幕間 反省と新たな扉
長めです
夜の帳も下りた頃、イサヴェルの北門に二台の馬車が到着した。
否、一台は馬なのか何なのかよくわからない巨大な毛玉によって牽かれていた。
「すまない!門を開けてくれ!」
「アルスさん!?アンタこんな時間に一体どういう───」
「説明は後でするってば!怪我人がいるの!いいから早く開けて!」
「つってもな・・・」
門衛へと捲し立てるように開門を迫るアルスとイーナ。
とはいえ門衛の彼らは門を守るのが仕事だ。夜になった今、門を開けてはならないのは街の規則で厳しく取り決められている事だ。はいそうですかと通すわけには行かなかった。
ここがイサヴェルではない別の都市で、やってきたのがアルス達でなければ、だが。
「・・・いや、分かった。アンタ達を規則だからっつって締め出したりしたら代行にぶっ殺されるかもしれねぇ。少し待ってくれ、直ぐに開ける!」
「有難う!恩に着るよ!」
「よしてくれ、こっちこそアンタ達には世話になってるんだ」
そういって鼻の下を擦りながら颯爽と姿を消す二人の門衛。
もちろん門衛は二人だけではないため、事態に気づいた他の者達も徐々に集まってきていた。
そんな彼らもアルス達の姿を見るやいなや、次々と門を開けるための準備を始める。
それは本来であればどこの街でもあり得ない光景だった。
この世界には歪魔と呼ばれる人類の敵が存在しており、彼らは夜になると活動が活発になると言われている。それ故、どんな街であろうと日が落ちた後はどんな理由があろうとも街門を開けることはない。
これは、ここがイサヴェルという特殊な街であったことと、アルス達一行がイサヴェルにとって特別な存在であることの証明に他ならなかった。
アルス達一行は門衛に簡単な礼を述べ、急ぎ馬車を走らせた。
差し当たっての目的地は探索士協会である。ここイサヴェルの探索士協会では簡易な治療院と治療魔術師が常駐しているためだ。今ならばまだギリギリ開いている筈だったし、なんとなれば無理をいってでもアクラだけ放り込んでくる算段であった。
「ソルさん、僕たちはアクラを治療院に放り込んでくる。君たちはどうする?ユエさんも連れて行くかい?」
本音を言えばアルスとしてはそうしたかった。
道中の説明によれば、ユエが気を失っている理由は奥の手である『鬼哭羅刹』副作用とでもいうべき症状らしく、怪我や病気ではないとのことだった。
とはいえ心配なものは心配なのだ。あの小さな体であれほどの強大な敵と戦ったのだからそれも当然だろう。しかしソルはといえば、落ち着き払った様子でアルスの申し出をやんわりと断った。
「いえ、私達はお姉様を連れて一先ずは先程お教え頂いた宿を目指します。明朝、領主の元を尋ねるつもりですので出来ればその時にもう一度お会い致しましょう」
「承知した。それじゃあまた明日、領主館の前で落ち合おう!気をつけて!」
「はい、また」
そう言ってアルス達と別れたソルとエイルはそのままアルス達に、というよりもイーナから猛烈に勧められていた宿へと向かった。馬車───というよりも猫車───のまま街を疾走すること数分、二人は気を失ったユエを連れて『折紙』と書かれた看板を掲げた宿へと到着していた。
王都グラフィエルにて滞在していた宿と同じく、どう見ても和の雰囲気漂う旅館じみた宿であった。
ユエが起きていれば『なにゆえ和の概念があるんじゃ!』などと突っ込みを入れていただろうが、残念ながら当人は死んだように眠っていた。
一足先に宿へと入り受付を済ませてきたエイルが馬車の扉を開けば、ソルが今まさにユエへと人工呼吸を試みようとしているところであった。
「何してんスか・・・」
「心のバイタルチェックです」
「いや、全然意味分かんねッス。とりあえず部屋は空いてたッス。私はこの畜生を裏に繋いできますんで、先に部屋に入ってて下さ───ぶげッ!クッ、このクソ猫ォ!」
「分かりました。では、お願いします」
ソルはぎゃあぎゃあと喧嘩を始めた駄犬と毛玉を横目に、ユエを横抱きにして宿へと入ってゆく。
その後、毛玉に負けたのかボロボロとなったエイルが部屋に戻って見たものは、ソルがぴくりとも動かないユエを連れて部屋に備え付けられた風呂へと突撃していく姿であった。
明朝、ユエの看病をエイルに任せたソルは単身領主館前へと赴いていた。
細かい時間など取り決めてはいなかったがあのアルスのことだ、日が昇る頃から待っているだろうという読みであった。共に居たのは王都からの短い時間であったが、それだけあれば彼が偉大な義姉に懸想しているであろうことは解っていた。であれば日の出よりも早く待っているのが妥当だろう。
