天草宗家
武爺と過ごした廃神社を出てから山道へと向かうと、物心付いてから始めてみる〝車〟が待っていた。
「お帰りなさいませ。 こちらへどうぞ」
スーツを着た30代前半ほどの男が静世、八尋を迎えて車の後部座席へ案内する。
「紫苑さんもこちらへ」
「あっ、はい。 えっと、大丈夫、ですよね……?」
「大丈夫、とは?」
「その、これ……初めて見るので不安と言いますか……」
紫苑はそわそわとしながらも男性のエスコートを受け、後部座席へ入っていく。
車は通常よりも長いもので、中に入ると3人ずつで向き合う形の作りとなっていた。
だが、こちらに乗るのは紫苑、静世、八尋の為、紫苑は二人に向き合う形で座る。
「わっ、凄いですね……それにお尻が痛くない!?」
「そうですね。 これから初めて見る物も多いでしょう。
ある程度説明は致しますが、百聞は一見に如かずと覚えておいて下さい」
「は、はい!」
静世からの言葉に紫苑は少し緊張した面持ちで姿勢を正し、やがて車はブロロロと音を立てて発進していく。
「紫苑さん、貴女は貴女の母、叶恵さんにそっくりです。
これから向かうのは天草の宗家。
貴女の母、叶恵さんの実家になりますよ」
八尋がこれから向かう場所をしっかりと伝え、紫苑を安心させる。
「私の母親……写真とか見せて頂ければ何か思い出せるかもしれませんね。
とは言え、幼少の頃の事ですから自信はないですけど……」
「構いません。 天草の、そして叶恵さんの娘と言う事実があれば十分ですし、そっくりな容姿ですから文句を言う者もいないでしょう」
「はい……あっ、そういえば静世さんも八尋さんも天草ですよね?
私とはどの様な関係に当たるのでしょうか?」
同じ天草の人間という事であれば、自身との関係を知っておいた方がいい、そう考えた紫苑は二人に尋ねる。
「そうですね。 私は叶恵さんの母、紫苑さんの祖母に当たる叶架様の妹、叶魅の娘になります。 ですから叶恵さんの従伯母となります」
「八尋さんは従伯母……」
「私は八尋さんの兄、千尋の娘となります。 ですから八尋さんは私の伯母。 紫苑さんとは遠い親戚ですね」
「やっぱり天導伍家となると沢山の親族がいるのですよね?
う~ん、覚えられるかな……」
「大丈夫ですよ。 私も全員は流石に分かりませんし、関わるのは一部ですから。
その都度覚えておけば問題ありませんし、一応宗家に着きましたらその辺もお教えしますので」
「あっ、はい。 宜しくお願いします」
やがて車の窓から景色を見ると、先程まで森に囲まれていたのだが、少しずつ住居や畑が姿を現す。
「宗家までは3時間ほど、ですから後2時間位で到着します」
「分かりました」
すると、ピョコっとタケヒコが紫苑の胸元から顔を出した。
「タケヒコ、お腹空いたの?」
「キュル!」
「ここにご飯はないのよ? もう少し待っててね」
「ご飯、簡単な物ならありますよ」
静世がそう伝えて、車内にある冷蔵庫から野菜スティックを取り出した。
「わっ、野菜? ありがとうございます」
「いいえ、どうぞ」
静世がタケヒコへスティックを差し出すと、パクっと食べて何ともご満悦な表情を浮かべている。
「それにしても本当に珍しいですね。 エレメントが姿を現すなんて……」
静世は野菜を齧るタケヒコを見て、不思議そうな表情を浮かべる。
「そんなに珍しいんですか?」
「エレメント、所謂性質というのは生き物に秘められた力ですからね。
目に見えない物という認識の方が強いでしょう。
勿論、ここ数十年で見解が変化し、こうしてタケヒコのように姿を見せる事例は幾つかありますが、そう多くはないのですよ」
「なるほど……でも何故タケヒコは出て来たの?」
紫苑は指でタケヒコの頭を撫でながら訪ねてみる。
「キュル?」
「分からない、か」
「恐らく、紫苑さんの持つ性質に反応したのでしょう。
あの場所も、自然が多く、元は神社でしたからね」
