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woman  作者: しは かた
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第七十四話

続きです。


よろしくお願いします。

 


「ではっ、いただきまっす」


 六月も終わる梅雨の最中(さなか)、今は平日の午後三時を少し回ったところ。

 そして私はもしかしたらと期待しつつも駄目もとでやって来たカフェで優雅なひと時を迎えている。

 いま口にするのはモカのヤツ。ふふふ。私は賭けに勝ったのだ。


「あーむっ」



 この優雅なひと時は当然こと。

 なぜなら今年もこの私には、幸や花ちゃんがのうのうと過ごしたような長い長いお休みがない。あったのはせいぜいこの前の金ぴか五連休だけ。

 それにもかかわらず私は今日も頑張ったからもうへとへとのへと。溜まりに溜まった今年の疲れは、まだ半分も残っているというのにもう既にピークを迎えつつある。つまり糖分の摂取は必須。私は軟弱者だから。


 今日だって、私のバッグはノートPCと資料とお土産なんかでこの華奢な肩に食い込むくらい重たいし、傘が駄目なのかなんなのか知らないけれど服は前のところが全体的に湿ってしまったし、湿気で髪もべたっとなって普段のふわっふわっは見る影もなくなっているという、見た目、女性としての危機を迎えている状況なわけ。だから糖分の摂取は不可欠。私は癒されたいのだ。


「んー」


 大体、ここ普通に自腹だから。だから誰にも文句は言わせない。言ったとしても私は聞かない。

 寒くても暑くても、今日のように雨の降るじめじめとした梅雨の時期も、いつも快適なオフィスにいて、こっちの事情や女性として悲惨な状況に陥ることが多々あることも知らず、それを、屋敷ちゃんソレ酷いねぷーくすくすと笑いやがるような奴らの、営業って自由でほんといいよねー羨ましーなどとへらへらしながら恥ずかしげもなく言ってくる嫌味など決して私には届きはしない。私の耳は超優れものだから塞げばどうということはないのだ。

 まぁ、聴こえてはいるけどなっ。


「むむ」



 私は今日も、しとしとと降り頻る雨の中を午前中から外に出て取引先に二か所も顔を出して、ウチの定番商品のリニュアルの説明ついでにその取り扱う量を増やしてもらって、さらには甘いヤツももらったのだ。ほら、わたし頑張った。




「あら。本降りになったのね」


「いえ。大したことないです。しとしとですよ」


「でも屋敷さんびしょ濡れじゃないの」


「まぁこのくらいはみんな濡れますし」


「へ?」


「え?」


 この程度の濡れはみんな一緒、私も慣れたものですと返した途端、なに言ってんのって顔で私を見るバイヤー様を、私もなに言ってんですかって顔で見返していたと思う。そして、はははと響く笑い声。


「屋敷さんてやっぱり面白わねぇ」


「…はっ」


 会ってすぐ、そんな会話から始まって、まさかまさかと服を拭き拭き、私はこのなんとも言えない遣る瀬ない気持ちをバイヤー様との駆け引きにぶつけてやるぞと決意したのだ。



「安定して売れてるからね。増やすのは構わないわよ」


「おお」


「ふふふ。けど、その分下げてくれるでしょう?」


「はい。もちろんです。これくらいのこれくらいでは?」


 いやいやその量ならこれくらいはしてくれないと、それじゃあウチが無くなってしまいます、ではこれでは? と、ばしばしと攻防をすること十分くらい。これならどうですかと私が示す数字に少し沈黙したバイヤー様の指が机をとんとんと叩いている。


「そうねぇ」


 私の持つ裁量、自由に出来る金額の上限、その半分だけ泣く。損はないから大丈夫。

 これでいけるなと確信して、私は次にその口から出るだろう有難いお言葉を待った。


「ま、いいか。じゃあそれでいきましょう」


「さすがっ。ありがとうございまっす」


「かはっ」


「大丈夫ですか? あ、では次回からはこれでいいですね?」


「いいわよ。かはかは」


 ちゃんと確認を取って、ちょっと強引だったかなぁとも思わなくもないお願いを聞いてくれたお礼にゆるふわく微笑むと、かはかはと息苦しそうなバイヤー様はちょっと失礼と席を外した。


