甘い和解
「……まだ怒ってるんですか、先輩」
研究所のキッチン。ノアがおずおずと声をかけるが、リーゼは背を向けたまま、顕微鏡を覗き込んでフンと鼻を鳴らした。
「怒ってるわよ。貴重な計算リソース(実習生)を物理的に排除するなんて。非合理的にもほどがあるわ」
「うぐ……。……じゃあ、これで手を打ちませんか」
リーゼの鼻先を、香ばしく甘い、暴力的なまでに魅力的な香りがくすぐった。
前世で「疲れた時は糖分」を合言葉に修羅場を潜り抜けてきた彼女の脳が、瞬時に反応する。
「なっ……何よ、この完璧な『メイラード反応』の香りは……!」
振り返ると、そこにはエプロン姿のノアが、皿に乗った分厚いパンケーキを捧げ持っていた。
そのパンケーキは、重力に逆らうかのようにふっくらと膨らみ、表面は均一なキツネ色に焼き上がっている。
「名付けて、『魔導熱回路による定温焼付パンケーキ』です。フライパンの底の温度を魔法で160°C一定に保ち、生地内部の炭酸ガスを最大効率で膨張させました。メレンゲの気泡も、僕の風魔法でナノ単位に均一化してあります」
「……バカね。パンケーキにそんな精密な魔力制御を使うなんて」
「先輩の機嫌を直すためなら、禁忌魔法だって使いますよ。さあ、冷めないうちに」
リーゼは渋々フォークを手に取り、ナイフを入れた。
断面は驚くほどきめ細かく、口に運ぶと……シュワリ、と雪のように溶けた。
「…………っ!!」
「どうですか?」
「……計算外。この気泡の保持率、そしてバターの乳化状態……完璧すぎて悔しいわ。甘みの浸透圧も絶妙ね」
あまりの美味しさに、リーゼの頬が緩む。理系脳も、本能的な「幸福感」には勝てなかった。
それを見て、ノアはホッと胸を撫で下ろし、彼女の隣に座ってじっと顔を覗き込む。
「良かった。……先輩、エドワード君のことは謝ります。でも、僕も必死なんです。あなたに『計算が合う相手』が現れたら、僕の居場所がなくなる気がして」
「……ノア。あなた、自分の魔力スペックを過小評価しすぎよ。私の無茶な数式を、誤差0.001%以下で具現化できるのは世界であなただけ。……代わりなんて、最初から探してないわ」
リーゼがモグモグとパンケーキを頬張りながらぶっきらぼうに言うと、今度はノアの顔が真っ赤になった。
「……それ、僕にとっての最大級の愛の告白として受信していいですか?」
「勝手にしなさい。……それより、おかわり。次はメープルシロップの粘性をもっと高めて、コーティング力を強化してちょうだい」
「了解です、マイ・マスター! すぐに粘性調整に入ります!」
エプロンの紐を揺らしてキッチンへ戻るノア。
リーゼは、甘い香りに満ちた部屋で
「やっぱり、この共同生活の効率は悪くないわね」
と、小さく独りごちるのだった。




