第94話 第一ラウンド
作話カロリー高ぁイ
漆黒の獣を取り囲むように展開された『人世界』。それは牢獄。
その絶えず流れる水の奔流は、上から下へ。
無数に吐出する水は光条のように白く光り輝き、それによって作られた水幕は、魔素によって生成された研磨剤を伴って激しく吹き下ろす。その速度は音の三倍をゆうに超え、周囲の鉱物を容易に削り取りながら徐々にその半径を狭めてゆく。
飛沫を上げながらゆっくりと進む『人世界』は、総てを無慈悲に斬り裂いてゆく。その通り道は激甚の一言。人であろうと無かろうと、その悉くを無に還す。
「地面が・・・何だこれは。魔術・・・否、例え一級魔術でも迷宮の地面を削るなど・・・複合魔術?いや、しかし・・・」
「成程。これは・・・詳しくは理解りませんが、私の識る魔術とはまるで違った摂理、法則によって行使されていることは分かります」
驚嘆を隠そうともしない二人。
魔術師としての性か、その術式や仕組みを気にするレイリと、初めて見る現象にただ魅入るベルノルンという違いはあったが、困惑しているという点ではどちらも同じことだ。
『人世界』は閉所で無ければ使い難い魔法であった。
敵を取り囲む事で逃げ場を奪う魔法ではあるが、その特性上真上に穴がある。敵の頭上を起点にして発動すると、一点に術式が密集しすぎて互いに干渉を起こしてしまうからだ。故にこの魔法を使うには蓋が必要になる。
尤も、敵を逃さないよう取り囲むのではなく、直接相手に照射することも出来るのだが。今回は相手が狼型であることを踏まえ、確実に当てる手法を取ったというわけだ。
既に一度、ソルの『魔法』を見ているアルス達一行はその馬鹿げた殺傷力に驚きはしない。前回とて地面に大穴を穿つ程の、魔術など馬鹿馬鹿しく思える程の威力だった。だが、以前見た『神々の世界』とはまた違う特性を持った『人世界』は、別種の衝撃を彼等に与えていた。
「うわぁ、エグ・・・」
「どういう原理で水にアレだけの殺傷力を齎しているのかは理解らないけど、一つ言える事があるとすれば、アレは駄目だね。人が閉じ込められたら回避が出来ない。絶対死ぬよ」
「逃げ場がねェってのに、速度が遅いのが嫌らしいな」
彼等が気づいたのは『人世界』の、その残忍さ。
白く輝く水と、噴き上げる飛沫。まるで大滝のようで、ともすれば風韻とも言えるその光景とは裏腹に。
まるで真綿で首をしめるかのようにゆっくりと迫る死神の鎌は、彼等の心中を酷くざわめかせる。美しさと残忍さの二面性を持つこの魔法は、まさに人間そのもの。そう感じずには居られなかった。
徐々に領域を縮小し、固唾を飲んで見守っていた全員が、遂に影を捉えたと思ったその時だった。
魔法を制御するために腕を伸ばしていたソルが、苦しそうに声を漏らした。
「くッ・・・これは・・・ッ」
たったそれだけで、そんなソルの様子を見ただけで、ユエは宵を構え直していた。
元よりこれで終わる等とは考えて居なかった。多少なりとも削ることが出来れば御の字、件の鎧を剥ぎ取ることが出来れば万々歳。その程度だ。
無論、ソルの魔法を信頼していなかった訳では断じて無い。
だが、キリエの言葉を信じるのならば、彼等『厄災』は遠い過去、往昔の頃より人々と争い続けてきた存在だ。いかに魔法と言えど、そう易易と倒せるとは思っていなかっただけのことだ。
平時は尻に火が付くまで行動しない、甘い考えの多いユエではあるが、こと戦闘に於いては違う。甘い読みはしないし、基本的には、碌でもない事態になったときのことを常に考えている。
今回はそれが功を奏した、というところだろう。
「構わん。そのままやり切れ。後は任せよ」
「ッ・・・!閉じますッ!」
ソルの言葉と共に、水流は収束する。
確かに敵を捕らえたことで、まるで金属が軋み悲鳴を上げたかのような、ともすれば金切声のような高音が鳴り響く。
普通に考えれば、これで終わっていてもおかしくない。否、それが当然だった。
使命を全うした『人世界』が消え去り、飛沫が霧となって部屋を覆い隠す。
直後、その靄を斬り裂いて疾風が駆け抜けた。
