36話
ツンツン頭の少し目の鋭い少年トマソンズに連れられてやって来たクレープ屋にたどり着いたマリンとセラフィー。
「本当に誰も並んでない」
いつ見ても人が並ぶ人気店のはずなのに不自然なほどに誰も人がいなかった。
「お店やってないんじゃないの?」
「ほら見てよ、ちゃんとお店の人がいるじゃないか」
不審な目を剥けるマリンに対してトマソンズが指さした先の窓の中には、確かにスキンヘッドの大男がいた。
「店員さんって女の人じゃなかった?」
「何言ってんの、店員なんかひとりきりじゃないんだから。誰が作ってもクレープは同じ味なんだからいいでしょ。ほら、早く買いに行きなよ」
「なんであなたはそんなに私たちにクレープを食べさせたいのよ?」
「だって食べたいんだろ?いつも運んでるのに今日だけは人がいないんだからこんなチャンス滅多にないよ。僕は人の役に立つのが好きなんだから教えてあげてるんだよ」
「そうは思えないけど………」
マリンはツンツン髪の少年に対してさらに不振の目をむける。空には分厚い灰色の雲があって奥の方には真っ暗な雲も控えている。もうしばらくすればあの黒い雲がやって来そうな雰囲気だ。
「いいじゃないのマリン。せっかくだから一緒にクレープ食べようよ」
「わかった」
マリンの返答に被さるようにして雷鳴が轟いた。雷光。そして弱い雨が降り出した。
「わ、早く行こう。もしかしたらお店の中で食べれるかもしれないよ」
「うん」
小雨の中を手で傘を作りながら走り出したマリンとセラフィー。そんな二人の背中を眺めるようにしてツンツン頭の少年、トマソンズが立ち止まっていた。
「………」
小さい声で何かを言って、店から反対方向へと歩いて行く。その目には空を覆うのと同じような暗い影が宿っていた。
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鳩尾の辺りを押さえたマリンがゆっくりと崩れ落ちていく。
「ぐ、ぐぐ、う………」
高温のレモン汁が体の中に溢れかえっているような感覚。熱くて、痺れて、痛くて、苦しい。
間近で巨大な太鼓を鳴らされているかのように体全体を震わせるように心臓の音が鳴り響いている。
視界に黒い靄が掛かっていって見えにくくなっていき、時々途切れて
本当の真っ暗闇になる。
全身から汗が噴き出していて、開けっ放しの口からは粘度の高い唾液が流れ続けている。
体は痙攣していて息を吸いたくてもほんの少ししか入ってこない。全身が痺れて、どこが天井で床なのか平衡感覚も狂ってしまって立っていることが出来ない。
まるで丘に打ち上げられた魚のようだった。
「ぐ、ぐ、ぐ………」
目の前が真っ暗になった。
「う、う、う………」
声が聞こえた。
再び戻って来た映像には、幼虫のように体を丸め苦悶に歪むセラフィーの顔がある。
どうして、いったい何が………。
「おいクロカワ!」
「へい!」
「てめぇ痺れ薬の量を間違えやがったな!なんだよこれ、今にも死んじまいそうじゃねぇか!」
「すんません、ちゃんと言われた通りの分量でクリームの中に入れてたんですけど」
「黙れ!」
テーブルと椅子が吹っ飛ぶ音。
「おいお前ら、この女を連れて急いで国に帰れ。この天使の女を連れて帰れば俺たちの仕事は終わりだ」
「了解です!けど良いんでしょうか?」
「なにがだ」
「だって言われてたのは絶対に生かして連れてこいっていう話だったじゃないですか。さっき兄貴が言った通りこいつはもう死にそうですよ、呼吸がおかしいですもん」
セラフィーはほとんど痙攣しているように見える。
「ちっ!」
「どうします?」
「しょうがねぇな………一刻も早く連れて帰りたいところだが医者に見せるしかねえか。口の堅い医者を探して金を握らせて黙らせろ」
視界が途切れていく。
数人の男達がセラフィーを担ぎ上げていくのが見える。
嫌だ。
止めろ。
セラフィーに触るな。
体に力が入らない。
息を吸えない。
止めろ。
止めろ。
止めろ。
奥歯からゴリゴリという音が出るほど奥歯を噛みしめながら、視界は真っ暗闇になった。
しばらく時間がたっても光は戻ってこなかった。
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