床屋の跡地にできた飲食店
「お待たせしました、唐揚げです。」
頭に三角巾を被った店員が料理を卓に置いた。
「いただきまーす。」
客が早々に箸を手に取り、唐揚げを一つ持ち上げる。
「むっ⁉」
客の手が止まる。黒く細長い糸のような物体が目に飛び込んできたのだ。
「すいませーん!」
客が厨房に向かって叫ぶ。それとほぼ同時に店員が厨房から駆け出してきた。
「すいません、あのこれ髪の毛が揚がっちゃってますよ。」
客が箸でつまんでいる唐揚げから爪楊枝と同じくらいの長さの髪の毛が垂れている。
「あ! 大変失礼しました! お取替えいたします。」
店員が唐揚げの乗った皿を回収していった。
「髪の毛の生えた唐揚げなんてヤダよ…」
客が呟く。
「お待たせしました、肉団子です。」
店員が料理を卓に置いた。
「いただきまーす。」
客が早々に箸を手に取り、肉団子を一つ持ち上げる.
「はっ⁉」
客の手が止まる。茶色い細長い針金のような物体が目に飛び込んできたのだ。
「すいませーん!」
客が厨房に向かって叫ぶ。それとほぼ同時に店員が厨房から駆け出してきた。
「すいません、あのこれ髪の毛が捏ねられちゃってますよ。」
客が箸でつまんでいる肉団子を菜箸と同じくらいの長さの茶髪が貫いている。
「あ! 大変失礼しました! お取替えいたします。」
店員が肉団子の乗った皿を回収していった。
「髪の毛の生えた肉団子なんてヤダよ…」
客が呟く。
「お待たせしました、ライスです。」
店員が茶碗を卓においた。
「いただきまぁぁぁ…待てぇー!」
客がライスに目を血走らせて叫ぶ。
「はいぃ! お客様⁉どうされました⁉」
「『どうされました?』とか言うまでもないでしょ! なにこれ⁉ 一瞬、自分が病んでるのかと思ったんだけど⁉」
客が指さすライスには黒く細長く不気味にも見える髪の毛が虫けらのようにうじゃうじゃと混入していた。
「あー! 大変失礼いたしました! すぐお取替えいたします!」
「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!ちょっと待って!」
茶碗を取り上げる店員の手を阻止する。
「その取り替えるごはんはどっから持ってくるの?」
「もちろん炊飯器から。」
「このごはんと同じ?」
「そうです。」
「ダメでしょ!」
「なんでですか?」
「その炊飯器でよそってきたからこんなおぞましい飯が出てきたんでしょーが!」
「あーでは、もう一つ炊飯器がございますのでそちらからよそってきます。」
「頼みますよ本当に。」
三角巾をなびかせながら足早に厨房へと去っていく店員。
「腹減ったなー」
空のレシート立てを見つめて呟く客。
「お待たせしました!」
店員が茶碗を片手に急いで駆け出してくる。
「本当に待ちましたよ!」
箸を取り、茶碗を手に、腹を空かした客の手がすんでのところで急停止する。
「なんでカラフルになってんの!」
客が店員に見せつけた茶碗の中には白米に黒、茶、金といった色とりどりの髪の毛が大量にまとわりついているというサイケデリックな情景が形成されていた。
「お客様、こちらは五穀米ではありません。」
「あー確かにそうですねー、じゃないだよ! そんなに疲れてないから!」
客は驚きのあまり炊き立てのご飯のような熱を帯びてきた。
「なんでこんな大量に髪の毛が入っちゃうの⁉」
「あーやっぱりこうなっちゃうか。」
店員は髪の毛が和えられたライスを見て言った。
「“やっぱり”ってどういうこと?」
「お客様、実はここの物件、飲食店になる前は床屋だったんです。」
「床屋?」
「この物件、三十年近く床屋だったらしいんです。でも去年、店主の方が引退されて、ここも引き払われて、それで半年前に当店が入居したということです。」
「うんうんうんうんうん……だから?」
