウが言うことを鵜呑みにしていていいのか?
「やります」
何故だろう。即答してしまっていた。まるで誰かに操られているかのようだ。
「内部に魔力波長を観測した。職員が突入せず、魔術捜査官たる私に連絡が来たのはそのためだ」
「ええと、部屋の中で魔術を行った、ってこと? 部屋の主が?」
「前半は確実にそうだ。後半は知るわけないだろ、バカめ、が答えだ。部屋の主は少なくとも魔術師ではない」
大学の専攻も魔術とは関係ない分野の、どちらかといえば科学系。情報系の学生だ。
「鑑識によって測定される魔力波長は発生から時間経過に従って小さくなっていく。だが今回の場合は強度を保ったまま。つまり、部屋の中に何かがいる」
「何かって、何……?」
「それを確かめ、排除するために呼んだ。扉を開けるぞ」
彼女は立ち止り、自分の影に右手を《突っ込んだ》。
床が波打ち、黒いグローブに包まれた腕を肩のあたりまで飲み込んでいく。
いつか見た、彼女の魔術だ。
「鍵は使わないの?」
「外から鍵を開けることが、魔術発動の契機になる場合が多すぎる。対して部屋の内側から開けられる鍵については、罠は仕掛けにくい。室内で魔術を行った者が外に出られなくなるからだが、こんな簡単な理屈の説明は必要か?」
「僕は親切だと思った。ありがとう」
「ちなみに、市警職員の死因の何割かは《扉が開いた瞬間の魔術発動、爆発による》ものらしい」
鍵がくるりと回るのを見て、安易に薄い合板製の扉に近づいた僕は、慌てて逃げ戻った。
その判断は、結果として正解だった。
爆音と共に、部屋の扉が吹き飛んだからだ。
瞬間、クヨウの体全体が影の中に沈んでいった。逃げたのだ。それで、これはヤバイことだと理解できた。
大量の埃を巻き上げ、その向こうに扉を吹っ飛ばした張本人の姿があった。
腕だ。
巨大な腕が、廊下に横たわっている。
そして何やら五本の指を蠢かして、こちらに迫ってくる。
壁や天井や床を無理やり押し崩しながら。
僕は死の危険を察知し、腰の金杖を抜いた。
「《昔々、ここは偉大な魔法の国!》」
呪文を叫ぶ。体が軽くなり、地面を蹴る力は強くなる。廊下の端まで走り切り、悠長に一階に降りている時間はないと判断。
窓から外へと飛び出した。
鹿の身軽さで大きく跳躍する。
空中で体をひねると、追ってきていた《手》の持ち主がアパートの壁を突き破り、蹴り壊して出てくるのが足下に見えた。
「なんだ、あれ」
巨大な土人形、といった印象だ。ずんぐりした体、首も顔もないのっぺりとした頭部、短い肢、そして両の掌。体のあちこちに、妙なものが飛び出してる。自転車の部品、車のタイヤ、家電、廃棄されたゴミのようなもの。
僕は近くの街灯に着地する。
クヨウは、離れたところの影から出て来た。
「あれを倒せ!」と叫んでる。
あれが何なのかもわからないのに、無茶を言う。




