10 公姫キヤラ・アガルマトライト、推参
埃っぽいカーテンを透かして、朝日が無遠慮に室内を荒らし始める。
僕は情緒も何もなく、ベッドの上にむくりと起き上がった。
「……起きるか」
ぼそりと呟いてみたけれど、返事をする人はいない。
まあ、異世界にやってくるだいぶ前から僕にはそういう人はいなくなっていたわけで、あまり変化は感じられない。
台所に行ってコップに水を汲み、ついでに水筒の水を新しいのに入れ替えておく。
朝食に何か食べるものがないかと冷蔵庫をあける。
入ってるのは無料の教員食堂から拝借してきた食べ物ばかりだ。とりあえず、僕の常識からするとヘンな形をした黄色い果物を取り出した。
僕は市民図書館の二階にある部屋で寝泊まりしている。もともとアパートだったところを改装した図書館なので、寝室と台所、シャワー室が揃っており生活に不自由はない。
その点、この生活は恵まれている。
顔を洗い、酸味の強い果物を頬張りながらいつもの制服に着替える。
革製の杖のホルスターを腿に装着し、腰にも巻き付ける。派手な金色の杖と、朱色の石がはまった杖をそれぞれに収めた。
校内戦の儀式のときに渡された剣のミニチュアは、アリスさんに頼んで鎖をつけ、首から提げられるようにしてもらった。刃先が危ないので、胸ポケットに入れておく。
部屋を出る前に、水筒をつついてみる。
だが、反応はない。
「まだ、だんまりかよ……寝てるのか……?」
鍵をしめて、廊下の先にある階段を降りて行く……と、左手側に閲覧室がある。
今日も、一般の客はいないらしく、赤毛の警備員と三角獣耳を頭に載せた司書が、持ち込んだ小型のテレビを並んで眺めていた。赤毛のほうはイネスだ。
司書のほうはアリスという。
ふたりにはこっちの世界に来てから主に日常生活のほうで世話になりっぱなしなので、あまり大きなことは言えないが……暇なのかな。
テレビからは大きな歓声が聞こえてくる。
「あ、おはようございますですにゃ、ヒナガ先生!」
アリスのほうが気がついて、両手を上げてぴょん、といすの上で跳ねた。
「……ええと、おはよう。何みてるの? 二人して。また、アイドル?」
無視して行くのも気が引ける。
「ちがいますにゃ。でも、もしかしたら先生にも関係のあることかもしれないですにゃ!」
子供のものにしか思えないアリスの手に引っ張られ、画面の前に連れて行かれる。
興味が無いので、大きな欠伸が出たがアリスはまったく気にしたふうではない。
画面の中には飛行場……飛行場、だと思う。それが映っていた。
滑走路は異世界とはいえ僕のイメージ通り。しかし飛行機……は、機械に興味のない僕には表現しかねるが、元の世界の旅客機より華奢だ。スマート、とか滑らか、といった形状なのだ。もしかすると、個人所有の小型のものなのかもしれない。
歓声を浴びているのは、そこから降りてきた五人の女性たちだった。
僕より少し年上かな。でも全員十代であることは間違いない。
「ふ~ん……あんまり、興味ないなあ」
彼女たちがアイドルであれ、女優やタレントの類であれ、興味が湧かない。
「先生、寝ぼけてますかにゃ!? 先生の故郷である藍銅共和国の公姫様方じゃぁにゃいですかぁ~! 今朝、突然、女王国においでににゃったんですよう!」
「ふーん……」としか、言えない。
藍銅共和国というのは、女王国のお隣さんだ。
異世界転移者であることを隠している僕の仮の出身地という設定になってる。
藍銅は共和制を敷いているが、もともと女王国とはひとつの国家で、長い歴史の間に王室がふたつに分裂し、別々の道を辿ってきた。
藍銅にも王家に相当するものがある。現在は政治には関わらないが、公王と名乗っている。
その娘たちが公姫である。
それが、あれなのか。どうみても、若い女性だ。
女性なんだってことすら、知らなかった。
五人いるけど、誰がそれだ?
