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woman  作者: しは かた
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第七十九話

続きです。


ほのぼのしていますがやけに長いです。


よろしくお願いします。

 


 まただ。揺れる二の腕が見える。見たんじゃなくて見えるのだ。

 見えていると凄く気になるしつい口にしたくなるから私はグラスの中身に集中する。


「くっ」


 また見えた。けれど言わない。言えないのだ。だって、さっきそれを指摘したらこんな感じになったから。


「あっ。いま揺れた」


「地震?」


「違くて。ほら。また揺れ、あだあだあだ」


「黙れ」


「うう。痛いよぉ幸」


「よしよし。あはは」


「酷いんだよ幸。あいつ自分で揺らしてみせたくせにさ、あの鬼ばばぁが二の、ひっ」


「ああん?」


「ひぃ」


 その時の誰かさんの目は確実に狂気が宿っていて凄く怖かったのだ。




 宴もたけなわ向かいに座る花ちゃんと恵美さんは初対面でも同い歳。こうしてここで過ごす間も要らず、既に仲良くなって、ずっと楽しそうに喋っている。

 アレは馬鹿だからなぁと、ほんとにねぇと、誰かを肴にして笑っている。


「この前もね」


「ええ? そんなことあったのっ? ふふふふ。ほんとにおかしな子」


「まぁ、アレはアレだから」


「アレね。ふふふふ」


 そして私と目が合うと、ふたりは、ね、夏織とでも言いたげににやりと笑った。


 私も一応にやりと笑って返し、私は誰のことか分からないけれど、名前じゃなくてアレ呼ばわりとか居ない人の陰口とかコイツらまじ酷いなぁと、その子まじ可哀想だなぁと思いながら、やはりお酒に集中する。見えるから。


 隣の幸はこれ食べる、これも食べたいと、私がその都度お皿に取り分ける料理をいまだもりもりと食べている。


「ね、夏織。もう全部食べちゃおうかな」


「ん? ああ。はい。どうぞ」


 と、最初から、そして最後の最後までさすがのはらぺこを遺憾なく発揮している。これでコースの料理は終わり。テーブルにあるお皿の上はツマ的な野菜だけになった。


 こうして最後に残ったヤツをお皿に取って幸に渡すと、花ちゃんと人を笑っていた食いしん坊恵美さんは少し悔しそうにそのお皿を見ていた。はい残念。


 人を肴に盛り上がっているから食べ損ねてしまうのだと私は思うわけ。

 だから私はそういうことをするとバチが当たるんだぞと、馬鹿ねぇふふふふと人を笑う食いしん坊にカルマというヤツを当ててやったのだ。はっはっはっ。

 陰で人を笑う奴は陰で笑われちゃうことを私は身をもって知っているからなっ。



 そして私は心機一転、出逢えなかった台湾スイーツなんて知ったことがとどこかにやって、替わりにここのデザートをたらふく食べちゃおうと、ひとりメニューを開いたところでふと思い出しアレがあったとバッグを取って、そこから花ちゃんのくれたヤツを取り出した。

 思っていた通り、みんなで食べようと思って。



「はいちゅうもーく」


「どうした」

「どうしたの」

「ほぉうひはの」


「はいコレー」


「「「おー」」」


「コレね、提供は花ちゃんだから。ひとり二個ずつだから…えっ?」


 そう言いながら開けた箱の中を見て、そして私は固まったのだ。





 私は今、みんなの様子を窺うようにその顔をちらりと盗み見ては視線を逸らしている。

 私がじゃじゃーんと開いて置かれた箱を前にしてもなお、わたし以外はみんなへらへら笑っている。


 これから負けられない戦いが始まるというのにまぁお気楽なことでと思っているのは私だけ、のように思わせておいて、その実わたしを除く三人ともがそれぞれの油断を誘っているのだ。


 つまりこれはアレ。そう、アレだ。目に見えぬ駆け引き、心理戦というヤツ。


 この三人はそういうずる賢くて人を蹴落とそうとする一面を少なからず持っている。普段、敢えてよく騙されてあげる私が言うのだからそれは間違いないところ。

 こんな時、私はいつも、子供が育つ環境って凄く大事なんだなって思う。すくすくと真っ直ぐいい子に育った私と違って、この三人ともが育つ過程で性根が少しだけ変な方に曲がってしまったのだと思うと大好きなだけに泣けてくる。



「ほー。ふはは」

「へぇ。ふふふふ」

「そっかぁ。あはは」


 ほら。今も誰かが何かを言えば、グラスを弄びながらでもそれを口につけながらでも、そちらにちらりと目をやって、何を納得しているのか、そうなんだねーなんて言って笑っている。