「そうですね。 良い所です」
紫苑は改めて、故郷とも呼べるあの山を、川や森、そして廃神社を思い浮かべ、感慨深く頷いた。
そして、紫苑は廃神社での生活や武爺との思い出などを二人に話し、やがて周囲は森や山などは無く、街の中へと入って行った。
「わぁ~、大きな建物ですね……車?も沢山走ってるし……」
田舎から始めて栄えた場所へと訪れた者の反応をしっかりと見せ、驚きながらも楽しそうに街並みを車の窓から見ていく。
東方倭国は栄えてこそいるが、和の心を忘れないという事もあって、建ち並ぶビルの中にも瓦屋根の建物や、着物・袴の若者達も沢山歩いている。
「東方倭国外、海の向こうにある国との外交などによってかなりの発展を遂げてます。
きっと紫苑さんにとっては全てが珍しく、驚きの連続かも知れませんが、少しずつ慣れて下さいね」
「はい! あっ、あれは何でしょう?」
紫苑が窓から上を見上げると、そこには巨大な乗り物が空を飛んでいた。
「あれは飛行船です。 熱で船を空へ浮かべて飛びます」
「わぁ~、凄いですね~!」
「これから少しずつ覚えていきましょう。 もうすぐ宗家に着きます」
「あっ、はい!」
そして数分後、街外れの少し自然の残る区域の一角に瓦屋根の大きな屋敷が立っていた。
車が止まり、降りると目の前には大きな門がある。
「お帰りなさいませ、八尋様、静世様」
「ええ、こちらは紫苑さん。 大切なお客様だからお願いね」
「畏まりました。 では荷物を」
「あっ、はい! あの、紫苑と申します」
「はい、私はこの屋敷に勤めております草部と申します。
お世話などさせて頂きますので、何かあれば遠慮なくお声がけ下さい」
眼鏡を掛け、白髪交じりの髪を後方へ流している50代の男性。
草部は紫苑の荷物を受け取ると、そのまま屋敷の一室へと案内していく。
「こちらが紫苑様のお部屋になります。 後ほど、お呼び致しますのでそれまでお寛ぎ下さいませ」
「ありがとうござます」
ペコっとお辞儀をすると、案内された部屋に一人となった。
「タケヒコ、凄いね……神社とは全然違うよ」
「キュル?」
部屋には机、ソファ、黒くて薄い板、奥にはベッドが用意されていて、入り口から左手にはトイレと浴室がある。
「タケヒコ、これなんだろう? 勁現具に似てるけど……」
紫苑が不思議そうにある物を手に取り、触って確かめていく。
すると――
〝ピッ〟
ブンっと音を立てて黒い板の中で人が話し始めた。
「わっ!? えっ!? 何っ!?」
『次のニュースです。 先日、北の都で穢れ人が複数現れました。
天導士による浄化活動によって既に鎮静されましたが、怪我人や感染による穢れ人が数名逃げたとの情報も入っています。
これにより、天導師達が逃げた穢れ人の情報提供を呼び掛けています』
「穢れ人? 各地に居るんだ……と言うかこれ、何? 中に人が居るの?」
「そちらはテレビで御座います」
「わっ!? あっ、草部さん。 てれびですか?」
「はい、紫苑様は山奥で過ごされていたのですよね?
テレビと言って、電波を通して映像を流し、人々に情報などを与える物ですよ」
「映像……じゃあここに人が入ってる訳ではないのですね」
「ええ。 紫苑様、皆が集まっておりますのでこちらへどうぞ」
「分かりました」
草部に連れられ、屋敷内を歩く事数分。
そこは大きな襖が閉められており、中は大きな広間となっている。
「失礼致します。 紫苑様をお連れ致しました」
「入りなさい」
草部は正座をし、そっと襖を開けていく。
その奥には八尋、静世を始め、十人程が集まっていた。
「紫苑、入りなさい」
「は、はい」
紫苑が中へと入ると、草部は室内側に座り、そっと襖を閉じた。
「紫苑様、そちらへお座り下さい」
草部が指示をすると、ちょうど中心に一枚の座布団が敷かれていた。
紫苑は緊張しながらもゆっくり、そこへ正座をする。
