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woman  作者: しは かた
84/102

第七十三話

続きです。


よろしくお願いします。

 


「…ん」


 明るい。朝が来たみたい。というか朝。絶対朝。

 仕方ないと目を開けてサイドテーブルにある時計を見ると朝七時前。ほらね、やっぱ朝。


「うー」


 私はひとつ唸りながら、丸まって幸にくっ付いていた体をもぞもぞ捻ってうつ伏せて、枕に顔を埋めた。するとすぐに感じてしまうちょっとした違和感。


「う?」


 そうなると私の目も覚めるというもの。

 確かに、今はもう眠っていても薄っすら汗をかいてしまう季節。

 いや、臭くはない。そこは大丈夫だと思われる。けれど、まじで臭くはないけれどなんか気になる枕カバー。


「はー、はー」


 私はいつの間にか鼻呼吸をやめて口呼吸に切り替えていたみたい。

 それはたぶん、私が気づかない何かを感知したそこそこセンサーがそうさせたのだ。私はどこか抜けていても、私の防衛本能だけは超優れもの。けれど、それのせいで要らぬ息苦しさを味わっている今、違う形で生命の危機に陥っているのはご愛嬌。


「ぶは」


 役に立たずな防衛本能めがっと自ら動いて顔を横に向けるとそのすぐ先にはまだ眠っている幸の顔のどアップ。

 私が目を開けた時は仰向けでいたのに寝返りを打っていたみたい。


「うおっ」


 思わず驚いちゃったけれど、なんとも幸せそうで穏やかな寝顔でいる幸。生命の危機は去ったことだし、ただただ守りたいその寝顔と思う。

 私はそっと幸に触れた。


「ふふふ」


 大丈夫。ここは幸にとって安眠できるところだから、本来眠りの浅い野生であってもこの程度では目を覚ましたりしない。

 私と眠っている時は寧ろ、幸の眠りは深いことを私はちゃんと分かっているのだ。


「さーち」


 なんつって、その顔をじっと見つめているうちに、枕カバーの違和感や命の危機で焦っていた私の気分は完璧に穏やかになった。

 そして私は愛しの幸を想う。



「うーん」


 替えは二枚ある。異臭騒ぎになる前にそろそろ洗濯しておかないと、近いうちに幸がくさいくさいとうなされてしまうだろう。

 それは駄目。幸の安眠を妨げるわけにはいかないし、何より私が居た堪れなくなってしまう。幸は毎日頑張っているのだから快眠できないと仕事でぽかをしてしまうかもしれないし、億が一、言おうかどうか迷ったんだけどね、夏織ってさっ、なんか臭いよねっ、けど大丈夫、私は夏織のこと大好きよ、ぽんぽんなんて慰めるように幸らしい優しげな笑顔で言われたら私は、私は…くっ。


「うん。洗濯だな」


 決してっ、臭くないけれど備えておけば日々是平和。心の安寧は大事。やはり平和が一番だし。


「そうそう」


 私のヤツは洗濯機へ。まじ全然臭くないけれど、寧ろなんだかいい匂いだけれど、染み込んだ汗とか皮脂はまた別だから。私はいつでも清潔で良い香りのする女性でいたいのだ。夏織だけになっ。はっはっはっ。


 超うける。そう自画自賛する私の視線の先には変わらず幸がいて、当然その頭は枕に乗っている。

 私はついでに幸のヤツはどうかなぁと、隣の枕に顔を近づけて試しに鼻をくんくんとやってさり気なく体ごと反対側を向いた。幸を傷つけるわけにはいかない。


「な、なるほど」


 何かに納得したような言葉を口から出したのは決して臭かったわけじゃない。絶対違う。愛しの幸はいつもいい匂い。花なの? って思うくらいだから。咲き誇るワイルドローズ的な。

 私は今、何となく、何となく体を背けただけ。ただ洗濯物にもう一枚、枕カバーが追加されただけ。


「だ、だな」



 まぁ、それはそれとして、週末のお休みだというのにいつも起きる時間に目が覚めてしまった。

 それはもう毎回のことだけれど、私はさっきまでとてもいい夢を見ていたというのに。


 私は夢の中で、食べ損なったあのバタークリームを使ったモカのケーキを食べている最中だったのだ。コレ美味いなと、いくらでもいけちゃうなと、五つ目を追加で頼んだところだったというのに。

