第96話 窮地
アニタは元々、探索士として目立った存在ではなかった。
そこらの木っ端の探索士と同様、何処にでも居る典型的な近接アタッカーだった。力こそ強いものの、速度も技術も凡庸。強いて言うなら感覚が他の者よりも多少鋭かった程度で、その他には特に特徴らしい特徴もない、ただの脳筋。それが、周囲から観たアニタの評価だった。
彼女が頭角を現したのは、レイリと出会ってからだった。
アニタと同様、当時のレイリもまた凡庸な魔術師の一人でしか無かった。攻撃魔術や防御魔術、支援魔術等は一通り卒なくこなす一方で、特別秀でたものは無い。良く言えば万能、悪く言えば器用貧乏。それがレイリという探索士だった。
そんな凡庸な二人は、しかし相性が良かった。
それは戦闘面ではなく平時での話だ。口下手だが、見た目によらず繊細で気配りの出来る優しいアニタ。口は達者だが意外と抜けているところのあるレイリ。互いが互いの弱点を埋めるような関係だった。
平時での相性は、パーティーを組む上で決して無視の出来ない要素だ。
コミュニケーションが円滑であれば、打ち合わせや相談もスムーズに行うことができる。気兼ねなく欠点を指摘し合うこともできるし、日頃の会話は戦闘時の連携にさえ影響が出る。彼等は探索を終えるたびにミーティングを行い、互いの反省点を洗い出し、次の探索では反省点を補い合うように行動する。そうして少しずつ力を付けていった。
そうして力を付けつつ、長所を伸ばしていった。
アニタは力を、レイリは魔力を。探索士の位階が上がるにつれて、一人、二人とパーティーメンバーも増えていった。彼等はメンバーが増えても、打ち合わせと反省会を重視して改善を繰り返していった。そんな彼等がイサヴェルでも有力なパーティーへと成長出来たのは、偏に円滑なコミュニケーションからくる連携のおかげだろう。
アルス達と比べて全体的に深度が低い彼等だが、チームワークでそれを補ってきた。そうしてここまでやって来た。それが彼等の強さであり、根幹だった。
故に、だろうか。
経験豊富なベテランとなったアニタが、ついレイリと視線を交してしまったのは。それが危険な行為だというのは重々承知していた。アニタが鋼の意志でもって自分を律していたことは、彼女の口の端から滴る血を見れば理解る。
唇を噛み切るほどに歯を食いしばり、脳内でけたたましく鳴り響く警鐘に従って。そうしてまで彼女は、彼女の中の無意識と戦っていた。反射と戦っていた。しかし、どうしても駄目だった。
「─────ぁ」
声にならない、喉から漏れ出る小さな音。
それは、戦いが新たな局面に入ったことを知らせる合図となった。
「何をやっているッ!死にたいのかッ!?」
敵から最も近くに居たアルスが、敵とアニタの直線上に割って入る。珍しく、本当に珍しく大声を上げて。手にしたクラウ・ソラスを盾にして不可視の凶刃をどうにか凌ぐ。腕に伝わる衝撃は、敵の攻撃が一段階上のものへと変化したことを彼に告げた。
「ぐッ───!」
「カハッ!!」
攻撃を受け流すことが出来ず、アニタと共に吹き飛ばされるアルス。近くの壁へと叩きつけられたものの、アニタがクッションとなったおかげでどうにか意識は保ったままであった。しかし壁とアルスに挟まれたアニタは、その衝撃で吐血しながら意識を失った。死んでいないだけマシではあったものの、戦闘不能という意味ではそう変わらない。
戦線の崩壊というものは、得てして唐突にやって来るものだ。
比較的慎重に進められた第一、第二ラウンドとは異なり、そこからの展開は息もつかせぬものになった。
『厄災』が大きく息を吸い込む。狼や犬に非常に良く似た、大きく裂ける口腔から放たれるのは骨まで響くような遠吠え。新たな戦いの始まりか、それとも敵を一人減らしたことへの歓喜の声か。次の瞬間には、フロア全体を覆う程の大咆哮がパーティーを襲った。
