伝家の宝刀「アニマルセラピー」
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バックスに言ってサイラスに茶を出してもらうと、弟はゆっくりとティーカップに口をつけた。
デイビスはまだしくしく泣いている。
「これ、どういう状況?」
「私が聞きたいくらいだ」
アランはサイラスが持って来た書類に目を通し、それをそのままバックスに渡した。
「バックス、この予算通らないらしいぞ」
「え? ……って、殿下⁉ こんな書類知らないですよ! どうしたんですかこれ」
「私が出した」
アランは動物が大好きだ。そんなアランは現在、軍馬のための牧場を城の近くに作れないかと狙っていて、そのための土地の購入費用を捻出しろと書類を作って財務部に持って行ったのである。バックスに内緒で。
「兄上、財務大臣が頭を抱えていたからやめてあげてよ。いくら何でもその予算は簡単に出ないから。あと、書類の下に気づかれないくらいに小さく『上記とは別に馬の購入費用』って書くのもやめてあげて」
「ダメか。軍部の連中は諸手を上げて賛成したのに」
「そりゃそうでしょ。前々から軍馬を増やしたいって言っているんだから。だけど、毎年決まった予算内でってことになっているんだから、それを増やすのは無理だって」
「殿下、こういうことをするから財務部からチクチク言われるんじゃないですかぁ。この前も勝手に城の裏手にウサギ小屋の建設計画書なんて提出して怒られたでしょ」
「兄上そんなことをしたの?」
「知り合いから子ウサギをもらったんだ。だから城で飼おうと思ったんだが、文句を言われたからバックスの家で飼わせている」
「……バックスさんも災難でしたね」
「い、いえ、ウサギは可愛いのでいいのですが……」
バックスがふっくらした手をもじもじさせながら小さく笑う。主に似て、バックスも動物好きなのだ。アランからもらったウサギも、家族ともども溺愛している。
「というか兄上、半年ほど前にも知り合いの家に子犬が産まれたって言って一匹もらってきていなかった?」
「ああ、ホワイトだろう? もうかなり大きくなったぞ。立ち上がれば私の胸のあたりまであるからな」
「兄上の犬、そのホワイトで何匹目?」
「八匹だな」
「うわぁ……大家族」
サイラスが「知らないうちにかなり増えてた」と額を押さえる。
アランの溺愛する犬たちは、城の敷地内にある使っていない離れ丸々一棟を住処としている。専属のお世話係を三人雇い、アラン自ら訓練もし、かなり賢い犬たちとして有名だ。ちなみにアランは、溺愛する犬たちのためのドッグラン計画を立てていたが、頓挫している。裏庭の一部をドッグランに改造すると言ったのがまずかったらしい。計画を練り直しだ。
「そういえば、兄上の愛犬たちが庭に大穴を掘ったって母上が怒っていたよ」
「犬は穴を掘るものだ」
「泥遊びも?」
「泥遊びは好き好きだな。ホワイトは好きだぞ。この前、騎士団の連中と水遊びをして泥だらけになって帰って来たな」
アランの愛犬たちは騎士たちにも愛されている。アランが忙しいときは代わりに散歩に連れて行ってくれたりするので、愛犬たちも騎士を見れば尻尾を振って走っていくのだ。
「そなたも遊んでやればいいのに」
「そうしたいのは山々だけど、何故か僕が行くと飛びついてくるんだ」
「遊んでほしいから飛びつくんだ。あと、舐められているんだな」
そう。どういうわけかサイラスは昔から動物に舐められる傾向にある。もともと動物の扱いがうまくないのもあるのだろう。子供の頃大型犬に追いかけまわされてひどい目に遭ったのは黒歴史だと言っていた。
だがあれは、アランから言わせれば、興奮している大型犬から逃げようと走り出したから追いかけられたのだと言いたい。大人しくしていれば追いかけられることはなかったのだ。
サイラスとどうでもいい話をしていると、デイビスのしくしくという泣き声が小さくなっていた。落ち着いてきたのかもしれない。
「デイビス、泣き止んだか?」
「……殿下、僕は、僕は……きっともう長くないんです。心臓がさっきからおかしい。すごく鼓動が早くて……うぅ」
「それはただ単に泣きすぎただけだ。それだけしゃくりあげていれば鼓動も早くなるだろう。とりあえず落ち着け」
アランがバックスに視線を向けると、頷いた彼がメイドを呼んでお代わりの紅茶を用意させる。
サイラスは、ソファの上で何故か膝を抱えて座ったデイビスに困惑顔を向けた。
「ええっと、ファレル公爵家のデイビスだよね?」
「ああ、サイラスは顔を合わせる機会が少なかったな」
婚約者が亡くなる前から、デイビスは外出を好まないタイプだった。パーティーにも数えるほどしか出席したことがなく、そのため、サイラスは数えるほどしか会ったことがないのだろう。
「二年ぶりに邸の外に出たと思ったら、この通りだ。何故か私のところに来てずっと泣いている」
「殿下、だって殿下は僕のお友達……以心伝心……」
「いや、友人ではあるが以心伝心ではないな」
