第八十七話
続きです。
暑いです。
よろしくお願いします。
いとわろし
かをり
「どうよ?」
「あ、ごめん。聞いてなかった」
「は? なんだよ幸冷たいな」
「途中から頭に入らなくて」
「だらしないなぁ。しょうがない。じゃあもう一回。いくよ」
「え? いや。あ、はい」
月日は進む
もうすぐゆく年もこれから新しくやってくる年も私の横を通り過ぎてゆくだけ
だってコイツら旅人だし
這いつくばっても栄華を極めても結局露と消えてしまう
誰かの記憶も曖昧になってそのうち消えてなくなってしまう
あたかも夢か幻かのごとくなり
そして残るは山と河
いつまでも在るように思えるそれさえも同じものではない
万物はそな全てにおいて変化を続けながらいずれ消え去るのだから
気づいたところでこの世のことはげに儚きことよのぅと恐れ慄いてこわいこわいと夜な夜な涙を流すことしかできないなんていとわろし
かをり
「うん。いけた」
「なにが?」
「なにがって幸、なんで感じないの? いけた感あるじゃん。てか、いけた感しかないし」
この境地に辿り着いちゃった私ったら凄くない? と幸を見る。けれど幸は、よくもまあそれだけ混ぜ込んだねぇと呆れて苦笑った。
「それを言うならぱくり感でしょう? 満載」
「そういうのはいいの」
「いいのって」
構わずごりごり推していく、というか別の側面からアプローチを試みる。
私に特に理由があるわけじゃないけれど、私は幸に、感銘を受ける的に、げに儚きことよのぅと分かってもらいたいのだ。
「いいの。じゃあさ、なんか深くない? 真理を感じるぞ、みたいなさ」
今の私には、私もまた先人と同じように宇宙の真理に辿り着いちゃった自覚があるのだ。私は悟ったのだ。
「そうだねぇ。言いたいことはわかるよ」
「でしょ」
「けどね。私たちには当てはまらないところがあるかなぁ」
「そう思うの?」
私は腕を振るうのをやめて振り返り、幸の腰に手を回す。私は期待しているのだ。
「いつも言っているでしょう?」
「うん」
「私は見つけるよ」
「私は待ってる」
「うん」
少し開いた柔らかい幸の唇が触れる。優しくも激しいソレ。私はそれを受けて恍惚となりながらも、私の唇はカサついていないかなぁと少し心配していたりもする。リップ星人な私だから平気だと思うけれど、心はいまだ乙女だから。
へろへろが治って、再び腕に縒りをかける。
「そう言えば、なんで急にかをりになったの?」
「だって師走だし」
私は今の時期的に、ふと、頭に浮かんだ偉人達の記した言葉達を私らしく噛み砕いてみただけ。
時は旅人。ひとつところに留まりはしない。だから私の解釈では無常というヤツ。
私だって幸だって止まらないから常は無い。大切な想い以外は変わっていくし、止まった後もこの肉体は塵へと還るのだ。
「つまり無常」
「無情かぁ」
「違うから。無常だから」
幸は納得しているけれど無情は違う。私も幸もジャンさんのようにパンひと欠片を盗んでとっ捕まったわけじゃないのだから。
ああ、無常だなって思いつつ、私は二本しかない腕を振るっているところ。縒りをかけてもいるところ。
「で、夏織さん。また妄想しているところ何だけどいつまでかかるのかしら? 私いい加減、お腹減ってるんだけど?」
「もうできるよ」
そんなの当然。私は妄想中でも手は止めていないのだ。
「なら、くるしゅうないぞ」
「殿様か」
「近うよれ」
「ばか殿の方だからな」
「あいーん」
私は幸をスルーして最後の仕上げをしようとした手を止める。幸が身を乗り出して、私の目に入るようにポーズを決めてあいんあいんとやっているけど気にしない。
「ちょっとっ」
ばか殿が無視すんなよと腿に軽く膝を入れ始めて、それが若干うざくても気にしない。その分だけ遅くなってひもじい思いをするのは幸なのだから。
けれど私は優しいから手を止めて、一応の忠告は入れておく。
「邪魔するといつまでも仕上げられないけど。いいの?」
「すいませんでしたっ」
「許す」
「ははー」
五月蠅かった幸がぴたりと止まる。私はくすりと笑って仕上げを始めた。
