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90 プリズムハート -3

「公王が政治的に力を持たないなどというのは妄言です。彼は今でも魔術王としてあの国の根幹を握ってる」

 シロネとキヤラはその犠牲者だった。

 少しだけ、そんなキヤラのことが悲しいと思う。

 人としての体に、まがいものの魂と人格を載せた彼女が、自分と同じもののように思えたからだろう。

 僕が僕に感じる痛みとおなじものを、どうしてもキヤラに重ねてしまう。

 責める言葉が、問い詰める怒りが消えていく。

 このままそっと、ふたりのことを見なかったことにしたい気持ちがある。

 だけど、それはちがう、と僕の背を押す感情があった。


「泣き言をいうためだけに出て来たのか? シロネ・バナディナイト」


 闘争心、とでもいうのだろうか。

 ただ前へ前へと進む力の塊で、彼は、天藍は言葉の剣を引き抜く。

「すべてが十全に備えられた生など存在しない。藍銅王家の血を引いて生まれたお前にもその覚悟があったはずだ。なぜ死したキヤラを騙り、古銅イオリを女王国から奪おうと企み、そして罪のない者たちを殺したのだ」

 そう――そうだ。それでも彼女が人殺しであることは変わらない。

 彼女は弟の復活を願ったが、ほかの人たちにはなんら慈悲を与えなかった。

 シロネは眠たげな表情のまま、口角を持ち上げた。

 それは微笑とはちがい、醜く歪んだなにかだった。

「責められるいわれはないですよ、貴方の周りにもいるはずだ。目的のためなら手段を選ばない――自らの命ですら天秤にのせ、目方の軽いほうを容易く葬ってしまう人間が。貴方がそのすべてを咎めるというなら、それは聖人の行いというほかないですがね。あぁ……死んだはずの娘が宮中に舞い戻ってきたときの公王の顔、みせてやりたいくらいだな」

 狂ってる。シロネはキヤラを存在し続けるという夢を見続けていて、それだけが目的なのだ。昼も夜も、かつてのままの姿の彼女が傍にいること、ただそれだけのために……でもそれは、どこか、取って付けたような演技のように見えなくもない。

 シロネは肝心のことを何も話していない、気がする。

「ぼくたちはやり直すんだ。最初から。藍銅に君臨して、全てを変える。今回のことは、そのために必要だったのです」

「世論を操作して、女王国を混乱に陥れることがってこと?」

「ルレオリの魔法は、大勢の願いであればあるほど強い力を持つものですから」

 おっと、とシロネは言って、わざとらしく懐中時計の蓋を開けた。

「そろそろ、時間です。先に言った通り――おめでとう、君たちはこの国を救った英雄だ」

 パチパチと、空虚な拍手の音が響く。

「そのかわり、ぼくはぼくの仕事を終わらせてもらうからね」

 天藍が魔術を放つ。

 しかし放った竜鱗はすべて美しい百合の花に変わってしまう。

「魔術が効かない!?」

『おかしい――試合中と同じくらい、ルレオリの力が高まってル』

「観客の力か?」

『チガウ。これは、ルレオリだけの力だヨ。なのに、アイツ……代償を支払ってナい!』

 マリヤは海市を滅ぼすために肉体のすべてを捧げた。

 僕もオルドルに死ぬほど食われてる。

 なのに、シロネは平然としたままだ。

 シロネは僕らに杖の先を向けた。

「《目覚めよ》」

 その言葉ひとつで、目の前に白い星が弾ける。

 僕たちは再び修練場に引き戻される。

 いつの間にか、空は夜の暗闇に包まれていた。

 それに、割れるような歓声が聞こえる。

 我が師に、と口々に叫ぶ。

 いったい何が起きたのかわからずに戸惑っているのは天藍と僕だけだ。

「逃げられた…………?」

「ああ、そうらしい」

 シロネは僕らに勝ちを譲った、というより、勝つつもりはなかったのだ。

 カリヨンにより、勝者の名が呼ばれる。

 シロネは逃げたらしい。五人姉妹はやっぱりどこにもおらず、そのかわりに。


「マスター・ヒナガ!!」


 客席のほうから、医療トランクを掴んだリブラとウファーリが走り出て来る。

「無事か?」

 天藍が、かわりに聞きたかったことを聞いてくれた。

 ナツメやヒギリはなんとか無力化したが、マスター・カガチはまだテリハと戦闘中らしい。

 ウファーリとリブラは戦闘域を離脱し、一旦こちらの救援に駆けつけてくれたのだそうだ。

 救援といってもウファーリはあちこち傷だらけで、簡単な手当てしか受けておらず、包帯から血が滲んでる。

 それでも誰も死なせずにリブラを寄越してくれたのだろう。

『とにかく治療ダ! ボクをツバキのカラダに戻してくれ、こんな竜くさいカラダは耐えられなイ!』

「この状態からもとに戻れるのか?」

『戻らないと、そろそろ人格が統合されてしまウ。今のままだと、キミの人格がツバキを上回ルことにナル』

 そういえば、蘇生術を使うと起きにくくなるリスクが未解決だった。

 ほぼ死体を楽屋に運び込み、リブラが肉体の損傷をとりあえず癒していく。

 僕の精神が天藍の体に入っているという込み入った事情をきいたウファーリが神妙な顔つきになって「まあ、先生的には、そのままのほうがいいかもな」とかいうコメントを残していたが、辛いのでどういう意味かは訊かないでおく。

「で、僕はどうやって戻ればいいわけ?」

「少し黙ってろ」

 天藍の腹話術を、ウファーリや紅華が気持ち悪そうに見てる。

 やめろ、かわいそうな精神状態の人を見る目でこっちを見るのは。

 まあ、見られてるのは天藍だから愉快の範疇だけど。

 天藍は僕に近づくと、前髪を無造作に掴んで持ち上げた。

 やめろ、禿げたらどうする。

 そして、僕の顔に顔を近づけていく。


 …………いやいや、ちょっと待て! 本気で待ってくれよ!!