 しかも愛しの幸は今と違って以前のように、たんとお食べと、そんなんじゃあそこの席の女の人に負けちゃうよ、いいの? と言ってくれたというのに。そこには謎の圧なんて少しも漂っていなかったというのにっ。



「んーっ」


 けれど私は大きくひとつ伸びをしながら、私にしてはあり得ないくらい珍しく、なんだよくそうと悪態を吐くのも忘れて、すっかり慣れたんだなぁと思っているところ。


「だはぁぁ」


 きーきーかぁかぁが聴こえてこなくなったここに住んで約半年が過ぎた。

 ここで生活をしているうちに、前の部屋よりもここが都心近くに建つ分だけ遅くまで眠っていられるようになった毎朝の起きる時間は既に体に馴染んでいる。


 毎朝ふたり分の朝ご飯を用意するとか、幸が使ってとっ散らかった洗面台を綺麗にするとか先に出る幸を何にも置いて玄関で見送るとか、きーきーかぁかぁに変わって聴こえる鳴き声が、ぽーぽっぽっぽぽーって独特なリズムで鳴く鳩になったとか。ヤツらの鳴き声はなかなかでかい。


「こうでしょ。幸、なに言ってんの」


「いいえ。こうよ。いい? ぼーぼーぼぼー、だよ」


「「花ちゃんっ」」


「そんなのまじどっちでもいいよ」


「「くっ」」


 と、その鳴き方について、私と幸の間で論争があったりもしたけれど、花ちゃんの言う通りどうでもいい話のくだらない思い出。



「あとは…」


 くそっ、狸が居着いてしまったとかもそう。

 たぶん、意識していなくても他にも変わったことが色々あると思う。


 つまりそれは、幸と私がここで暮らしていくための仕様に私の体が仕上がりつつあるということ。慣れるとはそういうこと。当然といえば当然だけれど私はそれを嬉しく思う。


「うんうん」



 そして増えたものもある。

 その最たるものとして、いま私達の家のリビングにある壮大な棚には写真立てがある。

 この寝室にもそれがあるけれどここのは次点のヤツ。眠る幸の奥に置いたタンスの上に微笑む私達がいる。

 いずれもウェディングドレスを着て、ただただ嬉しそうな顔を寄せ合って幸せいっぱい微笑み合っている私達がいるそれは、切り取った思い出であり永遠だ。





「ねぇ。夏織はどれ?」


 PCに取り込んだ件の写真達。10枚まで絞り込んだ候補の中から私は私の一枚を選ぶために、うーんと唸って真剣に画面を覗き込む私の反応を窺うように訊いてくる幸はちらちらと、幸の中ではこれしかないでしょうと思っているだろう写真と私に伝われ的に交互に目線を送っている。


「どれ?」


「待って。いま選んでるから」


 その目線だけでなく、寄せた体と目線ちらちらに合わせて微かにくいくいと動く顎が私に圧をかけている感じがして少々鬱陶しい幸が何を期待しているのか丸分かり。ばればれのばれ。


「うーん」


 けれど幸がほら、それ、ほら、それを選びなさいと圧をかけるその一枚の写真は、撮ってもらったヤツを何度も見返していた私も私の中でこれしかないなと思っていたヤツ。さすがの私達はこういうことでも繋がっているのだ。


