同僚の頼み
深い森の奥。
人の気配など感じさせない山奥に一軒の小屋が建っていた。
「んぅ…」
ボサボサの髪。琥珀色の瞳。そして、口の横に垂れる涎。
この少女が神に認められし〈七賢人〉なんて、誰も思わない。絶対に。
彼女はノロノロと椅子から腰を浮かすと台所へと姿を消し、少ししてから戻ってきて、片手にはマグカップ。もう片方の手には胡桃が乗っていた。
彼女はガタリともう一度座るとボリボリと胡桃を食べ始める。
「…」
目の焦点が完全にあっていない。
どこか空虚な雰囲気を纏う彼女にはそうなった理由があった。
それは、二日前のこと ー
いつも通りの朝だった。
起きて、本に垂れたシミを擦って消して、胡桃を食べて、本を読む。
そしてその日常は同僚によって破壊された。
「お久しぶりですね。セイ」
昼過ぎ。バン、と乱暴に扉が開かれたと思えば、悪魔が立っていた。
「あ、あ、うあ、おひひ、さし、ぶぶぶぶぶり、ででっす。る、るるい」
「相変わらずの噛みようですね。なんですか、ぶぶぶぶぶりとは。魚の一種ですか?」
「ち、ちちっが…」
「お父上が何か?」
人が噛むだけでもこの皮肉っぷり。彼も変わっていない。
〈七賢人〉が一人、〈創成の魔術師〉ルイス・アーデナー
「な、なななななんの、ご用で…」
机の下に隠れてガタガタと震える。
悪魔だ。悪魔がきた。ろくなことにならない。
「人を怪物のように恐れるのはどうかと思いますよ。貴女は〈七賢人〉が一人、〈静寂の魔女〉でしょう?」
「い、い、いやぁぁぁぁぁぁ!!!その名前で呼ばないでくださいぃぃぃぃぃぃぃ…………いぎゃぁぁぁぁ」
机が宙にふわりと浮く。ついでに机の上にあったものもすべてだ。
「いぃ…あぁ…」
「隠れてばかりでは敵に殺されてしまいますよ?」
ニコニコと笑っている。何が楽しいのか…なにが…
「ううううううう…早く用件を…」
切実に早く帰って欲しい。
「ああそうでした。こんなことに付き合っている暇はないんです。ほら、座りなさい。」
「こんなこと…?」
私にとってはこんなことでは済まないのに。そして私の家なのに…
そうしてもとに戻された机の前に座り、悪魔との交渉が始まった。
***
「ちょっと学園に潜入してきてください。」
「はい?」
おはようございます、ぐらいにサラリと告げられた衝撃的な言葉。
私はしばらく思考が停止して、ルイス様の顔を呆然と見ることしかできなかった。
しばらくして。
はあ、と溜め息をついた彼は呆れたようにこちらを見た。
「……まず、駄目元でお聞きしますが、今の情勢をご存知で?」
なんだかサラッととても失礼なことを言われた気がする。
「?」
ぶんぶんぶん、と首を横に振る。
今の情勢なんて知らない。王子が何人いて、どうなっているかなんて。
知っても多分ろくなことにならない気がする。だって、他のみんながそれに困っているのも知っているし。
「はあ…そうだと思いましたよ。では、少しこの国の情勢についてお勉強しましょうか?」
「い、いや、「しましょうか?」
「はい…」
言葉を被せられた。完膚なきまでに。
「現在、この国には3人の王子がいます。第一王子、アルベルト・リーグベル。第二王子、アルノルト・リーグベル。第三王子、アイシレイン・リーグベル。そして、国王の座に最も近いと言われているのが第一王子です。
ですが、国王の座につかせようと暗躍しているものが多いのが第二王子です。
第三王子はあまり支持率がありませんが、能力はあります。アルベルト様とアルノルト様の優秀さに能力が埋もれていると見て取れますが、そこはおいておきましょう。
今回貴女頼みたいのは、第二王子の護衛です。彼は今、何故か大量の刺客に狙われていましてね。国王陛下のご命令で私も殿下の護衛をすべく、学園へといったんですよ?でもね、彼、なんて言ったと思います?この、私に、対して。」
「お綺麗ですね?」
「馬鹿をおっしゃい。たしかに私は綺麗といわれるのを好みませんが。彼はね、『いや、必要ないよ。私には優秀な彼らがいるからね。』と、この、七賢人である私に対して、そういったのです。いやはや、私が殿下の周りにいる童共より劣ると?ははは、とても愉快なことを仰ることだ…はっはっは…」
怖い。目が笑ってない。なんだろう。ルイス様の周りになんか、どす黒いオーラが見える。
気のせいだろうか。気のせいにしたい。気のせいにいていいよね?うん、気のせいにしよう。
「あの、それて、私は何を…」
未だに笑い続けているルイス様に問う。
「ああ。そうでした。だから、生徒として学園に潜入してきてください。そして、殿下を殺されぬよう護衛しなさい。貴女に拒否権はありません。いいですね?」
「……………む、むむ、無理です!私が!?学園に!?潜入!?無理です!ルイス様は私にできると!?」
「ええ。信じていますよ。〈静寂の魔女〉殿。貴女は〈魔術の神〉に認められた方なのですから。」
ね?
と言われれば断れるはずもない。そもそも断るという選択肢が出る時点でルイス様に殺されるが、神様が言っているのだ。やってみたら?って。
私は神様の要望を断ち切れる勇気を持ち合わせていない。
こうして、私は学園に潜入すべく、学園の準備が整うまでの残りの日常を地獄として過ごすことになったのだ。
***
そして話は、現在に戻る。
この3日間、まるで人形のように椅子に座り続けている。
「私が、学園に潜入?潜入…?潜入ってなんだっけ…?」
いつかのように扉が乱暴に開かれる。
ぎぎき、と首を横に向けると、悪魔が一人、立っていた。
「迎えに来ましたよ、エニア。」
ールイス様。
「あ、あああ…」
「なんですか、その顔と声は。ほら、行きますよ。」
「うう…」
黒いローブを纏って、ボサボサの金髪を茶色に変えて、エニアはふらふらと扉の外へ向かった。
遅れてごめんなさい!
カナリアさんは明日更新します!