私は幸と暮らし始めた一年目が、あっ、という間に時は流れて十二月になっちゃったんだなぁ早いなぁなんて思っていたら今はもう暮れの暮れ。月日も時も旅人だから私ごときではいかんともし難いのだ。
このくそ社会でこそこそと生きる私でさえも時間は決して逃さない。ということは、それについては私とともに生きる愛しの幸も同じ。一日の活動ペースは違っても同じ速度で刻々と進んでいくそれは、やはり無常としか言えない。
「できたよ」
「おっ」
年の瀬が迫るこの時期は、バーゲンとかクリスマス仕様のケーキとか、そして迎える大晦日とイベントが盛りだくさん。このくそ社会で暮らす私でもさすがにその例に漏れることはない。
申請も許可も要らないし、勝手にクリスマスパーティだと言えばそれで済むのだから現実と違って楽なもの。ちゃいちゃいだ。幸もそう。ちゃいちゃい。
「はい幸。これ持ってって」
「まかせろっ」
「ついでに気持ち悪い動きのサンタと邪魔なくそ狸のヤツ片付けといて」
「おうっ。おおぅ?」
「悩んじゃだめ。感じろって。幸ゾーンあるでしょ」
「おっ、おう?」
そしてこの時期は、仕事中に見かける美味そうなヤツに目を奪われながらも頑張ってソレを振り切って、年末の雰囲気に追い立てられるように私なりのペースにブラスαでそれをこなし、やけに忙しなくあたふたと一日を過ごす。
「あとはこれを…よし。終わり、っと」
けれど、夜ともなればその帰り道、他の月では決して見られないイルミネーションがぴかぴか光る街を目移りしながらとことこと歩いていると、大切な家族や恋人に、または自分へのご褒美的にプレゼントを選んでいるだろう人達の幸せそうな姿も相まって、大きな枠ではブディストの括りに入る私でも少なからずうきうきわくわくするというもの。見たこともない甘くて美味いヤツとか、スイーツ屋さんの年末大感謝セールの文字を見つければなおのこと心が踊るというもの。財布の紐もゆるくなるというもの。ぱかぱかだ。
「お待たせ幸」
「待ってないよ」
「待ってたでしょ」
「まぁね。いつもありがとう」
「いいのいいの」
とはいえ、調子に乗ってあれもこれもとぽんぽん買ってしまうと口うるさい小姑幸に怒られて、下手をすると没収されてしまうから、私は幸に内緒で夏織ゾーンを作って日持ちするヤツはそこに隠しておくことにしたのだ。私は天才だからなっ。
その灯台下暗し的な夏織ゾーンは今のところ幸にバレていない。大丈夫。
「セーフ」
まぁ、たとえバレてしまってもその言い訳はちゃんと用意してある念の入れよう。私は石橋を叩いて渡る人だから。
万が一にも見つかって、なにこれ夏織どういうことよなんて言われてもへっちゃらのちゃら。それはね幸、自然災害に備えた備蓄だしと言えばいいのだ。
加えて、幸がお腹減らしたら可哀想だしとでもアピールしておけば超完璧。それなら幸も強くは出られない。はい、まじ完璧。
「いける」
私は審判のように大きく左右に広げていた腕を戻しながら秘密の夏織ゾーンをちらりと見てほくそ笑んだ。
「むふふ」
「なぁに。さっきからぶつぶつと」
「ううん。なんでもない」
「怪しいなぁ」
「いいの。それより幸。ほら、乾杯しよう」
さすがの幸は無駄に鋭いから私のちら見した方向を目ざとくインプットしてしまうかも。私は慌ててグラスを持った。
「うん。そうだね」
「いくよっ。せーのっ」
そして今日、珍しくもお昼過ぎから生憎の雨が降り出したホーリーナイトが今年もやってきたのだ。
「メリークリスマース」
「かんぱーい、って、乾杯じゃないのっ?」
「ん?」
私は口からグラスを離し、なんのこっちゃと幸を見る。
クリスマスにメリークリスマスって音頭を取ることは至極は当たり前。十人いれば十人がそうする筈。
逆に乾杯なんて言おうとすると幸の方がおかしいのだから、私は全然間違っていない。おかしな幸にぶうぶうと文句を言われる筋合いはない。
「あのさ。なに言ってんの幸。クリスマスだよクリスマス。クリスマスはクリスマスなんだからメリークリスマスだから。乾杯とかないから」
「なるほど。そうかっ。いやいやいや。夏織が乾杯しようって言ったんでしょう」
