わかっていないヤギ女はお山には登れないのよ
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お茶会は穏やかにはじまった。
オリヴィア様のテーブルについている令嬢は、テイラーがしっかりチェックしたから、ジェシカ・リヴァン侯爵令嬢ももう一人の伯爵令嬢――ダーシー・モロウ伯爵令嬢もオリヴィア様に好意的な女。ちなみにダーシーはわたくしと同じ年で、わたくしが身分を剥奪される前には何度か話したこともある。のんびりと張り合いのない令嬢で、特に権力欲もないから基本放置していた令嬢よ。
そして、波風立てずおっとりとした雰囲気だから、開始早々マウントの取り合いに発展することはない。
アイリッシュ・ルドマン侯爵令嬢という不確定要素以外は、出だしはスムーズってところね。ヤギ女の座っているあたりのテーブルはにぎやかだけど、今のところこちらまでの飛び火はなさそうだし。
……ヤギ女の方はモニカがそれとなくどんな会話をしているのか聞きに行ったから任せましょ。
バーバラ様からお茶会の報告義務を受けているモニカは、サロンの中を歩き回りながら各テーブルの様子を確認しているの。
給仕している上級メイドに混ざるようにしてするすると移動していくモニカはさすがよ。
お菓子とお茶が運ばれてきて、オスマンタスのオレンジの小さな花が浮いたティーカップに、ジェシカ様が「まあ」と華やいだ声を上げた。
「可愛らしくて、そしてとてもいい香りのするお茶ですわ」
そうでしょうそうでしょう、オリヴィア様をもっと褒めたたえて持ち上げなさいジェシカ様。
するとオリヴィア様がふんわりと微笑んだ。
「わたくしの侍女が提案してくれたの。ちょうどオスマンタスが咲きはじめたみたいで、秋を先取りするようで素敵でしょう?」
もう、オリヴィア様ったら、そこは自分の手柄にしていいのよ。ま、悪い気はしないしオリヴィア様のそういうところは好きだけど。
「オスマンタスというんですのね、このお花。あまり見かけない花なので知りませんでしたわ」
「東の大陸のお花だそうよ。ちょっと調べてみたのだけど、東の国ではお薬としても使っているみたい。美容効果や、体の冷えに効果的なんですって」
オリヴィア様ってば、知らないことがあったらすぐに調べたがるのよね。そういえばいそいそと図書館から本を借りていたのを見たわ。
「今は紅茶に入れているけれど、白ワインにオスマンタスの花を漬けて香りと効能を移したお酒もあるのだそうよ。この国にはないけれど……フィラルーシュ国の西のあたりで作られているんじゃなかったかしら? ちょうど、ルドマン侯爵領があるあたりと記憶しておりますが、あっていますか? アイリッシュ様」
オリヴィア様がそう言って、にこりとアイリッシュ様に話題を振る。
ブリオール語での会話にアイリッシュ様が退屈していると思ったのだろう。アイリッシュ様が扇を広げた下で、侍女のがり勉眼鏡――オーフェリアにぽそぽそと何かを告げる。するとがり勉眼鏡は頷いて、言った。
「ルドマン侯爵領の名産です。お土産にいくつか持って来ておりますので、よろしかったらお近づきのしるしに皆様にお届けさせていただければと思いますがいかがでしょうか?」
へぇ、一応の気遣いはできるのね。
そこでオリヴィア様と言わずにこのテーブルのみんなにって言ったところは褒めてやろうかしら。だってオリヴィア様だけ特別扱いしたらオリヴィア様が気を使ってしまうもの。
アイリッシュ様の提案に、ジェシカ様もダーシーもにこにこと笑って礼を言う。
オリヴィア様も嬉しそうに笑って、それからテイラーを振り返った。テイラーが頷き、上級メイドの一人を呼ぶ。
「では、わたくしからも……」
上級メイドが運んで来たのは手のひらサイズのガラス瓶だった。中にオレンジ色の小さな花――乾燥させたオスマンタスがぎっしりと詰まっている。
「オスマンタスはブリオール国では珍しい花ですけれど、この時期、お城の庭にはたくさん咲くのですって。毎年散るに任せているからと、庭師の方が好きなだけ摘んでいいと許可をくださったので、こうして花を乾燥させて保存がきくようにして見ました。今日のようにお茶に浮かべてもいいですし、お風呂に浮かべたりポプリにしたりと使い道もありますので、よかったら」
オリヴィア様がアイリッシュ様、ジェシカ様、ダーシーに一つずつオスマンタスの入ったガラス瓶を配る。そしてちょっぴりはにかんだ顔で「お近づきのしるしに」と言った。この顔を見たら、サイラス様なら心臓撃ち抜かれて悶絶するのは間違いなしね。
……オリヴィア様ってば、年の近い令嬢のお友達が少ないから、仲良くお茶を飲むのが楽しいのかもしれないわね。
アイリッシュ様がまたがり勉眼鏡にぽそぽそと何かを伝える。がり勉眼鏡がアイリッシュ様の言葉を代弁した。
「ありがとうございます。ルドマン侯爵領ではオスマンタスはお酒を造ることにしか使いませんので、このような使い方が知れて嬉しいです。使うだけではなく、飾りとしてもいいですね。とても可愛らしいです――と、主が仰せです」
オリヴィア様はにこりと微笑んで、それからアイリッシュ様を見た。
そして、ブリオール語ではなくフィラルーシュ語で何かを話す。
アイリッシュ様が目を丸くしたけれど、オリヴィア様は何を言ったのかしら。わたくし、フィラルーシュ語はわからないわ。わたくしがわかるのは大陸の公用語とブリオール語だけだもの。
アイリッシュ様は扇を一度口元から外して、オリヴィア様をまっすぐに見つめる。それから口端を持ち上げると、はじめてその声を他人に聞こえるように発した。
だけど、アイリッシュ様の口にした言語もフィラルーシュ語だったから、わたくしにはさっぱりだったわ。二人して秘密のお話なんてずるいじゃない。
……ちょっとがり勉眼鏡。こういう時こそ通訳の出番なんじゃないの?
