第95話 経験
「ぬぉりゃあああああ!!」
裂帛の気合と共に振るわれた、アニタの戦鎚。しかしそれは当然のように空を切り、迷宮内の地面に悲鳴を上げさせるだけに終わっていた。
ユエの言う第二ラウンドが始まってから早10分。
先のベルノルンによる一撃の所為か、警戒を強めた厄災は慎重にヒット・アンド・アウェイを繰り返すようになった。おかげでパーティから致命傷を負うような者は出ておらず、しかし厄災もまた、一切の傷を負っていなかった。一種の膠着状態である。
だが如何に高レベルの探索士といえど、体力は有限だ。相手の体力の底は未だ知れず、このまま続けていけばどちらが先に音を上げるかなど明白である。
「ぜー・・・ぜー・・・全然、当たりませぇん!」
というよりも、アニタは既に音を上げていた。
彼女は元々、一撃で歪魔を叩き潰す短期決着タイプだ。これまでその戦鎚の一振りで数多の歪魔を倒してきたが、実のところ継戦能力はあまり高く無い。
だがその分、一撃の威力と速度は凄まじいものを持っている。破壊力とは重さと速度だ。彼女の攻撃力を考えれば、その攻撃が遅い筈もない。これまでの敵であれば問題なく戦えていたのだ。
もちろん一筋縄ではいかない相手も多いが、さりとて掠りすらしないほどの速度を持った相手というのは、居なかった。仮に攻撃を避けられたところで、相手が攻撃してくる瞬間には必ず硬直があった。
しかし、この相手にはそれがなかった。接近、攻撃、離脱。その全ての動作が一つとなり、合間の硬直など微塵も見当たらない。アニタの攻撃が大振りであるとか、それ以前の問題だ。仮にコンパクトな攻撃に切り替えたところで、当たるとは思えなかった。ましてそんな攻撃を当てた所で、到底ダメージには結びつかないだろう。
その大部分をソルの『人世界』で奪ったとはいえ、手足等の末端部分を覆う魔素の鎧は未だ健在。そもそも当てることが出来ない上に、必死の思いで去り際に武器を掠らせたところで、当たったのが身体の端では何の意味も持たないのだ。
故に、当たらないとわかっていつつも、大振りにならざるを得ないのだが───。
「ぬぉー!ちょこまかと鬱陶しいのぅ!正々堂々戦わんかボケェー!」
ユエもまた、宵を掲げて敵を追い回す。徐々に目が慣れて来たおかげで、視界の端々に敵を捉えることは出来るようになっていた。だが攻撃を当てることは叶わず、文句を垂れながら走り回っていた。慎重になった相手の攻勢が弱まったことで、防御をソルやレイリ、フーリア等の魔術に任せ、攻撃に専念しているというのにご覧の有様である。
ユエの速度も相当なものではあるが、彼女のそれは酷く直線的な動きだ。敵のように宙空を跳ねる事が出来るわけでもなければ、ベルノルンのように方向転換が出来るわけでもない。
「というか、あの空中を跳ね回っているのは一体どういう原理なんじゃ!漸く捕らえたかと思えば、急にどっかに行きおって!」
相対している厄災の、最も面倒な部分がそれであった。
目の前に突っ込んで来たかと思い刀を振るえば、直角に曲がって避けられる。アニタの攻撃を囮にして着地の瞬間を狙ってみれば、突如頭上に飛び跳ねる。空中では避けられまいと横薙ぎにしてみれば、いつの間にか地上に降りている。圧倒的な速度による慣性も無視した急激な停止、方向転換は、脳筋組にとって非常に厄介であった。
以前に戦った厄災、地竜もどきの時もそうであったが、彼等の動きはとにかく『急』なのだ。停止状態から一瞬で最高速へと達する巨大な尾による攻撃も、酷く手を焼いた。そして今回は、急制動である。
「魔素を操り、踏み硬め、空中で足場にしています。強靱な四肢で衝撃を受け止めることで、慣性を無視しての移動を可能としているようです」
ソルが、瞳に映る魔素の残滓から推測を述べる。
彼女の瞳では敵の姿は捕らえられないが、しかし敵の移動した形跡は確りと捕らえていた。
「なんじゃとー!魔法でここらの魔素は粗方消費したはずじゃろー!?」
「魔素で何かを構成しているわけではありません。ただ固めて足場にしているだけですので、僅かな魔素で事足りるようです」
「む・・・成程・・・?」
そこでユエは閃いた。
ソルに、自分の行く先に足場を作らせれば同じことが出来るのではないか、と。詳しく語らずとも、ソルならば自分の意図は伝わる筈だ。
「ソルや!物は試しじゃ!頼んだぞ!」
「承知しました」
言うが早いか、ユエが全速で駆けてゆく。そのまま敵の方へ、脚に力を込めて目一杯の速度で飛び上がる。速度を乗せた宵の一振りは空を切り、そのまま迷宮内の壁へと一直線である。しかし此処までは想定通り、というよりもこれまで何度も繰り返した光景だ。だが今回は秘策がある。