「言った。けど、じゃあメリークリスマスしようか、なんて言う人いる? そんなおかしい人いないでしょ。だから、そこは普通にメリークリスマースでしょ。幸大丈夫?」
そこ。私は幸のおつむを指差した。
「あ? なんだとー。夏織のくせにー」
「あ? あ、ばか。ちょっ、やめろっ。揺らすなって。溢れるって。やめろって」
「あはは。ほれほれっ」
「はいどうぞ」
「おーう」
私の焦る様に満足した幸が萌なシャンパンをごくごく飲んで、私が腕を振るって縒りをかけた料理を摘んで美味しいよこれもと取り敢えず、幸のお腹がひと心地着くまで飲み食いするのをすげーカッコいいなぁと見つめたところで、さて、ではそろそろと交換こを始めようかと後ろのソファを振り返り、私のはこっちだな、私はこっちなんて言いながら、そこに置いておいた同じ包装紙に包まれた同じような大きさの箱をそれぞれ手に取った。
「楽しみ」
「ねー」
つまり私と幸は今からこの日のために互いに用意しておいたプレゼントを交換こするのだ。
「夏織。はいこれ」
「やった。幸ありがとっ。じゃあ、幸はこれね」
「おー。ありがとう夏織」
こうして珍しくもプレゼントを用意した私達は誕生日にプレゼントととして何か物をねだったりしない。
普段、コレ幸に、これを夏織に買っていこうかなと、何かをあげたりはするけれど、何か欲しいものがあってもある程度の物なら自分で買えるから要らない。
なぜなら私はもう既に幸から一番凄いものを貰っているから。
それは幸であり、その愛しの幸とこうして一緒に過ごす時間。そしてそれは人生を閉じるまでの続くのだ。その先もずっと。だから私は充分満足。持っていけるわけでもなし、くれるというなら喜んでもらうけれど敢えて物はねだらない。
しかも幸は、私が催促してもしなくても、たまに甘くて美味いヤツを買ってくれるしお土産もくれる。
つまり私は超満足の幸せ者。あとは幸がいつまでも元気でいてくれたらそれで超超満足。私はもう充たされているのだ。
けれど、今回は少し趣向を変えて予算二千円以内でプレゼントを用意して交換こしようと決めたのだ。
「またにはこういうのもいいね」
「うん」
なんつって、奇しくも似たような大きさのソレを持った手を目の前でくるくる回してみたり振って鳴る音を確かめてみたりしていたところ。
「ふふふ」
足を棒のようにして店内を彷徨き回って私が見つけたヤツ。それを受け取った幸がどういった反応してくれるのか想像しちゃってにやにやが止まらなかった程の逸品。棒になった甲斐があったというもの。期待で今も笑っちゃう。
そう思いつつも期待に胸を膨らませてもいる。
「さてさてなにかなぁ」
「なんだろう?」
と、私と幸はこれまた同じロゴの入ったクリスマス仕様の包装紙を煩わしげにびりびりと破っているところ。
同じ大きさの、明らかに同じお店の包装紙。用意されたそれを見た時、一瞬まさか被ったのか? と思ったけれど、私はご都合主義者だから、いやいやそんなわけないでしょうよと、たぶんあのお店でも売っていた甘くて美味いどこかの国のチョコとかクッキーとかかなぁと、私は自分に甘くもあるから幸と私の思考が実は似ていることも忘れて裸になった箱を前にそんなことを考えていたのだ。
たぶんそれは幸も同じこと。いや、幸は疑うことを知らないから、それすら気づいていないだろう。なんて幸せな奴なんだろうと呆れてしまう。幸だけになっ。
「せーので」
「うん」
「じゃっ」
「「せーの」」
びよよーん
「ひゃぁ」
「きゃっ」
箱を開けた途端に勢いよく飛び出す何か。
隣で私も同じように箱から何かを飛び出させている幸が可愛く悲鳴をあげて、私達は箱を放り出して互いに抱きついていた。
「被るとか」
「えっ、なに?」
仲良く抱き合って、頬を寄せて床に転がった箱に目を向けている間抜けな私達。
ひよよんと飛び出してきたものは色違いのバネ仕掛けの豹柄の変な奴。描かれた焦点のあっていない目玉と出している舌がまじ腹が立つ。
「幸さぁ」
「夏織さんさぁ」