「えっと? ふふふ?」


 箱を開けて、おおーっこれがあの伝説のってなったあと、今度はおお? ってなって、ひとぉつふたぁつみぃっつと数を確認して、さぁこれをどう分配するのかその手段が決まってからというもの、私は今みたく、擦り広げられる心理戦についていけずに返事が少し遅れてしまっている。


 それはあたかも入るタイミングを逸してしまって、ぱしっ、ぱしって地面を叩いて回る大縄にいつまでも入っていけないちょっと鈍臭い人のよう。そうしているうちに、早くしろよという、飛んでいるクラスメイトや私の後ろに並んでいるクラスメイトの無言の圧と、早くしなくっちゃという自分自身の焦りに負けて無理に入ろうとして、結局は縄を足に当ててしまう感じのソレ。

 もしもクラス対抗大縄跳び大会とかだったらもう大変。

 足に引っ掛けた瞬間、一斉にあーあって声が上がったあと、なんだよあいつだせぇなぁとか、まじ使えねぇなとか、なに今のまじ笑えないんですけどとか言われちゃって、ったくよぉ、うちのクラスあいつのせいで負けたんだぜってそのうち誰かが言い出して、凄惨な虐めに発展しちゃうヤツだなコレはと思えるヤツに見舞われている気がしているところ。


「やだ可哀想」


 クラスの勝ち負けなんかまじどうでもいいことだと私は思う。そりゃあ私だって、飛べなかった人のことを、おいおい鈍臭いなおいと思うとは思う。

 けれど私はそれを責めたりしない。寧ろ、責めるお前らの方こそ、優勝目指そうぜっ、おー、みたいな無駄な熱さはなに? って思う。べつに目指したければ目指せばいいけど普通に飛ぶけど笑っちゃうから私を巻き込まないでそっとしておいてくんない? 第一それに勝って何の意味があるの? って私は思う。


 勝ったからってくその役にも立ちはしない、やらなくてもできなくてもその先の人生にはなんの支障もない、ご褒美に甘くて美味いヤツを食べられるわけでもない、たかが一学校のクラス対抗大縄跳び大会くらいで失敗してしまった人を責めるなんて逆に超ひくしって私は思うから私は虐めには加わらない。だって虐めは駄目だから。


 積極的に絡まないけれど普通に話すし無視したりなんかしないと、学校という小さな小さな世界が全てだった当時はともかく大人になった今はそう思うわけ。

 私はビアンの同性愛者。それだけで簡単に嫌われる辛さや痛みを知っているから私はしない。


「しないしない」



 ええと、なぜそんな話に転がっていったのかというと、要は、いまわたし以外の三人がやり合っているだろう心理戦が、夏織はべつにほっといてもいいね大した脅威じゃないからさ的に私の頭越しで行われていて、そんな示し合わせたかのように私を無視した感じが私はちょっと不満だからなわけ。

 幸も恵美さんも、花ちゃんは間接的にでも、ちゃんと辛さや痛みを知っている大人のくせになんだかなと思うわけ。


 けれど、今の私の置かれた状況からも分かるように、大人になっても虐めっぽいものはあるのだから、なにもどうでもいい大縄跳び大会で失敗しただけがその理由になるわけじゃない。

 精神的に大人になれない柄だけが大人みたいな人が社会にはいっぱいいるのだ。

 だから、いつでもどこでもダーゲットになる可能性はある。今の私がまさにいい例だと言える。


 私達はこうなるまでは和気藹々と、初顔合わせの花ちゃんと恵美さんも仲良くなって、私は嬉しく楽しく笑ってご飯を食べてお酒を飲んでいただけだから。

 たぶん、ぞんざいな扱いに慣れた私じゃなかったら確実に泣いている筈。うぐ。



「だな」


 けれど、そんな状況でも私は平気。虐めっぽく精神的に追い詰ようとされたところで私はへのかっぱ。心理戦なぞ三人のうち誰かが引っ掛かっちゃうかもだけれど、私だけはそんな子供騙しみたいな手に引っ掛かりはしない。


 なんたって私は三人との付き合いが一番長いから、コイツらいじめっ子どもがへらへらしつつも何を狙っているかなんてお見通し。顔を覆った指の隙間からつい見ちゃうこっちが恥ずかしくなるから少しは隠してくれないとって思うくらい透け透けの透け。