「やっぱりこれだな」


「おっ。やったっ。おんなじだ」


 幸はよほど嬉しかったのか、すぐに床に両膝をついて、喜びを表現する定番のポーズ、いってしまった人になっておおおーとやりだした。

 選ばせようとしていたくせにと思うけれど、やっぱり私も嬉しくて、ファイブを寄越せと騒がしい幸に向けて広げた右手を出した。


「いぇーい」


「いぇーい」


 途端にひゅんっと風を切る音とばしっという音とともに私の手のひらに痛みが走る。私は元々は野生のさちちを侮っていたのだ。


「いたっ」


「あっ。ごめんごめん」


 手のひらを合わせるようにべちってする筈がさちちの力が入り過ぎて、ばちって叩くようになってしまったハイではないけれどファイブ。

 幸は慌てて痛がる私の手を取って摩ってくれた。


「平気だよ。びっくりしただけ」


「ほんと?」


「うん」


 野生の力は凄まじい。りんごを軽く握り潰せるだろうさちちの力の強さを忘れていた私も悪かったのだ。


「おーよしよし」


 いいんだよ。次はから気をつけようねと、私はしおらしくなって反省しているさちちの髪をわしゃわしゃする。


「うほっ」


 どうやらちゃんと伝わった様子。さすがさちちと私だなと、絆は固いなと私は思った。



 と、あいも変わらず楽しくやりながら数ある写真の中から幸とふたりで厳選した結果、満場一致でチョイスされて、解像度が粗くならない程度のB5の大きさで印刷されたそれは見るからに、互いに凄く大事にしてとても大切に育んできた愛が溢れ出してしまっている瞬間の写真。それはまさに、私達の愛の結晶が光り輝く一瞬を見事に捉えた一枚と言える。


 そして寝室にも次点だった違うバージョンの写真が飾ってあるというわけ。何が劣っているとかじゃなく、ただ少しだけ寄り過ぎで、着ていた素敵なドレスがよく分からなかっただけのこと。


 時が過ぎて、何個も取ったバックアップや保存していたデータが全て消えて失くなっても、あの日のことを憶えている人間が誰一人いなくなっても、歴史書に記されることが決してなくても、した事実は事実として未来永劫変わることなく残る事実。

 私も再び生まれ変わるまでは、絶対に忘れず憶えていられると漠然と信じている永遠だ。




「ふへへ」


「またなの?」


「いいでしょ」


「いいよ。くくく」


 それを飾って二週間あまり。料理をしている時や掃除とか片付けなんかをしている時なんかに、私は自然とその写真に目がいっていて、そのたびに顔がにたぁと綻んでしまうし今もそう。


「まじ素敵」


「だねぇ」


 そんな私にまた見ているんだ、夏織も飽きないねー、私もだけどねなんつって、背中から手を回してぎゅっと包み込んでくれる幸もまた、勉強している時や、キッチンに立つ私に引っ付いて私の洗い物なんかを邪魔をしつつもそれに目を遣って微笑んでいたりする。

 それに気づいて私も棚に目を向けながら、ソレを目にするたびに思うことを口にする。


「花ちゃんのお陰だな」


「うん」


 私は少し視線をずらし、その横に飾った、私と幸と花ちゃんの三人で仲良く笑っている写真も視界に収める。


 こんな私を構って可愛がってくれて、気にかけて心配してくれる私にとって大事な存在、私の姉がとても楽しそうに笑っている。なんとも言えない気持ちになる。


「まじで感謝しかない」


「うん。ほんと、花ちゃんはさすがだなぁ」


「うん。さすが」


 愛されてるよね私達。特に夏織はさ。やっぱりなんか妬けるなぁと幸がぶつぶつと言い始める。



「あ。始まっちゃうなこれ、てか始まってるし」


「くっ。なんで気づかなかったかなぁ」


 それは着替え終わったあと、スタッフの女性に、あのぉ、もうそろそろと言われるまでしつこく写真を見ていた時にあったこと。




「ふたりとも。これ私のね。よろしく」


「わかった」

「へ?」


「うん。花ちゃん、いいねこれ」


「だよね。さすが夏織は分かっているね。この写真みんなきらきらしてるよね」


「わかる。これすごくいいよ。仲良し三姉妹って感じ」

「んんん? ねぇ、なんの話なの?」


 この表情とか凄くない? いいね、なんて盛り上がる私と花ちゃん。幸の視線は私と花ちゃんの間を行ったり来たり。台詞の通り、何も分かっていなかった。


「じゃあこれで」


「うん。隣に飾っとくから」


「よろしく」


「飾るの? あっ」


 最後に気づいた幸は悔しそう。なんのことはない。花ちゃんは私達三人で写る写真の中から気に入ったヤツを選んで、二人の家に飾っておいてねとお願いしてくれたのだ。私のことも忘れずに、じゃないと泣くぞと伝えてくれたのだ。