ソイツらに目を向けたまま、ないわーと、今時びっくり箱とかどうなのよと、そのセンスの無さを嘆きつつも、選んだものが同じものであることについ顔が綻んでしまう。
まぁ、仲良しだから仕方ないよねーなんて笑ったあと、私と幸は実はこっちが本命なのと、私はなんかカッコいいグラスを、幸はハバネロ入りのタバスコをあらためて交換こしたのだ。
「おしっ。マイタバスコゲット」
「やっぱり持ち歩くんだ」
「当然でしょ」
私はそう言って、それを大事にバッグにしまったのだ。これでいつでも、憎っくき相手にぴっ、ぴってできる。
「ふっふっふっ」
私を狸呼ばわりするアイツらのひーこらなる様を想像して不敵に笑いながら、面白いけどやめておきなさいと私を見ている幸に訊いておく。
「それいま使う?」
「うん。使う」
「わかった。ついでになんか作るよ」
「うん。ありがとう」
私は空いたシャンパングラスとあげたグラスを持ってキッチンに向かった。
それを洗って脇に置き、あげたグラスも洗って並んでいるお酒の瓶の中からからジンをチョイスする。ジンなら私も美味しく飲めるから。氷の入るグラスに注ぐとからんからんとやけにいい音色がした。
「はい」
「ふぁんひゅー」
「無理に喋るなって」
「ほぉれいふぁらいじ」
「そうだけど、見せるなって」
幸は自慢するように口の中を見せつけながらドライジンのロックを受け取った。自慢はともかく、仕草はやはり様になっていた。幸は自然とそうなのだ。
ま、その目はどこかをじっと見ているし、口が忙しなく動いているし、頬は料理で膨らんでいるけどなっ。
「ハムじゃん」
ふふふ、可愛いなぁと私は思った。
こんなふうに始まった、幸と迎えて過ごす二度目のそれ。ローテーブルの三分の一を占ているツリーと腰を振るサンタさん、クリスマス仕様のくそ狸は今年も健在。ツリー以外は凄く邪魔。
とはいえ私の隣には、去年のリベンジなのかなんなのか、角が付いたカチューシャを正しく付けてなお様になっているとしか言えない姿で酒を飲む幸がいて、私はほんのり酔って凄くいい気分。
「よし。ケーキ食べよっと。ね」
「嬉しそうだねー」
「当然でしょっ」
なんつって、いよいよ今宵の締めであり、私の中では甘くて美味いメインイベントたるケーキを用意するついでに空いたお皿を片付けようと、それを次々と重ねていく私が幸の前にあるプライドチキンの残骸てんこ盛りのお皿に取ろうと伸ばした手を幸ががしっと掴む。
「ちょっ、なに?」
「それはまだだめ」
「なんで? 出汁でも取りたいの? 取れないよ」
「だめよ」
「いつまでも置いといても仕方ないじゃん。邪魔だしさ。とっとと片付け…ん?」
途端に私を襲う謎の圧。どんよりした重たい空気が私に纏わりつくように漂い始める。その出どころは明らかに静かに笑みを湛えて首を横に振る幸。こわい。
「なん…いっ、いや。わ、わかった」
伸ばした手を引っ込めると圧はすぐに消えた。気にしたら負け。私はそれ以外のお皿を持って、そそくさとキッチンに向かった。
「ケーキケーキ」
ということで、所狭しと並んでいた料理は既に無く、フライドチキンの残骸の置かれたお皿を残すのみ。
美味い美味いと食べたケーキもあらかた食べ終わって、宴のたけなわはもう過ぎたところ。
「うん。美味かった。今回のヤツも当たりだった」
「よかったね」
「うん」
幸はケーキをひと口食べだだけで優雅にお酒を飲んでいる。私はかなり気にしているところ。
「幸のソレは食べないの?」
「食べるよ? けど今はこっち」
幸はグラスを掲げた。どうやら幸は私のあげたグラスを気に入ってくれたらしい。それをしつこくからんからんと鳴らしながらちびちびやってゆったりと過ごしている。
それを選ぶ時に店員さんが音がどうのと言っていたから、幸は酒呑みの本能でそれを理解したのだ。
「そっか」
幸は今好きなお酒を愉しみながらゆくっりと過ごしたいのだろう。
まぁ、ケーキも三つ食べられたし、幸のケーキは置いておいて、今は私も私で私のしたいことをすることにした。では。
「よいしょっ」
「あ」