「今じゃー!」
そう叫びながら、ユエは壁に衝突した。
轟音を鳴り響かせながら壁に突っ込んだユエは、そのまま地上へとずり落ちてゆく。深度の高いユエでなければ、腕にとまった蚊か、或いは地面に落下したトマトのように潰れていたことだろう。
「ぬぉぉ・・・」
「・・・申し訳ありませんお姉様。私の構成速度では、お姉様の速度に着いて行けませんでした」
一方、至極真面目でありつつも、何処か巫山戯ているように見えるユエ達の奮闘の影で、ベルノルンもまた奮戦していた。
敵が慎重になり、今なおヒット・アンド・アウェイを繰り返しているのは、彼女の存在が有るからに他ならない。
彼女だけが唯一、敵が動きを止めた際に致命傷を与えられる存在だったからだ。今も異常な速度で敵を追尾し、敵に自由な動きが出来ないよう牽制を続けている。とはいえ『辿り至る春疾風』もそろそろ維持限界である。
出来れば発動中に敵の機動力を削ぎたかった。だが速度が同等である以上そう上手くも行かない。焦りと疲労は溜まる一方だ。
(くッ・・・脚が重い。精進が足りませんね・・・)
仕方なく『辿り至る春疾風』を一度解除することに決めたベルノルンが地上へと戻り、壁からずり落ちてきたユエを回収してアクラの後方へと着地する。
彼女自身も、恐らくこの戦いの決め手となるのが自分であると理解していた。故に、この先訪れる勝負所で自分が動けないような状況を避けるために、体力を温存する必要があったのだ。
幸い此処には、このイサヴェル屈指の実力者が全員居合わせている。気負って全てを自分が背負う、それが愚策であることは、普段から騎士団という集団を動かしている彼女にはよく理解っていた。
「少し。休みます。間をお願いします」
そう言うベルノルンの視線の先で、アルスが悠然と微笑んでいた。
「うん、任せて。選手交代だ。レイリ、イーナ。サポートを頼む。それと出来ればエイルさんにも」
これまで後衛の護衛に回っていたアルスは未だ体力も万全、気力も十分である。
だが他の前衛が三人ヘバっている以上、如何にアルスといえど一人では支えきれない。細かい穴を埋める補助が必要であった。そして恐らくだが、アルスの見立てでは今回の敵に対して最も『相性』が良いのがエイルであった。
「まぁ仕方ないッスね。なんとなくそんな気はしてたッス」
「エイル・・・わしの仇を頼んだぞ・・・」
床に大の字で寝転びソルの指先から水分を補給しているユエが、息も絶え絶えにエイルへと後を託す。仇も何も、敵もユエも互いに殆ど無傷なのだが。
「レイリは二人を魔術で防御して欲しい。勿論自分もね。僕は要らないよ」
「ああ、承知した」
「さすがリーダー!自信満々じゃん」
「そんなんじゃないけど・・・流石にレイリも、三人分が限界だろ?」
防御魔術は発動している間、常時魔力を消費する。それが三人分ともなればレイリの負担は相当なものになる。
敵の攻撃、その矛先を見極めて適宜防御魔術を張るのであれば、魔力消費は抑えられる。だがそれには相手の動きが見えていなければならない。どちらかといえば戦士に求められる能力だ。如何にレイリが高い実力を持っているとはいえ、魔術師として修練を積んだ探索士にそれを求めるのは、些か酷というものだろう。普段から行っているソルが異常なだけであり、そのソルですら今回の相手には不可能なのだから。
「アニタ!一度下がってくれ!」
この間、息を切らせながらも敵を追い回し、時間を稼いでいたアニタを呼び戻す。深度で言えば敵よりも数段低いというのに、彼女は思っていた以上に食い下がってくれている。
アニタへと攻撃を仕掛けた敵に対して、アルスが行く手を塞ぐ形で躍りかかる。当然のようにしかし当然のように空中で軌道を曲げた敵が、そのままアルスの背後へと回り込み、死角からアルスの首元を狙う。
しかしアルスは防御する素振りを見せなかった。なんとなれば、振り向きざまに攻撃を仕掛けようとすらしていた。
どう考えても間に合わない。イーナとレイリに至っては、アルスが危険であることにすら気づいていない。だが、一人だけが気づいていた。
「爆釣ッスー!!」
エイルが声を上げながら、何時の間にやら装着していた『殺戮者』を引き絞る。するとアルスの後方で、抜け目なく張り巡らされていた糸が網状となって敵の攻撃を遮った。見た目に反して異常な硬度を誇る『殺戮者』の糸が金切声を上げるも、しかし敵の爪はアルスへと届くことは無かった。