「大丈夫。幸もそのうちわかるようになるって」


 妬けるとかやっぱちょっと面倒くさい幸は恋愛とかそういうんじゃなくて、私と花ちゃんのつーかーの仲に嫉妬したのだ。

 姉妹として私達が何のことを話しているのか分からなかったことに口惜しさを感じているのだ。


「ち、ちょっと」


「くっそう」


「ぐ…」


 苦しいから回してくれた腕の力加減を間違えるのはやめてほしいところ。私はなるべくなら、ぐぇとかぐわとか、女性にあるまじき声を口に出したくないのだ。

 けれど、私と花ちゃんとつーかーの仲良しになりたいと思ってくれるていることはとても嬉しくもあるけれど。


「さ、幸もさすがだからねっ。私にはっ、一、番っ」


 私を一番分かっているのは幸だからねと、私は幸を宥めにかかる。苦しくたって私の持ち技ゆるふわ攻撃、腕を離してとっとといってしまえと可愛く微笑んでみせる。


「がっはっ。う、うん。そ、そうだよね」


「ふう。まじ苦しかった」


 弛んだ腕にほっとしながら私はにっこり笑って振り返り、幸に向かって、んって口を尖らせる。幸がそこに触れてくれる。


「もっと?」


「うん」


「かは。かわいい」


「早く」


「がはっ」


 私達は馬鹿ップルだから、こうして突然いちゃいちゃが始まってしまうのは仕方ないこと。

 好きだよまじでと幸を想う気持ちが伝わるように私はこの腕に力を込める。


 そしてまたちらりと写真立てに目を向けてほくそ笑む。

 写真。雛人形のように早く片付けないと婚期が遅れるとか、そんな迷信があるのかどうか知らないけれど、私にはソレをしまうつもりは少しもない。だって私達は結婚したのだから。婚期とかどうでもいいのだから。

 私も幸も、そして隣の写真の中にいる私達と写る花ちゃんも、それを逃すことはないのだから。




「ここに飾ろう」


「え。この子達どうするの?」


「どかす。てか、捨てればいいじゃん」


「はい?」


 絶望。突然のことに、幸はそんな顔をしている。なんでそんなこと言うのとソイツらの前で両手を広げた。その切れ長の目には涙なんぞが溜まってきている。いや、まじでやめてほしい。


 私は思わず顔を背けてしまう。それはそうだ。私は噴き出す寸前だったのだから。


「ぷっ」


 その顔やめて無理、反則でしょと思いながら、私はけらけらと笑い出すと、目に涙を浮かべながら幸が傍にきて、なんだよもうと私をぽかぽかと叩く。痛くないからそこは大丈夫。

 そして私達は暫くのあいだ、なんだよー、何がよと、いちゃいちゃしていた。



「もう。冗談やめてよー」


「本気だけど」


「なっ、なにをー。だめー」


「うわぁ、やめろって」


「やだ。うりゃ」


「「あたたたた」」



 そうやって、ふたりで楽しく遊んでいるあいだも、問題のくそ狸達は薄ら笑って私達を見ていた。まるで、私達を見守りつつも祝いたいから仲間に入れろとでも言いたげに。月夜だし、みんな出てくればいいじゃない的なヤツ。


「いや、おかしくない?」


 なんでいい話みたいに締めてんのと悩む私に幸もまた、あははと笑って私を見ていた。お腹を。似てるねそこもと頑張って笑いを噛み殺す的に。


「幸」


「なぁに。くくく」


「おらぁ。頑張って堪えてんじゃないぞっ」


「くくく。いだっ。ごめん。いたいっ。ごめんなさいっ」


「誰が許すかぁ。うらぁ」




 ということで、狸達は誰も居なくなった、と言いたいところだけれど、写真のために場所を変えただけでまだそこに居やがる不思議。


 けれど、それを許した私はやはり変わったのかも。幸仕様に。なら、それ自体は嬉しいことだからよしとする。幸の色に染まっていくということだから私が嬉しくないわけがない。