ちらっとオーフェリアを見たけど、彼女は表情を変えずにただ控えているのみだった。役立たずね! 何のための通訳よ。
オリヴィア様の表情からアイリッシュ様に失礼なことを言われていないと思うけど……わからないじゃない? オリヴィア様は何でも笑顔で隠してしまうから。
さっさと通訳しろとがり勉眼鏡を睨んでいると、突然、ガチャンと大きな音がした。
何事だと顔を上げると、ヤギ女――ダルシー・ビンガム伯爵令嬢がひとりの上級メイド向かって声を荒げている。ガチャンという音は、フォークをお皿にたたきつけた音みたいね。
オリヴィア様が立ち上がろうとしたけれど、テイラーがすっとオリヴィア様を手で制した。
オリヴィア様がテイラーを見上げて頷く。テイラーが静かにそのテーブルに向かって歩いていき、オリヴィア様が小さく手を叩いた。
「オスマンタスのお話ばかりしてごめんなさい。今日のお菓子は、城の料理人が腕に寄りをかけて作ったものなの。ぜひ召し上がってくださいね?」
離れしているジェシカ様とダーシーはすぐに微笑んで上級メイドにお菓子を取り分けてもらう。アイリッシュ様も、通訳のがり勉眼鏡が上級メイドに頼んでお菓子を手元のお皿に移してもらったいた。オリヴィア様がお菓子を勧めることで「お気になさらないで」と伝えたのを、ちゃんと受け取ってもらったみたいね。
それにしても……。
テイラーが向かった先を軽く睨んでいると、テイラーと入れ替わりでモニカが戻って来る。
わたくしはすっと後ろの三歩ほど下がって、モニカに訊ねた。
「ねえ、何の騒ぎよ」
「あのヤギ女がヤギの食べ物を持ってこいって上級メイドに言って断られて激高したのよ。客人の希望を叶えないなんて信じられないとか言ってね」
「はぁん?」
馬鹿なの、あいつ。
きっとオスマンタスのお茶が出てきて焦ったのね。このままだとせっかく流行らせているヤギの食べものが廃れると思って、この場でアピールしようと考えたんだわ。あんなもの、上級貴族たちはまるで相手にしていないというのにわかっていないのね。
確かに、流行をアピールする場としたら、この場はとても最適よ。
未来の王妃と、そしてフィラルーシュ国から嫁いでくる未来のファレル公爵夫人。その二人が出席するお茶会に呼ばれた、令嬢や夫人は、王妃様とオリヴィア様が厳選した、親しくしておいて損はない女性たちよ。
ま、場違いなヤギが一匹紛れ込んでいるけれど、あれは例外。
ダルシーは下級貴族たちの間で花をわんさかと持ったケーキを流行らせたけど、本来流行は上級貴族の中から流行らせていくものなのよ。そうしないと、いくらブームになったからと言っても、下級貴族たちの間で止まってしまうもの。
水は高いところから低いところに流れるでしょ? あれと同じなのよ。貴族社会全体に流行らせようと思ったら、上級貴族――それも、高ければ高いほどいいわ。そこから落とし込んでいくのが正解なのよ。
……だからあんたはお山の大将にはなれないの。
伯爵令嬢の身分ではできることとできないことがある。だからわたくしは王太子妃になりたかった。とはいえ、相手が誰でもよかったわけではないけれどね。
……高いところからの景色が見たいんでしょ? でも無理よ。あんたは器じゃないの。
わたくしだって、最初からわかっていたわけじゃない。
でも今ならわかるのよ。
わたくしも、器じゃなかったの。だから方法を変えたのよ。
高いところの景色を見るために、高いところに到達できる方の側で生きていくの。
オリヴィア様の側なら、今までのわたくしができなかったことがたくさんできる。とっても楽しいのよ。
……あんたもいつか、気づくといいわね。
テイラーに何を言われたのか知らないけれど、顔を真っ赤に染めて黙り込んだダルシーに、わたくしは少しだけ同情した。
貴族社会は縦社会。
そして、お山の頂上に上るのを、誰もが夢見ている。
お父様もそうだった。
……だけどわたくしはもう間違えないわ。
わたくしは一人ではお山の頂上には登れない。だからね、オリヴィア様と上るの。











