3話
銀色の光を放ちながら闇夜の森をつき進む少女。
普通を遥かに凌駕した速度でつき進む彼女が見たものは、蜘蛛の大群に襲われている人間の姿だった。
鉄パイプをこすり合わせたような声で鳴く小さな蜘蛛の後ろには、深緑色をした馬よりも大きな蜘蛛がいる。
大蜘蛛は威嚇するように、大きく口を開けながらロデオのように体を浮き上がらせた。
息をのむ。
マリンが本物の魔物を見たのはあの日以来初めてのこと。現実の魔物の声の振動は彼女の体を震わせ、獣と血の臭いを拡散していた。
自分の意志でやって来たというのに、恐怖は粘性の液体のようにマリンの体を捕らえている。濃い霧の中にいるようで息苦しくて頭が回らない。
「逃げろ!」
丸々とした髭の男の人が剣を振り回しながら、マリンへ向かって叫んだ。この人には見覚えがある。きっと虎丸先生の元へ今まで何度もやってきている商人だ。
「ここに来てはいけない!今すぐに逃げなさい!」
霧が一気に晴れた。
戦う。
迷いなく戦闘を決意したその瞬間、深い森が抱える闇をマリンの銀色をした魔力の光が破った。
大蜘蛛が鐘楼のように響く声で鳴いたがそれでもマリンは怯まなかった。
剣もナイフも何も持ってきてはいないけど、やれるという自信はあった。魔力を透した体は強靭な力を持ち、素手で大木を切り倒すことすら可能となる。
向かってくる小さな蜘蛛の集団を躱しながらつき進む。狙いは深緑色をした巨大な蜘蛛。ボスを倒しさえすれば後はどうにでもなるはずだ。
直進すると見せかけて待ち構えている巨大な蜘蛛の横に走りながら回り込む。
光る斬撃。
奇声をあげる蜘蛛の体から緑色の体液が噴き出した。しかしその傷が浅いことをマリンは分かっていた。しかしそこで予想外の出来事。
追撃を撃を加えようとした所で、認識してない場所から小さな蜘蛛の魔物が何十体も飛んできた。
夜の森の闇に隠れ潜んでいたのだ。
慌てながらも回避しようとしたルートを大蜘蛛が塞いできた。
待たれている。
そう判断してその場に留まり子蜘蛛を全て斬るという判断を選択する。
しかし大蜘蛛は予想外の行動をとった。
悲鳴のような声と共に斜め上の空へ向かって糸を吐いた。その糸は投網のように闇の空を広がってゆく。
躱すためには大蜘蛛の方に行くしかない。迷った。そのせいで脳が一瞬戸惑って行動が遅れ、躱しきれなかった。
べちゃりという音と共に捕らわれたことを知る。
半分液体の糸と左半身と地面がくっついて、体が引っ張られる感覚。大丈夫、こんなものは力を籠めればすぐに剥がせる。
ほんの僅かの足止め。
その瞬間を見逃さず、小さな蜘蛛があっという間に飛び掛かって来た。
固く鋭い蜘蛛の足が皮膚を這いずる感触に頭がおかしくなりそうになった。そして首元に鋭い痛み。
噛まれた。
絶望的な気持ちになったマリンの体中に鋭い痛みが次々と襲い掛かって来た。もはや何も考えることも出来ず、自分の体ごと子蜘蛛を叩き潰していく。
それでも子蜘蛛は逃げない。少しも死を恐れないその姿は確実にマリンに対して恐怖を与えていく。
「今助けるぞ!」
駆け寄ってきた商人がマリンに張り付く子蜘蛛を払っていくが、パニックになっているマリンはそれに気づくことすらできない。
深緑色をした巨大蜘蛛が迫っていた。
その瞬間、「ドッ」という地を震わすような低音が夜の森に響き、深緑色の蜘蛛が火を噴いた。
一瞬の間を開けた後で、木をなぎ倒すほどのすさまじい突風が吹き荒れて、子蜘蛛をも吹き飛ばしていく。
巨大蜘蛛は悲鳴も上げることなくひっくり返り、炎に包まれながら足をばたつかせて縮んでいく。
ようやく視界が晴れたマリンの周囲の土が盛り上がり、人を模した土の人形がつぎつぎに姿を現した。
それはいつも見慣れている「クレイマン」という魔物。小さな蜘蛛を叩き潰していくクレイマンを見ながらマリンは叫んだ。
「先生!」
上を見上げれば星空を背景にした虎丸がいた。
大鷲を従え、構えているのは髑髏の紋様に覆われた巨大な銃。虎丸の特殊魔法は魂を銃弾とすることが出来る。その破壊力は山に大穴を貫通させるほどだ。
虎丸は跳んだ。
地面が球形に凹むほど音と共に、マリンの目の前に着地した。あの日殺してくれと言った自分を救ってくれた大切な家族。
「マリン無事か!?」
少し籠った低い声を聞いた途端にマリンの目からは、少し温かい大粒の涙がこぼれ落ちていく。
「先生!」
抱き着いた心強さに嗚咽が漏れる。もし助けがなければきっと自分は死んでいただろう。しかも巨大な蜘蛛の魔物に食べられるという最悪の死に方だ。
すっかり強くなったと思い込んでいた自信は何の役にも立たなかった。あの日と同じように自分は誰よりも弱くて、何もできない存在だった。
悔しくて恥ずかしくて悲しくて泣いた。
頭を撫でられる感触と、先生と商人の人が話している声は聞こえていたけれど、目を押し付けた暗闇の中にただただ閉じこもって何も知りたくない。
きっと怒られる。
ひとりで勝手に家を抜け出して、何の準備もなしで魔物へと向かって行って、しかも負ける所だった。
嫌われたかもしれない。そう思うと怖くて怖くて体の中から寒くなってききた。蜘蛛をあぶる炎の熱を感じて表面は汗をかくくらいだというのに。
変だ。
私の体で何かおかしなことが起きている。頭の中がぐるぐる回って立っていられないくらいに体が重い。蜘蛛が焼ける生臭くて香ばしい臭いが気持ち悪くて吐いてしまいそうだ。
「どうしたんだマリン」
体に力が入らなくて全体重を預けながらずり落ちていったところで、力強い手に受け止められ、マリンは意識を失った。
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