第93話 人の世界
たった4000文字程度なのに最後だけで百年かかりました
「例によって例のごとく、遠近感がおかしくなるのぅ」
広場の中央で丸くなった、狼のようなものを見つめる。
狼のようなものと言ってはいるものの、纏う魔素の影響で実際には狼なのかどうかすら判然とせず、ただ漆黒の塊がそこにあるようしか見えない。
以前に出会った地竜もどきとまるで同じだった。
あの時は、こうして相手を観察している間に奇襲を受けた。アルスは二度同じ轍を踏まないよう、細心の注意を払って敵を見据える。
視線は逸らさず、じっと見つめたまま背後のメンバーに意見を求めた。
「こちらに気づいていないと思うかい?」
初撃をどうするか、それを決めるにもまず相手がこちらを補足しているのかどうかを見極めなければならなかった。
気づいていないのならば、通常であれば当てることすら困難な大技から始めることが出来る。通じるかどうかは分からないが、試してみる価値はあるだろう。
そもそも"厄災"に対する情報が足りないのだ。分からない以上はやってみるしかない。聖国の者がここにいれば話は別だったかもしれないが、それは無いものねだりというものだ。
「わからねェな。前のヤツもこちらに気づいている素振りは無かったが、結果はアレだった」
アクラが思い出すのは前回地竜もどきに受けた尾による奇襲。
あの一撃で随分とダメージを負ったのは、彼等にとって苦い記憶だった。
普通に考えれば気づいていない筈だが、"厄災"に対しては一般的な歪魔のセオリーが通用しない。攻撃が通用しないこともそうだが、油断を誘って騙し討ちのような真似をするほど知能が高かった。というか喋っていた。通常の歪魔ではありえないことだ。
「ここから見る限り、気づかれているようには見えないが・・・以前君達が戦ったという"厄災"はそれほどのものだったのか?」
戦闘経験の無いレイリからすれば、敵はただ眠っているだけに見えた。
何処が顔かすら分からない為、それは推測、或いは探索士としての勘でしかなかったが、レイリのこれまで経験してきた戦闘と照らし合わせればそれほど危険には感じられない。
「どうじゃろうな・・・試しに視線を外してみるか?気づいているなら攻撃してくるじゃろ?」
脳筋のユエはシンプルかつ確実であろう意見を口にした。
リスクが高すぎる割にリターンは薄い、得られるものと言えば悩む時間の節約くらいのもの。作戦とも呼べない意見であった。
「いや、それはやめておこう。碌な事にならない気がする」
アルスは悩む。
否、アルスでなくても悩むだろう。
兎にも角にも情報が足りなかった。ユエ達はキリエから厄災についての話を聞いてはいたが、それは個々の能力や生態についてのものではない。
実際の戦闘で役に立つ情報など、魔術が通用しないという既知のものしかなかった。故にこの状況で役には立たない。
「仮にヤツが気づいていないとして、例のアレは期待出来るのかい?」
例のアレ、とは勿論ソルの魔法のことだろう。
詠唱が長い代わりに威力は申し分なく、魔術と違い"厄災"に対しても有効であることは既に判明している。初撃としては最適だろう。
アルスは前を向いたままソルに問いかけ、ソルは目配せのみでユエに問いかける。
ソルとしては別にどちらでも良かった。
ここへ来るまでは薄かった魔素も、今は魔法を使うのに十分過ぎるほど漂っている。
むしろ戦闘が始まってしまってからでは、味方を巻き込む恐れがあるため使いづらい。やるならば初撃が良いだろうとは思っていた。
「ふむり。確実性を取るなら魔素を剥いでからのほうが良いじゃろうが・・・この閉所では難しいか。試しても構わんが・・・そこの二人のおしゃべり具合と、公爵閣下に次第かのぅ」
ユエとしては、別に魔法の存在を知るものが増えようとそれほど気にはしていなかった。当初は王国との関係もあって伏せてはいたが、アルス達には既に知られている。声を大にして言いふらされるのは困るが、レイリとアニタに関しては恐らく問題ないだろう。そもそも知られたからと言って真似出来るものでもないのだから。
問題は鼻息荒く張り切っているベルノルンだ。
如何に真似できないからといって、流石に王国の軍部を統括する彼女に知られるのはリスクを伴う。信用していない訳では無いが、もしも国王などから報告を求められれば、彼女には答える義務がある。それは流石に避けたいところだった。
「何やら。私が問題となっているようですね。察するに王国には知られたくない何か・・・成程。つまり今ソルさんがやろうとしていることが、以前シグルズ団長の言っていた『アルヴとは戦うな』という台詞に繋がるというわけですか」
ベルノルンは脳筋気味だが、決して馬鹿ではない。
どころか、その頭脳は王国内でもトップクラスである。馬鹿では統括騎士団長など務まるはずもないため当然といえば当然なのだが、ユエやエイルに汚染されつつある近頃の彼女からはあまり想像出来ないだろう。