大広間、自分を中心に左右五名ずつが並び、正面には一人の女性が座っていて、まるで高御座だ。
しかし、その女性の容姿に何故だか紫苑は懐かしさを感じていた。
「貴女が紫苑ね。 良く来てくれたわ。
私は天草宗家の当主、天草桔梗。 貴女の母、叶恵の妹よ」
長く巻いた黒髪を靡かせ、30代前半ながら妖艶な見た目をした女性が紫苑へと挨拶をする。
細い煙管を咥え、着物なのだが胸元をわざと開けさせている。
「えっと、紫苑です。 母や天草家の記憶はほとんどありません。
ですので、何も分かりませんが、宜しくお願いします」
「そう、まあ、辛い出来事でもあったと思うから仕方ないわ。
でも、姉そっくりね」
「は、はぁ」
「今後の事は追々話すとして、この屋敷に住んでいるのはここに集まっている者だけよ」
そして、それぞれが順に挨拶を交わしていく。
桔梗を当主として、左から桔梗と叶恵の母であり、紫苑の祖母叶架。
その隣に叶架の妹、八尋の母の叶魅。
そして八尋、千尋、静世が並んで座っている。
対して右側には紫苑の祖父、千逞。
当主桔叶の夫、春道と娘の桜華。
紫苑の父、影時の弟であった重時の子、紫苑の従兄である時正と従姉の織葉。
その他世話係の者達は屋敷の離れに宿舎があり、そちらで生活をしている。
「紫苑は今16歳かしら?」
「はい、恐らくですが」
「なら私の娘、桜華は同い年ね。 それと貴女の従姉の織葉が一つ上になるわ。 仲良くしてあげてちょうだい」
「分かりました」
すると、またもやピョコっとタケヒコが胸元から顔を覗かせた。
「キュル!」
「ちょっとタケヒコ、今は大人しくしてて」
「キュルー!」
「「「っ――!?」」」
タケヒコの存在に一同が「あれはっ!?」と驚きの表情を浮かべ、ざわざわし始めた。
「紫苑、その子は……エレメントね?」
桔叶が紫苑に尋ねる。
「あっ、すみません。 八尋さんからはそう聞きました」
「珍しいわね。 大事にしなさいな」
「はい」
「では以上とする。 静世、引き続き紫苑の面倒をお願いね」
「畏まりました」
そしてぞろぞろとその部屋を後にしていくと、「紫苑ちゃん」と声が掛かる。
「えっと、叶架さんと千逞さんですよね?」
「ええ、貴女のお祖母ちゃんです」
「本当に叶恵そっくりだな。 会えて良かった」
白髪の短い髪ににこやかな柔らかい表情を浮かべ涙を流す叶架と、坊主頭の威厳ある風格をした千逞が孫の姿に喜ぶ。
「これから分からない事も多いでしょう。 そういう時は頼ってね」
「はい、ありがとうございます」
すると叶架が紫苑を抱きしめる。
優しい香りに包まれると、何故だか紫苑の目からは涙が流れた。
「会えなかった時間、知らない存在だったとしても、心は、血はそれを覚えてます。
私達はいつでも貴女の味方ですからね」
「うぅ……はい、お婆様、お爺様」
そして、襖から廊下へ出て部屋へと向かっていると、織葉と時正の二人とすれ違う。
「私は貴女を認めない……父と母を殺した男の娘なんて……」
黒い髪を左右一本ずつに束ね、鋭い視線で紫苑を睨み付ける織葉はそれだけを言い残して足早に去って行く。
「えっ……」
「悪いな。 別にお前の所為じゃないんだけど、織葉は父と母が大好きだったんだ。 だから八つ当たりだと思ってくれ。 では」
「は、はい……」
少し茶色掛かった髪で、体格の良い織葉の兄、時正がフォローを入れて紫苑は部屋へと戻った。
「疲れた……これからどうなるんだろう。 ね? タケヒコ」
「キュルル!」
「はぁ~」っと盛大な溜息を吐き、紫苑はベッドに倒れ込んだ。
すると、ペシ!ペシ!っとうつ伏せになっている紫苑のお尻をタケヒコが前脚で叩く。
「やっぱり君はタケヒコって名がピッタリだったね。
お尻と胸が好きな人の名前だよ?」
「キュル?」
何の事?と言いそうな表情で首をコテっと横に倒しながらも紫苑のお尻をぐいぐい押していく。
コンコン!
