4 いつか見てなさいよ!
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「またずいぶんともらってきましたね、ティアナ」
籠いっぱいの薔薇を抱えて戻ると、テイラーがあきれた声を出しながらもどこか嬉しそうに薔薇の籠を受け取った。
このマメでオリヴィア様大好きな侍女は、せっせと花瓶に生けるものを選り分けた後で、花びらをだけにして乾燥させてポプリとかにするのだろう。
「こちらの薔薇は香りが強いですから、ローズウォーターにしてもいいですね。ロナウド様にお願いしたら香水にも加工してくれそうです」
「へー、ロナウド様って器用なのね」
「ロナウド様がするのではなく、従業員にさせるのでしょうが……、ティアナ、香水の調香に協力したら、試作品をくださるかもしれませんよ」
「そうなの⁉」
ロナウド様って、そんなこともしてるの? え、試作品をくれるならよろこんで協力するけど!
「ちょっとテイラー! その香りの強い方の薔薇を返して! ロナウド様に横流しして香水を作ってもらうわ!」
すると、わたくしとテイラーのやり取りを微笑んでみていたオリヴィア様が、籠の中の薔薇の品種を確認して首を横に振る。
「残念だけど、この薔薇は持ち出し禁止の品種よ。王家の薔薇の一つね。……売り出さずに、個人的に使うだけにとどめるなら、申請すれば許可が下りるかもしれないけど」
「わたくしは個人的に使えればそれでいいです」
ただ、ロナウド様がそれをよしとするかどうかだけどね。
オリヴィア様は薔薇を一つ手に取って、鼻先にそれを近づける。
「そうね。お兄様が協力するかどうかはわからないけれど……って、あら、これはマダム・アップルね」
「マダム・アップル?」
「ほら、ほんの少しリンゴを混ぜたみたいな香りがするでしょ? これはね、昔、王太后様がまだ王妃様だったころに改良させた薔薇なのよ。確か……そうそう、当時、ワットール様の奥方も改良の際に協力されたはずよ。あの方、薔薇の改良に詳しいから」
思いがけずモノクルおじさんとの繋がりが出てきて、わたくしは目を丸くする。
「そのモノクルおじさんですけど、最近、薔薇園に足を運んでいるらしいですよ」
「ティアナ、モノクルおじさんじゃなくてワットール様、ね。癖になるとうっかり出ちゃうから気を付けて」
オリヴィア様は苦笑して、それから顎に手を当てて少し視線を落とした。
「もしかしたら、ワットール様はこの薔薇を見に来ていたのかもしれないわ。先月末から奥様がご病気で臥せっているの。そして、五日後は結婚記念日があるのよね」
なんでオリヴィア様ってば他人の奥様の健康状態と結婚記念日を知っているの?
相変わらず、オリヴィア様の情報は偏ってるわ。
最近のドレスの流行とかお化粧品の新商品とかはちっとも知らないのに。わたくし、モノクルおじさんの結婚記念日ほどどうでもいい情報はないと思うんだけど。
「モノクルおじさんの奥さんの病気と結婚記念日と薔薇に何の関係が?」
「ご病気だからじゃないかしら? ……いい、ティアナ。ここだけのお話だけど、マダム・アップルはね、ワットール様の奥方が、王太后様と一緒に改良に成功したとき、特別に一輪だけ王太后様から頂いた薔薇なの。そしてね。本当に本当に内緒よ? 奥方は、その薔薇を差し出して、ワットール様に逆プロポーズしたの」
「え⁉」
あのおじさんにそんなロマンスが⁉
というか、逆プロポーズって今でも珍しいのに、昔はもっと珍しかったんじゃないの?