そんなソルの微妙に尊大な予想は見事に的中していた。実際にはいつから待っていたのやら知れなかったが、アルスは既に領主館前の広場、噴水の前で直立していた。だからといってソルがそちら方面で彼を認める筈もないのだが。
「おはようございます、お待たせしてしまいましたか?」
「ああ、おはようソルさん。僕も今来たところさ。ユエさんの容態は?」
「問題ありません。時間が経てば目を覚ますでしょう。それよりも───」
朝だからというのもあったが、何よりユエが居ないことでテンションが低いソルは淡々と話を勧めてゆく。そう、わざわざ待ち合わせていたのは何も世間話をするためではないのだ。全てはイサヴェル公爵家長男であり領主代行であるノルンの弟へと会うためである。書状があるとはいえ約束も取り付けずにいきなり訪問して会えるはずもない。ソルが身分を明かせばそうでもないだろうが、そのつもりもない。そのためアルスというコネを頼ろうというのだ。
アルスは領主代行とは懇意にしており、公私共に仲が良いらしく、領主に会う旨を伝えただけで自分から進んで協力を申し出てくれた。その上その場に立ち会って仲介もしてくれるとの話であった。アルスはソルからすれば非常に使い勝手の良い男であった。
そうして二人で領主館へ向かい、衛兵へと話をつけた所で殆ど待つこともなくあっさりと入館を許可された。もちろんこれもあり得ない事であった。改めて、この街に於けるアルスの影響力を思い知ることになったソルであった。
そのまま客室へと通された二人は、執事と思しき初老の男に促されるままにソファへと座る。
客室と言ってもそこは流石の公爵家というべきか、凄まじい広さの部屋あった。調度品や家具等も全てが一目で上等なものだと分かる。天井は高く、まさに一流貴族の邸宅といった様相だった。
そうして使用人の用意してくれたお茶を口にしながら二人で待つことほんの数分、客室の扉が勢いよく開け放たれたかと思えば、一人の若い男が部屋へと飛び込んできた。
この国では珍しい、ベルノルンと同じ黒い髪。その男にしては長めに伸ばした髪を首の後ろで一つに纏めていた。前髪は長く、左目はすっぽりと隠れてしまっている。
上等な上着の襟を何故かやたらと立たせており、裾は床に着くほどの長さ。そして両手に指抜きの黒い皮手袋をしていた。
「よくぞ戻った我が友アルスよ!!俺はお前の帰りを今か今かと待ちかねていたぞ!!」
大声で、芝居がかったような台詞を吐きながら現れた男は第一声でアルスとの再会に喜びを顕にしていた。
「あはは、うん、久しぶりだねストリ」
「全くだ!一月も顔を出さんとはどういう了見だ!ああいや皆まで言うな!此度の遠征も過酷だったのだろう!ご苦労ッ!!」
勝手に喋って勝手に解決している。
ソルからみたストリは、非常に喧しい男であった。
「確かに今回は大変だったんだけどね。今日は僕がメインじゃないんだよ。君にお客さんさ」
「何ッ!むぅ、成程ッ!!そこの美しい女性が・・・え、マジで美しいんだけど、何?どういうこと?どちら様?」
芝居がかったような態度は、実際に演技であったのだろうか。アルスからソルへと視線を移した途端、不意に真顔となって慌て始めたストリ。
「紹介するよ。こちらソルさん・・・でいいのかな?」
「はい、構いません。ご紹介に預かりました、ソルと申します。本日は閣下にお渡ししたい書状とお願いがありまして、アルス様のお力をお借りしてこちらへと参りました」
アルヴの王女であるということは明かすつもりがないソルは、アルスの紹介をそのまま引き継いで自己紹介を行う。とはいえその所作を見れば彼女が高貴な家の令嬢であることは嫌でも解ってしまう。
「・・・ゴホン!そ、そうだったか!よくぞ参られた、美しいエルフの・・・いやどうみても王族でしょ彼女。ていうかソルブライト王女殿下でしょ?え、マジで何なの?俺なんかハメられようとしてる?」
そして残念ながら、ストリは馬鹿ではなかった。
一瞬でバレてしまったソルの身分であったが、本人はどこ吹く風。何も聞いていないかのような態度でそのまま話を進めてしまう。
「こちら閣下の姉君、ベルノルン公爵閣下から預かって参りました書状でございます」
そういってどこからか取り出した書状を、勿論のことながら直接渡すなどということはせず、そばに控えていた執事へと渡すソル。
疑問が何一つ解消されぬままに進んでゆく話に動揺を隠せないでいたストリであったが、しかし執事から受け取ったその手紙を読んでいるうちに徐々に落ち着きを取り戻してゆく。