私は立ち上がるついでに、ローテーブルに置いてあったクリスマス仕様の狸をわざと床に落としやった。まあるい体つきがなんだか自分を見ているようでまじでうざかったのだ。
「落ちちゃった。しょうがないなぁもう。うらっ」
「ちょっとっ。なにしてんのっ」
「待てー。逃げんなやー。うらっ」
私は拾うなんてしない。
その代わり、なんでお前は今年もしれっと出てきてんだよこのぼけなすがめがっと、うらうらと蹴っぽりながら幸の悲鳴を聞き流しつつ窓際まで近づいていく私の足元に狸の奴はもうはいない。幸ゾーンへと蹴り飛ばしたから。
「あーっ」
そのとき聴こえた一際大きな幸の悲鳴がいとあわれ。なむ。
「よっしゃ。さてと、どうなったかなぁ」
今日のお昼過ぎから降り出した雨は平野部でも今夜遅く雪になるでしょう。都心でも雪になるでしょう
おー。今夜はホワイトクリスマスですね。積もりますか?
気になりますよね? では天気図を見て見ましょう
てな感じで、随所に織り交ぜてくるその掛け合い要らないでしょと思わせるアナウンサーと無駄な掛け合いをしていた気象予報士の女性のくだらない会話を、私は今さっき、うまいうまいと中々のボリュームのあるケーキを三つ食べ終えて、お座なりに手を付けられたまま崩れることなく聳え立つ幸の分のケーキをがん見していたらふと、そんなこと言っていたよなぁって思い出したのだ。
ねぇ幸、雪が降ってるよと幸を呼んで、幸が夢中になって雪を見ているその隙に残ったヤツを、とか思ったわけじゃない。
「ないない」
「レインガットホオリオッマヘッ」
狸を葬り去って気分良く私の今年の一曲、ではないけれど、私は雨に唄いながらカーテンを開けて双眼鏡のようにした手を窓にくっ付けて目を凝らし、暗い外の様子を確認する。窓は開けない。外は寒いから。
白い塊が落ちているようにも見える。しゃりしゃりと音がするようにも思う。雪だ。
「いや…」
けどなんかでかくない? そう思っていると、背後からごりごりと音がした。
私はそれが気になって一度窓から顔を離してみると、そこに映った幸がグラスを傾けながらフライドチキンの残骸をひとつひとつチェックしては、お、あった。ラッキーなんて呟いてはそれに残った衣と肉を必死になって指で摘んだり前歯でこそげ落としたりしている。
「…幸」
私の狸がーと、ヒステリックに悲鳴をあげていたくせに、そんなことは無かったかのように必死になってプライドチキンの残骸をしゃぶり始めるとかなんだかなと思うけれど、結局、幸にはくそ狸なんかよりも油であがった食べられるチキンなのだ。幸はわたし以外には薄情者。狸ったらまじ可哀想。
「ひさんひさん」
そんな幸の方からたまに、ごりっ、ごりって聴こえる音が骨じゃなくて軟骨を噛み砕く音だと信じたいところ。
鳥の骨は裂ける感じて割れるから、無理に飲み込むと食道や胃や腸に刺さってしまうから、今夜、真夜中になって、夏織ぃ、痛いよぉ、お腹痛いよぉ夏織ぃ、なんてなって救急車を呼んで、一刻を争う緊急手術とか絶対に駄目だから。
幸の身内、家族と認められない今の私の立場では、私ひとりだと詳しい話も聞けないし、代理でその同意書も書けないのだから、環さんか幸の両親を呼ばなくてはいけないのだ。
「ちっ」
不愉快な話だなくそうと思いつつも、私はそれを頭から追い出して、はらぺこ幸が骨を食べないようにも注意を向ける。
「あ、幸。骨はだめ」
「失礼な」
そう文句を言いつつも哀しげに骨を口から離した幸。けれど、その骨はつるつるのぴかぴか。噛まなかったんだ偉いねと私は幸を褒めてあげた。
「えらいえらい」
「うるさいよ。夏織だってよくお皿舐めるてるくせに」
「舐めるかっ。あ、舐めるね」
「ほらぁ」
どうだと言わんばかりに胸を張る幸。ほらぁってなに? って私はちょっと悩んだけれど、まぁいいやと気を取り直して教えてあげる。
「ねぇ幸、雪になってるよ」
「ほんとっ」
「うん。なんかでかそう」
私は外を指しつつ振り返り、手招きをして幸を呼びつつ申し訳程度に窓を開けてその隙間から顔を出した。
「おっほほー」
素早く腰を上げて奇声をあげながらばたばたと私の傍に近づいてくる幸はタロに似ているし、野生の本能が幸を興奮させてしまうのだからそこは仕方ないのだ。