「ですから、この飲食店は元々、理髪店だったんです。」
「それがどうしたよ。それがこの見るに堪えるライスにどう繋がるのよ。」
「そういう歴史があるから仕方ないんですよ。」
「それで、納得すると思った? 歴史って何? 髪の毛の亡霊がうじゃうじゃ湧いてきてるのか? この髪の毛は幻影?」
客の腹が鳴る。
「俺、空腹なんだよ。早く髪の毛の入ってない料理を持ってきてくれよ。」
「かしこまりました。唐揚げと肉団子とライスでしたね。」
「本当に急いでね。そして細心の注意を払ってね。」
「かしこまりました。髪の毛なしの料理入りまーす。」
店員は当たり前のことを言いながら厨房へ戻っていった。
「狂ってるよ。」
客は呆れからか余計に空腹が苦になってきた。
「お待たせしました! 唐揚げと肉団子とライスです!」
一枚、二枚、三枚と手早く食器を置き、颯爽と去ろうとする店員を絶叫して客が呼び止めた。
「うわぁぁぁ‼ 待て‼」
「髪の毛ですか⁉」
「お前が言ってんじゃねぇよ‼」
踵を返して戻ってきた店員の目には黒々とした料理が飛び込んできた。
「あれれ? 焦がしちゃった?」
「なら調理中に気づけよ。これは何?」
客は皿を一枚持って店員に見せつける。
「焦げた唐揚げです。」
「違います。衣が髪の毛になってる鶏肉の料理です。」
クセ毛であろうか、細くチリチリになった髪の毛が鶏肉にまとわりついている。使い古されたスポンジのような見た目から食用油の匂いが漂うのが気色の悪さを増長している。
「お客様、申し訳ありません。唐揚げ粉にも髪の毛が混入しちゃって。」
「混入ってレベルじゃねぇぞおい。そしてこれは何?」
客は別の皿を一枚持って店員に見せつける。
「黒酢の肉団子です。」
「違います。髪団子です。」
髪の毛が毛糸玉のように綺麗な球体となってまとまっている。それが料理として平気で提供されたことだけでも客を戦慄させるに十分だったが、やたらと髪の毛にツヤがあることがより不気味さを強調していた。
「なんてこった! 黒酢をかけ忘れていた!」
「そういう問題じゃないだろ。お前にガソリンかけるぞ。」
客は最後にお茶碗を持って店員に見せつける。
「そして、もうわかってるだろうけど、これは何?」
「……白米です。」
「髪の毛だろう‼」
茶碗の中身はふわふわに盛られた炊き立ての白いご飯ではなく、チリチリにもられたアフロヘアの塊だった。
「イカ墨ですね。」
「お前、店にシンナーまき散らすぞゴラ。」
腹は減るし、髪が出るし、そして腹は立つし、客の髪もそろそろ抜けそうである。
「もう限界だよ俺は。帰るぞもう。」
「お会計でーす。」
「払うわけがないじゃん。」
「は? お客様、それは無銭飲食をするということでよろしいでしょうか?」
「こっちは飲食なんてしてないんだよ。」
「こっちは料理のために費用と手間が発生してるんですよ!」
「髪の毛まで発生してるんだよ! 君は実家で見たことあるのか⁉ 茶碗にアフロが入っている様を!」
「だからこれは”歴史”の宿命です!」
「何も響かねんだよ‼ 感傷にひたらせられると思うな!」
「とにかく! お支払い頂けないのであれば警察の方に連絡させていただきます。」
客にまともな料理を出さない飲食店の従業員風情が偉そうな口を叩いているのを前にしてそろそろ十円ハゲができてもおかしくないくらいに強いストレスを感じている客。警察が来たらいよいよ本格的な円形脱毛症が始まってしまう。かといってどこの誰のかもわからない廃棄物同然の髪の毛に金を払う気も起きない。
「髪の毛の入っていない料理を作ってください。」
客は店員に最後の懇願を行った。客に異物混入食品を平然と提供し、歪な美談を付け加えて客のセンシビリティを弄ぶペテン師従業員に対して非常に悔しいが、これ以上ストレッサーを拡大させたくない。腹を満たしたい。店員の唐草模様の三角巾に目が回る。