「あっ、はい!」
「失礼します。 草部です」
「どうぞ」
「お疲れですか?」
「そうですね。 でも大丈夫ですよ」
「良かったです。 宜しければ屋敷を案内させて頂ければと」
「あっ、ではお願いします。 と、その前にここってどう使うんですか?」
「お風呂とトイレですね。 ここは――」
草部がそれぞれの機能などを簡単に説明した後、紫苑は自室を後にした。
屋敷は非常に大きく、庭園には小さな川が流れていた。
部屋は全部で15室。
弐階にも部屋などがあるのだが、そこは主に当主の桔叶と春道、そして桜華が使っている様だ。
一階は先ほどの大広間を始め、ダイニング、それぞれの部屋に風呂場はあるが、大浴場もある。
そして、それぞれの部屋と台所、客間など、家にしてもかなりの大きさなのだ。
また、離れの世話係などが生活する宿舎の他に天導士の為の訓練場もある。
「広いですね……迷いそうです」
「そうですね。 ですから当分は一人で出歩かない事をおすすめします」
「分かりました。 その時は草部さんを呼ばせて頂きますね」
「ええ」
ニコっと微笑み、紫苑の言葉に答える。
「夕食は部屋でも構いませんし、ダイニングに行けば御座います。
皆が揃って、という事はほとんどありませんので、お好きな時間にご利用下さいね」
「分かりました」
そして紫苑は再度自分の部屋へ戻ると、動きやすい服装に着替えてのんびりと過ごしていた。
普段、巫女の様な袴と着物を着ていたのだが、今は既に日も暮れている為浴衣に着替えたのだ。
「ふぅ~、先ずはここに住む上での決まり事とか覚えないとダメだよね……」
紫苑は机に向かい、置いてあった紙に今日会った人達や屋敷を案内してもらっていた際の草部から聞いたルールを思い出しながら書き記していった。
すると、コンコンと入り口がノックされる。
「はい」
「静世です」
「どうぞ」
カチャっとドアが開き、静世が中へと入っていく。
「紫苑さん、お腹は空いてますか?」
「お腹?」
グゥ~~
っといいタイミングでお腹が鳴る。
「へへっ、はい。 空きましたね」
「良かった。 これからダイニングへ行きますので一緒にどうですか?」
「はい! 行きます」
紫苑は静世に付いて行き、ダイニングへと訪れた。
広さは皆が集まった大広間と同じくらいだろうか。
既に食事を取っている人達も居た。
「紫苑さん、食べたいものはここに書かれてる中から選べば大丈夫よ」
「えっと……」
そこには焼き魚定食、生姜焼き定食、トンカツ定食と書かれている。
「あの、静世さん……これってどんなご飯なのでしょうか?」
「えっ!? あっああ、そうよね。 ごめんなさい。
なら私と同じで良いですか? 私は生姜焼き定食にします。
豚肉を醤油と生姜で焼いたものです。 定食と言うのはおかずとご飯、お味噌汁が一緒に付いて来るんですよ」
「なるほど! 凄い豪華ですね!? では、私も同じでお願いします」
注文を終えると、席について静世と話して待つ。
すると、「ちょっといいかしら?」と後ろから声が聞こえた。
「えっと……桜華さん、でしたよね?」
「ええ、そうよ。 貴女、これから学校へ通うの?」
「学校ですか? えっと、そうなのですか? 静世さん」
「恐らくそうなりますね。 転入と言う形で進めるかと思います」
「そう、浄勁力はどれくらいなのかしら?」
「えっと、分からないです。 そういうの全くの無知で。
でも、かなり高いとは聞いてます」
「ふ~ん。 田舎者という事ね。 まあこれから覚えればいいとは思うけど、私はそれなりに実力のある者じゃないと仲良くなる意味がないと思ってるの。
仲良くしたいなら、それを行動で示してちょうだい」
母である桔叶に似て黒髪を巻き、大人の雰囲気を漂わせる桜華。
桔叶よりも鋭く、キレのある目に口元にあるホクロが一層大人びた印象を与えていた。
「母の命でもそれだけは変わらない」とそう告げると、桜華はダイニングを後にした。
「実力……ん~、そもそもこれからどうするのかも分かってませんからね、私……」
「まあ、気にしなくていいですよ。 さっ、ご飯も来ましたから食べましょう」
「わっ!? 美味しそう! 頂きます」
ご飯を食べながらも静世が今後の事、屋敷の事を簡単に教えてくれて、その後に紫苑はそれを紙に書き留めていく。
そして、部屋にあるお風呂で身体を綺麗にして、ようやく長い一日が終わった。
「タケヒコ、疲れたね。 って君は何もしてないか」
「キュル~」
タケヒコがペロっと紫苑の頬を舐める。
「慰めてくれるの? ありがと。 おやすみ」
「キュル!」
くるっと枕元に丸まると紫苑と一緒に眠りについていった――