「寒いからやめろって」
「いいじゃんいいじゃん」
寒いから顔を出すだけでいいのにと思うけれど、わーいわーいと遠慮なしに大きく開けた窓に手を添えて、上半身を乗り出して手を伸ばす幸は外を駆け回りたくてうずうずしているのだろう、置きっぱなしの雨に濡れたサンダルを履いて今にもベランダに出てしまいそうな勢い。
「待った」
「うおおぉ?」
「それ濡れてるから。乾いたヤツ取ってくるから」
ちゃんと待てをしながらも、早く外に出たそうに外を見て悶える幸をそのままに私は玄関に向かった。
私は寒いのは嫌だし積もったら面倒だし、べちょべちょになった道を歩くのも嫌だし、電車の遅延とか超嫌だから雪は好きじゃないけれど、この日のこの夜は別。
明日はお休みだから通勤はない。朝早くから雪の道を歩くとか要らぬ苦労をしなくて済むのだからなんなら今夜は存分に降ればいいのだ。食材はあるから幸が飢える心配はないし、甘くて美味いヤツも一応ながら揃っている。明日は一日巣篭もりするのも悪くない。
そんなことを考えながら、私は玄関から乾いたサンダルを二対持ってきて、私と幸は仲良くベランダに出た。
「お待たせ幸。これ履いて」
「おう」
「クリスマスに雪とか。東京じゃあんま記憶にないな」
「だねぇ」
いや、にしてもまじ寒いなと呟く私の肩を抱いてにっこり微笑む幸と空から落ちて来る雪を眺めている。
「ひらひらじゃないとか」
「どさどさって感じだね」
「なんか重そう」
「あはは。夏織みた、あっ、なんでもないっ」
少し先の高速道路と下の道路を走る車のクラクションやらロードノイズもなんのその、幸は慌ててそっぽを向いて掠れていない綺麗な音色を奏で出す。
どうしてくれようこの女と思いつつ、それをよく聴いてみると、冬がーぴーぴーぴぴーぴー、ぴぴぴぴー僕の側でーと、みんなが大好きだった某男性シンガーソングライターの歌。
「ん?」
幸、ここはさ、定番中の定番、サイレンナイっ、うおぅおぉ、ホリーナイっ、じゃないのとツッコもうかと思ったけれど、その曲はなんとなく、私達に合っているようにも思える絶妙なチョイスでありながらもそこはかとなく微妙な感じもしてしまう。
その人は私たちと同じ。けど、ちょっと問題起こして今はどこで何をしているのかわからないし、触れてはいけないのかもだから。
「うーん」
悩ましい。
けれど、やっぱり歌には罪は無いだろうということにして、私はその続きを口ずさんでみた。
「横顔がんんんー」
だって幸の奴が、私に向けて、さんはいってやったから。問題があったら幸のせい。ということで、私は幸と歌ってやったのだ。うろ覚えのところはそれこそんーんーんーってやりながらなっ。
「くしゅっ」
ツーコーラスでそれを終えて、楽しく歌えたし寒いからそろそろ部屋に入ろうよと幸の手を取って促した。
「面白かった。いいチョイス」
「でっしょう」
「また冬が来た」
「私の傍でね」
「うん」
ぴったりと体を寄せた私に、自慢げで優しげに微笑む幸がしめしめと思っていることを私はちゃんとわかっている。
私は忘れてなんかいないのだ。
「あ。そうだった」
「なぁに」
「何みたいに重そうっだって?」
「なっ。バレたっ?」
「…いや。なんかちょっと幸が心配になってきた、ぞっ」
心配は心配。けれど、天誅は天誅。線引きは大丈夫だから有耶無耶にはしない。そんなのは幸のためにならない。
私は幸の背後から両の脇腹に指を立ててむにむにしてやった。
「ぐっ、うひゃ、ふぐぅぅぅっ」
飛び跳ねて跳ねて着地し損ねて転がってのたうち回る幸。私はそれでも逃さない。
「そりゃそりゃっ。おいこら幸。誰が重たいってかっ」
「うそうそっ、いやっ。ちょっ、だめぇ」
「少し出てしまえやー。おらー」
私は私が満足するまで、背中から幸に馬乗りになって思う存分くすぐってやった。
「正義は勝つ。ははははは」
「やっ、ひーっ。やめてー」
出る出ると騒ぐさすがの幸でも、背中に掛かる私の体重をどうこうすることはできなかった。だって私は重いからなっ…あ?