……なんて、聞くわけにはいかない。
アリスは「にゃんと、若者の政治離れがここまで進んでるんですかにゃ!?」とか言って納得していた。総理大臣のフルネームがわからない頭の悪い高校生みたいな扱いされるなんて……でも都合がいいから放っておこう。
「それじゃ、もう行くよ」
図書館を出てすぐ、
「ヒナガ先生!」
建物の影から燃えるように赤い髪の少女が現れた。
毎朝出迎えにやってくる魔法学院の生徒だ。。
「ウファーリ……」
僕は警戒し、彼女から三歩離れる。
金色の瞳をした野性味溢れる少女は、にやにやしながら、「どうしたんだ?」と悪びれもせず言う。
どうしたもこうしたも、初対面で殺されかけて以来、彼女に対する警戒心が消えたことはないのだが。
「……ちっ、うまくいかねえなぁ……」
「?」
ウファーリは意味不明な舌打ちをする。
視線の先を見ると、僕の首のところで赤いリボンが、ちょうちょ結びになっていた。
ウファーリが指先をちょいちょいっと動かすと、解けてふわりと風に舞い、彼女の手元に戻っていく。
ウファーリの超能力……いや、海音だ。
「柔らかいものって、うまく動かせないんだよ。布とか、紐とかさ」
「ああ……なるほど」
朝っぱらから、僕を実験台にした、ということか。
「もし上手く操れるようになったら、こう……できると思うんだけどな。ぎゅっと首をさぁ……」
「……締めようとしてたのか?」
ほかならないこの僕の首を。
油断のならないやつだ。
「なあ先生、《校内戦》に出るんだったら、あたしを入れろよ。どうせ面子が揃わなくて困ってるんだろ?」
学院への道を歩きながら、ウファーリが言い出した。
案の定……こういう話になることは見えてたんだ。
面子が揃わなくて困ってるのは本当だ。この際、借りれるんなら猫の手でも、アルパカの手でもなんでもいいから借りたい。
それは間違いないんだが……。
僕は横目でウファーリの様子を窺う。
「……僕は、君をメンバーに入れたくない……」
ウファーリはきょとんとした表情でこちらを見上げてくる。
乱暴な言動や突拍子もない行動を除けば、その表情は年下の無邪気な女の子のものだ。
「なんで? あたしが戦えるってことは、先生だって知ってるだろ?」
「……なんでも、だよ」
正直に言うと、彼女が傷つくところを見るのがいやだからだ。
相手にするのは竜鱗魔術師たちなのだ。呑気な校内行事になるとはとても思えない。
「校内戦に出るのは、危険すぎる」
「……はあ!? それだけ!? じゃ、他のやつらは危ない目に遭ってもいいのかよ!」
ウファーリの正論が、全速力で走ってきたダンプカーのごとく、僕を跳ね飛ばす。
その通りだ。
竜鱗魔術師を相手に戦うことが危険だ、というのは誰にでも当てはまることだ。
だけど。
……だけど。
正直に言う。ほかの、学院の名前も知らない生徒だったら、心配なんてしない。
気心の知れた友達みたいな、ウファーリが傷つくところを見たくないんだ。
そういう卑怯な気持ちが伝わってしまったんだろう。
彼女は黙ったままだった。
僕たちは気まずい沈黙を引きずったまま、学院に着いた。
「……なんだ?」
門を一歩入った瞬間から、いつもと違ってた。
なんだか、ものすごく騒がしい。
学校中の生徒たちが、ばたばたと、楽しそうにどこかに移動している。
そろそろ一限目の授業が始まる時間だが、そんなのお構いなしに、だ。
しかも、都合の悪いことに僕の教室の方角に向かっていた。
校舎の中は人で溢れかえっていて、進むのが困難なほどだ。
「なんだこれ……ちょっと、どいてくれ!」
人の波をかき分けながら、自分の教室に辿りつくまで三十分もかかった。
室内にも大量の生徒たちが入り込んでいて、がやがやした声が外にまで響いていた。
「写真を撮ってもいいですか!」
「ご趣味は!?」
「こっちに笑顔くださーい!」
「きゃ~! こっちを見た!」
僕の教室がアイドルのライブ会場にでもなったみたいだ。
「どけ、どけったら! いったいなんの騒ぎだよ!」
もみくちゃになりながら、やっと、教室の入り口に立つ。
階段教室だったのが幸いしてか、中の様子はここからでもわかる。
すりばち状になった教室の中央……教卓の上に、誰かが座っているのが見えた。
「……んなッ!」
あまりの驚愕で動けなくなる。
そこに、さっき、テレビで見たばっかりの人物がいたからだ。
「はぁ~い♪」
短すぎるショートパンツから惜しげもなく脚を晒しながら。見間違いじゃない。飛行機から降りて来た、《藍銅共和国の公姫》……そのひとりが、ヒラヒラ手を振っている。
いったい、なんの冗談だ?
