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woman  作者: しは かた
93/102

第八十二話

……続きです。


……よろしくお願いします。

 


 先週、私達の界隈がざわざわ騒つく出来事があった。

 あったけれども一緒に暮らして精神的に安定している私と幸は、愛と平和をモットーにそれを適度に受けて流してもはや忘れて今日も仲良し。今は、幸がご飯を食べるその隣で、私がその世話を焼きながら楽しくお喋りをしているところ。私と幸の相変わらずの超らぶらぶな日常の一コマといったところ。

 そして私はダッツを食べる隙を窺ってもいるところ。



「ねぇ夏織。これお代わり。ある?」


 はい来た。私はこれを待っていたのだ。少な目に盛った甲斐があったというもの。はっはっはっ。


「あるよ」



 金曜日、午後九時。いつもより少しだけ早い時間に帰って来て、私の隣で夜ご飯を食べている幸がお願いだからあるって言ってと指すのは焼かれた牛の薄切りのお肉が盛られていたお皿。こげ茶色でもその味は黄金。


 私は焼いたお肉はシンプルに、塩胡椒のみで食べるのが好きだけれど、幸はなんでも来いの人だから今日は黄金味をどばどばってやってタレ塗れにしてみたの。

 そうすれば、幸はタレのお陰で野菜もお肉と同じように文句を言わずに食べちゃうだろうと思って。


「大丈夫。ソレ、もう肉みたいなものだからいけるし」

「違うと思う。けど、まぁいけないこともないよ」


「でしょ」


 なんつって、幸はお皿に盛ったキャベツの千切りと、添えたブロッコリーとトマトも残さず食べてくれた。

 ただ、キャベツは山羊のようにもそもそと食べて、ブロッコリーとトマトはわざわざ匂いを嗅いでから目を閉じて、えいって口に放り込んでいた。残念ながら私の狙い通りとまではいかなかったけれど、そんな幸もやっぱり可愛かった。




「やったっ」


「あっためるからちょっと待ってて」


「うんっ」


 喜ぶ幸もやっぱり可愛い。そしてダッツが私を待っている。

 私はにやにやしながら空いたお皿に手を伸ばして、ついでに空になっていたビールの三五缶も手に取った。


「幸。ビールもう一本いる? それともあとで違うヤツにするの?」


「ビールっ」


「ふふふ。あいよ」


 追加のお肉と追加のビール。笑顔満タン、やったねうおおーと、両手を挙げる幸のボルテージは最高潮。それ以上は上がりたくても上がれないゲージがなんとかそこを越えようとぶるるるると震えている感じ。

 またまた可愛い幸。けれど残念。それは今のこの瞬間だけの話。幸のためにも私はちゃんと野菜も食べてもらうつもりだから。


「幸」


「おおおー?」


「実はね、今夜はキャベツも代わり自由なの。やったねっ」


 うぇーいと幸に片手を向ける。


「や、やったっ? あ、えっと、キャベツは…」


 つられた幸はぱしっと手を合わせつつ戸惑いをみせて、笑顔をどんよりと曇ったものに変えた。

 すぐに絶望感を漂わせる幸。幸ったらまじ可哀想。けれど私は畳み掛ける。


「あとね、今日は特別にブロッコリーのお代わりもあるの。今日だけ限定。特別とか限定ってよくない? 貴女だけ特別て感じでさ」


「まぁね。んんん? いや、それってどうなのかなぁ…」


「え? だってさ、特別ってことはスペシャルでしょ。スペシャルプライスとかすごくない? しかも限定とかさ」


「むむむっ」


 と、悩み始める幸が少し心配になる。けれど私はなにも意地悪をしているわけじゃないの。

 幸は野菜が嫌いというより興味がないだけで、野菜でお腹を膨らませるとかちょっとないよねと思っているだけの、お肉とお酒をこよなく愛する若い男性のようなおっさんぽい綺麗な女性なだけだから。


