幕間 昔日の決意
「わからーん!」
樹木が生い茂る森の中に鈴の鳴るような声が響き渡る。
エルフ族の住まう大森林、その更に奥地にある"聖樹の森"の入り口近くの一軒家。
賢者ミムルの住まう住居のある少し広まった場所で、ユエが上げた叫びだった。
この世界で目覚めてから八年、待ちに待った魔術の特訓をしていたユエは現在、ミムルから魔術の教えを受けているところであった。
科学などというほとんど魔術めいた技術が発展していた代わりに、前世では魔術など無かった。
創作や物語の中でしか存在しなかった想像上の技術、それがユエにとっての魔術だ。
この世界では当たり前のように使われているそれは、少しの魔力と知識さえあれば、それこそそこらの村人でさえも行使できるもの。そんな身近なものであれば自分も習得してみたい、と考えるのは当然の帰結であった。
鬼人族とは元来、魔術をほとんど使用しない種族である。
それは種族的な特徴として魔力が少ないこともあるが、彼らは生まれ持ったその恵まれた身体能力が故に魔術を必要としないからだと言われている。実際には魔術の達者な鬼人族もいるのだが、全体の傾向としてはそうだ、という話。
つまり、鬼人族だからといって、魔術が使えないというわけではないのだ。
そしてユエには最高の教師が身近にいた。頼めば断られないことなど知っている。
そうしてレーシィから剣術や戦闘技術を教わる傍ら、ミムルから魔術を教わることとなった。
だが教えとはいってもまだ初歩の初歩、魔術についての基礎的な説明を受けていただけだというのに、ユエは早くも音を上げていた。
「早い早い、まだ全然基本しか説明しとらんのじゃけど?」
「はー出た出た、既に出来る者特有の、『何でこんなことも分からないのか』みたいなやつじゃろ?そもそも爺の説明が抽象的過ぎるんじゃ」
「ぬぅ・・・ワシこれでも有名な魔術師なんじゃけど・・・」
ミムルは世界に名を轟かせる大魔術師である。
直接誰かへ教えを授けることこそ少ないものの、この世界の魔術研究発展に大きく貢献している研究者でもある。もしもこの場に王国の宮廷魔術師などがいれば、先のユエの一言に卒倒していたかもしれない。
「開幕からいきなりふんわりしすぎじゃろ。なーにが『まずは己の中の魔力を操作するのじゃ』じゃ」
「そうはいうがの、ユエはどうみても感覚でやるタイプじゃろ?小難しい説明よりええかなと思ったんじゃが」
実際ミムルの考えは一部当たっていた。
ユエは前世よりの才能もあってか、何かをするときは『大体こんなもんかな』といった雑な感覚で全て上手くやれてしまうタイプだ。だがそれは何も努力や経験を一切必要としていないわけではない。通常より比べ物にもならないほど少なく済むというだけで、一切の経験がないものに関してはそういうわけにもいかないのだ。そして魔術は、ユエにとって一切の経験がないものであった。
「確かに!そうじゃけど!最初くらいは理屈の説明もせんか!」
「ふむ・・・」
気を使ったつもりだったが、逆に教え子から怒られてしまう始末。
微妙に理不尽なものを感じつつも、そう言うならばとミムルが説明を始める。
「魔力とはつまり、体内へと取り込んだ空気中の魔素が変化したものじゃ。魔素は生物が生きる上で必須じゃが、そのままでは身体に害をなすこともあるんじゃ。深化などがそうじゃな。そのため身体の機能として、全てのものに備わっておるのが魔素を魔力へと変換する能力じゃな。これは人じゃろうと獣じゃろうと同じじゃ」
「ふむふむ」
「魔素から変化する際、魔力は個々にとって最も適した形へと変換される。火の魔力であったり、水の魔力であったりじゃな。その魔力自体が熱を持っているだとかそういうわけではないが、魔術を行使する際の魔力伝達に関わるんじゃ。これが魔術適正なとど言われておるものじゃ。簡単に言えば、火の魔力を持つ者は火魔術が得意ということじゃな」
「ふむふむ・・・?」
「そして魔術とは二種類に大別される。自らの体内で完結する魔術と、周囲へと影響を及ぼす魔術か。例えば身体強化魔術などが前者で、攻撃魔術や防御魔術なんかが後者じゃな。とはいえ攻撃魔術と一口に言っても、そこから更に細分化されていくんじゃが。例えば炎を生み出し放つ魔術と、指定した地点を爆発させるような魔術では似ているようで全く系統が違うんじゃ」
「ふむ・・・?」