「ぐッ・・・!!重い、のうッ!」
もしもユエがそれを予見し、ソルの前に立ちふさがり、武器を構えて居なければ。
今の一瞬でソルは終わっていたかも知れない。否、そうなっていただろう。ユエにそう確信させるほどに、その一撃は鋭く、そして疾かった。
ベルノルンと同等、或いはそれ以上。
以前に見た『辿り至る春疾風』状態のベルノルンと同程度だろうか。直截に言えば、ユエにもその姿は見えては居なかった。殆ど勘だった。
狙いが明確であったことと、殺意が剥き出しであったこと。そして事前に備えていたことで、どうにか防ぐことが出来ただけに過ぎなかった。
ユエと同じように反応できたのはアルスとベルノルン。そしてアニタだけであった。深度が高く、身体能力と共に動体視力も向上しているアルス達はともかく、二人よりも深度の低いアニタが反応出来たのは、偏に彼女の持つ、類稀なる戦闘センスの賜物に他ならない。
「レイリさんっ!」
「っ・・・済まない、呆けていた」
それは不可視の一撃か、それとも魔法か。
既に戦いの幕は上がっているというのに、慮外のことに気を取られていたことをレイリは恥じた。
しかしレイリとてイサヴェルにその名を轟かせる探索士の一人。何時までも失敗に囚われるような暗愚ではない。直ぐに思考を切り替え、アニタへ支援を行う。
「うぉりゃぁあああ!!」
アニタの身体が縮むと殆ど同時、振り向きざまに振るわれた戦鎚が硬質な音を響かせる。ユエが受け止めた先の一撃からこちら、まるで気配を感じていなかったというのに、いつの間にか背後から迫っていた凶爪。それを目視もせずにアニタは払い除ける。
「ぐッ・・・こんのぉぉおお!」
あのユエですら『重い』と称した一撃だ。事もなげに巨大な戦鎚を振り回す力自慢のアニタといえど、やはりその攻撃は重かった。しかし単純な攻撃力はそれほどでもないと、アニタは感じていた。
視認することすら難しいそのあまりの速度。そして直前まで気配を感じる事が出来ない隠匿性。それらが噛み合い、攻撃のタイミングが分かり辛いせいで合わせるのが困難なのだ。
攻撃を防ぐということは、ただ武器や盾をぶつければ良いと言うものではない。基本的には衝撃を吸収する為に、ぶつかる瞬間に武器を僅かに引く必要がある。強固な武器で真っ向から立ち向かう場合もそうだ。武器が交差する瞬間に力を込める。つまり攻撃の瞬間が理解らないというのは、間を外されるということだ。
何時来るのか理解らないその時を待って、ただ武器を置いておくことしか出来ないというのは、酷くやり辛い。
今もそうだ。
アニタは気配のする方向へと、ただ闇雲に槌を振るったに過ぎない。野生の勘とでも言おうか。大凡の場所は理解っても、衝撃の瞬間が理解らない。腕に伝わる感覚を頼りに、己の武器と敵の攻撃が交差してから、ようやく力を込める。そうすることしか出来なかった。
後手も後手。対応することを強制されている。
しかし逆を言えば、それほど劣悪な状況であってなお、弾き返すことは可能だった。故に、敵の力はそれほど強くないと考えたのだ。
一方で、アルス達もまた動き出していた。
実を言えば、ユエが宵を握ったのと時を同じくして、アルスもまた剣を握り油断なく構えていた。ユエが居るのであればソルの心配は要らないと、そう考えた彼はパーティメンバーを守る事に専心したのだ。
そうして敵の初撃をユエが受け止めるのをその眼で確認したアルスは、一目で敵の攻撃力がそう高くないことを見抜いていた。魔術師であるフーリアや斥候であるイーナはともかく、アクラは一撃受けても致命傷にはならない。少なくとも、身体強化を施していればまず間違いなく耐えられる。
そう考えたアルスは、アクラに対して後衛の護衛を任せた。以前の『厄災』戦では前線での盾を頼んだが、今回はそう単純には行かないと確信していた。
アルスの眼でさえ、未だ敵の姿は捕らえられては居ない。しかし、それでも。
紛いなりにも気配を感じられている自分やユエ、そしてベルノルンとアニタ。この四人でどうにか敵の足を止めなければならないと、そうアルスは考えていた。故に前に出る必要があった。自分が後衛の援護をしていられるほど、前線の枚数が足りていない。