全員が顔を顰め、音波による攻撃に耐える。それは唯の遠吠えだというのに、震えた空気が床に落ちた鉱石や外壁を揺らした。
咆哮の効果は絶大だった。防ぎようのない三半規管への攻撃は、全員の平衡感覚を狂わせる。しかし誰も、耳を塞ごうとはしなかった。否、耳を両手で塞ごうとする己の体を、強靱な意志で押し留めていた。
耳を手で守ることは体の反射運動。しかし戦闘中に両手で耳を抑えるなど、殺してくださいと言っているようなものだ。故に彼等は顔を歪ませてただ耐えた。
一般的な感覚の者ですらそうなのだから、ユエのような五感の鋭い者にとっては、その咆哮は嫌がらせなどといった域には収まらない。それでもユエは耐え続けた。信じ難いほどの苦痛ではあるものの、決定的な隙を見せて死ぬよりはマシだ。
しかし、それが悪手であると分かっていても手で耳を塞いでしまった者がいた。
兎人族の聴力は特別優れている。人種の三倍ともいわれるその耳には、その咆哮は耐えられるものではなかった。
彼女が反射的に耳を塞いでしまったのは、時間にすればほんの一瞬。だがその一瞬で、標的がイーナへと向いたことは誰もが理解した。
アクラは既に駆け出していた。イーナが耳を塞ぐ前、敵が吠えようとしているその前兆を感じた時から、アクラにはこうなることが分かっていた。
なんだかんだといっても長い付き合いだ。常に飄々とした態度のイーナに振り回されることの多いアクラだが、肉壁と回避盾として共に前線を張ることも多い。故に、イーナの行動を最も理解しているのはアクラだった。
間に合うかどうかは怪しかった。敵の速度を考えれば、比較的鈍重なアクラでは間に合わない可能性の方が高い。それでも、黙って見ている訳にはいかなかった。
普段使っている大盾ではなく、一回り小さいラウンドシールドを装備していたことが功を奏した。単に新調中であったというだけの話で、ただの結果論ではあるが、この手合にはラウンドシールドのほうが都合が良かった。
防御面では大盾に劣るものの、機動力という意味ではラウンドシールドのほうがずっと優れている。
精一杯腕を伸ばし、右腕で保持した盾を突き出す。アクラは敵の姿を捉えられて居ない。故に、恐らくは射線上であろう場所に盾を挟むのが関の山だった。そんなアクラの右腕に、信じ難い程の衝撃と鈍痛がやって来る。
「ぐオ─────ッ」
如何にアクラの剛腕を以てしても、既に敵の攻撃は片手で受けられるような威力では無くなっていた。跳ね上げられた右腕が、たった一撃で折られたことが感覚で理解る。無理をして腕を伸ばした所為で体勢も悪かったアクラは、重力に引かれるままに地面へと倒れ、勢いを殺すことなど叶わぬままに転がってゆく。
追撃は免れない、そう誰もが思った時だった。
ユエとベルノルンが漸く追いついた。アクラの後ろに座って休憩中だった二人は初動が遅れた。散々敵を追い回していたユエは流石に体力の消耗が大きかったし、ベルノルンに至っては魔力も消費している。ソルとフーリアによる回復魔術で体力はいくらか回復出来たが、二人とも万全とは言い難かった。
「よくもやってくれたのぅ犬コロがッ!!」
「同意。見慣れたものだと思っていましたが・・・非常に不愉快です」
しかし二人とも、戦意は十分だった。
アルヴを出て以来、ユエが命を取り零したのはこれが初めてであった。基本的に人の生き死にに対してはドライなユエであったが、目の届く場所で行われたとなれば話は別である。その場に居なかった訳でもなく、間に合わなかった訳でも無い。言い訳のしようもない程あっさりと。怒りで我を忘れるといった訳ではないが、何も出来なかった自分対する怒りも確かにあったかも知れない。ユエは普段よりも膂力と集中力が増していた。
ベルノルンにしても同じだった。