 はいと返事をした私はその間に、開いていたノートPCの入力画面にいま決めた数量と金額をとっとと打ち込んで、指でとんっ、とんってやって、決定をして送信しておく。データは行ってしまったのだ。


「よし。完了」


 はいお終い。

 これで毎月の伝票とか決済とか配送とか、ベンダーさんを含めてあとは勝手にやってくれるのだ。目には見えないけれどちゃんとシステムが繋がっているって最高だなと、超便利だなと私は思った。




 お待たせと戻ったバイヤー様の手に袋がある。何やら甘くて美味そうなヤツの匂いがする。


「待たせたわね。屋敷さん。はい、これあげる」


「やったっ」


 差し出されたソレ。私はソレを受け取った瞬間、うわっ、重っ、て思いながらぐきってならないように気をつけて袋の中を覗き込んでみる。


「なにかなぁ」


「ふふふ」


 私とバイヤー様は甘くて美味いヤツを渡したり渡されたりする間柄。そこに遠慮は要らないのだ。


「おっ」


 鹿児島県からやってきた砂糖に塗れの分厚いぼんたんの皮。それが三袋も入っていたのだ。そりゃあ重いわけだと納得する。

 私はそのうちの一つを取り出した。


「すごーい。超美味そうですねコレ」


「かは。ちょっと実家にね。美味しいよ。喜んでくれてよかった。かはかは」


「時間あります? さっそくいっちゃっても?」


「いいわよ。コーヒー取ってくるわ」


「あ、おかまいなく」


 再び席を立つバイヤー様。私のお為ごかしもなんのその、この場から素早く消えてしまった。


「うーん」


 それをさせてしまっている私は一体何者なのかと少し考えたけれど、私とバイヤー様は甘ラー仲間だからなとそれを頭から消し去って袋を開ける。

 そこから取り出すのものは、分厚くてでかい砂糖に塗れたぼんたんの皮。


「超美味そう」


 そう呟いてバイヤー様が戻るのを待つ少しの時間、コーヒーとかもういいから早く戻ってこいと思う私は一体何者なのだろう。


「いいのいいの」



 そのあと、コーヒーを取ってきてくれた甘ラーなバイヤー様と一緒にそれを摘みながら、あそこの店がねとか、あの駅中にですねとか、お互いに新しく発見した美味いヤツの情報交換をして取引先を辞したのだ。


 ちな、寄ったトイレにうにうには出なかった。たぶん平気だったと思う。

 隙間という隙間、繋ぎ目という繋ぎ目を調べているあいだ、私は内心どきどきだったのだ。



「さてと」


 お昼を軽く済ませたあと、もうひとつの取引先を出た時点で時刻は午後二時半にはなっていなかった。私は今からどうするかなと考えたのだ。


 午前中と午後早く、取引先を二か所も回ってその両方からお土産をせしめることに成功した私の気分は雨とはいえ悪くない。

 私を見るなり雨凄いんだねと二回も言われたことなどもはや忘れて傘を差す腕も苦にならないくらい。


「ふふふ」


 そこそこ出来る私なら成果を出すのはちゃいちゃいのちゃい。というわけで、私のバッグはお土産でぱんぱんというわけ。もうね、ぱんぱんのぱんなわけ。


 ノートPCが無ければ、アポはなくてももう一か所、ふらっと顔を出してみてももよかったけれど、これ以上はバッグに入らないから無理と判断して本日の外回りは打ち止めにする。やはり私は計算のできる人だから。


 これ以上の荷物は手に持たないといけなくなってしまう。そうなるともらえる筈の甘くて美味いヤツは確実に濡れてしまう。しとしととはいえ雨だから、雨が降れば傘を差しても必ず濡れるのだ。