 狸達については、また次の機会を待って今は大人しくしている。その時に全て捨てればいいのだ。いける。


「てか、やる」


 私はよっしゃと気合を入れた。いま入れちゃうと確実に保たないことは分かっているけれど入っちゃうものは仕方ない。仕事以外は効率よくとはいかないのだ。

 はい残念。けれど、そういうところはいつまでも変わらないと思う。だって私はそうやって、いつまでも幸と遊んでいたいのだから。不快だけれど楽しいし。




 ああ。変わると言えばここ最近この社会で、私達の立場が変わるかもしれないことを予感させなくもないような気がしないでもないように思わないこともない出来事が二つ、立て続けにあった。


 それは、地裁とはいえ婚姻について、それ自体は違反していないとされたものの、今の私達のような人間の状況が憲法の定める法の下の平等に違反していると判断されたことと、最高裁において同性愛者の事実婚が認められたことだ。

 つまりこの先、その違憲状態になんらかの是正がなされる可能性がなきにしもあらず的な感じになって、今回の最高裁の判断は判例として、今までまちまちだった下級裁判所の判断を拘束することになる。筈。

 ひいてはそれらが私達にいい影響を与えてくれることになるかもしれない二つの出来事。画期的といえば確かに画期的。


「けどなぁ」


 とはいえ眇める私は懐疑的。

 例えばアレ、違憲状態と言うのなら、一票の格差というヤツはどうだろう。選挙のたびにそんな話が出ては、時間が過ぎて忘れた頃に違憲状態だけれど選挙自体は有効と判断されるソレ。

 有効なら特に影響はないし、まぁいいかなんつっているかどうから知らないけれど結局はなあなあで済まされるような、ふんぞり返ったお偉い人達が本気で手を付けるつもりは私には無いようにしか思えないソレ。

 もしもヤツらが是正ってなんのこと? と一斉に首を傾げていたらと思うと暴れたくなる。パンチのひとつもくれてやりたくなる。


「うらっ」


 なんかムカついて思い切り繰り出してやった私のパンチは虚しく空を切る。的がないのだから当たり前。



 事実婚についてみれば、私達もいつか何かしらの恩恵を被ることになるかもしれないし、万一の時にはそうだといいなと思う。


 けれど私達には今のところ何ひとつとして明確な法律がない。つまり私達の事柄は、裁判官の法の解釈によってのみ救われたり見放されたりしているのだ。


 私は無いなと思うけれど、もしも今回の出来事で、私達のための法律について何か始まるとしても、誰もが何もかもが手探りだし、法を整備するにしても両性のと文言がある以上、下手をすると憲法改正の話になってしまう。そうなったらどれだけ時間がかかることか。


 ほら。やはり私達の安寧はいつの日に訪れるのやらと思わざるを得ない。

 きっと私はその頃には、私のライフプラン通りに寂れた温泉街のお土産屋さんでカビの生えた饅頭を食べたところを幸に笑われていることだろう。

 ったく。鬼もとっくに笑い終わっているというものだ。何を笑っていたのか憶えてもいないだろう。


 だから今回のことも、やったねっ、そんな判決が出たよ、これからに期待だねっと、簡単には喜べない。今回の件が画期的であっても、いつものように何かが進む切っ掛けにすらならないかもしれないから。


 ちりはちり。いくら集まってもちりだよ。ちりちり。とか思っていそうな立法府において、いまだまともな議論すらされていないし当事者以外からすれば私達の問題など、今までにない斬新且つ大胆ななんたらかんたらをスピード感を持ってしっかりと取り組んでいくっ、的な話ではないのだから。