恐らく敵がヒット・アンド・アウェイでなく、全力でアルスを仕留めに来ていれば『殺戮者』の網では止めることが出来なかっただろう。
突如現れた網に、敵が僅かに速度を落とす。絡め取るまではいかずとも、アルスの期待していた通りに、エイルの一手は見事なアシストとなった。
脇を締め、当てることだけに意識を置いたコンパクトな一撃。既に振りかぶっていたアルスのクラウ・ソラスは、『殺戮者』の網を避けるようにして敵の右後ろ足を捉える。
厄災と戦う為に与えられた武器は伊達ではない。輝く神剣は魔素の鎧を易易と切り裂き、その速度を微塵も落とすこと無く敵の肉へと到達する。
致命傷とはまるで呼べない、そんな小さな傷に過ぎなかったが、しかしアルスの目論見通りであった。
敵の足を削ぐにはこれしか無い。アルスはユエ達の戦いを見てそう感じていた。一撃で敵に致命傷を与えようとするから駄目なのだ。この敵には、例え僅かなダメージだとしても、細かい攻撃で確実に与えていかなければならない。気の遠くなるような話ではあるが、現状それしかないと理解していた。
アルスに切りつけられたことで、急ぎ離脱を試みた厄災。しかしその背後には、イーナが投げた小型の火薬弾が幾つも浮かんでいた。
敵がそれに気づいたところで時すでに遅し。エイルが『殺戮者』を引き、網状に広がっていた糸の密度を盾のように変化させ、アルスへの被害を防ぐ。それとほぼ同時に、火薬玉が炸裂する。イーナはレイリに施された障壁で身を守り、アルスが一足で敵から距離を取る。アルスはそのまま油断することなく、目を細めて爆炎に包まれた敵の様子を窺う。
とても即席のチームとは思えない、見事な連携だった。
煙が晴れた時、そこには右後ろ足から少量の血を流し、牙をむき出しにして敵意を見せる敵の姿があった。やはりと言うべきか、期待していた程のダメージにはなっていなかった。すぐにまた、先程と同じように駆け回られることだろう。だが、僅かとはいえ、漸く足を止めていた。
休憩していた脳筋組や後方支援組は、目を見開いてその戦いを眺めていた。彼等はたった一度の攻防で成果を出してみせたのだ。敵の手の内を引き出したということを思えば、自分達が阿呆のように敵を追い回していた、その甲斐もあったというものである。
だが、それが良くなかったのかも知れない。油断していた訳ではない。慢心していた訳でもない。功名に駆られた訳でも断じて無い。ただほんの少しの焦りが、冷静沈着なレイリの判断を狂わせた。
決着をつけようと思ったわけではないが、折角敵が足を止めた、その好機を逃したくなかったのだろう。通常であればレイリの判断は間違ってはいない。隙を作り出し一気に畳み掛ける。『チャンスを無駄にしない』。普通の歪魔と戦う際、それは定石ともいえる。探索士であれば、協会や先達からはそう教わるものだ。
だが、相対する敵は普通ではなかった。厄災との戦闘経験が無いことが、彼にとっての不運だったのかもしれない。
「『穿つ雷槍!!』
レイリは、魔術による攻撃を行ってしまった。
彼は既に三つの防御魔術を展開していた。そこらの魔術師では一つが限度であるというのに、三つ同時に展開出来るだけでその技量の高さは見て取れる。
だが、流石に三つの防御魔術を使用したまま攻撃魔術を使用することは出来なかった。つまり、攻撃を行うために自らの防御魔術を解除してしまったのだ。
「レイリ!?待て!駄目だ!」
無詠唱で放たれた雷の槍が敵へと向かって飛ぶ。アルスの制止は当然、間に合う筈もなかった。
次の瞬間アルスの目に映ったものは、まだ何が起こったのか理解っていないように立ち尽くすレイリの身体と、宙を舞う首だった。
気づけば幕間も含めて丁度100話目でした
こんなにも続けられるとは思っていなかったのでとても嬉しいです
皆さんいつもありがとうございます。これからもよろしくお願い致します!
・・・言うほどこれが記念すべき百回目にやる内容だろうか?
それとは全く関係がありませんが、作話に行き詰まった時の息抜き用に新しく小説を始めました。
コテコテのテンプレ物も書いてみようかなと思って始めたのですが、考えるのが面倒になって全部ぶち込んでみました
更新頻度は保証出来ませんが、頭空っぽで読めるものを目指しています
もしよろしければそちらも是非、宜しくお願い致します。
最後までお読みいただき有難うございました。
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