「かしこまりました。”歴史”抜き入りまーす!」
「本当にそれは譲らないんだね。」
ここにかつて三十年存在した床屋とその店主がどんなクレイジーな人物だったか気にはなるが、知りたくもない気もする。
「お待たせしました! 唐揚げ、肉団子、ライスです!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁ‼」
客は、運ばれてきたモノに仰天して座席を立ち上がり、壁にぶつかり、ネズミから逃れるかの如くカウンターチェアの上に飛び乗った。
「おい!なんだよこれ!」
「ご注文の料理です!」
「その下は⁉」
「お皿です!」
「髪の毛だよ!」
湯気が立つおいしそうな料理を汚すその独特な黒い物体は、まるでガサツな排水溝のような髪の毛の円盤だった。
見たことのない、見たくもない、触りたくもない、嫌悪感と寒気を誘発する不快の塊の上にそれと相反するものが乗せられていることに底なしの吐き気を催す。
「誰が作ったんだよその皿!」
「こんなのわざわざ作らないですよ。床屋の跡地だから勝手に出来ちゃうんです。」
「理髪師の怨念が棲みいてるよここ!」
別の意味での恐怖も湧き上がってきた。
「お客様、お食事になられないんですか?」
「食えるわけないよ髪の毛の上で。マジでこの店、保健所にチクるからな。」
客が空腹のまま身支度をしていると、食事を終えた別の客が勘定を願い出た。ヘアーグルメを運んでいた店員がレジへと駆ける。
「伝票お預かりいたします。お会計1200円になります。ありがとうございました。またの起こしお待ちしております。」
別の客は満足そうに店をあとにした。
「1200円てあの人だいぶ食べたな。」
身支度を終えた空腹の客は、このヤバイ店で1200円分もの食事をした客に目を丸くした。
「あちらのお客様は常連さんで、いわゆる太客です。」
「”太客”って水商売の世界の言葉だからな。それであの人は何食べたの? 髪の入ってる料理食べたの?」
「あちらのお客様は、ヒジキご飯を召し上がりました。」
「果たして本当にヒジキだったんだろうね。極めて見た目が髪の毛に近い食い物だね。」
「あとモズクの味噌汁も召し上がられました。」
「それヘアワックス混入してないだろうね。テカテカの七三分けかオールバックのヤツが作ってないだろうね。」
「あとデザートにシュガーツイストを召し上がりました。」
「三つ編みじゃねぇか。優等生の女の子がやってる三つ編みじゃねぇか。あとここ随分シャレたパン出してんね。」
衝撃的な髪の毛料理のパレードを見てきた客は、なにを聞いても髪しか連想されない。早くこの店を離れて、この呪縛から解放されようと客は出口へと向かう。
「お客様、お会計を。」
「本当どういう神経してんだよ。よくそんなに澄んだ笑顔が出来るよな。」
「お客様、当店シャンプーを販売しているのですが…」
「もう美容室じゃねぇか。前の店に引っ張られ過ぎだって。」
「お一ついかがですか?」
「買うよ。」
「ありがとうございます。」
「なんだか買わないとこの店の呪いが一生付きまとう気がするんだよ。」
客は不本意だが藁にも縋る思いでシャンプーを購入した。空腹のあまり判断力が低下していたのもあるかもしれない。
「それじゃ最後に謝ってもらおうか。」
「お客様? 何かお気に障るようなことがございましたでしょうか?」
「お前、別次元の人間かよ。とにかくこの店は俺に恐怖と不安を植え付けたんだ。その上で金まで払わせた。一回頭下げるだけでチャラにしてやるよ。」
「よくわからないですが…わかりました。」
店員が頭の三角巾を取り外す。
「お客様、この度は本当に申し訳ございませんでした!」
客の目に光が飛び込む。
「お前、スキンヘッドなのかよ。」
――終わり