 甘ラーとしてそれは駄目。緊急事態ならいざ知らず、それはできれば避けておきたいところだから。






「んだよもう」


 そしてやってきたカフェの前、私は傘をばざばさってやって水滴を弾きながら悪態を吐く。

 私が仕事にお土産にと気分良く外を歩いているうちに、二度も乾いた筈の服とかバッグはちゃんと濡れていたのだ。つまり三度目。もうさすがとしか思えない。


「下手くそか」


 そう呟いてお店に入ると何となく感じる周りの視線。その視線が三々五々的に窓へと移る。そして何か言いたそうに首を捻りながらまた私に戻るソレ。

 そこまでされると泣きたくなる。終いには、雨凄いんですねこのタオルをどうぞ、あれ? おかしいな、と店員さんに言われる始末。


「ぐぬぅ」


 ああそうともさ。私は傘を差すのが下手なのだ。そんなこと、私は分かっていたけれど分かりたくなかったのだ。ずっと見て見ぬふりをしてきたのだ。くっ。


「下手くそかぁ」


 なるほどなぁと窓の外、雨の落ちる空を、見にくいけれど出来るだけ視界に入るように恨みがましく見上げてみる。

 大丈夫。私は泣かない。だって人には向き不向きがあるのだから。私がたまたまそうだっただけで、それを嘆く必要などないのだから。それにここ、外ならまだしもお店の中だし。うぐ。




 と、こうして私は今、雨の降る中を頑張って仕事をした帰り、オフィスに戻る前に寄り道りをしてやろうとやって来たカフェでモカのケーキの一口目をもぐもぐやって、まじあの日だけの限定じゃなくてよかったなと、メニューにあってまじよかったなぁと胸を撫で下ろしているところ。


 もはや下手くそなどはどうでもいい話。それで結構、構いはしない。

 だって私が雨の中、わざわざこのカフェまでやって来たのは、あったら食べる無ければ食べずに他のヤツを食べると決めていたからだから。

 つまり私は最悪でも引き分け以上の結果で終わる、モカのケーキが有るか無いかの賭けに勝ったってわけ。私は甘くて美味いヤツについてはとても頭がキレるから。

 私ったらやっぱ天才だよねと、それもよく味わっているところだから。



「これは…」


 そして今、実際に夢にまでみたモカのケーキを飲み込んだところ。お供のコーヒーも側にある。例のお得なケーキセット、というヤツだ。


「美味ぁい」


 雨に濡れてまで来た甲斐は確実にあったというもの。

 比べれば、いま主流のさっぱりとした生クリームとはまた違う、キレはないけれどいつまでも口に残る感じのバターの濃厚なコクとモカ特有の少し甘い感じのする夏織、いや、香り。


 甘くて美味いソレに私のスイッチが入るのは当然のこと。私はぱくぱくと、けれど優雅に食べ進める。


「うまうま」



 そして残すところあとひと欠けらとなったところで私は通りすがる店員さんを捕まえる。文字通り、がしって。


「すいません」


 ぐいんとやって店員さんを止める。衝撃で手首がぐきってなりそうだけれど気にしてはいられない。早く頼めばその分早くやってくるのだ。


「うわ」


「あ、ごめんね。えと、これ。追加で」


「あ、はい。おひとつでよろしかったですか?」


「はい。あ」


 よろしかったですよと頷こうとして、圧もないし、どうせならふたつにしちゃえばいいじゃないのと内なる悪魔な囁きが聴こえてくる。

 それを止める筈の内なる天使の声は聴こえない。このタイミングで眠っているのか留守なのか、実は最初から住んでなんていないのか知らないけれど、そこもまたさすが私としか思えない。