「いや、にしてもちょっと…ぷっ」


 ふと、何度思い返してもヤバくない? なにそれ意味わかんなくてやっぱ面白いなアレと、私は笑ってしまった。

 だって、私達のような人種についての法律を導入するにあたって述べられた、どこかの国の偉い人の感動的なスピーチと比べると、斬新且つ大胆なんたらとか、もうね、むり。


「お、お腹痛い」


「うーん」


「あ。ヤバい」



 幸が起きちゃうからなと、私は笑うことをやめた。それはもう頑張って。だって大胆なーとか絶対面白すぎるから。



 とにかく、私達は特に期待をしていない。いいことあったなこれならいけるいけると期待してそれを待っているうちに、私と幸はお婆ちゃんになって、そろそろお迎えがくるねなんて言っているうちにいってしまうかもしれないのだから。そんなの時間の無駄だから。私と幸のどちらか欠けても意味ないし、そもそも私達はそんなに長くは生きられない。だって人間だし。


 もしも首を長くして待ち続けているうちにろくろ首にでもなったなら、現実になるまで生きていられるかもだけれどなっ。だってそれ妖怪だもん。はーはーはー。


 あ? なに? は? 人間じゃないから駄目ってか? 適用されないってかっ? 

 あんだとー。


「おらおらー」


 怒りに任せ、無数に繰り出す私のパンチとキックは空を切る。その途端、隣の幸が迷惑そうにまたうーんと唸る。我に返って私は大人しくなった私。


「…あほか」


 はぁはぁと息をしながらいかんいかんと反省する。愛しの幸の眠りをこんなことで邪魔してはいけない。私はちゃんと対処できる。忘れてしまえばそれでいいのだ。幸はいつも鋭く察してくれるけれど、本来なら、私の心の移ろいなど、幸は知らなくてもいいことなのだ。

 移ろって、ひとり心の内で怒ったり嘆いたりする私のことなんかで、幸まで心を痛める必要などどこにもないのだから。




 最低限の権利とやらが欲しいのなら、人によってはパートナーシップ制度あるじゃん、ソレ使えばいいじゃんと思うかもだけれど、そんなことは、たとえ住む地域が限定的でもいざとなったらそれもありだと常に頭の中にある。


 けれど今は麗蘭さんが紹介してくれた弁護士さんと相談をしながら、公正証書で遺言書とかを作成して私達を守ることにしている。

 私は弱虫だから表には出ない。私達はできるだけのことをしてできるだけ隠れている。

 それは、本当は幸には物足りないことなのかもだけれど、幸は幸で、私が傷つくことを決して良しとしないからそれが私達のスタンスになっているのだ。


 私達がもこもこって表に出るのは私達にも法律上の婚姻が認めらるようになった時だけ。土の中で腐り果ててそのまま還る可能性は高い。

 早いうちに認められれば、それは凄いことだけれど、それでも怖いものはある。嫌悪感という、そればかりはまじどうしようも出来ないヤツ。

 嫌でも私達を迎えてくれちゃうソレ。もしも成ってもうへぇは続いていくのだ。


 とはいえ、今の備えで足りなくなったなら、大事なものを守るためなら、もちろん申請させていただきますとも。

 そういう意味で、私達のセーフティネットとしてのパートナーシップ制度の存在は凄くありがたいなと思うけれど、どうせなら条例ではなく国の法律でお願いしますねと思っていてもいいでしょうよと私は思うの。


 以前にも言った通り、私達はストレートの人達と同じ国民としての義務を果たしているのだから。そこに差異はないのだから。


 同じように取るだけ取っておいて、そこは我慢していてねとかそんなのまじ鬼畜の所業だから。私からすればそんなものは、虐めもここに極まれりというヤツだから。その口で虐めは駄目とかしれっと言っていたとしたらほんとくそだなまじだっさいって思うから。

 何かあるたびに意地悪な書き着込みをする人達も同じ。まじくそだなって思うから。


 今回も、まぁ、いっぱいあった。私は訴えられたら面倒だから何も言わないけれど、興味があるなら見てみるといいと思う。それを私達の立場で見ることができる人なら、いらいらのいらになること請け合いだから。



 裁判所の二つの判断を受けて、肥に肥え太った重い腰を上げて、スピード感をもって私達のための法整備をしてほしいところだけれど、責任を取ろうとしない、取ることすらできない恥知らずで面の皮の厚い利権に塗れた偉い人達がなんの旨味もないのに私達のような人間のために率先して動いてくれることはない。決してない。