 だから、その程度のばればれな姑息な手段なんぞを使われたところでこの私にはてんで通用しないってわけ。


「じゃあ、やろうか」


「ええ。やりましょう」

「よしっ。勝つぞっ」

「わかった」


 しかも私はとても有益な情報を持っている。できればオフレコでお願いしたいそれは、性格の悪い人は必ず最初にグーを出す、もしくはその確率は異様に高いでしょうとかいう都市伝説。

 私はそれを小耳に挟んだことがある。完璧。


 そして、(まこと)しやかに囁かれているその噂を、疑い深いこの私が何かの暗示にかかったように信じてしまったのはおそらくこの時のため。それは必然。なら負けよう筈がない。はい超完璧。


 ふふふ。つまり、今いる面子との付き合いの長さから割り出した、嫌でも私が分かっているそれぞれの持つ性格とこの都市伝説を踏まえれば答えは簡単。

 はさみはさみとごにょごにょ呟いて私はチョキを出すのかなと思わせておいてのパー、からのグー、からのやっぱチョキでしょとか、そんなふうに難しく考えるまでもないわけ。


「せーのっ」


 つまりこの勝負、最初から私の勝ちが決まっていたも同然なのだ。はっはっはっ。


「「「「最初はグー。じゃんけんぽんっ」」」」


 そしてまた、誰かの二の腕が揺れたのが目に入る。余韻を残して揺れるソレ。それ今超邪魔だからっ。



「む?」








 私はいまトイレにいる。私は頑張った。朝、家を出る前と同じとはいかなくても、私は頑張った。


「よし…と」


 かちゃかちゃ、ぱちっ


 ぱこっ、しゅっしゅっ しゅっしゅっ



「これで…」


 オフィスを出て寄ったトイレ。用を足したあと、この時間のこの場所は私のだからといつものように広げていた化粧道具一式を片付けて、さて、いま鏡に映る私はどうだろうとじっと目を凝らし、それからくんくんと鼻も効かし、まぁいけたなと満足してそこから三歩下がって全身を映す。


「うーん」


 汗で崩れつつあった化粧と服の匂いはこれでどうにかできた筈と、それなりに仕上げたつもりの顔を鏡に近づけてみたり、腕を鼻に寄せて袖のところをくんくん嗅いでみたり、最後にくいくい腰を捻って髪や服の後ろを映し見た限り、セルフチェックできるところについては女性として恥ずかしくない程度までいけたように思う。


「いけた」


 時間がないなかよくやった、えらいえらいと私は私を褒めながら化粧ポーチとファブ的なヤツをバッグに戻してトイレを出て、とことことエレベーターホールに向かった。



「そりゃあ、いないよね」


 どうなったにせよそれは私の気にすることではない。ただし、ある一点を除いては。


「春な」


 できれば来て欲しいなぁと私は思った。



 今は皆の帰り時。私はそうだったらラッキーくらいの妄想をしながらボタンを押して少し待って、ちんっと鳴ったあと扉が開いた混み合うエレベーターに、止めちゃってごめんなさぁいと微笑みながら乗り込んだ。雰囲気は悪くない。

 ふと、幸ならきっと待ちきれなくて、夏織、階段で行こうよと屈伸をしていただろうなと思って笑ってしまう。

 このフロアは十二階だけどなっ。


「ふふふ」




 やはりちんっと鳴ったあと扉が開くんだなぁと思いながらエレベーターを降りて、私はきょろきょろと花ちゃんを探す。


「いた」


 花ちゃんはホールの隅、非常階段の扉のところににいてスマホを見てにやにやしていた。


 多くの人が行き交う中、スマホを見てひとりでにやにやするとかちょっとどうかと思うけれど私は何も言わない。知らなければ本人は幸せ。見て見ぬ振りができる私は優しいのだ。


「お疲れ花ちゃん。お待たせ」


「お疲れ夏織。そんなに待ってないよ。じゃあ行こうか」


「うん」


 なに見てたの? いいものだよ、なんつって、地下通路で繋がっている地下鉄の駅までふたりで歩く。


「なんだか嬉しそうだね」


「私の近くにね、春が来るかもだから」


 私がトイレを出てエレベーターホールに着いた時には佐藤さんはもういなかった。

 怒りを堪えて吉田君を待ったのか、先に帰ってしまったのか私は知らない当たり前。


「へー」


 それは月曜日、二人の様子から嫌でも分かる。

 私の仕事に支障を来さない限りふたりのことはどうでもいいけれど、私のために是非上手くいってほしいと思う。

 前にも言ったけれど、春はぽーっとしいてもいい季節。私は年中そうだけれど、たまに偉そうに苦言を呈してくる周りも春は私と似たようなものだから堂々と呆けていられるのだ。


