第七話:パンドラの箱
パワードスーツのアームが展開し、プラズマの刃が放電の火花を散らす。そして脚に、あらん限りの力を込める。
地面の破砕音と、風の轟音。
剣を振りかざす。リファイラは間一髪で受け止めたが、踏ん張る姿勢が出来ていなかったのか、大きく後退りした。
「てっめぇ、一般人の分際でアンドロイドを相手にするなど……」
その言葉は怒気に満ちていたが、急速に勢いを失い、リファイラは目を見開いた。
「お前は……! いや、お前にはウイルスを送り込んでおいた。パワードスーツと連動できる程のスペックは無いはず……」
俺に追いついた藍川が横に並んだ。
「あーもうなんでこんなことを!」
藍川は俺を腕で押して、リファイラとの距離を取った。
「また一般人かよ。何だてめぇら。俺に用でもあんのか?」
「お前、あんなやり方ないだろ。あんな散々痛めつけて!」
「俺とやり合うってのか? 悪いけど、こっちは三人分のスペックなんだぜ? オーバークロックも終わった上に、コンピューターの熱も元に戻った。お前に勝ち目はねぇぞ」
分かってる。勝つ見込みなんて一切ないって分かってる。けど倒れたカイルを見ていると、どうしても、じっとしていられない。
俺はリファイラに向かって地面を蹴った。
そして、反重力フィールド発生装置を出力最大にして、投げた。
「盾を投げた?」
リファイラが面食らったような顔をする。発生装置がリファイラの頭上をかすめる。
その時リファイラの身体が、よろけた。
「反重力に俺の身体が引っ張られているだと……!」
その瞬間に、光の筋がリファイラの胴を横切る。融けた金属が飛び散った。
リファイラは跳躍して、膝をついて着地した。胴体からは電流が漏れ、コードや基板がのぞいている。
「危ねえ……。あともう少し剣が深く入っていたら、真っ二つだったぜ……」
リファイラは反重力発生装置の腕輪を踏み潰した。俺は剣を構え、斬りかかる姿勢をとる。次の攻撃が当たれば――。
その時、一筋のレーザーが俺の足元を焼いた。
「何だ!?」
周りを見渡しても人影はない。
「狙撃か。お仲間からの援護ありがたいな。忘れてもらっては困るが、スペックを共有することをやめれば、三人とも戦闘できるようになる。まあ、そんなことくらい、その女には分かっているだろうけどな」
藍川は指で戻ってくるように合図した。
「ダメージを与えたのは褒めるけれど、それ以上蛮勇を働かせる訳にはいかないわ」
「くそっ」
俺は剣をしまい、パワードスーツのアームを手足から外した。アームが背中の箱に収納される。リファイラはよろめきながらも立ち上がった。
「一つ、その女に聞きたい事がある」
「何?」
藍川もパワードスーツを収納していた。両手に武器は握られていない。
「なぜそいつのウイルスを除去する道を選んだ?」
「そりゃあ、こいつの能力ならあんたたちを倒せると思ったからよ」
藍川の返事はどこか素っ気ない。
「だとしてもその選択はない。俺達を倒すだけなら、もっと人員を増やしてもいいはずだ。それなのになぜ、一人しか味方につけなかった?」
「二人でオーバークロックすれば、あんたなんて一瞬だけれど?」
藍川は俺を肘でつついた。戦えるように準備しろとの意味だろうか。しかし、リファイラは首を振って、こちらに背を向けた。戦うつもりはないようだ。
「流石に確信は持てないが、お前のやろうとしていることは大方見当がつく。だが言わないでおこう。癇癪を起こされては、こちらが負けてもおかしくないからな。……とはいえ変な気を起こすなよ。ろくでもない考えだぜ、全く」
リファイラはそう毒づいてから、跳躍し、摩天楼の空へと消えていった。
藍川が踵を返す。