「んだとこらー」
「やっ、強いっ、ちょっとなんなのっ」
「うらうらー」
飽きた頃には幸はへろへろのへろ。私はやってやったのだ。面白かった。
「あだっ」
「じゃあ、せっかくだしケーキ食べようかな」
「え? あ」
「はい。残念でしたー」
「くっそう」
「あはは」
作戦は失敗。というか忘れていたのだ。私はなんだよもうと地団駄を踏んだ。そんな私を馬鹿だねーと嘲笑う幸の声がする。
「いじわるだなぁ、もぉ。ぷん、ぷん、だそっ」
「がっはっ。がはっ、がはっ」
けれど、頭に両の拳を乗っけたままの私は知っている。
恥を忍んで私が放った捨て身のゆるふわ攻撃に蹲って、ひーっ、がはがはと咽せる幸は私に甘くてとても優しいから、食べる? はいあーん、なんつって、照れつつも、食べたさのあまりに素直に口を開けて待つ私に半分はくれるのだ。
「いけるいける」
隣り合って座る幸がフォークを取ってひと欠片のケーキを掬っては容赦なく口に入れてもぐもぐとやっている。
「うん。美味しい」
「私のチョイスに間違いはほとんどないから」
「だよね。あむ。美味し」
私はそれをがん見して、今か今かとこの口に運ばれるのを待っているところ。早くしないと涎で溺れてしまうぞいいのか幸って思っているところ。
「ヤバい」
ケーキはどんどん減って、幸の口にその半分が消えたところ。
まさかそんな筈はと私は焦る。湧き上がる焦燥感のまぁ半端ないこと。
「ぐぬぬ」
私の様子を分かっている筈の幸はどこ吹く風で食べ進めていく。あれよという間に残りは三分の一を切った。
いまだ倒れずにいるのが不思議なくらい痩せ細ってしまったケーキを見ていると涙が込み上げてくる不思議。
「うぐ」
ここまで来たら仕方ない。追い詰められた私はいよいよもって伝家の宝刀、指をびろびろってやって残りをこの口に入れろやこらと念を送ってやろうかなって思っているところ。
「なにしてるの?」
「べつに」
私のびろびろを軽く受け流す幸は鬼、悪魔。ソイツが何をすればいいのか分かっているでしょうといやらしく微笑んでいる。くっ。見てろ幸。こうなったらやってやる。背に腹は変えられないのだっ。
「あ、あーんっ」
「くくく。よくできました。はい夏織。あーん」
「あーんむっ」
途端、口いっぱいに広がる香りと甘くて美味い味。私はそれを噛みしめる。
「うまーい」
「よかったね。はいあーん」
「あーん」
名を捨てて実を取る。それはとても大事なこと。甘くて美味いヤツを食べ損なわせるプライドなんて私は少しも要らない。必ずやって来るだろう黒いヤツの相手は後でたっぷりしてやればいいのだ。はっはっはっ。
「うんっ。美味いなコレ」
「あはは」
可愛いねと囁いて、幸が私の髪を撫でる。そして頬に触れ、その唇で私のそれにも優しく触れた。とても甘いキス。
「ふへへ」
「かわいいなぁ」
愛情たっぷりの優しい目をして私を見つめる幸。そんな目を向けられれば、こそばゆくもなんとも幸せな気持ちになる。
ほらね。やはり幸の前ではプライドなんて要らないのだ。
「ふふふ」
そして夜が更けたベッドの上。愛しの幸を全身で受け止めたことを終え、臭いの元もしっかり絶って私は幸の胸に抱かれている。
「ふへへ」
「どうしたの?」
「幸せ」
「だね。ずっと一緒だよ夏織」
「うん」
何度聞いても嬉しくなる。
幸とはずっと一緒。私は超嬉しくて、うぐるるると呻いてその胸に顔を擦り付ける。あと何年もこんな夜があるのだと思うと私の顔もだらしなく崩れるというものだ。
「痛いよ」
「がまんがまん」
「いたたたた。あ、そうだ夏織」
「なに」
「ゴーフルっていうの? あれ、賞味期限近かったからさ、昨日食べといたよ。美味しいねあれ」
「ゴーフル? なに言っ…はっ」
嘘でしょ? 見つかったの? え、なんで? あそこは完璧な隠し場所だった筈なのに?