「だから春はまぁまぁ好き」


 いつだって気持ちよく微睡める。私にとっての春はといえばそれ。そこが春のいいところ。


「私も春は大好きだよ。まぁ、あの子の季節は名前の通りとはいかなかったけどね」


 花ちゃんにとっての春は千春さんの春。去年まで何処にいったと春を探していた理由はそれ。けれど私は今年、その台詞を聞かなかった。


「うん」


千代(ちよ)の春。あの時から、永遠のように長く続く筈だったのにって思っていたんだよ」


「そっか」


「うん」


「けど、花ちゃんもう平気そうじゃん」


「まあね。千春のことはもう普通だよ」


 あの子を思い出すと普通に悲しくて普通に寂しいよ。今も何か出来たかもと思う。けどね、千春のことは私のせいじゃないと分かったから。そう思えたから。

 そう話す花ちゃんは遠い目でどこかを見ている。その顔は暗くない。

 その遠い目をすぐにやめて、暗くない顔を笑顔に変えた花ちゃんが私に向いた。


「夏織のお陰だよ」


「全然。私は花ちゃんに甘えてるだけだから」


 そう。私はこの凄い女性に甘えているだけ。私のために。そうさせてくれるから。私らしく居ることができて楽だから。楽しいから。そしてその何よりも、私が花ちゃんを大好きだから。


「ははは。いまさらだね」


「うん。いまさら」


 私はふと、私の秘密を伝えた時、私はこの凄い女性を信頼したいと、花ちゃんなら大丈夫と願いつつも、抱えたモノを吐き出して私自身が楽になりたいと思っていたことを思い出す。


 それは怖くてとても勇気の要ったことだったけれど、やはり私自身の為だったとしか言えない。

 それを普通に受け入れてくれた花ちゃん。それからずっと、私は花ちゃんに甘えているのだ。


「それでよかったんだよ」


「そうかなぁ」


「妹が姉に甘える。それは妹の特権だから」


「そういうもの?」


「だよ。私はさ、夏織がそうしてくれたから千春にできなかったこととかするべきだったこととかしたかったことなんかを夏織を通してあの子にもできた気がしているんだよ。だからいま満足できてきるんだと思う」


 ま、私なりにねと、そんなふうに言ってくれたあと、これはやっぱり自己満だな、はははと花ちゃんは笑う。

 花ちゃんは、夏織の都合、私の都合、おあいこだからそれでいいだろうと、今度は花ちゃんからそう伝えてくれたのだ。



「それに今はね、というかだいぶ前から夏も気になるし」


「私のことだ」


「まぁね。だから私は夏も大好きだよ」


 花ちゃんは私により一層微笑んでくれた。あと幸もねと微笑む顔はまさに満開の花。


 花ちゃんはもう、肩から荷物を降ろしていた。知っていたけれど確認できた。

 私が幸と結ばれたことで一区切りついて、そして何より自分の結婚を経て、千春さんの死に感じなくてもよかった筈の罪悪感や後ろめたさや心苦しさを、ちゃんと降ろして心の奥の方にしまい込んだ花ちゃんは、前を向いたのだ。今は未来を見ているのだ。


 新しく始まって、順調にいけば幾つかの新しい生命を育んでいくだろう花ちゃんが、再びそれを取り出すことはもうないように思う。私はそれを本当に、心の底から嬉しく思う。


「ふふふ。そっか。けど、私はやっぱ好きじゃないな。暑いから。それにさ、歳一個増えるし。くそう」


「なるほど」


 そして私は今さっき思いついていたことを口にする。こんなふうに茶化しても平気だと分かるから。花ちゃんはもう、気にもしないから。千春さんは分からないけれど、私だったら、あ? 一緒にすんなやこらーって怒るヤツ。


「てかさ、千代(ちよ)(はる)ってなんかお相撲さんみたいだよね。四股名(しこな)? みたいな」


「お前ね、千春が怒るぞ。けど言えてるね。ははははは」


 今度お墓参りに行ったらそうからかおうと、怒るだろうなと、花ちゃんはまたまた笑った。遠い目で。けれど笑っているから暗くない。なんだか凄く楽しそう。




「こっちだっけ?」


「ぶぶー。残念。こっち」


 地下鉄に乗って最寄駅を降りてお店まで向かう。けれど、この時間なら私達の方が三十分は早く着く。


「涼しいところにいよう。近くになんかあるかな?」


「それなんだけどさ」


「なんかあるの?」


 仲良くつり革に掴まった立ちんぼの電車の中、今日行くお店の先にいいところがあるんだよと花ちゃんはスマホを取り出した。日曜までのイベントだから行くなら今日だよという花ちゃん。