 はい残念。天使がいない以上、ここは悪魔の声に頷かざるを得ない。


「いや、やっぱふたー」


 けれど私は頭を振って悪魔を追い出した。

 幸が喜ぶから我慢は大事。私ね、今日我慢したのと教えれば、よくできました偉いね夏織と幸は頭を撫でて褒めてもくれるのだ。


「ふへへ」


 それが出来る私は今やすっかり素敵な大人の女性になったのだ。くぅーっ。


「あの? ふへへ?」


「ふへへ? 何を笑ってるの? あ、ひとつで」


「ぷ。かしこまりました。ふふっ。お待ちください。ふふふふふ」


 伝票を持って去って行く店員さんの肩が震えているのはもう見慣れたもの。このあとすぐに、ねぇねぇあそこのお客さんさぁと、奥で私が時の人になることもそう。

 けれど私はこんなことがしょっちゅうあるから気にしない。自意識過剰も気にしない。


「まじ美味いなこれ」


 雨を押してまで来て正解。私は最後の一口を頬張って、もぐもぐしながら作戦を立てる。


 レジ横のショウケースにもコレがあった。ということは、どうやらテイクアウトできるということ。

 ならば会計をする時にでもふたつ買って、オフィスに戻って例のスペース、今週の頭に二週間のお休みから戻った、なんだかやけに艶々に見える花ちゃんと食べようと決めた。


 私はお店ではちゃんと我慢できた。なら、それくらいは許されると思うの。それに、ひとつだけだと花ちゃんが遠慮してしまうかもだから。

 まぁ、花ちゃんは食べてくれるだろうけれど、どうせなら、羨ましく花ちゃんの食べる様をじっと見つめてしまうだろう私を気にすることなく食べてほしいと思うからふたつ。私はそういうことに気を回せるいい女なのだ。


「うんうん」


 それが雨に濡れないように頑張る所存。私はやる時はやれちゃう人だからいける筈。


「だな」


 言っておくけれど、私が食べ足りないからだけじゃない。それならここで思う存分食べればいいのだから。


 私は花ちゃんの喜ぶ顔も見たいのだ。式を無事に終えた花ちゃんはもう解禁になったから。

 やっと終わった。これからはまたいっちゃうからね付き合え夏織ふははははって、甘くて美味いヤツを手に高らかにそう宣言していたから。式の時と同じくらい嬉しそうにしていたから。


 そうそう。梅雨の晴れ間に恵まれた六月の善き日の週末に花ちゃんは結婚式を挙げた。


「花ちゃん綺麗だったな」


 その日が晴れたのはもちろん私が頑張ったから。あと幸も少し。私と幸は一週間も前から眠る前、絶対に晴れますようにと、空に向かって指をびろびろとやって念を送っていたのだ。