「あんたの反重力の使い方。あれには驚かされたけれど、ああいう風に武器を消耗されては、ストックがなくなってしまうわ。今度からは勘弁してよね」
「……藍川」
藍川は歩むのを止め、振り返らずに立っている。
俺は、藍川の表情が硬くなっているのが分かった。全く感情がない顔をしている。それが、気がかりだった。
「あいつが言ってた、ろくでもない考えだ、って。お前、俺の仲間なんだったら、秘密なんて持つなよ。な?」
はあ、と藍川は大きなため息をついた。あらん限りの空気を吐き出したようなそれは、深呼吸のようにも感じられた。
藍川は無表情のまま振り返った。そして鋭利な声音で告げた。
「いいわ、どうせ言わなきゃいけないことだったし。……この国民の意志を操作するのよ。それが私のもう一つの目的」
「意志の操作だって……?」
「AVBをハックして、この国の全ての脳内コンピューターに強い信号を送るようにさせるの。そうして、全員が荒廃地を復興するように、意志を変える」
「そんな、そんなのダメだろ!」
全国民の意志を曲げる? そんなこと誰かの自由を奪い、支配しているのと同じだ。その上、AVBをハックするなんて、あの三人とやってることが一緒じゃないか!
「じゃあ聞くけど、それはなぜ?」
「なぜだって……。そんなの聞くまでもないだろ! 人の意志を曲げるだなんて、そんなことは許されないに決まってる!」
「――なにが決まってるですって!?」
街に藍川の怒号がこだまする。藍川は憤怒に燃える双眸を湛えている。
「あんたは、荒廃地の人々がどれほど苦しんでるのか知ってるの? その日の食べ物を手に入れるのに精一杯で、電気やガスもまともに通してもらえなくて、放射能汚染で住める場所も限られているのよ? 白血病とかで死んでいく人も多いのに病院もほとんどない! それなのに、あんたは『決まってるから』で全部済ませようとするの!?」
藍川は俺の胸ぐらをつかんだ。
「あんたは、過去に起きたことだからってこれを肯定するの? 自分は戦争なんてやってないからって何もしないの? それとも何、人の意志を無理矢理曲げるなんておかしいって言うの? じゃああんたは、あんなに人が苦しんでいるのもおかしくないって言うの!?」
藍川の手が震えだした。
「なんで、皆、そんなことさえ疑えないのよ……。この国の人たちは皆、荒廃地が存在することを当然だと思ってる。自分は関係ないって知らん顔する。私……、荒廃地が元に戻って欲しいだけなのに。そのために必死でここまで来たのに。やっと一歩進んだと思ったのに……。もう、皆が泣いているの見たくない……」
藍川の手は、とうに力を無くし、身体は力なく座り込んだ。コンクリートに斑点がいくつも広がっていく。
俺は、どうすることも出来なかった。ただ立ち尽くしていた。藍川の涙を拭いてやることも、慰めてやることも、出来なかった。
俺に出来ることはあるのだろうか?
そんな言葉が脳裏によぎる。だとすれば何だ? 藍川の言う通りにするのか? もっといい方法があるのか? じゃあその方法って何だ?
――ダメだ、分からない。
結局スパコンを持っていようがなかろうが、俺は、どうしようもないくらいにバカだった。
藍川が、絞りだすような声で言った。
「あんただって分かんないんでしょ? 私の気持ちなんて。ここまで来た苦労とか、荒廃地での生活とか、洗いざらい話したところで、どうせ……何一つ分かんないんでしょ?」
いいや、それだけは――!
「……いや違う」
「……え?」
「こんなに泣かれたら、同情の一つくらい、俺にだって出来る」
藍川は拍子抜けしたのか、何も言えないでいる。俺はしゃがんで、藍川と視線の高さを揃える。
「お前が荒廃地の人を助けたいだけだってことくらい、分かる」
藍川は両目からボロボロと涙をこぼして、俺に寄りかかり、泣きじゃくった。