「ほらこれ。さっき見つけた。台湾屋台村的な」


「なにそれ」


 さっきスマホで確認したんだけどそこでしか食べられない台湾デザートが結構あるよと、その画像を私に向けた。さすがの甘ラー先輩はその周辺のチェックも欠かさない。


「おっ。美味そう」


「夏織。冷たいの食べてから行こう」


「行こうっ」


 これ美味そうだよ、これもいいね、この店はどの辺だろうと始めた私達がついさっき食べたダッツはもはや過去。今を生きる私達は大事な過去は大事にしつつも前を見る。誰もがそうするべきだと私は思う。


「ね」


「そうだね」





「花ちゃん早くっ」


 私は花ちゃんを急かす。美味いヤツが売り切れてしまうかもだから。もしもそんなことになってしまったら、私は台湾まで楽しい旅をすることになる。


「待って。休憩しよう」


 いや、それならそれの方がいいのかもとちょっと思ったけれど、いま食べたいのも確かだからなと私はやはり花ちゃん急かす。


「は? そんな時間ないでしょ。ハリハリハリ」


「たいむたいむ。無理だって。あづい」


 けれど残念ながら今は夏。日射しはなくても空気はむせ返るように熱くて、今が夜でも容赦ながないのだ。それが花ちゃんを襲う。

 目的の駅を出て外に続く階段を上がるたびにもあもあとした空気にやられてしまったみたい。


「ああああ、あづい」


「そうでもないから。その演技いらないから」


「演技じゃないんだけどね」


 私は平気。確かに蒸し蒸しているけれど、昼間の日射しの中を仕事で歩くわけじゃない。なんたって冷たくて美味そうなデザートが待ってるのだ。目的が違えば気分は運泥の差、何も苦にならないというもの。


「花ちゃん、どっちだっけ?」


「ええとね。あっづ。こっちだね」


 さすが花ちゃん。私の腕をぐっと掴んで早く行くぞと急かしている、のかと思いきや、目の前にある百貨店へと私を連れ込む根性のなさ。この腰抜けは暑くて辛いから全てを諦めようとしているのだ。


「なにしてんの? ここに用なんかないでしょ。行くよっ」


 そうはさせじと、今度は私が腕をぐいっと引っ張った。花ちゃんをずずずと引きずっていく私は伊達に花ちゃんより重いわけじゃないのだ。あ? なんだとー。


「くそう。頭きた。絶対行く」


「怒るな夏織。大丈夫。夏織は軽いから」


 だから諦めよう。またにしよう。頼むよ夏織って感じの花ちゃんの目はうるうるしている。私に向けて手まで組んでいる念の入れよう。

 けれど私は止まらない。それは花ちゃんの演技だし軽いとか絶対嘘だし明後日までだからまたはない。今の私に一切の慈悲はないのだ。


「だめっ。行ける日は今日しかないんだからっ」


「いや、むりだってば」


 誘ったくせに嫌だと駄々を捏ねる腰抜け花は普段から日中をのうのうと、オフィスで快適に過ごす内勤だからこの程度でひーひーとかが泣くのだ。

 夏は暑さとか日射しとか、冬は寒さとか乾燥とかに揉まれて必死に生きる私とはこういうところで差が出る軟弱者。第一、この素敵な出逢いを逃すつもりとか、甘ラーとしてどうなのよと私は諭し始める。


「花ちゃんさぁ」


 スマホが震えたような気もするけれど放っておく。いま大事なことはこれを置いて他にはないのだから。


「どうせあっちの方に行くじゃん」


「けどさ、プラス三ブロックは歩くからむり。時間が許限りここにいたい」


「甘ラーだからって甘えちゃだめ。三ブロックなんて百メートルもないでしょ? 走れば九秒台の人もいるから大丈夫でしょ?」


「やっぱ夏織って馬鹿なんだな」


「馬鹿で結構。行くよほら」


「やめろー」


「だめっ」



 直した化粧を気にもせずに、私はぐいぐいと引っ張って行く。私は必死。花ちゃんも必死。それだけ時間がかかってしまう。


「あのさ、いい加減自分で歩きなよ」


「楽だから嫌だよ」


「太るよ?」


「こんな暑いんだから痩せるよ」


「痩せないから。だってわたし変わらないもん。自分で歩いてとんとんなの」


 え、まじ? まじまじ、痩せないよ、見れば分かるでしょなんつって、ようやく件お店が見えて来た頃にやはりそれは起こる。人生なんてそんなものだと思わせるソレ。



「ふたりとも早かったね」


 私達を見つけて嬉しそうに手を振りながら近づいてくる幸。隣には微笑む恵美さんがいる。

 えーっ、なんだよ幸と恵美さんの方こそ早くない? って私は思う。あと三ブロック行けば美味そうなヤツを食べられたのにって思う。なんだよ空気を読めない人達だなってまじ思う。

