第五話:回り出す歯車
かしましい目覚まし時計のベル音が耳をつく。朝の柔らかな日差しが、カーテンの隙間から覗いているのが見える。
「きれいに晴れてくれたな」
ベッドから起き上がり、着替えを済ませ、リビングへ向かう。リビングの窓は東を向いているので、電気を点けなくても、日光だけで十分に明るい。
「さて、藍川を起こさないと」
ソファーに目をやると、藍川が寝息を立てているのが分かった。
「おーい藍川、起きるぞ」
「……ん、もう朝なの」
藍川は身体は起こしたものの、目をゴシゴシ擦っている。
「コーヒー、いるか?」
いつもの会話のようにスピーディーでなく、少し反応が遅い。
「……お願いするわ」
コーヒーを飲めば藍川も頭が冴えてきたようで、さっきより姿勢も良くなった。
「朝食は何がいいんだ? トースターとかハムエッグとか」
「トースターで結構よ。朝食は手早くすませたいから」
俺は食パンをオーブンに入れた。グレープジュースとグラスをテーブルに置いて、椅子に座る。
「それにしても、あんたが朝食作るのね。ちょっと意外だわ」
「いや、妹と交代で家事をやってるんだよ。今日の当番は俺」
そこは妹が家事をやるべきだろうと何度も話し合ったが、お互いにやりたくないの一点張りだったため、交代制にした。
家族の俺としては、怠慢を働かせずに、妹に家事に慣れて欲しかったのだが。
「ご両親は?」
「実家に住んでる。実家から学校まで通うのは遠すぎるから、ここのアパート借りてるんだよ」
「けど二人暮らしなんて大変じゃない?」
「もう三人になっちまったけどな」
「やめてよね。朝から嫌味なんて」
「けど、食費とか光熱費とかが急に増えられたら困るんだよ。お前はバイトやってるわけでもないし」
「私だってある程度のお金は準備してるわよ? あんたが支払えって言うならそうするけど?」
そう言って藍川は財布からクレジットカードを取り出した。
「口座には何十万か残ってるわ」
「何十万!? すごいな」
高校生の口座に何十万と入っているのはまずない。そもそも口座を持っていない高校生もいると思うのだが。
「そりゃあそうよ。武器を調達するのは尋常でないお金がかかるのよ? それくらいないと、まともに戦闘できないわよ」
「そう言われたらそうか……」
朝食も食べ終え、洗顔などを済ませて、ソファーに座る。
今日は休日なので、学校もなく、かと言って休日に何かをするわけでもない。いつも暇を持て余しているのだ。
しかし今日はわけが違う。藍川はここの土地勘などが皆無なのだから、ある程度街を散策する必要があるだろう。
「ちょっと外を散歩してみないか? 初めての土地だから、慣れたほうが良いだろうと思って」
「そうね……、いいアイデアね。ある程度の街並みを把握しておけば、戦闘の時に有利になるだろうし」
「あのな……、その喧嘩腰な態度はどうにかならないのか? いつも戦闘の話ばっかされると、落ち着いていられねえよ」
「あ、ご、ごめん」
「謝らなくてもいいって。じゃあ、そろそろ行くか」
俺は財布、時計、携帯などを身につけて玄関を出た。藍川もそれに続いた。
「結構寒いな」
もう冬も終わりかけているが、それでも朝は冷え込む。まだ上着は必要なくらいだ。
澄みきった青空に、ちぎれ雲が浮かんでいる。このアパートは街の中心部に近いのだが、休日の朝だからなのか、些か静かに感じられる。
「そういえば、電球を買い直さないといけないな」
「ああ、あんたが壊したあの電球ね」
「一言余計だ」
さり気なく酷いことを言う。たちの悪いやつだ。
「それで、なんでお前は鞄なんか持ってきてるんだ?」
藍川は手提げ鞄を二つも持っている。俺はただ散策するだけのつもりだったのだが。
「いや、その、これは……」
「なんだよ、秘密にしてるものでも入ってるのか? だったら家に置いてこいって」
「別にそんなのじゃないけど、これは、えと……」
藍川は目を泳がせて、うつむき気味になっている。なんというか、らしくない表情をしている。
「……なんか困らせちまったみたいだな。言いたくなかったら、黙っててもいいけど?」
「……パワードスーツとかの武器よ」
「武器? ああ、堕落した三人がいつ来るか分からないから、用心してるのか」
