幕間 千秋の憧憬
別に興味があったとか、そういう訳じゃなかった。
ただ何となく、退屈な時間を潰すようにぼうっとしたまま歩いていただけだった。
それまでの俺の人生は、ある一点を除けば順風満帆だったと言っていい。
運動が得意だった。
小学生なんてのは足が早ければ女子にモテる。
だからというわけではないが、あの頃の俺は皆の中心にいた。
もちろんスポーツも得意だった。サッカーも、バスケも、野球も。何をやってもエースだった。
両親が通わせてくれたピアノ等の音楽、芸術関連の習い事も得意だった。
コンクールで何度も賞をもらったことがあった。
中学の頃はよく喧嘩をしていた。
ちょっと悪ぶったような、斜に構えているようなやつがモテる。
同年代はもちろん、先輩にだって負けたことは無かった。思い返せばそれはただの黒歴史で、所謂中二病だった。今となっては恥ずかしくてとてもじゃないが人には話せない。でもまぁ、悪い思い出では無いように思う。ある意味これも青春みたいなものだ。
高校生になってからはすっかり丸くなった。
将来のことも考えないといけない時期だったし、何より周囲の誰も彼もが進路に悩みだしたからだ。
自分だけいつまでも子供のままじゃ居られなかった。
回りに流されるようにして俺も勉強に励んだ。嫌いではなかったが、だからといって楽しくも無かった。
俺は勉強も得意だった。
これは小学生のころからずっとそうだ。別に家で必死に勉強をしていたわけじゃない。授業を聞いていれば学校の試験にでる問題くらいは解けて当たり前だと思っていた。よくある『全然勉強してないわ』なんて言いながら実は裏では必死に勉強している、なんてものじゃない。本当に、授業を真面目に受ける事以上の勉強なんてしていなかった。
先生からはよく、『お前は要領がいい』なんて言われたっけか。
そんな俺の人生で唯一の問題。
夢が無かった。小さな頃からずっとだ。
将来の自分がまるで想像出来なかった。
自分で言うことではないかもしれないが、特技や長所は人一倍多いくせに、やりたいことが一つも無かった。
けどこんなのは、多かれ少なかれ高校生であれば誰もがもつ悩みだろう?
別に俺だけが抱える問題じゃない。そう思ってずっと目を背けてきた。
だから高校三年になって、俺と同じであった筈の回りの友人達が進路を決め始めた時。
未来への強烈な不安、友人たちに裏切られたかのような喪失感、過去の自分を見返した虚無感。
そんな色々な感情に押しつぶされそうになった。
今まで俺は何をしていた?
お山の大将宜しく、天狗になって馬鹿なことばかりして。
これから先俺はどうする?
やりたいことの一つもないくせに、流されるまま生きていくのは嫌がって。
結局、皆と同じように、ただ何となくってだけで近くの大学へと進学することに決めた。
どう転がったって俺なら上手くやれる、なんて根拠のない自信で自分を覆い隠して。
だから、高校生活最後の修学旅行で訪れた何処ぞの有名な城の展示室でも、何も考えないようにしてただぼうっと歩いていたんだ。
あれが何処の城だったか、今もまるで思い出せない。その後の衝撃で全部吹き飛んだせいだ。
昔から一緒に馬鹿なことばかりしていた仲間たちと、くだらない会話をしながら展示室のルートに沿って歩いていた。城の歴史だとか、城の設備だとかが模型や音声を用いて説明されていた。どこにでもある展示物の典型みたいなものだ。
そうして暫く歩いて、展示の中盤あたりに差し掛かったころだっただろうか。
理由は今でも分からないが、不思議と目を引く展示ケースがあった。友人たちが目にも留めずに通り過ぎていったケースの中、そこにあったものが俺の人生を変えたんだ。
それは一振りの"日本刀"だった。
もう一度言っておくが、俺は別に興味なんて無かったんだ。
けど照明を反射して光り輝くその刀は一点の曇りもなく、俺を引き付けてやまなかった。
それは実在した歴史ある刀というわけではなかった。
ただ刀の説明のためだけに展示されている、無銘の刀だった。
プラスチックやアルミなんかで作られた模造刀とは違う、玉鋼を原料に使ったれっきとした日本刀だ。