 だから、態度に出てしまうのは当然のこと。手もなっ。


「はぁ。今日に限って早いとか」


「なんでがっかりするのっ? あたっ」


 隣の花ちゃんが笑っている。何か言いたくてうずうずしている感じがする。


「なんで笑ってるの?」


「実はね。さっき幸からメッセージが来たんだよ」


「え? そうなの?」


「夏織に送ったのになにも返ってこないからさ。花ちゃんにも送ったの」

「私も送ったのよ」


「恵美さんも?」


 私はスマホを確認する。確かに二件、メッセージが来ていた。


 早く終わった。このマンゴーかき氷超美味しいよ。今夜のお店の近くだから、来れるなら花ちゃんとおいでよ


 こっちのも美味しいよ



 絶句。私はスマホの画面を見たまま固まった。正確には添付された写真。そこに写るはどう見ても美味そうで美味そうな、とても美味そうなヤツ。

 どういうことか分かっているけれど分かりたくもないこともある。


 たぶん、幸が何かを言っている。たぶん、美味しかったよソレとかそんなこと。



「あの。花さん?」


「はい。恵美さんですね?」


 隣では、そんな私とあはは、なに夏織のその顔、あははははと、さも愉しげに笑い出した幸をおいて、お噂は予々と自己紹介が始まっている。本来なら私が紹介するべきところなのに、さすが大人の女性は偉いよなぁとつい感心してしまう。

 つまり私は逃げたのだ。何も認めたくないから。


「ここじゃなんだし、お店に入りましょうか」


「そうしましょう。外は暑くて」


「確かに。蒸しますよね」


「ほんとに」



 おほほほあらあらまあまあと、私をおいて揃ってお店に入っていく大人達。

 その途中、一瞬だけ私に振り返って、恵美さんは少し哀しそうに微笑んで、花ちゃんはにやりと笑った。

 恵美さんは私を憐れんで、花のばばぁは残念だったねと私を嘲笑ったのだ。


「ぐぬぅ」


「あはははは、ひーっ、あはははは」


 幸は笑って私の肩を叩いている。コイツは優秀で聡明だから、恵美さんと同じく全てを理解していやがるのだ。私の台湾スイーツ…いや、まじ泣きそうだし。


 幸はいまだ笑っている。おーおー、愉しげで何よりだなお前はっと、私がイラついてしまうのは当然のこと。だからコンボをお見舞いしてやるのだ。ジャブジャブ右ストレートというヤツ。


「しゅっしゅっ、しっ」


「んがっ。あだっ」


「くっそう」


 なんだかなぁと空を見上げるけれど、都会だから星は見えない。滲んだからではない。

 そんな私を幸が優しく慰めてくれる。その笑顔はなんかムカつくけどなっ。


「はい。残念でした」


「うっせ」


「まぁまぁ」


「はぁ。もういいよ。いこう幸」


「あはは。はいはい」



 で、幸、どうだったのよ? いやぁ、そのボリュームがさぁと、話を始める私と幸。

 人の食べた台湾スイーツについてなんかべつに訊きたくもなかったけれど、何やら言いたそうにしている幸にちゃんと話を振ってあげる私は優しいのだ。







「あ」


 おやおや? 定番の掛け声とともに出た四つの手は、グーがひとつもなくてパーがひとつにチョキが三つとか。そんな明らかにおかしい光景が目に映る。


 なるほどこれは私の目はどうかしてしまったに違いない。いや寧ろそうでなければいけない。他に理由などあってはいけない。月曜日は午前休を取って目医者さんに行かないと絶対駄目。

 だって、いま私の目にはあり得ない光景が見えているのだから。


「勝った」

「ふふふふ。やったわ」

「あらら。夏織負けちゃったね。あはは」


 けれど、三者三様そんなふうに喜ぶ声と微妙に私を気遣いつつも馬鹿にする感じの声が、逃避しようとする私の頭をぐりんとやってこっちを見ろと現実を突きつけようとする。


「うそ、だ」


 そう。私は今、私の出した開いた手を、三つのチョキに囲まれたパーを見つめている。それが小刻みに揺れているのは動揺の現れ。


 くっそう、あの都市伝説め嘘つきやがってと、あとお前らなに人の不幸を喜んでやるんだよちょっと黙れようるさい奴らめがと私がわなわなしているうちに、チョキ達はやけに愉しげな笑いとともに私の視界から消えた。