 全力で抵抗を試みるが、鉄より固い鋼の意志で、残り少ない口の中の肉と血が眠っている僕の口の中に押し込められる。

 自分で自分にキスして口移しまでした人類第一号の栄冠が、僕の手に。

 すごい、僕の唇、渇いててカサカサだ……手入れしたほうがいいかも……あと、舌まで突っ込まれて泣きそう。もうお嫁に行けない。

 そのあたりで、僕は視界の違いに気がついた。

「足りるか?」

 舌に残った最後の血の一滴――僕のものなのか、天藍が切った口の中の血なのかはわからないが――天藍が言うのが見える。

『五分五分ってトコ。血が少なすぎる』

 口からはオルドルの声が漏れ出る。

 僕はというと、眠る前の怠い感じがして、肉体を上手く動かせない。

 意識はここにあるのに……。

『眠っちゃダメだよ、ツバキ!』

「俺の血を使え」

 天藍が白い腕を差し出し、手首を傷つけた。

 流れる血を口元に押し付ける。

「俺の見たヒナガの記憶から、魂を再構成しろ。シロネにできて、お前にできない理屈はない」

 けっこう、無茶を言うな、コイツ。

 天藍の腕から流れ落ちる血の量が減り始め、リブラが自己治癒力を低下させる魔術を発動させる。

 一気に血が流れ込んできて、気持ち悪い。

 僕は飛び起きて、口とは言わず、胃の中のものを吐きだした。

 もちろん吐き出すものは血しかない。

「血液には催吐作用がありますからね……」とかリブラが医者顔で言う。

 知ってるなら止めろよ、と言おうとした瞬間、ウファーリが抱きついてきた。

「センセ、お帰りっ!」

「……く、くるし」

 あれ、少し掠れてるけど、声が出る。

 肉体のコントロールが戻ってる。どっと心臓が動き、血を流し始める。

 体が熱くて、汗が出た。体中が軋んで痛い。悲しくもないのに、涙があふれて止まらない。

 見回すと、ミクリが、天藍が、リブラが、僕のことを見つめているのが見えた。


「邪魔するぞ!」


 感動の蘇生復活もそこそこに、顰め面の二人がやってくる。

 黒曜大宰相と紅華のふたりだ。

「マスター・カガチと天河テリハの両名がじきに翡翠宮に到達する」

「止められなかったのか……!?」

「いや」と大宰相は静かに首を横に振る。「市街地での戦闘を避け、わざと翡翠宮に誘導させた」

「ノーマン副団長と合流すれば無力化は容易いが……。どうする、ふたりとも」

 紅華は僕と天藍にまっすぐに視線を走らせる。

 テリハが、来る。

 あのマスター・カガチを相手にして、生きて辿り着いた。

 キヤラが何者なのかさえ知らずに、ただひたすら、微かな可能性を追って来た。

 きっと、僕がキヤラと戦ったときも、人々は無茶だと思っただろう。愚かだと。テリハも同じだと、今はそう感じる。

「……行くよ。これ以上、誰かが犠牲になる必要なんかない」

「そうか。すまないが、白鱗の騎士よ――しばし椿の翼になってやってくれるか」

 勝手にしろ、と天藍が毒づく。

 テリハと戦うことはコイツにとってはむしろ待ち望まれた状況だろう。ただ、紅華に命令されるのが気に食わないに違いない。

 天藍アオイは戦闘狂にしては複雑にできている。

 僕らは休む間もなく、狂乱する会場を後にして海市の夜空に飛び上った。真っすぐに翡翠宮に向かうのかと思いきや、天藍は背面を下に向けて、下降していく。

 歓声が、喝采がこちらに向けられる。

 係員は退場をうながすが、誰も聞きはしない。

 僕らに触れようと伸ばされる無数の手……。

 それらを前にしているのは正直言って歯痒いような、妙な気分だ。

 僕たちは絶対的な大勝利、なんてものを収めたわけじゃない。

 どこからどうみても歯切れの悪い幕切れを演じ、中途半端な勝利をおさめて、そしてこうして後片付けに向かってるだけなのだから。

 天藍は再び夜空へ上昇する。

「絶対、ルレオリの力で何か適当なの見せられてるよな……」

「あれがお前が守る人々だ。愚かで惑いやすく、そしてか弱い」

 天藍はそれを良いとも悪いとも言わなかった。

 善悪ではない。

 何ものでもはかれないものがそこにある。

 それは美しい考え方だった。人を守る、という行為に特化した騎士の、誇り高いそれだ。

「ツバキ、二度と死ぬな」と彼は呟くように言った。

 そっとうかがった横顔は真剣だった。

「お前も、二度と逃げるなよな」と僕は答え、街の灯りに目を細めた。


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