当時の俺には刀の知識なんて何もなかったし、どこが凄いだとか、何が良いだとか、そういうことは全く分からなかったけど、その無銘の刀は素人の俺が一目見ただけで動けなくなる程に、ただただ綺麗だった。
結局、俺は高校三年にもなってまだまだ子供だったんだろう。
きらきらと光る澄んだ銀色の向こうに、阿呆みたいに目を輝かせたガキの顔が見えた。その顔は今でもはっきりと覚えている。
修学旅行から戻った俺はすぐに進学を止めた。我ながら単純な事だと思ったけど、そもそも理由もなくただ惰性で進もうとしていた道だ。未練なんて有るはずも無い。
両親を説得して、展示会場へ問い合わせをして、作者、所謂刀工の名前を調べた。
作者はかなり珍しい名前だったお陰で直ぐに調べられた。どうやら界隈では有名な人らしかった。
この時点で、俺の頭の中には刀鍛冶になりたいという気持ちだけがぐるぐると廻っていた。
どうすればなれるのか、先ずは何をするべきなのか。
今まで興味のかけらもなかったこともあって何一つ分からなかったが、それでも刀鍛冶になりたいという熱意だけはずっと消えずに俺の中にあった。そんな初めての経験で、しばらくは眠れない夜が続いたと記憶している。
刀鍛冶になるには刀匠へ弟子入りして五年以上の修行をしなければならない。
なら俺は、俺が一目惚れした、あの無銘の刀を作ったあの人の弟子になりたかった。
後で知った話だが、その責任の重さから近年はなかなか弟子入りを認めて貰えないらしい。そういうわけで体験入門や紹介、相談なんかもしているらしかった。
そうと知らなかった俺は高校を卒業した後、勢いだけで家を飛び出した。
思い返せばそんな勢いだけで行動できる程に、あの頃の俺はまだまだ若かったんだろう。調べた工房へと大量の荷物を背負って、新幹線と電車を乗り継いで単身向った。
何時間もかけてたどり着いた片田舎にあるそこへ、飛び込みで弟子入りさせてくれと頼み込んだ。
アポもなく、身ひとつでやってくるなどはっきり言ってしまえば時代錯誤だ。
毎日やってきては玄関で土下座をして頼み込む俺を、少し困った顔で見る師匠が印象的だった。
あの人の作った刀に憧れたと正直に理由を話したら『俺のじゃねぇのかよ』なんて言って口を尖らせていたっけ。
どうにか弟子入りを認めて貰った時、そこにあの人が居た。
当然、馬鹿みたいなデカい声で挨拶した。腰を90度曲げて頭を下げて。師匠に挨拶したときよりも余程緊張した。そんなこれから弟弟子になる俺を見てもあの人は一切の表情も変えず、ただ俺を一瞥して『よろしく』と一言。その後はまた作業に戻っていってしまった。後から分かった事だが、あの人はいつもあんな感じらしい。それを知らなかった俺は、憧れの人に初対面で嫌われたのかとひどく憂鬱になったものだ。
そうして俺の刀鍛冶としての修行が始まった。小さな工房には師匠とあの人、そして俺の三人しか居なかった。少し前まではもう一人居たという話だったが、丁度店を構えるために自立して出て行ったところだったらしい。
何も知らずにやってきた俺に対して、意外にも師匠は一から丁寧に教えてくれた。刀鍛冶なんて頑固の塊だろうと勝手なイメージを持っていた俺は呆気にとられた。理由を師匠に聞いてみれば『あいつにはもうとっくに教えることなんか何も無い。技術で言えば俺よりもずっと上だ』とのことらしく、新人の俺に付きっきりで時間を割くことができるという話だった。まだ見た目二十代後半くらいに見える人が師匠にそう言われてたんだ。しかもまるで自分の作品に満足していないらしい。界隈では既に名の知れた人が、だ。全ては自分が満足できるかどうか。周りの評価なんて一切耳に入れない人だった。
有り難い反面、あの人の背中の遠さに絶望しそうになった。
弟子入りして一番驚いた事は、あの人は自分で打つ刀は最初から最後まですべて一人でやってしまうというところだった。刀っていうのは一人で作るもんじゃない。俺も知らなかったが、日本刀を作るのには細かい工程がいくつもある。
水へし・小割・積み沸かし・折返し・心鉄造・皮鉄造・素延べ・火造り・生仕上げ・土置き・焼入れ・合取り・樋入れ・茎仕立て・銘切り。
ざっと指を折ってもこれだけの工程があるし、そこには補助を立てて行う作業だってある。"相槌を打つ"なんて言葉があるだろ?