じっと黙してストリが手紙を読んでいるそんな時、客室へと入室してきた者がいた。
「兄上、アルスが来ていると聞きましたわ!」
ストリを兄と呼び、その兄に負けず劣らずの声量で勢いよく飛び込んできた見た目15~16歳くらいの少女。髪はやはりベルノルンと同じく、濡れた烏の羽のように美しい髪だった。長い髪を頭の両サイドで纏めている、所謂ツインテールと呼ばれる髪型だ。
「む・・・ペルーヌか。アルスならそこだ。来客中故、静かにな」
手紙から視線を外すことなくストリが答えれば、アルスが苦笑いしながらペルーヌへと手を振っていた。
先程まで随分と喧しかったストリが静かにしろなどと言っても説得力などまるでなかった。
「アルス、いつ戻ったのですか!?顔を見せるのが遅いのではなくて!?」
「あ、ああ。ごめんよ、昨夜の遅くに戻ってね。これでも一番早いんだよ」
「そうですか・・・それでは仕方ありませんね!ところで兄上はアルスを放って、一体何をしているのですか?」
コロコロと表情を変える少女は、親友である筈のアルスを放置して何かを読みふけっていた兄へと問いかける。いつのまにやら、アルスの膝の上に座りながらであった。
「姉上からの手紙だ。読んでみろ」
「わたしくも読んで良いのですか?」
そう言われ、ストリから手紙を受け取ったペルーヌはアルスの膝の上へと戻り、姉からだという手紙を読み始める。一方で、そんな妹を他所に手紙を読み終えたストリはソルへと向き直り話を再開し始めた。
「事情は把握したッ!!可能な限り丁重に饗し、最大限の便宜を図るように、とのことだ!ですッ!差し当たっては滞在する場所の提供と、次いで取り急ぎ鍛冶場の用意をしようッ!」
「感謝致します。資金に関してはこちらからも供出致しますので、場所や設備等の相談に乗って頂ければと思います」
「うむッ!」
ストリにとって、姉であるベルノルンの言葉は絶対なのだろう。手紙一つで迅速に動いてくれるという彼の言葉はソルにとって素直にありがたかった。これで、もしかすればユエが目を覚ますまでに家と鍛冶場と店を兼ね備えたものを完成させることが出来るかもしれなかった。今から義姉の驚く顔が目に浮かぶようであった。しかし、そんな兎の登り坂といった様子で進んでいた話に待ったがかかった。
「兄上、お待ち下さい」
「む」
「如何に姉上からの手紙といえど、我々はそちらの方々のことを何も知りません。肝心なところは曖昧で、ましてや手紙に書かれている、鍛冶師ですか?その本人がこの場にはいらっしゃらないではありませんか」
「いや、それは」
「そんなどこの馬の骨とも知れぬような輩に、そう簡単に協力するなどイサヴェルの名に泥を塗る行為です。他の街や国ではどうだったか知りませんけれど、ここでは我々イサヴェルに従って頂きます。ましてや、頼み事をするというのにその本人がいらっしゃらないなど言語道断。そのように筋も通せないような方々とお付き合いするほど、イサヴェルの名は軽くはありません」
「ペルーヌ、待て」
「いいえ、待ちません。そもそも姉上が世話になったなどという話も疑わしいものです。あの姉上が、そこらの鍛冶師風情の手を借りたなどと到底信じられる話ではありません。手紙によれば鬼人族であるとか?わたくしも鬼人族の方は存じておりますが、そのように繊細な仕事が出来るとは思えません。それも嘘なのではありませんか?アルスを利用してこの場を用意したのも気に入りません。姉上がいつも仰られていたように、自分の目で見たもののみを信じるべきでしょう。総じてこの手紙のみでは確度に───」
妹の発言を慌てて止めようとするストリや、呆気に取られたアルスを他所に、ペルーヌがそう言葉を続け、さらに捲し立てようとしたその時であった。
「黙れ」
普段の、鈴のなるような美しい声色からは想像できないような、ドスの聞いた低い声であった。
聞くものを威圧し心胆を寒からしめるような、アルスほどの強者ですら恐怖を覚えるような、ソルの声だった。ストリはそんなソルの気配に逃げ出しこそしなかったものの、目を見開いて小刻みに震えていた。
「ッ!?」
びくり、と震えるペルーヌ。
アルスでさえ鳥肌が立つような威圧感だ。およそ戦いというものを知らないただの小娘に耐えられるものではなかった。そんなソルの声は、次の瞬間にはいつもの声色に戻っていた。
「黙りなさい、と申し上げました。一つ、いえ、二つだけ貴方に教えて差し上げましょう」
