第48話 ダイナミック下降
その後、アルスがどうにか会話が出来るようになるまでにはたっぷり三十分必要だった。
それでもなおぎこちなさは否めなかったが、先程までに比べればまだマシというものだ。
「す、すまない。もう大丈夫・・・いや大丈夫じゃあないけど、でも大丈夫だ」
何が大丈夫なのかは不明だが、アルスなりに努力しているようである。
一方で好き放題笑っていたアクラは涙目になりながらユエへと礼を言う。
「あー笑った笑った。良いもん見たぜ。ありがとよ嬢ちゃん」
だがその態度は控えめに言っても相手を見縊った、あるいは舐めたような態度であった。
その態度の半分は彼の生来のものによる部分でもあるが、もう半分は『こんな小さな女が?』というのが実際のところだ。ユエとしては別段、どうでも良いといえばどうでも良いのだが、さりとてこれから共に戦う以上ある程度は認識を改める必要も感じていた。
「アクラ!失礼だろう!」
当然リーダーであるアルスが、アクラに対して注意を行う。アクラは性根の良い男ではあるが、自らの実力に自信のある分、こういう部分を妙に白黒付けたがる傾向があった。
要約すれば『本当に強いのか?』である。
「つってもなぁ・・・いくら同族だからっつっても流石によ」
鬼人族が力の強い種族というのは探索士でなくとも世間一般の共通認識だ。
人間と比べれば男女問わず強い力を持つが、鬼人族の中で言えばやはり、ユエのような幼子といっても過言ではない子女よりも、当然アクラのような大男のほうが力が強い。そういった意味では彼の態度もあながち分からないではないが、しかしやはり協力者に対する態度としては悪いだろう。
「ふむり。察するにそっちのでかいのは、わしの実力を疑っておるといったところじゃろうか」
「話の解る嬢ちゃんだぜ」
そういって拳を打ち鳴らして見せるアクラ。
言外に『力を見せてみろ』と、ユエに挑発的な視線を送っている。
いい機会であると、ユエはその挑発に乗ることにした。このままでは話が進まないと思ってのことだ。
「まぁ、侮られるのには慣れとるがのぅ・・・どれ、では一つ手合わせするか」
「おまけに話も早えときた。これで本物なら言う事なしなんだが」
ここが支部長室であるということも忘れたのか、そうして立ち上がった二人は今にも殴り合いを始めそうな雰囲気を出し始めた。当然部屋の主としては認められたものではない。
「まちたまえ二人とも。まさかここで暴れるつもりかい?認められんよ、流石に」
「そうだそうだ、外でやれー!」
二人を制止するキィの言葉に、すっかり観客と化したイーナが乗りかかる。
今の自分は役にたたないと自覚していたアルスとしては、イーナかフーリアに止めてもらいたかったのだがどうやら望み薄であった。要するにアクラはユエの力を見たいというだけなのだから、何も殴り合う必要などないと、アルスはどうにか折衷案を提案する。
「では腕相撲でどうだろうか。それなら部屋が荒れることもないだろう?」
アクラの実力を良く知るアルスとしては、ユエのことを考えれば完全に止めてしまいたい。
だがアクラは力のことで張り合い出すと変に強情だということも知っている。
結局アルスは、ユエの実力を信じて腕相撲という案を出すくらいのことしか出来なかった。
本音を言えば彼女の手を握らせることすら耐え難いのだが、さすがにそれはキモすぎると自制する。
「オレはそれでも構わねぇぜ」
「わしもかまわん。ほれ、さっさと済ませて話の続きじゃ」
そういってユエは目の前のテーブルに肘を乗せ、にやりと笑みを浮かべながらアクラへと視線をやる。
その挑発的とも蠱惑的とも取れる眼差しは、アクラの闘争心に火をつけた。
意気揚々と自らも同じ様に肘を乗せてユエの小さな手を握る。そうして改めて二人の体格差が顕になった。まさに大人と子供、否、それ以上であった。当然手の位置など合わないため、アクラがずいぶんと肘の角度を浅くしている。力を入れにくい態勢であるが、アクラはこれを丁度いいハンデだと考えていた。
「よっし、んじゃ合図を頼む。手加減はするから安心してくれよ」
「くふふ、よう言うた。地中深くまでめり込ませてやるわい」
準備完了したところで、ここまでの流れを眺めていたフーリアからユエへと一言。
「大姉様、思い切りやってしまって大丈夫ですよ。彼は無駄に頑丈ですので」
アルヴでユエが起こした事件の数々や、一端とはいえその実力を知るフーリアからの言葉。彼女の言葉が聞こえたのか、それとも聞こえなかったのか。ユエはただ笑みを浮かべるだけであった。
開始の合図はイーナが行うようである。
「んじゃいくよー。れでぃ───────ごおっ!!」
イーナの合図と同時。
まずは小手調べといった程度に力を込めたアクラは、テーブルの壊れる大きな音を立てながら、床を突き破って下の階へと落ちていった。