それに刀を作った後も研ぎ師や柄巻師、白銀師に鞘師なんかの手も必要になる。鍛冶師が刀身から柄や鞘まで全部やるわけじゃあないんだ、普通は。
でもあの人は全部自分一人でやるらしい。
師匠の話じゃあの人は基本的には一日中鍛錬ばかりして、空いた時間に勉強して、いつの間にか教えを受けにいって、そうして覚えてきたらしい。しかも腕は抜群だった。
もう一度言うが、二十代そこそこの人がだぜ?いや、実際の年齢は知らなかったんだけど。
凄いを通り越して馬鹿なんじゃないのかって思ったよ。生涯をかけても、到底追いつけはしないとも思った。
そうして何年か経った頃、俺は師匠から課題を出されたんだ。
『刀を一振り作ってみろ』
それまで補助や見学で経験を積んでいた俺が、初めて一通りやらせてもらえることになった。
それと同時にこれは試験だ。結果次第ではまた俺は振り出しに戻ってしまう。だから俺は必死になって打ち込んだ。普段は鍛冶場を最後に出るのはあの人だったけど、その頃はあの人よりも遅くまで鍛冶場に残って作業をした。あの時は田舎でよかったと思ったよ。夜中まで鎚の音が響くんだから普通なら近所迷惑なんてもんじゃない。
何度も何度もやり直した。まだまだ見習いの俺が上手く行かないなんてことは当たり前だ。それは師匠も分かっている筈だし、この課題は出来を期待しているわけでもない事は解っていた。それでも当時の俺に出来る最高の仕上がりにしたくて必死になった。
けどどうしても上手くいかなかった。見た目はそれなりだと感じているのに、何処か物足りない、満足できない。何度やっても、何が悪いのか分からなかった。
そうして課題に行き詰まり、足掻くように必死に、夜遅くまで一人槌を振るっていた時だった。
帰ったと思っていたあの人が俺のところに来て、こう言ったんだ。
『こことここ、厚さが違う。あとここも歪んでる。力任せに叩くだけじゃ駄目』
目を見開いたよ。それまであの人が俺に何かを助言するなんてことはなかった。
指摘された部分をよくよく見たところで、正直俺には違いが分からなかった。けどあの人の言ったことを念頭に置いて、できる限り慎重に、均等に、力の配分なんかにも気を使って鍛えた一振りは、今までで一番の出来だと確信できるほどの出来になった。まるで魔法みたいだった。あの人の何気ないような唯の一言が。
後になってあの人に、何故あの時助言をくれたのかと尋ねたことがある。
あの人はそっぽを向いて、少し恥ずかしそうに『昔の自分にそっくりだったから』と答えてくれた。
あの人も俺と同じように、昔に見た師匠の刀に憧れて刀鍛冶になったらしい。
それから俺は、分からないことが出来たときは素直にあの人に助言を求めることにした。何か気に入らなさそうにムスっとしながらも鍛錬に打ち込むあの人は、意外にも俺の質問に丁寧に答えてくれた。
この人は機嫌が悪いわけじゃなくて基本的にこういう感じで、意外といっては失礼だけど、なんだかんだ面倒見が良い人なんだと理解したのがこの時だ。そんな弟子達の姿を見て師匠は拗ねるように口を尖らせていたっけ。
そうして数年。師匠が亡くなった。
『お前はまだまだ伸びる。あいつに憧れるのはいいが、真似はするなよ』
俺は俺だと、師匠が今際にかけてくれた言葉は、今も俺の支えになっている。そうでなければあの人との差に、とっくに折れていたかも知れない。
内容は分からないが、あの人もなにか言葉をかけてもらっていた。その時の、あの人の顔に張り付いていた色を今でも忘れられない。あんな顔を見るのは初めてだった。それからのあの人は、取り憑かれたかのようにただただ槌を振るっていた。俺には、まるでなにかから逃げているかのように見えた。
そして数年前。あの人が亡くなった。
その瞬間を俺は知らない。それでも最後まで槌を振るっていたことだけは分かる。
俺だけになってしまった工房だけど、今は二人の弟子がいる。
昔の俺を思い出すような、真面目だけど無鉄砲な若い二人だ。師匠とあの人に教えてもらったことを、二人へと、後世へと伝えていくのが今の俺の夢になっていた。
工房には刀を飾っている。一振りは師匠の遺作。
もう一振りはあの人が亡くなった鍛冶場に残されていた、中途半端ながらも見事としか言えない刀身。
その二振りを見る度に気が引き締められ、修行時代のあの頃を思い出す。
あの強面だけど優しい師匠は、今も俺の作った刀を見て口をへの字に曲げているだろうか?
自分に厳しい憧れの姉弟子は、今も不機嫌そうな顔で槌を振るっているのだろうか?
光景が簡単に想像できてしまう二つの予想を頭から追いやって、昼食を終えて鍛冶場に戻る。
願わくは、こんな俺に出来た二人の弟子を見守ってやってほしい。
今週は多忙だった上に悩みに悩んだおかげで遅くなりました。申し訳ありません。
ここまでお読みいただきありがとうございました
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