凄まじい美少女だった。
美少女フィギュアをそのまま等身大にしたかのような、均整のとれた体つき。勝気な猫みたいなオレンジ色の瞳――そして、つやつやしたピンク髪!
まるで動くアニメキャラだ。
「ちょっと、ヒナガ先生!!」
後ろから、懐かしい声が聞こえてきた。
見ると、青灰色のスーツを着た熟女……いや灰簾理事がいた。ここに来るまでに彼女もずいぶんもみくちゃにされたらしく、服が乱れに乱れまくっている。
「どうしてあなたの教室に……彼女が……いらっしゃるの!!」
「知りません! こっちが聞きたいくらいですよ!!」
灰簾理事は相当混乱しているらしく、僕の襟元を掴んで来る。
く、苦しい。
「ちょっと!」と声を上げたのは、理事から教師に対する暴力行為を見咎めた良心ある生徒たち……ではなかった。
室内にいたキヤラ何某が立ち上がり、卓の上に仁王立ちになる。
「ちょっとちょっとちょっと~それは流石に見逃せないんですけどっ?」
ピンクの髪が、彼女の動作にしたがい最上級の絹のように波打ち、眩く輝く。その光景をずっと見ていたいくらいだった――首をしめられてなければ。
彼女の全身から迸る、エネルギーの放射に惹きつけられ、周囲の生徒たちの視線はすべて彼女のものとなっていた。
「控えおろ~~~う!」
彼女はひょい、と卓を降りると、階段を駆け上がって僕のところまで来た。
そして僕の両手を取り、にっこりほほ笑んだ。
「こうして会えてうれしいわ! マスター・ヒナガ……いえ、ツバキ! ちゃんと元気でやってる? おなかすかせてない? いじめられてない? 毎日歯磨きしてるのかなっ?」
「えっ――えっ!?」
何故、彼女がこんなに親し気にしてくるのか、全く理解できない。
「戸惑うのも無理はないわよね――本国にいた頃は、政治的ないろんな事情でこうしてふたり話すこともできなかったもん。いままで本当に苦労させたと思う、わたくしを恨んだことも一度や二度じゃないでしょう……」
彼女は目尻に浮かんだ涙を拭ってみせる。
「でも貴方が女王国のマスター・ヒナガとなった今、やっと……そう、やっと……んふふ♪」
一瞬、その甘い表情に……別のものが混じった。
その整った唇が、邪悪なものに見えたのは……なんでだろう。
「こうして《姉弟》の名乗りを上げることができるわ♪」
姉弟。
キヤラの楽しげで凛とした声はが遠くまで響き、伝わる。
騒いでいた生徒たちが――黙る。一瞬で。
「い~い? マスター・ヒナガことヒナガ・ツバキは私の腹違いの弟よ? 父親は当然、藍銅公王。今までは身分を隠させていたけれど、こうして名乗りを上げた以上は……ま、言わなくたってわかるわね」
衝撃の事実が次々に明かされていく。
うそだろ、そうだったのか? 僕は。
いやいや、そんなわけない。
僕は日長椿……遠い日本から異世界に転移させられた、ごく普通の高校生だ!
生徒たちは、まだ事態が呑み込めず、戸惑っている。
「公姫の弟というと、どうなるんだ?」
誰かが囁きあう。
「殿下」
と冷静極まりない声がして、そちらを向く。
制服姿の天藍アオイが鞄を手に立っていた。
「その通~り、正解よ、美形さん♪ では改めて! わたくしは藍銅共和国公姫キヤラ・アガルマトライト。貴方がたに問います。《彼》は何者なのか・し・ら?」
キヤラの掌が僕の肩に置かれる。
彼女の言葉の効果は抜群だった。
まず、灰簾理事がその場に膝を折った。
高貴な身分の者に礼を尽くし、そうするように。男子生徒たちが深く頭を垂れ、女子たちが続く。
まるで波が広がっていくみたいに、みんなが……いや、天藍アオイだけは別だ。
「んふふふっ♪」
キヤラは満足そうだ。
何もせず棒立ちになっている天藍アオイを見て、僕は不覚にも泣きそうになっていた。
こいつの空気読まないところがこんなに心強いと感じる日が来るなんて。
「……なんなんだ、これは」と、音を発さずに唇の動きだけで聴いてくる。
わからない。
わからなさすぎるので、誰か助けて!




