(続)新しい生活様式
梅雨明けの発表を待ち構えていたように、蝉の声が毎日喧しい。今年は空梅雨とはいかないまでも晴れの日が多かったが、明けてみるとやはり日差しの強さが違う。
思い返すと去年の今頃も暑さにあえぎながら、来年の夏はこの鬱陶しいマスクを外して外出できるようになるのだろうかと、六割五分か七割ぐらいの期待を持って考えていたものだ。ところが、一年を経ても事態はあまり変わっていない。今年も炎天下にマスクで汗だくになりながら過ごしている。戸外ではマスクについてそんなに厳しくしなくても良いだろうと思いながらも、たまにすれ違う人に気を遣ったりするのが面倒くさいので、常時マスク着用を励行している。外で見かける人達もみんな同じ考えなのか、マスクをしていない人は珍しい。
最近はあまり聞かれなくなったが、新型コロナの感染症が流行り始めた頃は「新しい生活様式」という言葉をよく耳にした。マスクもそうであるし、消毒液やお店などのアクリル板についても、コロナ以後に見られるようになったものである。それから、大規模店舗などの手洗い場に備え付けてあるハンドドライヤーが使えなくなった。大きな声では言えないが、個人的にはこの結果を歓迎している。何故ならあの音があまりにもけたたましいから。それに、音の割には、相当長時間使用しないと満足できるような感想具合にならない。ハンカチを一枚バッグに入れておく方が合理的である。その後どういう意図だったのか、一時期あれはウィルス感染にはあまり関係がないという報道もあったが、私が利用するお店ではいまだに復活していない。トイレについても、使用後は蓋を閉めてから水を流すようにという張り紙が見られるが、機種によっては蓋を閉めるまで待ってくれないものもあり、人知れず速さを競ってのちょっとした闘いになったりする。
外食については、いつからなのかを忘れるほどの長期間にわたってしていない。昨年は恐る恐るながらたまに利用することはあったが、その時に居合わせた他のお客があまりにも古い生活様式から抜け出せない様子だったので、そんなことが二回ほど続いてからは、コロナが収束するまでは外食はしないと決心した。今日になっても思うのだが、「新しい生活様式」を皆が正しく理解してそれに従って行動すれば、今現在のような状況にはなっていなかったのではないだろうか。例えば、外食の際には少人数で黙食を心がけ、短時間で退店する。それさえ守ることができたら、私達お客も心配なく外食ができるし、お店だってそれなりに潤う筈である。殆どのお店はアクリル板や消毒液などの「新しい生活様式」を取り入れたサービスに努めているのに、古い様式から抜け出せないお客が、食べながらおしゃべりに興じて長居をすることが感染拡大に繋がっている。
緊急事態宣言が出されると、メディアは一つ覚えのように「何回出せば気が済むのか?」だとか「いい加減にして欲しい。」などという意見を報道する。しかもそれが世論の全てであるかのように。しかし、私などは緊急事態宣言と聞くとちょっとだけ安心する。世の中の人達が少しでも自制心を持った行動を意識することに結びつけば良いと。二年前までは普通にできていたことができないとなると、誰だって不満を感じるのは当たり前のことである。でも、大人なら、社会人なら、二年前までと現在が同じ状況にあるかを考えれば、今すべきことが二年前とは違うことに気づく筈なのだ。
いつだったかのテレビのニュース番組で、「私たちはこんなに我慢しているのに、大人は好き勝手なことばかりしている。」という中学生の声を伝えていた。大人だけれど、けっこう我慢している私も言いたい。影響力のある人が、テレビなどで古い生活様式に固執した発言をするのは止めて欲しい。考えを改められないのは、偉そうに言うべきことでもない。個人の自由があるから本人がどう考えて何をしようが構わないが、善良な一般人を煽動するのは許せない。自分が我慢できなかったり我慢したくなかったりするのを国や政府のせいにして、しかも正論ぶっている。例えそれが正論だとしても、そんなことを口走っていてもコロナは自然には収束してくれない。メディアなどで偉そうに言っている人の、裏での勝手な行動が明るみに出た例が何件かあった。私なども人並みに我慢しているつもりであるが、それは国の為でも政治家の為でもない。自分の為であり、家族や親しい人の為である。そう考えて、陰で私などよりももっと我慢を重ねている人は少なくないと思う。
オリンピックの件についても、ただやみくもに開催に反対ばかりする人がいる。開催することが決まってからも、相変わらず反対していた人はどういうつもりだったのだろう。コロナが収束する為の努力もしないで、アスリートの夢を担い国際社会での責任を全うするべきオリンピックには反対するって、あまりに勝手過ぎやしないだろうか。
地域によっては、これまでに述べてきた「新しい生活様式」とは違う「新しい生活様式」が生まれ、浸透しつつあるらしい。それは、お店でお酒を飲めないからといって、集団で路上で飲むという。しかも、空き缶などをその場に放置したまま立ち去るという。これに対しては、言うべき言葉も見つからない。
新型コロナの感染症下でのこの二年足らずの生活で、個人的に良かったと思えることが二つある。一つは、満員電車に毎日乗らなければならない立場にはなかったことである。勤め人ではないので、人混みを避けようと思えば避けられた。そして、もう一つは、家族や友人知人とコロナウィルスに対する警戒心を共有できたことである。自分自身は元々インドア派の人間で、家の中にいることは苦にならない。でも、友人の中にはアウトドア派の人もいて、その彼女の気持ちを考えると何となく後ろめたくなることもあったが、彼女が仲間に不満を漏らすことはなく、その分この生活から抜け出せる日がくることを誰よりも願っている。それに、仲間で各自手作りのお弁当を持ち寄ったり、テイクアウトしたお料理を皆でつまみながらお喋りをするくらいの楽しみは味わうことができているから。
ワクチンにどの程度の効果があるのかわからないが、期待は大きい。私も数日前に二回目の接種を受けてきた。一回目は腕はかなり痛かったが、他にこれといって変化はなく、ただ少しお酒に酔っているようにフワフワしていた。それで安心していたのだが、二回目は37度ほどの熱が出た。もう何年も風邪を引いたこともなく、熱がある状態を忘れていたので倦怠感が酷く、丸一日を寝て過ごした。でも、ワクチンに対しては恐怖心もあったので、それを乗り越えた今はホッとしている。効果のほどは別にして。
二回目のワクチン接種後三週間ほどで感染しにくくなるという話だが、個人的には三週間が経とうが「古い生活習慣」にはなかなか戻れないような気がする。