……ふ、ふふふ、これは弱みだわ! モノクルおじさんの恥ずかしい過去だわ! いいこと聞いた~っと。
にまにまと笑っていると、オリヴィア様がとっても不安そうな顔をする。
「ティアナ、絶対に内緒よ?」
「はーい」
ま、しばらくは黙っておくわよ。そしてここぞという時の切り札にするわ。ぷぷぷぷぷ。
「で、薔薇とモノクルおじさんの関係はわかりましたけど、それが?」
「だから、奥様がご病気で、ワットール様は不安なんじゃないかしら? 結婚記念日もあるし、もしかしたら、不安で昔の思い出にすがりたくなっているのかもしれないわよ」
……なるほどね~。
あの気難しそうなおじさんも、奥さん相手だと弱気にもなるのか。
わたくしは籠いっぱいのマダム・アップルの薔薇を見下ろして、ふむ、と考えた。
☆
「モノ……ワットール侍従次官」
おっといけないいけない。本人相手にモノクルおじさんって呼びそうになったわ。オリヴィア様が言う通り、癖がつくと危険ね、これ。
今日は、モノクルおじさん主催の授業の日である。
生真面目なおじさんは、オリヴィア様の侍女として、最低限の教養とか言うのをわたくしに身に付けさせようと必死だ。
今日は法律の本を持っているけど、それを読ませようって魂胆じゃないでしょうね。嫌よそんな眠くなりそうなもの! っと、そうじゃなくて!
「これ、プレゼントです」
わたくしは、可愛らしくラッピングしてもらった包みをモノクルおじさんに差し出した。
モノクルおじさんは怪訝そうな顔をして、包みとわたくしを見比べている。
「これは?」
「えーっと、結婚記念日だって聞きました。だから、どうぞ」
「確かに本日は私と妻の結婚記念日ですが、どうしてティアナがプレゼントを?」
「なんとなく?」
ま、気まぐれってやつよ。本当になんとなく……なんとなーく、気になっただけなんだから!
「いいから、はい。これ、特別な香水だから、市場には売ってないんですよ」
「特別な香水、とは?」
「ロナウド様に薔薇を横流しして作ってもらったんです。……マダム・アップルの香りの香水ですよ」
すると、モノクルおじさんが目を大きく見開いた。
「マダム・アップルは城外への持ち出しは禁止ですよ」
「許可はもらいましたよ。オリヴィア様が。ちゃんと剪定で出た薔薇を使いましたし、ロナウド様にも商売は禁止って伝えてあります」
そのせいで、香水の製造料金はしっかりと徴収されたのよねー。ま、わたくしが支払ったわけじゃないからいーんだけど!
香水は合計四本できあがったの。
だから、オリヴィア様とテイラーとわたくし、そして一本余ったから、ま、気まぐれよ。
暇さえあれば薔薇園に通ってマダム・アップルを眺めるほど奥様を心配してるみたいだからね。薔薇は無理でも、せめて香りだけでも届けてあげればいいじゃないの。案外それで元気になるかもしれないし!
モノクルおじさんはほんの少し躊躇しながら、けれどもわたくしが差し出した香水を受け取る。
そして、びっくりするくらい優し気な微笑を浮かべた。
「……ありがとうございます。妻も喜びます」
ふぅん、モノクルおじさんって、こんな優しい笑顔ができるんだ。これも、特別仕様ってやつなのかしら。
こうして見ると、このおじさんもまあまあ整った顔立ちをしているのね。
いっつも眉間に皺が寄ってるから端整って言葉とは程遠いと思っていたけど、まあまあだわ。
……って、別に好みの顔ってわけじゃないんだけどね!
でもこれで、モノクルおじさんの中のわたくしのポイントも少しくらい上昇したはずよ。
だからお勉強にも手心を加えてくれるわよね、ふふふ!
なーんて、わたくしは能天気なことを考えたんだけど……このおじさんが、そんな殊勝な相手なはずがなかったわ。
香水の包みを大切そうにテーブルの上に置いたモノクルおじさんは、分厚い法律書を開いて――
「さあティアナ、今日のお勉強をはじめますよ。前回説明したところは、もちろん覚えていますよね?」
「…………なんだったかしら?」
「また忘れたんですか、あなたは!」
くっ、やっぱりこのおじさんのモノクル、砕ければいいのに‼
余談だけど、モノクルおじさんの奥さんは、結婚記念日の一週間後に体調が回復して、今ではすっかり元気らしいわ。
嬉しそうに香水瓶を眺めているって後日教えてもらったもの。
でも、あーあ。
結局、モノクルおじさんをぎゃふんと言わせることはできなかったわね。
でも、諦めないわ!
いつか絶対に、ぎゃふんと言わせてやるんだから‼