藍川は小さく頷いた。
「あんたが、戦闘の話しないでって言ったから……言い出せなくて」
「そんなに気にしなくてもいいのに。悪いな、お前が気を遣うようなこと言って」
「き、気遣いなんてしてないし! 武器がないと私達は何もできないから、いざという時に備えてるの!」
「分かった分かった」
「……今面倒くさいって思ったでしょ?」
「お前が面倒くさいのはいつものことだろ?」
おっと、つい本音がこぼれてしまった。けど、今のは完全に冗談っぽい発言だったから、適当に笑い返してくれるだろう、……と、思いきや返事がない。
「ど、どうかしたか藍川?」
「よーく聞こえなかったから、もう一度さっきの言い直してもらえるかしら、神原和也君?」
あ、完全に怒らせた。
そう思った時には、藍川の弾丸ストレートが俺の顔にめり込んでいるのだった。
「くっそ……、何でパンチなんだよ。ビンタだったら止められたかもしれなかったのに」
俺のコンピューターの処理能力なら、昨日と同じく、ビンタを受け止められた可能性が高い。
だが、俺はビンタが来ると思い込んでいたので、パンチが来ても予測が遅れてしまった。
「それを見越したうえで、パンチなのよ。あんたがビンタを受け止めるのは明白だったから」
「……完敗だ。見事に出し抜かれた」
「もし次があったら、レールガン早撃ちで、足指のどれかとお別れしてもらおうかしら」
「……冗談抜きで怖いからやめてくれ」
あの失言のせいで、俺は今、武器が詰め込んである鞄を二つとも持たされている。
幸い、これらの武器全てはかなり軽量に作られているので、鞄自体は重くない。
ただ、酷い敗北感がのしかかって、気持ちが萎えていた。
「そうだ、電気屋で電球を買わないと」
「その前に」
俺の前を歩いていた藍川は、立ち止まってから振り返った。
「罰として、私が欲しいものをあんたが奢るの。服と、パフェと、その他もろもろ」
「はあ!?」
「足指が寂しがるわよ?」
「奢ります奢ります。喜んでそうさせていただきます」
藍川はこれまでにない満面の笑みを向けてきた。
こいつ! 俺が怒らせたのをいいことに好き勝手しようとしてやがる!
そんなに金使ったら今月の生活費が圧迫されるだろ。俺の買いたいゲームが買えなくなったらどうすんだ!
俺の悲痛な叫びなど、嗜虐的な藍川に届くはずもなく、電器店とは離れた、駅のある中心街に来てしまった。
「すごい、こんな大きなビル群は初めて!」
藍川は間違いなく、目を輝かせていた。さっき俺に向けた笑顔とは違う。ふと、藍川がやって来た昨日のことを思い出した。
「こいつは、荒廃地にいたんだよな……」
荒廃地にこんなビル街など、もちろん存在しない。荒廃地には、僅かな市街地があるだけで、その全てはスラム街だ。
きっと、買い物が楽しみなんだろう。そんなことは容易に想像がついた。
それならば、服の一つや二つくらい、買ってやってもいいかと思った。
と、バラエティー番組を映していた大型モニターが暗転した。
「ん、停電か?」
街行く人は足を止め、ざわつき始めた。携帯が動かない、脳内コンピューターのネットワークが切断している、などと言っているのが聞こえる。
「こりゃ、大規模停電だな。AVBが止まったらしいから、きっとそうだろう」
「……違う」
ボソリと藍川が呟いたように聞こえたが、声が小さすぎて、はっきりと聞き取れない。
「これは、停電なんかじゃない……」
「え?」
その時、街中に男の声が響き渡った。
「やあ、皆さんおはよう。この区画一帯のネットワークは、俺達がサーバーにハックして、切断させた。そして、武装ロボットに区画の防衛を命じている。警察もアンドロイドも外部から侵入できない上、お前たちも、ここからは出られない」
瞬間的に、人々はパニックに陥った。街は阿鼻叫喚のるつぼと化した。
「サーバーにハッキング!? あいつら一体なんなんだよ?」
「……まさか」
「藍川、お前あいつらを知ってるのか?」
藍川は何も答えないまま、真っ黒のモニターを凝視している。すると、モニターに男二人と、女一人が映し出された。
「俺達三人は堕落したアンドロイド。AVBへの反逆を誓ったやつらさ」