「それはさておき、そもそも魔術を行使する際にはまず術式を理解せねばならん。これはどんな魔術だろうと同じことじゃ。魔術とは術式の理解ありきじゃ。それをある程度、完璧とは言わずとも理解することが出来ればあとは詠唱を行うことで足りない部分の補助や増幅が出来るんじゃ」
「・・・」
「術式とは要するに魔術の大本、いわば設計図とでも言うべきものじゃ。体内の魔力をどこから、どの順番で、どのようにして伝えるのか。最終的にどこをどうすればどう作用し、発現するのか。そういった情報の全てじゃ。厳密に言えば術式の一つ一つに意味があり、全てを理解することで応用が効くようになって魔術を自分で作り出すことが出来るようになるんじゃが、それはまぁ今はええじゃろう。要するに魔力の動かし方で結果がいくらでも変わるということじゃ。そのためにはとにかく、まず魔力を操作する術を学ばねばならん。というわけでますは魔力を────」
「わからーん!!」
「うおっ」
途中まではふんふんと頷きながら聞いていたユエだったが、結局最後まで説明を聞くことなく床に身を投げ出していた。
今のミムルの説明は相当わかりやすいように噛み砕いてくれているものだった。100人が聞けば95人は今の説明でおおよそ理解出来るようなものである。
だがそれには『この世界の人間ならば』といった注釈がつく。
彼らはそういった魔力に関する感覚というものを生まれながらにして身につけている。
だがユエはそうではなかった。
説明自体は理解できるものの、そもそも魔力とは何なのかといった感覚がないのだ。
「なーにが『ということで魔力を』じゃ。そんな渋い顔で言ってもわからんもんはわからんわい!」
「ええ・・・ワシ間違ったこと言っとらんのに・・・」
その日から始まったユエの魔術への道は、初日から躓くことになった。
こうしてユエにとっての魔術は、ある意味二つ目の壁として立ちはだかった。
一つ目はもちろん、前世からの悲願でもある鍛冶だ。
この世界で拾われて以来、ユエは未だに鎚を振るうことが出来ないでいたのだが、それはまた別の話である。
結局その日は何も進展せず、後日話を聞いたソルから助言を貰うまでの間、ユエの魔術訓練は一歩も進まなかった。最も基本的な部分、魔力とはなんぞやが分からなかったのだから無理も無いのだが。
そうしてソルの助けにより、ユエが魔力を理解してからたっぷり一年。
段階が進む毎に毎度必ず躓くせいで、通常であれば考えられないほどのペースでゆっくりと進んだ魔術訓練は、ようやく魔術発現の段階へと到達する。
場所はいつものミムルの家ではなく、ソル達王族の住まう邸宅の庭である。
ミムルの説明ではなかなか進展しないユエの訓練は、一度ソルというフィルターを通すことで徐々に進み始めたのだ。ミムルの説明を受けたソルが、義姉へと分かりやすく伝えるというスタイルだ。ミムルはすっかり落ち込んでしまっていたが、以降ユエの特訓はソルのいる場所でのみ行われている。
「お姉様!本日はいよいよ魔術を使う日です!」
「うむり!ここまで長かったのぅ・・・感慨深いものがあるわい」
「途中からワシの存在意義が分からんくなっとったがのぉ」
すっかりいじけた哀愁漂う年寄りを他所に、幼い義姉妹は興奮を抑えられないといった様子であった。
この一年間、魔術を学び続けたユエはすっかり魔力操作はお手の物となっていた。
そうして術式を学び、覚え、ようやくここまでたどり着いたのだ。
本人は勿論のこと、それを間近で見てきたソルもまた大喜びであった。
「まぁええわい・・・ともかく今日はいよいよ魔力の放出を教えるからの。もうソルから聞けばええじゃろと思わんでもないが、一応ワシが師であるので」
「そういうのもうええから、早う進まんか!」
「そうです!そうです!」
「師に対して口悪すぎんか?」
鼻息荒くミムルを急かす二人。
この二人の前では、かの有名な賢者であろうとも形無しであった。
「・・・まぁあとはこれまでに教えた通り、体内の魔力を術式に従って伝達させ、外へ放つだけなんじゃがの。正直ここまでくればあとは教えることも特にないわい」
「さぁお姉様、早速やって見せて下さい!」
もう好きにしてくれとでも言いたげなミムルと、期待に目を輝かせたソル。
二人の眼差しを一身に受けたユエは、しかし驚愕に目を見開いていた。
(・・・なんじゃと!?ここに来て投げっぱなしじゃと!?)