「えとえとえと」


 悩み過ぎておかしくなってしまった幸。超面白いから暫く観ていてもいいけれど、私のダッツも進まないから止めてあげる。


「いやいや。そこまで壊れることないでしょ。すごーくかわいいけどさ」


「え? ふへへ。かわいい? へへへ」


「当然でしょっ。でね。今回のはそんなかわいい幸限定の特別メニュー的なヤツ」


 私は照れて喜ぶぽんこつに特別感をアピールしながらキッチンを指差した。これでいける。


「えっとね、じゃあそれもお願いしようかな」


「はい。よろこんでー」


「はっ」


 ぷぷぷ。ほらいけたと、嘲笑う私の横で、一瞬で正気に戻った幸が体を捻りざまソファに一発入れた。


「くっ。うらっ」




「よいしょ」


 話はついた。私は幸に、野菜もなんて幸は偉いねーと声をかけつつその肩に手を置いて立ち上がり、お皿と空き缶を持ってフライパンに残るタレに塗れた残りのお肉を火にかけるべく、嬉しそうに落ち込んだ器用な幸を置いてキッチンに向かう。



「よっ」


 ぴってやるとちちちち鳴ってぼっと火がつくガスレンジ。

 電子レンジでチンするよりこっちの方が味が落ちないと私は信じているのだ。


「さてと」


 じゅうじゅうと小さな音を立て始めた肉に注意を向けつつ私は冷蔵庫の前、その冷凍庫からダッツを取り出した。

 時は来た。当然これは私の分、本日の締めというヤツ。


「やったな」


 ついでの幸のビールも忘れない。それを取り出して、幸の元へと戻る途中に拾うつもりで、腕を伸ばしてそれを対面キッチンのカウンターに置いた。

 そこから見える愛しの幸が中手羽のさっぱりに煮を手喰いしている姿が見える。


「ふふふ」


 ほっこりとした幸せを感じた私は顔を綻ばせつつ、その手の行方が気にはなる。出来ることならその手をティッシュで拭いてほしいところ。


「あ、こら。見えてるぞ幸。床に擦り付けるなっ。あっ、服もやめとけって。ティッシュティッシュ」


 はい残念。




 それから菜箸を取ってお肉の様子を見張ることに。

 じゅううと大きくなった音を聴きながら、私は火の側に置いたダッツの固さを確認する。


「よしよし」


 取り出した時とあまり変わらないソレ。けれどお肉が熱々になるまでにはいつかのCMで見たように、かちんこちんのソレが程よい食べ頃の固さになるのだ。


「超完璧」




「はい。どうぞ」


「やった。いただきます」


「ふふふ」


 置いたお皿に盛られた湯気の立つ熱々のお肉に素早く箸を付け、待ち切れなかったぜとばかりに再びもりもり食べ始めた幸。ほふほふしながら白飯を頬張る幸は凄く美味しいそうに食べてくれる。


「あとこれも。どうぞ」


 私は幸のグラスを取ってビールを注いだ。幸が慌ててグラスに手を添えるのはリーウーマンの悲しい性といえるところ。


「いただきますっ」


 泡と液体が上手い具合に注がれたそれを、すぐさま呷るように飲んでしまうのもリーウーマンの習性といえるけれど幸は別。

 幸はお酒超大好き人間だから、寧ろ、おっとっとっと、溢れちゃう溢れちゃうなんて口にしながらそれは嬉しそうに、迎え酒ふうになるのは仕方ないのだ。おっさんだなぁと思うけれど気持ちは分かるから、外でしない限り私は気にしないから大丈夫。


 そして私はほぼ空になったグラスに缶に残ったビールを注いでから、こっそり持ってきたダッツをローテーブルに置いて、触ったカップの感じからして食べ頃になっていると分かるそれの蓋とフィルムを取って、さっそく掬って口に入れる素敵。


「やっぱ食べ頃。美味いなこ……っ、くそう」


 私のほんのささやかな幸せに水を差す圧。やはり来たかと私は思った。




 けれど、今みたくたまに漂う謎の圧さえ気にしなければ私達の暮らしは愛と平和で満ちている。

 一緒に暮らし始めた日から昨日までと同じように、私と幸は今日も穏やかに幸せといったところ。


「ラブアンドピースふふふ」


ふぃーふ(ピース)


「わっ。なんか飛んできたぞっ」


 私は咄嗟にダッツを高く持ち上げた。たぶんいけたと思うけれど、確認のためにカップを覗く。何をとは言わない。ご飯を食べながらの人もいるかもだから。


「セーフ?」


ふぇーふ(セーフ)