騎士団という組織に所属している彼女は、これまで幾度も団員が死んでゆく姿を見てきた。それは実際に自分の目で見ることもあれば、ただ紙の上に連なった名前に目を通すだけの場合もあった。故に、彼女は慣れている。命を単純な数として見ることが出来る。統括騎士団長としてそれを求められるが故に。
彼女自身も意外であった。探索士として仲間と迷宮に潜り、そして仲間を失う事がこれほどまでに不快なものだとは思ってもみなかった。ましてや彼は、自らの治めるイサヴェルの市民だ。『はいそうですか』と流してしまうことは到底出来なかった。
しかしそんな二人の感情など、『厄災』にはなんの関係も無い事だ。
アクラへの追撃を取りやめた敵は、自身に集る二匹の蚊を無視でもするかのように、その矛先を変える。
速度に優れた敵を相手にする際の最も厄介な点がこれだった。展開が早く、瞬く間に状況が変化する所為で迅速な判断を求められる。油断する暇どころか、一息つく暇も無いのだ。
敵が慎重にヒット・アンド・アウェイを繰り返している時はまだ良かったと思えるほどだ。一人を減らしたことで、敵は本腰を入れて自分達を殺しに来ている。致命打を入れるどころか、先に一人を削られてしまったツケが回ってきていた。
敵の矛先が向いた先は、アクラが前に出たことで護衛の居なくなった後衛陣だった。ユエやベルノルンのように厄介な者への対処を後へ回し、比較的容易に減らせるであろう者から減らしてゆく。それは狩りにおける基本だった。攻撃を躱されたユエとベルノルンも急ぎ方向転換するが、一度背中を見せられれば到底追いつけない。
「ぐっ・・・くそっ!フーリア!魔術障壁全力展開!方向は───」
「わしの方に向かってじゃー!」
一般人よりは遥かに高いものの、前衛陣と比べれば身体能力に劣る後衛陣。魔術師であるフーリアは尚更だ。ハッキリ言ってしまえば、彼女は敵の矛先が自分達へと向いてることすら理解っていなかった。
しかし、状況が理解っていない訳では無い。痛む頭を手で抑えながら叫んだアルスの声に、フーリアは細かい事など気にする素振りも見せず、すぐさま反応してみせた。
詠唱せずとも、幾重にも重ねられる魔術による障壁。そして展開すると同時に破壊が始まり、その役目を全うすることなく数を減らしてゆく。唯のコンマ一秒すら持たずに砕け散ってゆく障壁は、しかし敵の速度を確実に減じていた。
「ソル!抜け!」
姉の声に反応したソルが、腰から『煉理』を引き抜く。近接戦闘に心得のある彼女とて、敵の姿は全くと言っていいほど視えては居なかった。しかし、障壁によって速度を落とした今ならば。
視界の端を微かに掠める影へと、ソルが横薙ぎに小刀を振り抜く。左から右へと振り抜かれた小刀は、まともに視認出来ていないとは思えないほどまともに、敵の牙へと打ち付けられた。ソルの右腕に伝わるのは尋常ではないほどの衝撃。アクラでさえ受けることの出来なかったその攻撃を、ソルが容易く受け流せる筈もない。
「うぐッ────!」
しかしソルは右腕で受け流しつつも、左に装着した篭手で敵の横っ面を思い切り殴って見せた。体勢の整わないその一撃はダメージにこそならなかったが、しかし敵の突進を受け流す一助にはなっていた。
敵が地に爪を突き立て急制動をかけたところで、『殺戮者』の糸が抜け目なく敵の後ろ足を絡め取る。抜け目なく僅かな隙を突いたエイルではあったが、しかしその表情は苦悶に満ちていた。
「力強ッ!?もう保たないッス!!」
「ようやった!!十分じゃ!」
「好機。これでッ!」
一秒にも満たない僅かな時間とは言え、このレベルの戦闘に於いてそれは致命的な隙となる。動きの止まったベルノルンが双剣を突きたて、それを楔代わりにしてユエが宵を打ち付ける。およそ剣と刀の使い方とは思えない攻撃だったが、しかし効果は十分だった。『風銀剣』と『空蒼剣』の柄に打ち付けられた宵の刃が甲高い音を響かせ、敵の右後ろ足を斬り飛ばす。それはこの戦闘が始まって以来、初めての有効打であった。