「おやすみー」


「待った幸。やるよ」


「そうだったー」


「せーの」


「「晴れろー」」


 一日の終わり、仲良くベットに転がったままふたりして、両手を天井に突き出して暫くびろびろとやる。


「よし。今日のところはこんなもんで」


「うん」


「効くかな?」


「大丈夫だよー」


 なんつって、ふふふはははと笑ってから、私達は眠りについていたのだ。


 そしてその当日。始まってから終わるまで、というか終わっても私がぼろぼろ泣いていた式のあと、花ちゃんは披露宴の前に私と幸を控え室に呼んでくれた。


「ふたりともお疲れ」


「おづがればなちゃん」

「花ちゃんこそ、お疲れさま」


「ほらおいで」

「うう、ばなちゃぁん」

「くくく」


 ナニをずずすとすすり上げる私をやれやれだなぁふうを装う花ちゃんもまた泣いていたことを私は知っている。


 嬉しくて、なんでか少し寂しくて、ほんの少しだけ羨んでいた私のテンションは泣いてしまったこともあっておかしなことになっていた。


「わたし頑張ったから。てか、今も超頑張ってるから」

「私も」


「ははは。お陰で晴れたよ。ありがとう夏織。幸も」


「うぐ」

「うん」


「泣くなって。台無しになるよ」


「もうおぞいじ」


「だね」

「あはは」


 花ちゃんはそう言って笑った。晴れやかに笑っていた。雲ひとつない、日本晴れというヤツだ。


 そのあとすぐに、それじゃ時間ないからまたあとでと、背中を押されて控え室を追い出された私達。幸、その台無しを頼んだからね、なんて言っていた。

 なんだよ、晴れやかなのは私と幸が頑張ったからなんだからなと、そのお陰なんだからなと、ぱたんと閉まった扉に向けて私は泣きながら思っていた。


「ぐぞゔ」


「あはは。じゃあ夏織。直しにいかないと」


「わかった。うぐ」


 なんてこともあった花ちゃんの結婚式は、泣き過ぎて疲れ果てたことを除けばとても素敵な時間だったと言える。




「花ちゃんなぁ」


 けれど、なんだかなぁと私は思う。ずるいよなぁと私は思う。


 結婚のことそれ自体は、私と幸は今は出来ないからなんだよくそうと文句を言いつつ我慢する。出来るようになるまでこれからもする。

 それを踏まえても花ちゃんの結婚は、私は素直よかったねと思うし幸せそうな顔を見れば自分のことのように嬉しく思うから、私は決して妬んだりしていない。

 花ちゃんは私達のためにウェデングドレスを着る機会まで用意してくれたからまじ感謝しかない。そこは、天に御坐すかもしれない神に誓うよりも、それがもしも偽りだったら私がこの先ぶくぶく太ってしまうことに掛けてもそう言える。


「いえるいえる」


 私が花ちゃんの奴なんだかなと、ずるいなと思うのは、その二週間のお休みの方。それがね、羨ましくて仕方ないの。


「くそう」


 そっちなのかよって思うかもだけれど、だってさ、二週間だよ二週間。幸の三週間に次ぐ長さなわけ。しかもハワイ島とか。

 どれだけのんびりとぐうたらに過ごせることかと私は思うわけよ。


「なんだかなぁ」


 長期の休みとかまじずるい。私は花ちゃんがいちゃいちゃ羽を伸ばしているあいだ、幸といちゃいちゃはしていたけれども、馬車馬のように毎日働いていたのだ。私はこれについても憲法十四条に違反していると思うわけ。不平等もここに極まれりだと私は思ったわけ。



「ずるい」


「なによいきなり」


「ずる花ちゃん」


「はいはい」


「しかもハワイ島とか」


「いい加減うるさいね」


「ずる。ハワイ島」


「これあげるからそろそろ黙れ」


「わかった」


 無事オフィスに帰ってきた花ちゃんにそれを伝えたら、馬鹿だな夏織はと呆れつつもハワイ島まじ最高だったよはいこれあげると渡してくれたお土産の定番中の定番、マカダミアナッツのチョコのでかい箱の上にもうひとつ同じでかい箱を重ねてくれた。