 私は分かっていた。だから私はダッツを素早く持ち上げてこと無きを得た、と思う。

 カップを覗いて確認するとどうやらダッツはダッツのまま。余計なトッピングはされていなかった。


「よしっ。セーフぅ」


「あはは」


 顔は笑っているけれど、幸が発した音はどこか悔しそう。なんだ、外したか、みたいな感じに聞こえる。


「はっ」


 私はふと、もしかすると幸はナニがナニするのを狙っているんじゃないのかと思い至る。そうなったことは一度や二度ではないのだ。

 まあ、そもそも私は気にしてない。そこだけ食べてしまえばやはりダッツはダッツだから。


 とはいえ斯くいう私にも、そうそう幸の思い通りにさせてなるものかという気持ちがないこともない。草を食む私だってたまには幸に勝ちたいのだ。

 けれど、平和を愛する私は先ず説得を試みる。


「幸。いや、さちち」


 厳しくしてもよかったけれど、興奮させるのは野生には逆効果。だから私は幸の髪を撫でながら諭すように優しく伝えるつもり。


「いい? そうやっていちいち私に見せてくれなくていいからね? 飛んじゃうでしょ? 入っちゃうでしょ?」


「うほっ」


「よしよし」


 暫し微笑み合う私とさちち。

 私はそれに満足してまたダッツを食べ始める。当たり前だけれどダッツは冷たくて甘くて美味い。

 隣の幸も諦めたのか、美味そうにご飯を食べている。


「うん。美味い」

「おいふぃい」


「おっと。めっ」


「うほ?」


「うほ? じゃないぞ、ったく」


 ともあれ、私は今日も元気で甘いヤツが、幸は元気でご飯が美味くてなによりと言える時間。



 といってもまだ半年も経っていないわけだから、もう何か起こっていたとしたらさすがにこの私でもへこむところ。

 今となっては、せめてこの家で過ごす時だけでもいいから、幸が、ついでに私も穏やかでいられますようにと願って止まない今日この頃、みなー、は元気かなぁとちょっと思う。


「おもうおもう」


ほぉいふぃひょっ(おいしいよ)


「よかった。けど、口閉じろって。また飛ぶでしょ」


「ふぁーいっ」


「あぶなっ。やめろって。食べ物で遊ぶな」


ふぁふぁふぃふぁあ(こまかいなあ)


「細かくないからなっ」


ふぁふぁふぁ(あはは)



 こうして仲良くやり取りをする私と幸の夜ご飯。

 私は幸のお世話をしたり、幸の口から飛んでくる物体ばってんからダッツを守ったりと忙しくも甘くて美味いヤツを食べていて、幸は私の作ったご飯をもりもり食べているところ。その箸は食べ終わるまで止まらない。

 私にかかり始めた謎の圧も私が食べ終わるまで止まらないけれど私は負けない。だってダッツは美味いから私はちゃんと味わいたいのだ。


「やっぱ美味いなコレ」


「よかったね」


「うんっ。ん? 幸?」


「なんでもないよ?」


「そう? ならいいけど」


 なんでもないと言うのならなんでもないんだなと、私は優しいながらも怖くも思える幸の微笑みを気にはしつつも甘くて美味いダッツを食べる。



 実は私は幸が帰って来る前に、作ったヤツで私の夜ご飯を軽めに済ませてから一切れのアップルパイを食べた。お供のコーヒーもう忘れなかった。

 続いてほんの少しの葛藤のあと、私のランドマーク的な、すぐそこの角にある和菓子屋さんで限定ですよと言われて買ってしまった栗大福をひと口齧ったところにドアホンが鳴って玄関の扉が開いて、ちょうど幸が帰ってきたの。幸はタイミングの悪い人だから。



「美味ーい」


「たっだいまー」


「お。幸だっ」


 ぽっぽの時計にちらりと目を遣って、いつもより十分くらい早いとかなんなのと思いながらも、嬉しさいっぱい、齧った栗大福を置いたままリビングを出て幸をお迎えした。


「おかえり幸っ」


「ただいま夏織」


 少しだけ幸に抱きついて唇で頬に触れて、互いに顔を見合わせるとにっこり微笑んでくれる幸、の唇のすぐ横になんか付いていて、買い食いしたのか、このはらぺこは何を食べたのかなと思って、頭を少し後ろに引いてそれをよく見たら私の食べたパイのカス。