こんな謎な行動を起こす友人の考えなどこれっぽっちもわからない。わかれば苦労しないのだ。
「そんな……ずっと、以心伝心だって思ってたのに……。パトリスと僕は以心伝心だった……パトリスぅ……やっぱり僕には君しか……うぅ」
「兄上……」
「やめろ、そんな目で見るな」
サイラスに責めるような目で見られて、アランはついと視線を逸らす。
お代わりの紅茶が運ばれてきて、アランはそれを無理やりデイビスに持たせた。
「いいからひとまずそれを飲め! アイリッシュ・ルドマン侯爵令嬢との婚約が嫌なのはなんとなくわかったが、まずは説明してくれ。何もわからないままでは私にもどうしようもないではないか」
デイビスは泣き腫らした顔でこくんと頷くと、ちびちびと紅茶を飲む。
アランとデイビスは共に二十三歳の同じ年だが、縮こまって紅茶を飲むデイビスはとてもじゃないが成人男性に見えない。いや、外見は充分成人男性なのだが、中身がひどすぎた。
ファレル公爵は気さくで朗らかな人物なのだが、ファレル公爵夫人は気が強く強引な性格をしている。ついでに厳しい。ファレル公爵家の嫡男として恥ずかしくない人物に、とファレル公爵夫人がデイビスに過度な期待と無理な教育を施したせいで、追い詰められた彼は幼少期から気弱で内気な少年だった。弟の方は兄を反面教師に育ったせいか、父親に似た朗らかな性格なのだが。
(私としては心の傷が癒えるまでそっとしておいてやってほしかったが、ファレル公爵夫人としては早く結婚させて跡継ぎ問題をどうにかしたいんだろうな)
ファレル公爵は最悪デイビスの弟に継がせることも視野に入れていたようだが、ファレル公爵夫人が頑として譲らなかったのだ。
というのも、デイビスを育てたのは公爵夫人だが、年子の弟の方を育てたのは姑――つまり、前公爵夫人なのである。あそこは嫁姑の折り合いがよくなく、何かと張り合っており、自分が跡取りとして育てたデイビスより、姑が育てた弟の方が出来がいいというのは許せないらしい。
そのせいで強引にアイリッシュと婚約をまとめられようとしているデイビスは気の毒でしかないが、今回の件についてはファレル公爵夫人が上手だった。国交関係を持ち出されれば断りようがないからだ。
デイビスは顔を上げ、うるうると目を潤ませた。
「殿下、しばらく僕をかくまって、ください……っ」
「はあ?」
「あのまま、家にいたら、僕の、僕の貞操が……! パトリスに捧げた操が……! うぅ……」
「貞操? 操?」
何の話だとこめかみを押さえるアランに、デイビスがぐすぐす言いながら説明する。
「ぼ、僕、ずっと部屋に閉じこもって、アイリッシュ嬢に会わないようにしていたんです。そうしたら、しびれを切らした母上が……ぼっ、僕に、僕の食事に……毒をっ」
「毒⁉」
アランがぎょっと目を剥く。
サイラスは状況を理解したような顔で、「あー……」と斜め上を向いた。
「ええっと、その毒って言うのはつまり、媚薬の類かな……と思うんだけど」
「はいっ、その通りです! 僕の、僕の貞操がっ」
なるほど、そこで貞操に繋がるらしい。
(それにしても、息子に媚薬⁉ 母上より怖いなファレル公爵夫人!)
既成事実を作って、ついでに跡取りまで出来たらラッキーということだろうか。怖すぎる。
「デイビス、アイリッシュ嬢はそれを知っているのか?」
「わかりません。わかりませんけど……うぅ、僕もう怖くて、家にいられませんっ」
(その気持ちはわからんでもないが……)
さてどうしたものか。
匿えと言われても、はいそうですかと、名目もなく匿えるものでもない。特にデイビスとアイリッシュの間に縁談が持ち上がっている以上、下手なことをすればアランが責められる。とはいえ、友人をこのままにしておくのも忍びない。
(せめて精神的に落ち着くまで隔離してやりたいが……うーん)
下手に関わると、ファレル公爵夫人のみならず、バーバラからもチクチク言われそうだ。国交問題が絡まなければ動きようはあったが、もはや外堀が完全に埋められていると言っても過言ではない国同士の縁談に置いて、打てる手は少ない。
「デイビス、アイリッシュ嬢はどんな女性なんだ?」
「しりません……」
「婚約者だろう?」
「婚約予定者です。婚約者じゃないです。婚約者は、婚約者は……パトリスぅ」
「ええい! 泣くなっ! 落ち着けっ!」
デイビスがまたしくしくと泣きはじめてしまった。振り出しに戻った状況でアランは泣きたいのはこっちだと思う。
サイラスは逃げ出したそうな顔をしていたが、ここで逃がすアランではない。というかアラン一人では対処不可能だ。
泣き続けるデイビスに途方に暮れていると、バックスが「あのぅ」と控えめに口を開いた。
「殿下、最近、このような本を読みまして。もう、この方法しかないのではないでしょうか」
「うん?」
バックスがいそいそと取り出したのは、一冊の本。
その題名は「アニマルセラピー入門書」だった。
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