「二箱?」


「はぁ。これが最後だよ」


 どさっ、と、もう一箱私の持つ箱に重ねた花ちゃんはさらに呆れているけれど、最初からそのつもりだったことはお見通し。

 ここは例のスペース。そうでなければ私と会うのに三箱持ってくる必要はないのだから。


 私は花ちゃんを舐めるように見て確認する。その手は空っぽで、他に何かを仕込んでいる様子はない。


「もう無いね。おおっ。さすが花お姉ちゃん太っ腹。これで許してあげる」


「もう無いねってなによ、ったく。はいはい。私は悪くないし、夏織の方よっほど太い腹だけどね」


「ん? なに?」


「なにも」


 さっそく開けてひとつ食べていた私は何も聞こえていない。太い腹とか私は知らない。私は増えていないからそれは私のことじゃないのだ。

 誰かディスられてやんのご愁傷様と思いながら、私はご満悦で花ちゃんに箱を向ける。


「そっ。それより花ちゃんもコレ食べなよ。やっぱ美味いよねコレ」


「おー。ありがとう」


「いいのいいの」


 呆れながらも優しく微笑む花ちゃん。いつものやり取り。

 これからも私達は変わっていく。けれど変わらずに続く日常。

 こうした日常はこれから回数が減っていくだろう。けれどこのスペースは別。同じオフィスに居る限りこれは続いていくのだ。

 飲みに行ったり甘ラーとして活動することは減っていく。私と花ちゃん、私には幸、花ちゃんにはぐっさん、それぞれに生活の基盤が出来たから。

 けれど、寄れば必ず元のように騒がしくも楽しい私達なのだと思う。私達には過ぎる時間など関係ないのだと思う。


 ね、花ちゃんそうでしょと目をやれば、当たり前でしょ今さら何をと花ちゃんが言う。ああ、そこには幸も一緒だからねと花ちゃんは言う。


「ふへへ」


 幸もとか。嬉しいことこの上ない。私は顔を綻ばせた。





「ふぅ。美味かったな」


 移ろいつつも美味い美味いと完食して、私は、おーい、次持ってこーいと、心の中で呟きながら、私は何も無くなっってしまったお皿をテーブルの端に押しやって、お供のコーヒーを啜りながら追加のそれを待っている。


「遅くない?」


 くくく、少しも遅くないでしょうにと、幸の囁く声がした気がした。




「ごちそうさま。あと、そのモカのケーキ。それ二つください」


「はい? あ、はい」


 まだ食べるんですか驚きですよ思っただろう私が捕まえた店員さん。なんで今レジに入ってるわけ間の悪い女性だなと思う私。

 それはさて置き、私はまたしても囚われる。休憩しているようでも実は私は忙しいのだ。


 お土産はもう三つは要らない。そう思うと少し寂しい気分になる。慣れてきたけれどまだちょっとっなぁ、って感じだから。

 在ったものが失くなるとはそういうもの。それが大事なもの、大事な時間ならなおのこと。けれどそれは今、形を変えて私の傍に在るのだから、ならそれでいいかと、また新しく積み上げていくのもありだなと思い直す。

 物事とはすべからくそういうものだと私はちゃんと分かっているのだ。


「だな」



 物思いに囚われても私のフォークは止まらず口に運ばれてすぐになくなってしまったケーキもまた同じ。

 食べ終えてしまっただけで形を変えて私の中に在る。今は胃に在るソレ。

 とても美味かったソレは、私の中から消え去るものもあれば私を形作るものもある。それは確実。残ったソレは無駄な脂肪に形を変える。

 私はちゃんと分かっているのだっ、てか。はーはーはー。



「お待たせしました」


「ありがとっ」


「かは」


 私は笑顔で箱を受け取ってお店を出た。不快なことがあったように思うけれど、モカのケーキがとても美味かったし私は自分を含めて赦すことにしたのだ。私はスイーツが絡めば寛容なのだ。


「そうそう」



 傘を開いて街に出る。雨はしとしと降り続いている。私はこのままオフィスに戻って、ひと仕事したら花ちゃんとケーキを食べるのだ。

 私は花ちゃんにメッセージを送くる。


 美味いヤツ手に入れたよ


 おー。待ってるよ


「早いな。さすが」


 すぐに来た返信にふふふと笑う。


 その花ちゃんは料理が好きでも嫌いでも上手くも下手でもない。だから最近は好きで得意な私に相談してくることが増えた。



「夏織のところは今夜なに?」


「エビチリと棒棒鶏と焼売。あと玉子スープの予定だけど?」


「まじ? そんなに作るんだね」


「幸が腹ぺこだからさ。けど、そんな大変じゃないよ」


「ああ、そうか。幸だもんね。なるほど。で、それ私でもいける?」


「いけるいける」


「ならコツ教えて。今夜ウチもそれにする」


「いいよ。あのね、先ずね」



 そんな感じでそれぞれの説明して、最後にびろびろってやるんだよっ、毎回だよっ、絶対だよって教えてあげたら鼻で笑っていたけれど、ちゃんと毎日毎回それをしていることを私は知っている。

 花ちゃんはぐっさんが大好きだから。私のぽんこつセンサーでも式の時とか、それがびしびし伝わってきたから。私達と同じ相思相愛、愛が溢れ捲っているって感じだったから。式そのものもさる事ながら始終隣り合って微笑んでいたふたりとも凄く素敵だったから。