「あ」


「ん?」


 あ、ヤバい。幸が気付いたら、私の、本日はダッツまで食べるつもり作戦がぽしゃってしまうと思う間も無くなんかかゆいなとか言って幸がそこを摩ったの。


「なにこれ?」


 摘んだカスを指で擦ってそれを見つめてさくさくしてるねなんだろうと訝しむ幸に、私はクールに言ってやった。


「幸が買い食いしたパイのカスでしょ」


「パイ? それはないよ。だいいち今日はお店の前で立ち止まったりしないで真っ直ぐ帰ってきたから」


「まじ?」


「まじまじ」


「なるほど。だから今日は少し早いのか」


「そういうこと。あはは。夏織。パイ食べたんだね」


「食べた。美味かった」


「あとね。なんか餡子の匂いもしたけど?」


「へ、へぇ」


 無駄に鋭いさすがの幸にはオンオフ機能は付いていないのだ。

 バレてしまったなら仕方ない。嘘は重ねていくとバランスが取れなくなって崩れちゃうから後のち余計に面倒くさいし、今のところはパイと栗大福だけだから幸も呆れたり責めたりしないから。


「美味かった」


「そう。よかったね。あ、これお願い」


「わかった。私はご飯用意するから」


「おーう。よろしくぅ」


 幸はバッグを渡して洗面所に消えた。私は慌ててリビングに戻り、幸のバッグをそこらに放って食べかけの栗大福を口にしながらキッチンに。

 お肉を焼いたり温め直したりするあいだに食べてしまえば幸にバレずにダッツまでいけるぞと、齧る速度を上げつつも、味わいたいし、お餅は慌てて食べると喉につかえてしまうからと、もぐもぐしながらジレンマを抱えているうちに背中に感じる何かの体温のなんと冷たく感じることか。幸? 蛇?


「それ美味しそうだね」


 私の肩口から覗く幸の目は果たして何を見ているのやら。


ふぉれっふぇ(それって)?」


 まさか食べたいの? 嫌な予感を感じながら幸に振り返ると幸は笑ってフライパンを指した。やはり幸は私には甘々なのだ。


「焼肉だよ?」


「んっ。もうできるから。よそったご飯とお味噌汁持ってって、座って待ってて」


「オッケー。わかったよ。くくく」


 くくくと忍ばす笑ってリビングに戻って行く幸。その様子から察するに、私のダッツはお預けかもと、幸の夜ご飯を用意しつつも持っていた栗大福を口いっぱいに詰め込んで、その時わたしは憂いていたのだ。




「…っ。いい加減圧がうざいな」


 けれど私は私。今日はダッツまでいくと決めていたのだから、私はいまパイとか大福とか、もはや過ぎたことは過ぎたこととしてダッツを食べている。大胆にも、幸の横で。

 私はさちち使いだから圧ごときに負けるわけにはいかない。弱いところを見せると襲われてしまうから。へろへろのへろにされてしまうのだ。


「なぁに」


「ん? いい加減のアイスが美味いなって」


 この溶けた感じも美味いよね的に幸を見る。幸はご飯を頬張りながらつれない返事をくれた。


「ふーん。まぁいいよ」


 まぁいいと言う割には漂う圧は変わらないけれど、幸がそう言うだから私はもう気にしない。私達に向けられる中傷とかと一緒。気にしたら負け、いつまでもそれに囚われるのは無駄なこと。あむっ。


「美味っ」


「少しは気にしなさい」


「あだ。おかしいぞっ。幸、今いいって言っじゃんっ」


「そんなこと言ったかなぁ。そう言うならちゃんと証拠を出してもらわないとねぇ」


「そのいかにもやましいことがありそうな口振り。ははーん。さては幸が犯人だな?」


「バレた? あはは」





 と、こんなふうに過ごす私達の日々のささやかな暮らしが他の人達と違うと私は思わない。

 朝起きて会社に行って、私はのらりくらりと、幸はばりばりと仕事をして、日が暮れたら家に帰って眠る。その合間に三度三度のご飯を食べて、話をして、笑って呆れてたまには怒って、わいわい騒いでお風呂に入ってベッドに入ってお話ししながら眠りを迎えて一日を終える。