そういって一拍おいたソルが、ペルーヌの目をじっと見つめていた。
ペルーヌにとってそれは、たまったものではなかった。
そうして一言。
「私は、シスコンです」
「う・・・え、あ?」
だから何だというのか。
否、言いたい事はペルーヌにも分かった。姉を侮辱したことで怒りを顕にしているということなのだろう。しかしそれを伝えるにしてはもう少し言葉があったのではないか。普段ならばそう考えているであろうが、ペルーヌの混乱する脳内にはソルの謎の言葉だけがぐるぐると周っていた。
「そしてもう一つ。私の最も忌み嫌う事はお姉様を侮辱されることです。覚えておくとよいでしょう」
「あ・・・」
「返事」
「は、はい・・・?」
「よろしい」
ソルがそう言うと、緊張していた気配はまるで嘘のように溶けて消えた。
それでもアルスの膝の上で子鹿のように震えるペルーヌは、まだ声も出せない様子であった。
「う、うむッ!い、いやソル殿、我が妹が失礼を。お詫び申し上げる・・・!」
「いえ、私も少しやりすぎてしまいました。お気になさらず」
「いや、そうもいくまい!謝罪の意味も込めて、私に出来ることであれば何でも力になろう。この謝罪を受け取って頂けなければ、私は妹を処罰せねばならなくなる。頼む、受け取って欲しい」
「・・・ではお言葉に甘えさせていただきましょう」
このやり取りの間、実際にはソルは反省していた。
彼女にしては珍しい、ミスらしいミスであったからだ。普段から微笑みを絶やさず冷静に事を運ぶソルであったが、ユエを侮辱されると頭に血が登ってしまう。彼女の弱点でもあった。
結局その後もストリとソルの間で話し合いは行われ、その間ペルーヌは一言も話すことは無かった。
ただ話し合いが終わった直後、アルスが居心地悪そうな顔で一言。
「ストリ・・・シャワー借りていいかな?あと出来れば着替えも・・・」
そんなアルスの膝の上、涙目になりながら顔を真っ赤にして震える少女の瞳がソルを見つめる瞳にはどこか色があったように感じられた。
* * *
「あのような手紙で本当によかったのですか?」
そう問いかけながら、自らの上官へとリンディがちらりと視線を投げる。
「あのような。酷い言い様ですね」
問いに答えるのは王国の統括騎士団長であるベルノルンである。
ユエ達に渡した書状は、ベルノルンが執務を行いながら口頭で述べた文をリンディが代筆したものだ。
故に、リンディは手紙の内容を知っている。そのためどうしても気になってしまったのだ。
「ですが、あのように肝心な部分を省いたあやふやな文章では、弟君に信じてもらえない可能性がありませんか?」
そう、リンディからみてもあの手紙の内容はどうにも腑に落ちなかった。
起こった出来事や、彼女達の為した事。受けた恩やベルノルンにとってどういった存在か。
そういった重要な部分が全て暈されていたのだ。全てベルノルンの言葉通りに手紙を書いたとはいえ、リンディには狙いが分からなかった。
「良いのです。愚弟はあれで中々頭が回ります。こと政治や交渉事においては私などよりも余程優れているでしょう。手紙を書いたところで、面倒だからなどと理由をつけてのらりくらりと躱そうとする筈です」
「はぁ」
「ですから。ああいった手紙を送ればストリはともかく、恐らくは妹が噛みつくでしょう。それが狙いです」
「は、はぁ・・・?」
「要するに。あの内容でお馬鹿なペルーヌが噛みつけば、ユエさんかソルさん、何方かの怒りを買うでしょう。そうなればストリは妹の無礼に対して責任を取らざるを得ません。つまりは逃げられなくなります。ペルーヌは残念なところもありますが、あれはあれで可愛い妹です。故に心苦しくはありますが、私も手段を選んではいられません。私は刀が欲しいのです。一刻も早く」
「そ、そうですか・・・」
「はい。ですからあの手紙で良いのです。今頃は意図に気づいたストリが私に恨み言を言っている頃でしょうか。それはそれとして、新しい剣もユエさんに頼んでみましょうか。ああ、楽しみです」
「・・・」
呆れるように溜息を零したリンディは、頭の中でそっとストリとペルーヌへと手を合わせていた。
幕間を書き始めるとあれもこれもと出てきてしまい、本筋が進む気配がまるでしないので一先ずはここで幕間は終わりにしようかと思います。
次からは三章となりますが、例の話数のズレをここで断ち切るために60話からとなります。
その都合で幕間を挟んで60話が二つになってしまいますが、順次修正していきますので・・・
一応ちょっと手を着けたんですが、面倒すぎたんです