 そうやって社会は今日も平和に回りつつも私達は置いてけぼり。私は物知りだからそれを知っている。だから待ちぼうけたりしない。当然、幸もしない。


 私達は今回のことについて話をした時、一緒に暮らし始めた日のように喜びの舞は舞わなかった。

 ただ、ふーん、そっかと目を合わせて、だといいけどね的に、はははと乾いた声で苦笑っただけ。


 喜ぶならそうなった時に喜べばいい。私達は期待することに疲れてしまった。それは今に始まったことじゃないけれど。


 私達がすることはもはや期待じゃない。今ある手段で私達の生活を大事にしていくことの方が大事。それ以外にない。

 私達はそこに心血を注ぐ。どばどばどばって感じでなっ。たとえ貧血になっても大丈夫。その分レバーを食べれば血は増えるから。


「ちょい苦手だけどなっ」




 と、あったと言えば確かにあった、ウィーキャンチェインジ的な出来事二つ。


 いや、あたかもを使って例文を作れ的な、そう言えばそんなことが二つ、あたかもしれないなぁ、というくらいのヤツ。

 なに言ってんのコレと、作ったヤツを読で一瞬固まって、そのあとぷって笑っちゃうヤツ。

 そんぐらいのヤツが二つ。


「うける。笑っちゃう」


 それでももしかすると私達を取り巻く世界が少し変わるかもしれないことが、そう思うことを期待してしまう出来事が二つあった。


「あ、これもうむり」


 私の思考はそこで途切れる。私はもはや限界だったから。


 全く起きずに今も隣ですやすや寝息を立てる幸を起こさないように、私はさすが幸だなと思いつつ今らさながら静かに起き上がる。

 目を覚ましてからずっと自然に呼ばれているのだ。そりゃあ、限界がくるというものだ。


「よいしょ」


 ついでにぐちゃぐちゃになった思考も一緒に水に流してしまうつもり。

 それを手早く済ませてベッドに戻り、私はいまだすやすや眠る幸の胸へと潜り込んで心置きなく二度寝をするのだ。

 それで私は大丈夫。いけるいける。


 普段からぼーっとしているようでも、私の胸の内が今みたいにぐちゃぐちゃになる朝もある。たまには朝から無駄に忙しかったりもするのだ。やはり私は私だから…あ、ヤバい。それっ。


「いそげいそげ」






 無事にトイレから戻って、うーんとむずがる幸に構うことなくその胸に潜り込んで惰眠を貪った朝、というか午前中、二度寝から目を覚ますと幸が私を抱いたまま微笑みながら私を見ていた。


「あ。幸。おはよ」


「おはよう夏織。涎出てる」


 そこそこと指をちょんちょんやって、それで溺れないなんて夏織はやっぱり凄いねと幸は私を褒めてくれた。


「あ? ああ」


 私は素直だから、それを額面通りに受け取って気にせず流し、顔を動かして枕カバーでそれを拭った。どうせ洗濯するからそれでいいのだ。


「お腹減ったね」


「…幸さぁ」


 私こう見えて寝起きなんですけどと、ねって、泣きそうな笑顔で人を巻き込むように言われてもと、似たようなことが何度もある呆れてしまうお休みの日のいつもの朝。

 だから私は次の台詞を知っている。


「「だっていつもより三時間は遅いんだよ」」


「「なっ、ななな」」


 幸のことなら大体のことはお見通し。私は台詞を被せてやった。


「んーっ」


 私は大きく伸びをして、だはぁと気持ちよく脱力してから固まる幸の頬にキスをしてベッドを出た。

 幸、トイレにいっといれと促すことも忘れない。私はさっきしたからまだ平気だから、平日の朝のように争奪戦にはならないのだ。


「さて、やるか」


 私はこれから女性としての朝の諸々をこなして、一緒に眠ってくれるだけで朝から私を癒してくれた愛しのはらぺこのためにご飯を作る。

 癒しのお礼に焼く予定のフランクフルトを一本おまけしてあげるつもり。一本だけ余らして置いても仕方ないから。


 ふふふ。理由はともかく幸の笑顔が楽しみだなっ。



 サラダとツナ入りのスクランブルエッグを作り終え、マグにジャガイモのポタージュの粉を入れる。そこに少しだけお湯を入れてしゃかしゃかと掻き回す。それは粉がダマにならないようにする私の秘策。そうすれば全てが溶けて、マグの下にダマ状の粉が残って味が薄くならずに美味しく飲めるのだ。食べる直前にお湯を注げばそれで完璧。私は頭がいいからある日それを思いついたのだ。