 欲しくなったらこの身を捧げて愛を囁き求め合う。やがてことを終えたあと、異臭の元を絶って確かなものに触れながら穏やかに眠りにつく。



 密やかに営まれる私達の行為の先に子が成され家族が形成されることはない。私達が生命を繋ぐことはない。そんなのは当たり前。

 それを残念に思うこともないことはないけれど、恥ずべきこととは私は少しも思わない。できないものはできないのだ。



 私達のような人種は種の保存に背くとか道義的に認められないとか、そんな発言をしたお偉い人がちらほらいたとかいないとか。私達についての法案の修正協議中、差別は許されないという文言は強過ぎる、裁判が増えると言った偉い人がいたとかどうだとか、お偉い人達のあいだでそんなやり取りがあったとか。


「だってさ」


 そんなことがあったんだってと、幸との暮らしを満喫して、ぽーっと過ごしていた私に幸が教えてくれたのだ。


「またか」


 私はそれを知った時、私達は差別をされても許される存在であるべきだと思われているということなのか、はい残念と思ったの。これだけ放置しておきながら、まだそんなことを言うのかと思ったの。


 訴訟が起こるとか増えるとか仰ったらしいけれど、私達以外の皆様は誰に憚ることもなく、法律が認める限り自由に日々不特定に訴訟を起こしているというのに、ようやく出来るかもしれない私達の法律に則って自由に訴訟を起こすことを、なぜその人に危惧されなければならないのか、否定されなければいけないのか私には謎。まるで、出来るかもしれない私達についての法に従わない人がいっぱいいると見越しているように思える。

 そこに差別は駄目と明記してしまうと、まるで、そうなることが分かっているように思えるソレ。


「うーん。やっぱなのかなぁ」

「まぁ、そうなのかもね」


 私も幸もそれを容易に想像できちゃう分、本当の意味で認められまでにはやはり相当かかるよなぁと、さすがにがっかりするけれど、だからと言って私達は、悲しくても泣いたりなんてしなかった。


「ま、今更か」


「そうだね。今更だ」


 って、ふたりで笑ってやった。

 だって、私には幸がいて幸には私がいる。すぐ傍に(よすが)がいてくれる。それに手を伸ばしたらいつでも触れることができるのだから。


 私達を嫌う人も気持ち悪いと唾を吐く人も、時にはこの存在すら否定する人がいることも私達はちゃんと知っている。それをも踏まえて私と幸は、手を取り合って死ぬまで一緒と前を向いて歩き出したのだから、やはり囚われてはいられないのだ。


「ねっ」


「だね」


 はははと笑えるくらいには私も幸も強くなれたんだなと私は思った。




 けれどそれはそれ。これはこれ。私は笑うだけでは終わらせない。私の精神衛生上、言いたいことは言わせてもらう。ご存知私は私だから。


 私は種の保存に背くだの、裁判がどうのだの道義的にどうしただのと発言したお偉い人の本心が実際のところどこにあるのか知らないし、知りたくもないからその発言の上っ面から推測されるものだけを拾う。

 どう受け止めるかはこっちの勝手。その発言の裏に実はこんな真理があったのですと後から付けたように言われても知らない。

 わざわざそれを読み取る義理は言われた側にはないと思うから。


 自身の発言がどう受け止められるのかくらいの責任は持っておいて欲しいところ。そのお方は税金で禄を食むお偉い公人なのだから。

 差別をされてもべつにいいよねと軽んじている人種のお金で食べるご飯はさぞかし美味かろうと思うともやもやする。Lな私も納税者なのだ。



 私達はいつも、お前らは生産性がどうのこうのと。生物学上どうしたこうしたと責められる。学術的に正しいのかはともかく、一見すると正しいように見えるそれは私達を責める上では使い勝手のいい、手っ取り早い言葉なのだと思う。


 ストレートでも敢えてつくらない人や、理由があってできない人がそれなりにいるのにもかかわらず、なぜかその言葉達はいつもLGBTはと限定されている不思議。


 それを理由に私達を責めるということは、間接的にその人達も責めていることになっちゃうけどいいの? って私は思うけれど、私はそんな話を耳にしたことがない。できにくいなら仕方ないよねとかそういう生き方もあるよねとか、そんな話を耳にする。


 事情があるなら仕方ないとか、もっともらしくアイデンティティ、個性がどうこうと、子供をつくらないことも生き方の選択肢のひとつ、自分らしく生きることだよねと、それが可とされるのなら、当然、私達の事情も尊重、考慮されるべきだと思う。私達だって私達らしく生きているだけだから、お前らは違うからと目の前で線を引かれるのは理解に苦しむところ。子を持たないという結果が同じである以上、私からすれば私達だけが責められる、事あるなしにそれを言われるというのはどう考えてもおかしな話だと私は思うわけ。的外れに主張する種の保存の使い方ですら私達とストレートを恥知らずにも分けるのかこのご都合主義者めがって思うわけ。