そう、最後の最後。
一番重要な部分が、何故か教えられていないのだ。
これは結局、地球で生まれ育ち魔力の感覚がなかったユエと、生まれた時から魔力とはなんぞやを身体で理解していたエルフ族の二人の差だった。
(魔力を放つって何じゃ!?何を当たり前みたいに言っとるんじゃ!?・・・いや分からんが!?)
さぁさぁと急かす義妹の目に、ユエは後退り。
この眼差しを前に、やり方が分からないから教えてくれ等とは今更言い出しづらい。
別にユエが教えを受けてきたのは今に始まったことではないのだから、本当に今更である話なのだが。
何故か義姉としての意地とプライドが質問を許さなかった。
(くっ・・・いや、イメージじゃ!これまでもソルが教えてくれた通りにここまでやってきたんじゃ。魔術とはイメージ。ソルはそう言っておった!)
それは理屈では理解できなかったユエへと伝えるため、ソルが教えてくれた魔術のコツ。
イメージ、或いは想像力。
目に見えない体内での魔力操作と術式について、感覚派であるユエへと伝えるためにソルが考えたユエ専用ともいえる最終手段だった。
これまで自分を導いてきたその教えにこの土壇場でも従うことにしたユエは、しかしあることに気づいた。
(・・・まて、体内から何かを放出するイメージって何じゃ?わしそんなもん二つしか思いつかんのじゃが?)
一度も魔術を使ったことがなく、生まれつき魔力を感じることもなかったユエ。
そんな彼女が想像力に縋った時、思い至ったイメージは二種類しかなかった。
前世の記憶に救われることはこれまで数多かった。だがここに来て、その記憶が足を引っ張っている。
すなわち、上から出すか、下から出すか、であった。
(待て待て待て、実質これ選択肢ないじゃろ。イメージとはいえ、下は流石に許容できん!最悪そのまま下から火やら風が出たら、わし色々終わりじゃぞ)
想像することすら憚られるその光景に、ユエは寒気がした。
(仕方あるまい・・・ここは口から出すイメージじゃ!これなら最悪口から火が出てカッコ悪い程度で済む。被害軽微じゃ!)
「お姉様?どうされたのですか?」
「なななななんでもないぞ!!よし、やるからの!見逃すでないぞ!
「はい!いつでもどうぞ!!」
どもりまくりながらどうにか誤魔化したユエは覚悟を決める。
緊張を解すように大きく息を吐き、そして吸い込んだ。
心を沈め、集中し、イメージを鮮明にする。
拳を握りしめ、腹の奥底へと力を集めて、突き出した拳の先から解き放つ。
(よし・・・っ)
「ぬぉぉぉぉ────火炎おろろろろろろろろろ」
かくして、ユエの口から放出されたものは炎ではなく虹であった。
「お姉様ァーッ!?」
「なんでそうなるんじゃ・・・」
理解不能な現象に呆れるミムルと、急ぎ駆け寄るソル。
この事件の後、ユエは暫くの間部屋から出てこなかった。
「二度とやらんぞ・・・いいもん、わし刀作って斬るから魔術なんかいらんもん」
などと言いながら、その後ソルと共に魔法の開発をすることになるのだがそれはまた別の話だった。
魔術を使わない(使えない)理由はコレでした
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