全てを語らずともユエの言いたいことを察したベルノルンは、少しの時間思案する。確かに、ユエ達の懸念しているであろう事は正しい。自分は報告を求められれば断ることなど出来ない立場にいる。如何に現在単独行動を認められていたとしても、それとこれとは話が別だ。
そう考えはしたものの、ベルノルンの出した答えは『知ったことか』であった。
「どうか。お気になさらず。確かに私は立場上報告の義務がありますが、それ以上に優先順位の高いものがありますので。目の前のアレを倒せば、私は恐らく更に強くなれるでしょう。そのために必要なものであれば、私は今からここで起こる事を口外しないと、この剣に誓いましょう」
彼女にとって最優先事項となるのは、より高みを目指すこと。
それに比べれば、王へのあれやこれやなど些細なことだ。そもそも、考えてみれば"渾天九星"の成長云々で単独行動に許可を出したのは他でもない彼等だ。ならば仮に今から行われることで王国に不利益があったとしても、彼女の知ったことではなかった。必要ならば、騎士として最大の誓いを立てることすら厭わない。
「・・・だそうじゃ。そっちの二人も他言無用で構わぬか?」
普段はどちらかといえば物静かなベルノルンが、これほど饒舌に語るのであれば問題ないだろう。そう判断したユエは、念のためレイリとアニタにも是非を問う。
「今一つ内容が飲み込めないが、口外して欲しくないと言われて断るほど、この口は軽くないつもりだ」
「わ、わたしもですっ」
微妙に回りくどい言い方がレイリらしい。
アニタも当然とばかりに首を大袈裟に振って頷いている。
であるならば、問題はないだろう。
「ならば初手はソルの"魔法"で行こうかの。アルスの神器はどうするんじゃ?」
「前回と同じ理由で、まだ使えないかな。いきなり碌に動けない能無しが生まれてしまっては流石に申し訳ないしね」
それはユエ達からしても御免被りたいところであった。
彼の持つ神器、クラウ・ソラスは非常に魔力の燃費が悪い。アルスの魔力が少ないというわけでもないだろうに、ほんの数分起動しただけでアルスは動けなくなってしまう。戦力として最大級の彼をいきなりお荷物にしてしまう訳には行かなかった。
「よし、方針は決まったね。とはいえどうなるかは全くの未知数だ。各自油断せず、臨機応変に対応して欲しい。レイリとフーリアは味方の支援と防御魔術を中心に遊撃。イーナとエイルさんは前回と同じように後衛の補助をお願いするよ。他はとりあえず全員でソルさんの護衛だ。着弾と同時に前に出るよ」
意見をまとめ、各々が武器を構えて敵を睨みつける。
指一本すらソルに触れさせまいと、油断なく静かに腰を落としていた。
「それでは」
ソルが詠唱に取り掛かる。
今回の様な洞窟地味た閉所では、『灼熱の世界』は当然として『神々の世界』も使えない。前者を使えば全員まとめてあの世行き間違いなし、けれど後者は広さが足りない。
閉所であり敵が一体であることを考え、効果範囲は出来るだけ狭い方がいい。
その上で敵にダメージを与えなければならないという、中々に難しいオーダーであった。そもそも魔法とは、基本的に効果範囲の広いものなのだから。
『開け聖域───私を助けて、全てを識る貴女』
ソルはそっと掌を、未だ遠くの漆黒へと向ける。
『不死と自然を理解する。地上の毒と月の光を識る。結んでは壊し、殺しては創造し、人を化生に、化生を人に。永久の眠りこそが嫁入り道具』
瞳を閉じたソルの周囲では、操られた魔素が彼女の回りを踊る。
『もしも愛を識ること叶わなければ、心から望む愛を失うのならば、貴女は私の声を奪い、呪いは水底へと引きずり下ろす』
徐々に集まった魔素が、青い光輪となってソルの腕を回りだす。
『私を欺いたのは人の世界。哀れな私は人の世の軛に繋がれ続ける。誰一人居ない水底を私は歩く。闇夜に紛れ、私は貴方を引きずり込む。光で人を誘惑し、青い灯りで墓へと誘う』
ベルノルンが瞠目する。今までに見たことのない現象、今までに聞いたことのない詠唱だった。詠唱というよりも歌。そこに込められた意味など、彼女にはまるで理解出来なかった。
『貴方は私に多くを与えてくれた。けれど私を欺いた。貴方が求めたのは情熱。私には無い情熱。うつろう人の情熱。神よ、人の魂を憐れんで欲しい。哀れで蒼い私を助けて欲しい』
ソルが突き出した手を握り込む。
『死せる魂の全てを賭けて、天と地に希う。神と悪魔に希う。もうそこに居ないのならば、私を殺して欲しい。もしもまだそこに居るのなら、私を助けて!』
ソルの腕を回る光輪が、青から眩い白へと色を変える。
「───"九界"、『人の世界』」
人の世界は周囲を水に囲まれているそうです
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