 道義的に認められないとかいうけれど、道義を忘れたお前らなんぞにそんなことを言われたくはない。道義を語られるべきはお前らの方であって私達の問題ではない。道義に反しているのは明らかに、弱い立ち場の者に優しくないお前らの方だと私は思うわけ。

 道徳の時間に人に優しくしましょうねと散々言われただろうが忘れたのかやっぱりこのご都合主義者めって私は思うわけ。

 ヤバいところだけ都合よく記憶を失くしたり、いざとなったら病気になって入院しちゃうようなお前らが道義を説くとかまじなんなんて思うわけ。ばればれなのにまじぶ厚い皮膚だなぁって思うわけ。


「な」


「ねー」



 マジョリティとして既存の社会でのうのうと暮らす方々には色々とご懸念がおありでしょうけれど、既存のものに新しい何かを取り入れていくことこそが多様性だと私は思う。


 何事もやり始めなければ始まらな。ひと息に百を目指さなくてもいい。

 段階を踏んで、問題があったならその都度話し合えばいいと私は思う。

 上手くいかないことの方が多くても、新しく始めるとはそういうもの。

 そうやって浮かんできた問題を擦った揉んだとしていくうちに、私達も含めた社会が成熟していくのだと私は思う。




「ばーかばーか」


「ぷっ。ちょっと夏織。笑わせないでよ」


「笑っておけばいいの。このくらいしかできないんだから」


「まぁね。で、どう? 少しはすっきり、は、しないか」


「しないけど終わり」


「うん。平気?」


「私は平気。幸こそ平気なの?」


「私は余裕」


「おー」



 人の信条は人それぞれ。ことの大小は違っても、誰にだって嫌いなものはある。見たくないものや聞きたくない話もある。だって人間だしってヤツ。


 けれど、歩み寄ることはとても大事。今は相手にされなくても大事。


 悪意に満ちた一方的な、傷付けるだけの言葉じゃないのなら、相手の話に耳を傾けてみることはとても大事。そこから気付くこともあると思うから。どこかで折り合いを付けられると思うから。


 もしもそんな風に思える人が増えたなら、私達を取り巻く世界はその数に比例して変わっていくのだと思う。

 LGBT。法律によって守られることになったとしてもそれは単なるスタートに過ぎない。私達が本当の意味で受け入れてもらえるようになるには、そこから先の、何世代もの長い年月がどうしても必要なのだ。

 そんなのは世界を見れば一目瞭然。私達のことに限らず、世界は好きと同じくらい嫌いでも満ちているのだから。



 それが分かるようになった私はすっかり思慮深い素敵な大人の女性。敢えて自分からそこに噛みつこうとは思わない。理不尽と思える出来事には、こうやって、幸とふたりで文句を言って少し怒って少し悲しんで終わり。そして笑ってやるのだ。あっはっはってなっ。


 笑う門には福来るのだ。

 いつまでも引きずってうだうだとそれにかまけていられるほど時間があるわけじゃなし、幸との時間は無限だけれど今生では有限。大切にしなければ。



 ただね、私たちの親が今回のことを知ればというか絶対に知っていると思うから凄く心配しているだろうから、そこがなんとも言えないところ。

 私達は対処法を身に付けた。けれど親は違う。違くなくても娘のことなら心配するのは当然だから。


「ね」


「うん」


 だから私達は、心配かけてごめんなさいと思いつつも全然平気と笑ってみせる。私と幸はそうしようと決めたのだ。

 親として娘として、お互いに掛けたい言葉を胸に秘めつつこっちは大丈夫、何も問題ないよと笑っておくのだ。それをしちゃうときりがないから。日が暮れちゃうから。


 こうして何かしら起こるたびに、私達を大切に思う人達をも傷つけて悲しませているということをあいつらは想像すらしない。できない。それこそ道義的にどうなのよと私は思うの。


「ね」


「だね。お肉お代わりっ」


「もうないよ」


「なななっ」


 悲しげにお皿を見つめる幸は今回のことで悔し涙を流すことはしなかった。適度に文句を言ったあとは、私の胸でただひたすらに甘えていた。やはり幸も確実に強くなった。私はそれを嬉しく思う。