この家でも少しずつ増えていく目に映したくも触りたくもない狸どもを、段までつけてわざわざ綺麗に並べてやった敢えての夏織ゾーンだよ? おかしくない?
その台座として使った箱の中身をちゃんと守れやお前らと、狸どもを狛犬的に配置して、この場合の御神体である甘くて美味いヤツを邪悪な幸から守れやと命令しておいたのに? はあ?
あのくそ狸どもは持ち主に似てまじ役立たずじゃんかよと私は嘆く。
「まじかぁ」
「くくく」
ぎぎぎ。
いややめて。まじお願いだから嘘だと言ってと私は幸に油が切れた感じで顔を向ける。幸が私を嘲っている。せめて笑えやこんにゃろうと私は思う。
「くくくくく。あんなに詰め込んで。夏織ったら本気でバレないと思ったの?」
おやつ箱に詰め過ぎ。ぱんぱんのぱん。箱が膨れて変な形になってたよあれじゃ開けてくれって言っているようなものでしょうよと幸は思い切り揺れている。嘲いを堪えようともしないとかまじムカつく。
「おまえ…」
けれど先ずは確認しなければ。私は弾かれるようにベッドを出る。その際、幸の脇腹をぐいっと掴んでやった。
「うっ。ぐわぁ」
幸のふぐぅって声がしたけれど気にしてなんかいられない。寧ろざまあと思う。
「けっ」
大袈裟にのた打つ幸の声をこの背に聴きながら寝室の扉を開けて、慌てて夏織ゾーン、居並ぶくそ狸どもの元へと走る私はいと哀れなり。
だってまじ悲惨だもの かをり
「なんつってなっ。ふふふ。じゃないぞっ」
「いったぁ。あはははは」
いそげいそげとやりながら私は思う。
無常には敵わない。いつか終わりを告げるのだから、この先もこんなどうでもいい思い出でも、いっぱい作ってこの胸の奥に刻を込んでおかなくっちゃ、と。
私が先にいったなら、それを思い出しながら幸を待っていよう、と。私が残されたなら、それを思い出しては泣いて笑ってその日まで、私なりに生きていこう、と。
まぁそれは、きっとまだまだ先の話なんだろうけれど。
「くっ…無い。まじかぁ」
うぐっ。
「あはは。はい。残念でした」
「幸っ。よくもっ。返せっ」
「あだっ。あだだだだっ」
「悪いのはその口かっ。もうあったま来たっ。こうしてやるからなっ」
「んっ、んんんっ」
お疲れ様でした。いつもありがとうございます。
さて。次回、私はふたりの時間を少し進めるつもり。果たして益々素敵な大人の女性になった夏織をみることができるのか? そのとき幸は? たぶん変わらず笑っていることでしょう。
「超大人はまだいやだから」
「ねー」
「そこまでじゃないよ」
「本当か」
「たぶんね。あたっ」
「絶対やめろ」
「振りなの?」
「違うから、なっ」
「あっぶなっ」
「ちっ」
「あはは」
読んでくれてありがとうございます。