荒肌の富士山
僕は湖畔の幽霊。
美術館裏の芝生の広場から毎日湖を眺めている。
今日はやけに美術館へ出入りする人が多い。
広場を通る人の話を盗み聞くと、今日からしばらくの間美術館が無料で開放されているらしい。
文化の町づくりの取り込みとして音楽祭の開催を行ているようで、それに合わせたイベントだという。
美術館では隣町にアトリエを構える画家の絵が展示されているそうだ。
どうやら富士山の絵を描く画家らしい。
この真夏日なので暑さから逃れるのを目的にしている人も多いみたいだけれど、その絵に圧倒された鑑賞者もいるのだろう。美術館を後にした人たちが、あの絵が良かっただとか、迫力があっただとか、太陽の表現が好きだったなど、各々思い思いの感想を述べている人もいる。
僕は湖を眺めながらどんな絵なのだろうかとしばらく想像した。
湖は今日もキラキラと太陽の光を反射させている。
顔を見上げると太陽光で視界が真っ白になった。
思わず目を細めて手のひらで光を遮ると、少しだけ太陽を見ることができた。
意識して見るとやっぱり太陽は丸いんだな。
白い球体の周りには光の輪ができており、無尽蔵な光を放出している。
さすがに目が痛くなり、たまらず視界を湖に戻す。
強烈な光に網膜が驚いたのか、湖には黒く太陽の残像が残っている。
目をしょぼしょぼとさせながら、何度か瞬きをしていたら太陽の残像は消えた。
ここからの眺めに富士山はない。
ちょうど山の陰になって富士山は隠れてしまっている。
広場の目の前にある遊歩道を少し北に進めば、すぐに富士山は顔を出す。
富士山目当ての人にとって、残念な広場かもしれないが、僕はこの広場が好きだ。
富士山があったら、この湖は富士山を装飾する景色になってしまうだろうけど、ここでは湖が主人公だ。
キラキラと光る湖面も、背の高い葦が風に撫でられる姿も、遊歩道を歩く人々も、全部愛おしい。
この景色をずっと見ていたくて、僕はこの場所を選んだ。
だけれどちょっぴりだけ、富士山を見たい気持ちもある。
もう一度、美術館に展示されている富士山の絵を想像する。
朝霧の中で輪郭のぼやけた富士山を、僕は思い浮かべた。
今の時期の富士山は、溶岩の素肌を露出した荒々しい富士山なんだろうな。
残念ながら僕はもう、富士山を見ることはできない。
代わりに、この景色をこれからもずっと眺める。
僕は湖畔の幽霊。
美術館裏の芝生の広場から、見えない富士山を眺めている。