「ソルさんとレイリはアクラの後ろに!ユエさん!アニタ!イサヴェル公爵!僕らで足を削る!」
ユエもまた、アルスと同じ結論を出していた。
そして恐らく、今回の戦いではベルノルンの存在が鍵になるであろうと。
敵の速度について行けるのは、恐らく彼女を置いて他に居ない。深度こそ今の自分より一つ低いものの、速度という一点に於いて、かの公爵閣下は今回の臨時パーティ内では随一だ。
「ノルン!待ちに待った見せ場じゃぞ!気張って見せぃ!───ん?あやつおらんぞ!?」
ここまで退屈そうにしていたベルノルンだ。さぞや気を吐いているだろうとユエが彼女を探すも、その姿は何処にも見当たらなかった。あの隠れ戦闘狂に限って、逃げ出すなどと有り得ない。であるならば───
「涼風」
何処からともなく聞こえる声に、ユエは頭上を見上げた。
直後、巨大な影が落下し、砂煙を上げて地上を滑る。次いでベルノルンが、ユエの直ぐ側へと降り立った。
「随分と。強固な外皮ですね。今の一撃で無傷ですか」
「うぉ!急に隣に湧くでない!ビビったじゃろ!」
「失礼。ところでアレは一体何でしょうか。刃が通りませんでしたが」
そう言って砂煙の中を指差すベルノルン。
実は敵のユエへの攻撃、その瞬間には既に彼女は動いていた。彼女が今までに見たどの歪魔よりも疾い敵でありながら、しかしベルノルンの瞳は確りとその姿を捕らえていたのだ。むしろその攻撃を受けて見せたユエの方にこそ、ベルノルンは驚嘆したものだ。
遠目に見た時は、遠近感が狂いそうな程に黒い獣だった。仄暗い迷宮の中にあって、その姿はまるで迷宮の暗殺者のようであった。
しかしソルの攻撃を受けた敵は、ところどころから美しい銀色の毛皮を覗かせていた。ユエへの攻撃から流れるように転身、岩壁や天井をその後ろ足で蹴り跳ね、音もなく一行の側面へ。
平時の自分では追いつけないだろうと考えたベルノルンは、すぐに『辿り至る春疾風』の準備を行っていた。次の攻撃に間に合うかどうか。僅かに焦りを覚えた彼女であったが、しかしそこでもまた、ベルノルンは目を見開いた。
アニタが振り向きざまに、敵の攻撃を弾き返して見せたのだ。
(はて。間違いなく見えていないと思いますが・・・まさかあの時の彼女のように、ただの勘だとでも言うのでしょうか?・・・つくづく理不尽な存在ですね、脳筋は)
自分の事を棚に上げ、ようやく準備が終わった彼女は、弾き出されたかのように地を蹴り駆け出す。否、飛び立った。
宙空を滑るように移動しながら、攻撃直後で速度を落とした敵へと肉薄。風を纏い、自らの手足のように風を操る彼女には、もはや地面など関係がなかった。
しかし敵もさる者で、そんなベルノルンの事を然と認識していた。
突如、空中を踏みしめて方向転換をした敵は、そのままベルノルンへと爪を突き立てんと、その靭やかで禍々しい腕を振り下ろす。
ベルノルンはまるで焦ることなく身体を軽く傾けて凶刃を躱し、二振りの剣を交差させるように振り抜く。流石に狙いを絞ることは出来なかったが、彼女の斬撃は確かに敵を捕らえた筈であった。しかし、彼女の手に伝わる筈の肉を切り裂く感触は終ぞやってこなかった。それどころか、何か金属でも切りつけたかのような嫌な衝撃だけが返ってきただけである。
そうして地上に戻ってみれば、砂煙の向こうには五体満足、傷らしい傷すら見当たらない獣の姿があった、というわけだ。
「アレは魔素の鎧のようなものじゃ。わしもよぅわからんがの。魔術はまるで通用せんし、物理攻撃にも滅法強い、インチキアーマーといったところかの」
「成程。しかしソルさんの攻撃で随分と剥げているようですが」
「あれは魔術ではなく魔法じゃ。細かい説明は後にせい」
「そうですね。では気を取り直して───」
「───第二ラウンド開始といくかの」
好戦的な瞳を敵へと向けて、二人の脳筋はそう宣言した。
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