 それから火が通り易いように切れ目を入れたフランクフルトを火にかける。

 フライパンをがちゃがちゃとしていた私の背中越し、覗いてソレの数を数えた幸はまさかまさかとそわそわして落ち着かない様子だった。


「幸。落ち着けって」


「え。だってさ」


「もう焼けるから、そっちのできたヤツ運んでおいて」


「おうっ。まかせろっ」


 言った途端に背中に感じていた幸の重さと温もりが消えた。サラダとスクランブルのお皿を持って、さささと運ぶ幸の姿にちらりと目をやって微笑みつつも若干の寂しさも感じてしまういつもの風景。


「よし、できた」


 美味そうに焼けたフランクフルトをお皿に盛って、ケチャップとカラシとマスタードとともに私はととことこと幸の傍、どっこいしょっと腰を下ろした。お湯を注いだマグ二つも忘れていない。こういう時の私は凄く器用なのだ。


「はい」


「やっぱり。一本多い」


「そうだよ。それは幸の。遠慮しないで全部食べてね」


「やったっ」



 声を揃えていただきますをして、今日は私の誕生日じゃないよ? なんて、揃った朝ご飯を前にそんな冗談を口にしながら、さっそくフランクフルトを頬張る幸はやっぱり笑顔になった。


 その冗談はいただけないなと思いつつ私は顔を綻ばせる。嬉しそうに食べる幸に満足する。


 千切ったパンをポタージュに突っ込みながら視線を前にやれば壮大な棚。そこに飾った写真が目に入る。

 私と幸。そして花ちゃん。どちらもみんなで笑っている。私はさらに頬を綻ばせる。満面の笑みというヤツ。


 私の側に居てくれる人達はみんな、時に私に厳しくてもいつも優しくて甘い。

 私の大好きな人達。決して大きくはない私の大事なコミュニティ。それに甘えつつも、私もそれを返していきたいと思う。


「うんっ」


 私は充たされているのだと強く感じる。


 確実にそう思える朝、というには少し遅い時間。過ぎるのは一瞬。次の幕へと移っていく。次に待つのが楽しいこととは限らない。


 けれど私は知っている。


「美味しいよっ」


「ちょっ。今なんか飛んできたぞ」


「細かいなぁ」


「幸。そういうことじゃないからなっ」


 こうして日常を過ごしていれば、また嫌なことが私と幸を待っている。時にはひとり、またはふたりで泣いてしまうようなことも。

 けれど、いっぱいの嬉しいことや面白いおかしなこともまた、私と幸を待っている。早く来ないかなぁと、列を作って待っているのだ。


 だから平気。これからだって私も幸も全然平気。期待して、けれどそのたびに空かされたって私達は大丈夫。


 それにね。

 何も無いからこれ以上は下がることもないでしょ? 悪くて現状、良ければ上がっていけると私は思っておくの。


「「いけるいける」」


 ほら。ね。


 なら、きっとみんなも大丈夫。いけるいける。





お疲れ様でした。いつもありがとうございます。


二つの裁判ついては、あくまで私が受けた個人的なアレです。受け取り方は人それぞれ、多々ある筈ですから。


そして私はつい先日、十五個入りのロシアケーキを手に入れました。記憶にない美味そうなヤツもあって、超テンションが上がりました。記憶より小ちゃくなっていたとしても、超美味かったからそれでいいのいいの。



「はいこれ。八つあげる」


「おっ。ロシアケーキじゃん。しはかた、まじ?」


「まじまじ。超美味いよそれ」


「やったっ。幸と食べよっと。あ、あと花ちゃんにもだ」


夏織はとととと走って行った。


「可愛いなぁおい」



読んでくれてありがとうございます。



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