「ふむり。そういえば四階じゃったな・・・地中までは無理か。さて、では話の続きといこうかの」
何事もなかったかのようにソファへと腰掛け直し話を促すユエ。
どうやら本当に地面に埋めるつもりであったらしい。
床に空いた大穴を覗き込みながら、フーリアは過去に聞いた噂を思い起こしていた。
「これはこれは・・・虫を採るために聖樹に蹴りを入れた挙げ句、山のように落ちてきた虫を採って帰ってきた話は実話だったみたいですね」
非常にしょうもない逸話であった。
なお聖樹は人が蹴ってどうにかなるような大きさの樹ではない。
「支部長の話はガチだったかー。あ、さっきはあの馬鹿が失礼なこと言ってごめんねー」
深度11に相応しいだけの馬鹿力を見せたユエに対し、アクラと同様に疑っていたイーナがすぐさま謝罪する。どさくさに紛れて罪を全てアクラに押し付けているあたり、油断のならない女であった。
そしてアルスはといえば阿呆のように口を開いてユエを見つめていた。眼前で繰り広げられた光景は、それほどまでに衝撃的であった。
あのアクラがあっさりと敗北したこともそうだが、何よりユエの外見とは裏腹なその力。そのギャップに心を奪われていた。三十分かけて折角回復してきた精神がまたも揺れ動く。
「ぐっ・・・た、耐えてくれッ!僕の精神!」
「こやつは先程から何を言うとるんじゃ・・・」
普段の礼儀正しい、貴公子然としたアルスはそこには居なかった。
今ここにいるのは不定期に謎の発言と動きを見せる、ただの怪しい男であった。
見るに見かねたフーリアがアルスのフォローに入った。
だがフォローといっても、このアルスの奇行をどう庇えというのか。
「ごめんなさい大姉様。彼はその・・・病気なんです」
「む・・・そ、そうなのか?それはなんというか、大変じゃな・・・」
取り繕うようにどうにか絞り出されたフーリアの援護は、これが限界だった。
こうしてアルスは謎の奇病持ちとしてユエから憐れまれることとなったのである。
それから五分ほど。
一向に進まない話し合いに業を煮やしたのか、見ていられないとばかりにキィが口を出してきた。
彼は彼で忙しい身である。こうして部屋を貸している今も、自分の仕事を中断している状況だ。
埒が明かない話し合いに終止符を打つべくキィが介入してくるのは致し方ないことだろう。
「・・・ともかく、顔合わせは済んだわけだ。アクラも彼女の実力は身をもって体感したことだろう。今回の件についてアルス達は既に詳細まで把握しているだろうし、ユエさんにも概要は説明済みだ。というわけで出発は明朝、南門に集合するように。消耗品や装備等、今回は協会が用意するゆえ必要なものは実際に現地を確認したアルス達が申請すること。以上、解散。さっさと帰りたまえ」
普段は基本的に丁寧に話すキィだったが、もはやそのつもりもないらしい。
本人たちに代わり話を纏めて、矢継ぎ早に伝え、そうしてさっさと話を締めくくった。
すでに彼らを追い払うように手を振っている。彼がこのように鬱陶しいといった様子を表に出すのは大変珍しい光景だった。
そんな様子に流石に不味いと思ったのか、イーナとフーリアが促されるままに退出しようと立ち上がる。
「ありゃ、支部長怒っちゃった。ま、私達も巫山戯すぎたかなー・・・それじゃ、明日の朝ってことでよろしくねー」
「大姉様、明日はよろしくお願いします。姫様にもよろしくお伝えくださいね」
二人はそう言って未だ胸を押さえて悶えるアルスの腕を引きずってゆく。
「待ってくれ二人共!ユエさん!あの、その・・・ご、ご趣味は!?」
そんな二人に待ったをかけるアルス。
このままでは終われないとばかりに放たれた言葉は、しかし段階を飛ばした意味不明な質問であった。
「情緒どうなっとるんじゃこやつ・・・鍛冶じゃな」
「家事・・・!?なんてことだ・・・家庭的ですらあるのか」
勢いに圧されてか、謎の質問にもユエは律儀に応えてしまう。
だが悲しいかな、ここでも二人の会話には齟齬が発生した。ユエにとっては当然の回答、アルスにとっては意外な回答。そんなすれ違いにも気づかずにアルスは二人の手によってずりずりと引きずられながら退出していった。
「うむり・・・お大事にの・・・」
哀れなアルスへと、申し訳程度の心配をくれてやったあとユエはようやくといった様子でソファへと掛け直した。出された紅茶を一口含み、疲れたとばかりに息を吐く。
「賑やかな連中じゃったな・・・まぁ退屈はしなさそうじゃな」
「何を寛いでいるんだ。君も帰りたまえよ」
だがキィには見逃してはもらえず、ユエはすごすごと退散したのだった。
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