1話 ~出会い~
あれは温かい雨の降る日の事だった。
海月の魔物を傘の代わりにしながら、日課である夜の散歩をしていたら、遠くの人間の町が燃えているのに気が付いた。
この世界の人間は弱いからきっと魔物にでも襲われたのだろう。いつもだったら近づくこともしないのだけど、その日はどこかおかしかくて、引っ張られるように歩いていた。
町は破壊され、燃えている。
肉の焼ける臭いが嫌で、大きな水溜まりの前で足を止めた。人の気配はない。どこかに逃げたのか、あるいはすべて殺されてしまったのか。
雨の音が強い。
暗闇を立ち昇る白い煙に心惹かれ、そのまましばらく見ていたら、数メートル先の地面がいきなり開いた。
見たことのない光景に戸惑ったが、それが地下室の入り口なのだという事にはすぐに気が付いた。魔物に襲われるよりも早く避難したに違いない。
雷鳴。
手が飛び出してきた。
滲むような闇の中を真っ白な細い腕がすぅっと伸びてきて、泥の地面を掴んだ。そして鮮烈な白銀色の髪を持つ顔が飛び出てきた。
少女だ。
不安そうな顔で周囲を見渡した少女と目が合って、息を呑む音がした。戸惑うのは分かる、私の見た目は人間ではないのだから。
しばらくの間固まっていたが、少女は観念したような顔をして、地上へと上がって来た。
煙臭い雨が少女を濡らす。
その姿をただ眺めていた。ゴッホの画集を眺めるように、細部を見て全体を見てまた細部を見るというループに入っていた。
喉の音。
マネキンのような顔で破壊された町を眺めていた少女の表情が、一気に歪んだ。
希望の崩壊。
誰も死んでいない事、家が無事なこと、きっと彼女は地下でそれを願っていたはずだ。その願いが叶わなかったことが、頭で理解できたのだろう。
悲しき声の破裂。
悲鳴とも、嗚咽とも、叫びとも言えない声だった。もしかしたらこの子の両親も、友達も、みんな死んでしまったのかもしれない。魔物に喰われたのかもしれない。
それでも雨は降る。
打ちのめされている少女をさらに痛めつけようと、大粒の雨は容赦なく打ちつける。
嗚呼。自分はなぜこんな所にいるのだろう。なぜ見つけてしまったのだろう。悲しいことは物語の中だって嫌いなのに。
もういいと、耐え切れなくなり立ち去ろうと思った時、少女が自分を見ていることに気が付いた。
きっと彼女は私が町を破壊したと思っているのだろう。最初は責めるような強い眼差しだったのが、変化していく。そこに心情が現れている気がした。
諦めた目。
きっと彼女は生きることを諦めたのだろうと思った。しかし私から何かを言おうとは思わなかった。そんなに優しくないから。
力のない淀んだ目が漠然とした力で私を縛る。さっきまで立ち去ろうとしていたはずなのに、立ち去ってはいけないような気がしていた。
「早く私を殺してください」
その声は小さくてもよく聞こえた。泥にまみれている少女はそれでも美しかった。まるで溶けかけた氷柱のように儚げな美しさを持っていた。
「殺して。悪魔なんだからそれくらい簡単でしょ?」
青白い雷光が少女を照らした。
弱々しく笑っていた。
雷光に照らされた雨と涙に濡れる眼球は、ブルーガーネットのようだった。
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部屋の扉を開いた途端、目の前に立ちはだかったのはブルーガーネットの目を持つ少女だった。
「先生!」
白銀色の髪の毛を逆立ててぴょんぴょん飛び跳ねているのだけど、その跳躍力が凄まじくて天井に頭が付きそうなほどだ。
「どうしたんだいマリン。もしかしてウサギの真似かい?」
「違うよ!」
あの日拾った女の子は体が一回り大きくなって心も元気溌剌で、わがままを言う位までに回復してた。
「なんで私ばっかりお外に出ちゃ駄目なの?!毎日毎日お城の中にいるのはもう飽きた!」
初めて見たあの日とは違ってその目には生命の光が宿っている青さ。いつまでも見ていたい魅力がある。
「何度も言っているけど、外は危険なんだよ。恐ろしい魔物が山ほどいるんだから。今のマリンが掴まったら頭からバリバリ食べられてしまうんだよ」
「そんなこと言ったって虎丸先生もクロも毎日お外に出ているじゃない。それなのに私ばっかり不公平よ!」
「不公平なんて言葉をよく知ってるね」
虎丸の驚いた顔。
「それは………このまえ読んだ本に出てきたの。分かんなかったから辞書を引いたら分かるようになった」
「さすがはマリンだ。ひとりでもちゃんと勉強できていて偉いな」
「えへへへへ………」
頭を撫でてやるとさっきまでカチカチだった顔が大福餅みたいにふにゃふにゃになっている。
「うんうん、それじゃあ今日も勉強と運動を頑張るんだよ」
「ちょっと!」
背は低いけれども俊敏な動きで回り込み、両手を広げて立ちふさがったマリン。
「どうしたの?」
「もう少しでまた騙されるところだった!私はお外に出たいっていってるのに全然聞いてくれないじゃない」
虎丸は顎をさする。
「それは前から言っているじゃないか。勉強と運動を頑張ったらお外に出てもいいって。勉強の方は頑張っているようだけど、運動の方はどうだろうね。約束していたワニ男は倒したのかい?」
「う、それは………」
梅干しみたいに顔がぎゅっとなった。
「ほらね、まずはそれからだよ。あれくらいの魔物は簡単に倒せるようにならないと駄目だね」
「だってあいつ強いんだもん。攻撃しても全然HP減らないし私がちょっと攻撃喰らったらすぐに死んじゃうんだもん。卑怯だよあんなの」
「前はこんな奴すぐに倒せるって言っていたじゃないか」
「あの時はまさか変身するなんて思わなかったし………」
マリンの口がひょっとこみたいに前に出てきている。
「魔物がピンチになったら変身してきて本当の力を出してくるのは当たり前だと思わないとね。そういうのもちゃんと分かってからじゃないと、危なくて外に出すわけにはいかないよ」
「うーーー」
「ほら、これをあげるから勉強も運動もまだ頑張ってね」
握られている手を解いてチロルチョコを三つ握らせてあげる。これはマリンの大好物なのだ。
「うーー」
それでもまだ唸っているマリンを追い越して歩く。目当ては温泉。今日は少し体が怠いので気分をスッキリさせたかった。
浴室の扉を開けた途端に温泉の匂いに包まれた。
もうこれだけで癒されているような気がする。いつでも好きな時に天然温泉に入れるのはとても幸せで、魔王になって良かったと思う瞬間だ。
服を脱いでいくと肌の紫色が目につく。この世界に来てもう何年もたつけれど、これには未だに慣れない。もう少し人間っぽい見た目の魔王になりたかった。
けれどまあトータルで考えれば人間だった時よりもはるかに自由に生きれているわけだから、文句を言うわけにはいかない。
「さすがに限界じゃないのか?」
さあ温泉を楽しもう、そう思ったところで背中から声を掛けられた。振り返るとお馴染みの黒い猫がいた。
「いつまでも勇者を引き留めておくのは無理だ」
金色の目はすべてを見通しているかのようだった。
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