「よし」


 あとで、その辺りをからかったりするのもいいかもしれない。真っ赤になって照れさせてやるのだ。それで普段からやられ捲っている幸の仇を取って、幸に偉い偉いと褒めてもらうのだ。


「ま、逆にやられちゃうけどなっ」


 例のスペース。そうであっても、きっと楽しいひと時になるだろう。


「ふふふ」






「モカのケーキ?」


「幸さぁ。なんでそこだけ拾うんだよ」


 夜、ベッドの上、仲良く薄手の羽毛に包まって互いに今日一日の出来事を話す時間。

 私の話が終わったら幸の奴が食い付くところは大抵そこ。人の食べたものなんか放って置けばいいものを、私を抱く手に力が籠るとか声が冷たくなるとか、やはり愛しの幸は少しおかしい。


「あのバタークリームの?」


「そそそうだけど?」


 認めてしまえは少しは精神的に楽になれる。少なくとも嘘を吐くなとねちっこく責められることはないのだから。幸のねちねちは半端ない。ねちねちのさちだから。

 だからそれを認めた上で、上手い言い訳をすればいいのだ。私は私なりに幸の習性を学習してしているのだ。上手い言い訳さえ思いつけば確実にいける筈。


「それなのに夏織はさっき、砂糖まみれのぼんたんとアイスを食べたのね」


「た、食べたかなぁ」


 惚けつつ、まったくもうとかいい加減にしなさいとかうるさい怒りん坊幸の声を聴き流しながら言い訳を考えていると、ついに私は思いついてしまった。夢の中で幸に勧められたことを思い出したのだ。


 私は頼りないそれに縋りついた。いけると信じてそれに賭ける。昼間も賭けに勝てたのだから夜もいける、筈。今日の私の運の良さはまだ残っている筈。


「夏織」


 聴き流していたのがバレたのか幸の圧が増す。幸の腕の力もますます増す。


「食べていてててて」


「なぁに」


「たっ、食べていいって幸が言ってくれたから食べたんだから」


「そんなこと言ってないでしょう」


「言ったのっ。あの女性に負けちゃうよって。それでいいのかってっ言ってくれたもんっ。幸、そう言ったもん」


「がっ」


「だから食べに行ったんだもん、って、あれ? ちょっ、幸?」


「がっはっぁぁぁ」


 必死になってもんを連発していたら、突然いってしまうとともにもがき苦しみ出した幸。

 右に左にころころとベッドの上を転げて、くっそ可愛いなもう仕方ないねわかったよかはかはなんて呟いている。


「やったか?」


 急にどうした幸と、わけ分からないんですけどとは思わないけれど、とにかく私は幸に勝った。夢でだけどさと言わなくて済んでまじよかった。


「やったな」


 何にしても野生にも勝る私のゆるふわは偉大。たぶん今のは狙ってない分だけ自然で超可愛かったのだ。


「ねっ」


「がっはぁ」


 うん。狙ってもいけるなと私は確信する。


 再びかはかはとなった愛しの幸はやっぱり変な動をしている。やっぱり幸は面白い。

 かっこいい幸も大好きだけれどそんな幸も可愛くてとても好き。


「ふへへ」


 好きだよ幸。今更だけれどそう思う。幸は毎日そう思わせてくれる。見慣れていてもそう思う。

 だから幸、何かあっても何もなくてもずっと私の傍にいてねと、いつものごとく私は思うの。






お疲れ様でした。いつもいつもありがとうございますです。


さて。私が悩ましくしていたこのお話の畳み方ですが、まだ畳まないことに決めました。というか、畳めないというかなんというか、ということを活動報告の方に書いておきましたので、ネタばれしてしまいますが、興味がありましたらご覧くださいませ。


そして私はこの週末にバタークリームを作ってやりました。


「うん。不味いな」

「ほんと。不味いね」


「くっ」


甘さが足りずただ少し薄くなったバターが固まったみたいな感じの不味いヤツ。

おかしい。私はちゃんとレシピ通りに作った筈だというのにっ。くそう。


読んでくれてありがとうございます。

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