非論理的な心拍数
あの情熱的な告白から一夜。
研究所の居住スペースにあるキッチンで、リーゼはいつものように無機質な手つきでコーヒーを淹れていた。
(……昨日のあれは、何かの化学反応の副産物よ。そう、一時的な脳内物質の過剰分泌に違いないわ)
自分に言い聞かせ、フラスコ(コーヒーサーバー代わり)を振る。だが、背後に気配を感じた瞬間、その理論はもろくも崩れ去った。
「おはようございます、リーゼ先輩」
背後から伸びてきた腕が、リーゼの腰をひょいと抱き寄せる。
振り返ると、そこには昨夜の「肉食モード」を微かに残した、不敵な笑みのノアがいた。
「ち、ちょっとノア! 朝から密着しすぎよ。熱伝導率が高まって暑苦しいわ!」
「いいじゃないですか。昨日の告白、保留にされたままなんです。僕の恋心が蒸発して消えないように、こうして定期的に補給しないと」
「補給って……あなたは魔力タンクじゃないんだから」
顔を真っ赤にするリーゼを見て、ノアは満足げに目を細める。
かつては「美しい魔術」にしか興味がなかった天才魔術師は、今や「先輩の困った顔」という、世界で一番複雑な事象の観測に夢中だった。
「そうだ、先輩。今日の予定ですが、午前中は新型魔導回路の設計、午後は……僕とのデートに一枠割いてもらえませんか?」
「デ、デート!? そんな非生産的なことにリソースは割けないわ。午後は過冷却の再現実験の続きを……」
「ダメです。先輩は集中するとすぐ栄養失調になるんだから。僕が選んだ高カロリーで高糖度な――つまり、すごく美味しいケーキ屋さんに連行します」
「うぐっ……糖分補給は、脳の活性化に必要だけど……」
理屈で丸め込まれそうになるリーゼ。ノアは追い打ちをかけるように、彼女の耳元で
「あ、これ業務命令です。僕、ここの所長ですから」
と囁いた。
「公私混同よ、この職権乱用魔術師!」
「なんとでも。……あ、先輩、口元にミルクついてますよ」
「えっ、どこ……んっ!?」
指で拭ってくれるのかと思いきや、ノアはリーゼの頬に軽く口づけをして、ひらりと身をかわした。
「……っ!! な、なな、今のは……!? 粘膜接触のショートカット……!?」
「あはは! 先輩、語彙が相変わらず理系すぎて最高です! さあ、冷めないうちにコーヒー飲みましょうか」
キッチンには、リーゼの怒鳴り声と、ノアの楽しげな笑い声、そして少しだけ甘い空気が満ちていた。
世界を変える大発明も、二人のもどかしい距離感を変えるには、もう少し時間がかかりそうだった。