 そして私は呆然と残る私の開いた手を見つめているところ。


「夏織の負けだね」

「そうね」

「はい。残念でした」



「…はっ。ちっ、違うからっ。さっ、三回勝負だからっ。私そう言ったからっ」


「「「ははははは」」」


「言ったからっ」


 負けた人間が必ずと言っていいほど口にする常套句。それを必死に主張する私を勝者達が顔を見合わせて笑ったあと、言ったっ、三回って言ったからぁと必死こいて常套句る私をそれぞれに、嘲て苦笑いしてあら可愛いと微笑んで、どうするどうしようか私はいいですよとちょこっと話し合って、まぁ私はいいよそうね私もいいかなじゃああと二回やりましょうかと余裕をぶっこいている憎っくき勝者共にぶくぶく泡を吹かせてやるべく私は気を取り直して両手を組んでそれを捻り、そこにできた隙間を覗く。

 これこそ私の隠し球。切り札その一、じゃんけん占い。


「うーん」


 そこに見えるはパーのような気がする。いまそれで負けたのにまじかと思ったけれど私はそれを信じたのだ。いざっ。


「せーのっ」


「かにかに」


「ちょっと夏織っ」


「「「「最初はグーっ、じゃんけんぽんっ」」」」



 また揺れた二の腕などもはやどうでもいいこと。


「…ぐはっ」



 また負けたけれど私はまぁまぁ冷静。こういうこともあろうかと、私は用意していた奥の奥の手を発動させる。

 私は咄嗟に開いていた手を素早く握った。あたかも、は? 出したのはグーでしたけどなにか? みたいにしようと思って。


「お前ね」

「夏織」

「あはは。やっぱ夏織はおかしいねっ」


「離せ」


「お前がな」

「ふふふふ」

「あはははは」


「え?」


 ところがどっこい敵もさるもの、私が気づかれないようにこっそり素早くグーにしよう目論んだ手はなんとっ、花ちゃんと恵美さんと幸の、三本の指を握っていたのでしたっ。


「くっ」


 コイツらは私のしようとしていたことが分かっていたのだ。私が手を握ろうとする速度よりも速くその指を握らせるとは恐ろしい。

 コイツらは本当に人間かとか、私は一体何と戦っているのだろうかとか考えると震えがきてしまうから私はしない。目の前の勝負に集中するのみ。



「じゃ、最後」


「は? なに言ってんのまだわかんないじゃん」


「はいはい」

「ふふふふ」

「頑張れ夏織」


 呆れられて笑われて、幸だけたが私を応援してくれた。嬉しいけれど馬鹿にされている感は否めない。

 結局わなわなと震えながら、私はついに、隠していた爪十本全部を出すことにしたのだ。にゅっにゅっにゅってなっ。この爪で迎えたピンチを切り裂く所存。


「いくよ」


「花ちゃん待ったっ」


「なによ夏織」


 私は花ちゃんの声を無視して左手の甲を私に向けて顔の前に。そこに右手の人差し指でもってぐいっと皺を作る。


 そう。これこそがまさに私の取って置き。その名もじゃんけん占い切り札その二。

 実はその一よりもこっちの方が勝率が高いのだ。知られたくないから温存していたけれどそんなことは言っていられない。爪は正しいところで使わないといけないのだ。


「うーん」


 寄った皺は四本。グーチョキパーグーとくるからつまりはグー。もう迷わない。私はそれに賭けたのだっ。いざっ。


「よしっ。じゃあいくから。せーのっ」


「「「「最初はグー」」」」


 花ちゃんと恵美さんの二の腕が揺れる。そして私の勢いよく出した二の腕も揺れたのが分かった。







 悲しくはない。べつに平気。私は全然大丈夫。


「ヘヘヘ」


 箱に入っていた七つしかなかった甘くて美味そうなヤツ。

 みんなでジャンケンした結果とか、みんなの笑い声とか、私を笑いながらも混じる憐れみの視線とか、そういうの、私の記憶にもうないから。


「えへへ」


 あるのは私の前にある四つの丸い、定番のミルクとか苺とかのチョコで厚くコーティングされた、けれど口に入れると噛んでさくさくほろほろの、転がせば暫くねっとり甘々を楽しめる、粉砂糖でがっつり化粧をした甘くて絶対美味いヤツだから、私の顔もゆるゆるのふわふわに綻んでしまうというもの。