そして───。
「・・・は!?」
くるくると回転しながら宙を舞う敵の足と宵の刀身。
鍔のすぐ傍、刀のほとんど根本からその先が、無くなっていた。
思わぬ負傷に驚いたのか、或いは警戒の為か。後ろ足を失ったというのに、それを感じさせぬ一足飛びで距離を取った厄災は、幸いにもすぐに攻撃を再開するつもりはないようだった。
「ユエさん。これは・・・」
「・・・素材の差か、ノルンの双剣を頑丈に作りすぎたらしいのぅ・・・まぁ、刀はまた作り直せる」
脇腹を押さえながら駆け寄ってきたアルスに答えるユエは、心なしかしょんぼりと気落ちしているように見えた。
「・・・しかし、これだけやって漸く足一本か。わしは宵を失い、ノルンの魔力も限界が近い。おぬしはどうなんじゃ?」
「肋骨が何本か折れているね。時間があれば回復魔術で事足りる程度だけど───」
「流石に黙って見てはおらんじゃろうな。イーナは?」
「耳をやられてる。まっすぐ立つのも難しいだろうね」
「ふむ・・・満足に動ける者がエイルくらいしかおらんぞ」
アニタの意識は未だ戻らず、イーナはまともに立つことすら出来ず。ユエは宵を失い、ノルンは疲労困憊。アルスは骨折によって絶えず痛みに襲われており、アクラも腕が使い物にならない。ソルも同様に右腕を痛め、フーリアは防御に全力を注いだおかげで魔力切れ。エイルを除いて見事に満身創痍であった。そのエイルにしても、先程の拘束で鋼糸が引きちぎられた為に『殺戮者』が使用不可となっている。
その上で、敵は未だ健在である。
後ろ足を一本斬り飛ばしたとはいえ、先の動きを見るに討伐するにはまるでダメージが足りないだろう。
「・・・万事休す、といった所じゃな」
「今から逃げる・・・のは無理そうだね」
状況は酷く絶望的であった。
万全の状態ですらあれほど苦戦を強いられてきた敵を相手に、今のパーティ状況で立ち向かうなど到底考えられない。しかし逃走は困難。背を向けた途端に一人ずつ処理されるのが目に見えていた。
(・・・もう一本、どうにか足を落とせれば何とかなりそうなものじゃが───)
(せめて敵の動きを止められれば────)
ユエとアルスが、奇遇にも同じ結論に達した時だった。
互いに牽制し合い、静まり返ったフロア内に幼い声が響いた。
「我が寝ているというのに、なにやら騒がしいと思って見に来てみれば・・・」
声の出処はユエ達の後方、フロアの入り口の方からだった。
つい先程まで誰も居なかった、否、戦闘に集中していたために気にもしていなかったその場所を、ユエ達の方へと向かって一匹の小さな狐型歪魔が歩いて来ていた。
もっさりとした九本の尻尾を揺らしながら、小さく短い手足をもそもそと動かして。その歩みは見た目通りの遅さであったが、しかし不思議とどこか偉そうな歩き方に感じられた。
「・・・九尾狐?まさか、何故こんなところに?」
その姿を見たアルスが、信じられないとでもいうような顔でそう呟く。
ユエ達アルヴ勢はもちろん、ベルノルンも聞いたことのない歪魔であった。そもそも喋る狐など居るはずもない。しかしそんな一行の様子等どこ吹く風といった態度で、ゆっくりと、どこかコミカルな動きでユエの足元へとやって来た九尾狐が、ユエを見上げてこう言った。
「随分早い再会ではないか。なぁ、『わし』よ」
いいや!限界だ出すね!
どうでもいいですが、なんとHDDが死にました。キレそう。
応急処置として先代のHDDを移植して使っているのですが・・・
何が言いたいかというと、手持ちの設定集が全部消し飛んだってことだよォ!!
最後までお読みいただき有難うございました。
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