「おにぎりなら作れる。具は昆布だけど。食べる?」


「食べるっ」


「はいよ。まってて」


「おーう」






「はあ。ん」


 やけに艶のある吐息が聴こえる夜も更け始めたベッドの上、私はことの最中まで不快なことを考えているわけじゃない。

 私も強くなれたのだから、そんなものはとっくに遥か彼方へ蹴り飛ばしてやったから。

 何があったか私は知らない。



「ねぇか、おり。もう」


 いま私は幸を慈しむことで忙しいのだ。頭の中は愛しの幸でいっぱい。私だけが知る幸があんな姿やこんな姿を見せてくれて、溢れてだだ漏れ、ぐへへの最中だから。


「はあ、はあ、ねぇ、か、おり。おね、がい」


「いいよ」


 私を見つめて頷く幸。瞳はもはやうるうるのうる。幸は恥じらうようにしながらも、息を荒くして私を待ってくれている。


「はあ、はあ」


「あげる」


 準備万端、すっかり熱くなった幸に触れれば私に回したその腕に力を込めてしがみついて、触れた指先の動きに合わせるように切ない声は大きくなる。

 いつでもいいよと囁くと、肩に頭を預ける幸はこくっと頷いて、声にならない声とともにその華奢な体を硬くした体を震わせてしまうけど私は幸に何度かそれを繰り返してもらう。そうして幸が大きな波を迎えようとするのが分かると、私も私を幸に合わせて、その時を迎えるまで、あくまで優しく静かにそっと、息の合ったワルツを踊る。そして幸が、続けて私が声を上げて、ほぼ同時にダンスのクライマックスを迎えるのだ。

 苦しい息を吐きながら、あくまで優しいリズムを刻んだまま、充分に余韻を味わってから、私達はことを終えた。


「幸。かわいかった」


「もう、いじわる」


「ふへへ」


 へろへろの幸を胸に抱く私の心は平穏そのもの。不安や不満は尽きなくても、私達の確かな愛情も尽きることはない。私はそれが分かっているのだから。

 幸と暮らすことで私もまた安定しているのだ。




「む、り」


 私にとって幸に抱かれるということは、自分の全てをさらして身を任せ、持てる全てを捧げるものであり、その全身を愛してもらうもの。

 その先に快楽があるだけで、それが一番ということではない。心の触れ合いが一番だから。もちろん嫌いではないけれど。まぁ、どっちかっていうと好きな方かも。


「大丈夫?」


「そう、見える、の?」


「見える」


「なら、眼科に、いけって。このっ、このっ。えろおんなっ」


「あはは」


「そんなこと言って。好きなくせに」


 ほつれて汗で額にくっついた髪を綺麗な指で避けながら、幸は妖しく微笑んでいる。

 その微笑みが何を意味するのか私は分かっていたけれど、私は素直に頷いた。


「まあ、ね」


「じゃあもう一回」


「言う、と思、った。んんっ」


「くくく。かわいい」



 幸の指が私に触れる。優しく頬に触れ輪郭をなぞるように顎の下へと移って首から鎖骨へと下りていく。

 私は再び幸にこの身を任せ、幸が与えてくれる高くて深い情愛に心を委ねる。


「大好き」


「私も好き。んっ」


「くくく」



 ほらね。どうよ? いじめっ子達や立場を違えるお偉い人達が何を言おうとどう在ろうとも私達はとても仲良し。

 お前らごときに裂かれはしない。



 はっ、ざまぁ。




 んんっ。


 ちょっ、幸、やり過ぎだって。もうむりだってっ、だめだってっ。


 ひやあーーー。




………。


「あれ? しはかたどこいった」


「そこだよ」


しはかたは穴に入っている。黒いヤツにやられているのだ。


「なんで?」


「なんかね、調子に乗っちゃったみたい。我に帰ったらものすごく恥ずかしいんだって」


「ふーん。じゃあ幸のなかまじゃん」


話を聞いてひょこっと顔を出すしはかた。仲間にしたそうに幸を見ている。


「えー、嫌だぁ」


「うぐっ」


「はい残念」


絶対に、二度と調子に乗らないと誓いつつ、読んでくれてありがとうございます(ーー;)

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