「え。いいの?」


「いいよ。かは」

「いいのよ。かは」

「夏織にあげる。かはかは」


「ほんと? まじ? 罠じゃない?」


 罠って。あのさ、そんなわけないでしょう相変わらず疑り深いね夏織は、はははと、勝者達が笑う。

 それは夏織のものだから、私達はひとつでいいのよと言ってくれたのだ。


「でもコレくれたの花ちゃんだし」


「いいんだよ。みんなも。ね?」


 花ちゃんの言葉に他の勝者達、幸も恵美さんも頷いてくれた。


「やったっ。ありがとっ」


 そういうことなら遠慮なくと、私は私の前に置かれた丸いヤツをさらに私の方へと引き寄せた。


「ふふふ。超美味そう。これはなにかなぁ」


 さっそくひとつ手に取ってなんのチョコかなぁとやり出した私。それを見ていた勝者達は最初からこうするつもりでいたのだろう。その顔はみんなとても優しげ。


「うまーい。これ凄く美味ーい」


 私は隣の幸に笑顔を向ける。幸はかはかはと私の髪を撫でてくれた。向かいのふたりもかはかはしながら笑っている。


「よかっはね」


「うんっ」


 みんなはひとつ、私は四つ。それをみんなでもぐもぐ食べながら、みんなが私に微笑みを向けてくれる。いつもこうやって、我儘気侭な私を受け入れてくれる。


 私を見つけてくれて、こんな私を実の妹のように構ってくれる花ちゃん。

 私を見つけてくれて、こんな私を励まして、悩んでいた私を救ってくれた、私のもうひとりの姉のような恵美さん。

 そして、私と出逢ってくれて、こんな私を愛してくれて、人生を閉じるその時まで離れず傍に居ると誓い合った幸。


 それぞれに向ける愛情は違っても、とても大事な私の居場所。そこでなら、私はいつだって私らしく居られるのだ。


 他にも、たくさんじゃなくても繋がっている人達がいる。


「ああ」


 私は出逢う人に恵まれたと、本当にそう思う。本当に泣いてしまいそう。


「いや、超うばいなゴレ」


 私は涙を誤魔化した。べつに見せてもよかったけれど、幸はともかくこれ以上優しげに見られるのはなんとなく照れ臭くて恥ずかしい。


 けれど、やっぱりみんなの視線がより優しげになったから、どうやら上手くいかなかったみたい。私と深く繋がっているみんなには、私の心の移ろいは、幸は当然としても、花ちゃんと恵美さんにも何となくでもばればれのばれ。

 私がみんなを知っているように、みんなも私を知ってくれているのだ。

 それはやっぱり嬉しいし、優しく私の髪を撫でてくれている幸の手が堪らなく心地いい。


「ふへへ」


 だからどんな理由で泣いたにしろ、泣いた狸はまた私らしく笑えるのだ。にゅーにゅーってなっ。


「はあ? 誰が狸だこら。ざけんなやー」


「なんだよいきなり。こわいこわい」

「ちょっと。びっくりするでしょう」

「狸っ。あはは、ほんと、狸そっくりだもんね。あはははは」



 幸だけが間髪入れず笑い出す。この辺りは私の半身、さすがの幸というところ。


「ぷっ」

「ぷぷっ」


 一拍遅れてみんなが笑って私もふふふと笑い出す。

 この面子、この楽しい時間はまたあるだろう。花ちゃんは恵美さんに、恵美さんは花ちゃんに受け入れられたのだから。一応言っておくと、今日の本来の目的はじゃんけんじゃなくてこっち。


「そうそう」


 まぁ、私も幸もこうなることはちゃんと分かっていたけれどそれでもやっぱり嬉しく思う。今は何でも許せるくらい。



「あはは、たぬき、たぬたぬたぬき。あははー」


「ちっ」


 だが幸よ。お前は駄目。たぬきたぬきと人を指差して笑ってんじゃないぞっ。


「うりゃ」


「たぬたぬ、あだっ」





お疲れ様でした。いつもありがとうございます。


さて。金ぴかの最中、皆様いかがお過ごしでしょうか。

私の住む地域は緊急事態ということで外出を控えているわけですが、人によって温度差があるように思われますね。果たしてどうなることやら。


ま、私は私、他人は他人、ということで、皆様のステイセイフを祈りつつ…




「って、そんで終わり?」


「終わりだけど?」


「詩人か」


「うるさいよ?」


「あはは」


読んでくれてありがとうございます。

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