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woman  作者: しは かた
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第七十一話

誤字報告ありがとうございます。目を皿のようにして精査しているつもりでも無くなることのないこの体たらく。助かりますです。


では続きです。


よろしくお願いします。

 


「んっんっんー、だいすっきっ」


「でかいなぁ」


 私の前に胡座をかいてどかっと座る幸は今、自分の声が聴こえ辛いのか私に聴かせたいのかだいぶ昔の歌をなぜか必死になって口ずさむ、というには無理がある、かなりでかい声で歌っている。


「けど。ふふふ」


 私はそのすぐ後ろで、まぁいつものことだからなとくすくすしながら幸の髪をぶおーとやっていたドライヤーのスイッチを切った。


「よし。これで」


「今日はうたーぅょー」


 それと同時に幸の声は小ちゃくなった。

 ということは、やっぱ自分が聴こえ辛かったのか幸ったらまじ可愛いなくそぉなんて思いつつ、さて本日の仕上がり具合はどうかなと、既に半ば自然に触れていた幸の髪の触り心地は絹のよう。私の指の隙間をさらさらと流れていくそれは、照らす明かりのお陰もあって天使の輪っかもよく見えて、くっ、眩しっ、ってなってしまう完璧さ。凄く艶々になったと思う。

 私はその出来に満足して頷いた。


「完璧だなっ」


 それから私はドライヤーを脇に置いてマッサージを始める。先ずは幸の頭を軽くくいくいとして、そのあと首筋を優しく、肩や肩甲骨の裏をほぐしていくのだ。


「ぎゅーう」


「おっ、ほほほ」


 幸が変な声を出したのは気持ちいいから。

 いいねと親指を立てられれば調子に乗るのは当たり前。私が好きでしていることだけれど、より熱が入るというもの。

 それでもマッサージ自体はあくまで軽くと気をつけて、調子に乗るのは声だけにしておく。変に力を入れて、いてて、あれ? く、首が、いててなんて幸の調子が悪くなってしまっては絶対に駄目だから。こう見えても私は思慮深いのだ。


「ぎゅぎゅーう」


「おほほー。気持ちいいっ」



 最近の幸の肩や肩甲骨の裏は固い。骨の話じゃなくて筋肉の話。骨はみんな固い。だからソレは揉まない。それくらいのことは私でも分かる。大丈夫。


「ぐぃぃぃ」


「うほっほぅ」


「さちち。気持ちいいの?」


「うほうほ」


 理由は簡単。幸は勉強している時はずっと同じ姿勢をしているから。

 たまに気づいたように、こ、腰がぁと伸びをしたり寝そべったり体勢を変えたりしているけれど負担がかかって色んなところが固まってしまうのだと思う。



「ててて。じー」


「ん? はい。ここ。寝て」


「やったっ」


 そんな時は私に縋る目を向ける幸に、ぽんぽんとラグを叩いてここに寝そべってとやって、マッサージをしてあげるしさせてもらう。いつも言うけれど、幸が甘えてくれば嬉しいし、私はそれをしたいからするのだ。


「わかるんだ」


「当然でしょ」


「だねっ。へへへっ」


 そして幸は、少し照れた感じで鼻の下を人差し指で擦りながら穢れを知らない笑顔を見せてくれるのだ、それは私の顔には最初から浮かんでこなかったであろう清々しくもきらきらしたヤツ。


「少年か」


 まぁ、羨ましいとは思わない。人にはそれぞれ出来ちゃうこととしたくても出来ないことがあるのだから。

 憧れは憧れだと、この歳になってみればそれが分かる。たとえ分かりたくなくても分別がつけられるようになる。

 けれど、そうやって現実を知るということは己の可能性を狭めるとか捨てるとか諦めることとは少し違う。私は私と、私がちゃんと弁えることができるようになっただけのこと。


 そう。ただそれだけのこと。だから私は泣かない。





 幸は頑張り屋さんで私とは違う。集中力も桁外れ。綺麗な指で回すペンも落ちることはなかった。

 連休中日の今日も今日とてちゃんと頑張っていたから体が凝るのは当たり前だのー、って、まぁ、それはどうでもいいな。


 そういう意味では私は全くと言っていいほど凝りを知らない。

 なぜなら私は家に居てまでストレスの溜まるようなことはまずしないから。

 私が一手に引き受けているように思える家事全般は私の好きなこと。そこに不満は少しもない。

 そしてそれ以外の時間は、私は幸の傍で甘くて美味いヤツとともに好きなことをしてだらだらと自堕落に過ごしているだけだからなっ…いや、泣いてないし。そこはまじ幸せだし。


「やっぱ凝ってる。この辺とか結構かちかち」


「そう? 私あんまり、あぁぁ、肩凝りとか感じないんだ、ほほほ、けどねぇぇぇっ」


「まぁ、かちはそうだろうけど、私とか花ちゃんくらいになるとさ」

「なるとなぁに?」


 謎の圧など比べものにならないほどの凄い圧。それがたった今、ぐわぁと溢れ出した。それの出どころはもちろん幸。ブローしたばかりの艶々な髪がうねうねと蠢いている感じがする。


「なると…」

「なぁに?」


 私に背を向けていても、声は優しくても、この圧は圧倒的。このままでは轢かれてしまったげこげこのようになってしまう。さすがにあの姿は恥ずいし切ないしまじ勘弁だから私は頑張った。


「アレ美味いよね」

「えいっ」


「あだっ」


「ふーんだ」


 はい残念。

 ついからかってしまったから幸は少々ご立腹。私は幸を宥めにかかる。

 それが取って付けたような内容でも私の本心。そこは私の好きな私の居場所なのだ。


「ごめんごめん。けどさ、私は凄く好きだから」


「ほーう。なら許してやる」


「まじだから」


「大丈夫。そんなの知ってるよ」


「だよね」


「じゃあ、そんなに好きなら今日眠るとき、この胸に抱いてあげようじゃないの」


「やったっ」


「ま、夏織はお腹も凝るだろうしね。なんか可哀想だから労わってあげる」


「あ? 幸っ。お腹がDカップとかふざけてんのか?」


「言ってないけどそれだとちっちゃくない? さば読んじゃだめよ」


「がはっ」


 ばたっ


「あはは。うそうそ。あら、大丈夫?」





「はっ」


 ほんのちょっとのあいだ気絶したのかもしれない私は幸をくいくいとマッサージをしていた。何か嫌なことがあった気もするけれど、気づいたら私の記憶は飛んでいたのだ。


「あれ?」


「なぁぁにぃぃ」


「いや、いいや」


 嫌なことなら忘れていてもべつにいい。何かあったかはさて置き、今、おぉぉ、いぃぃと私の手の動きに合わせて声を出している幸は完全に素で、無防備に背中を向けて私に全てを委ねていた。なされるがままというヤツだ。


 そうやって私に信を置いてくれる相手がいることを、それが素敵な女性の代名詞的な幸であることを、その幸と信頼と愛情で固く結ばれた関係を築けたことを、私は凄く誇らしく思う。こんな私にも珍しく、自慢できるものがあるんだと思わせてくれるから。


「ここ目のつぼ。ぎゅうぅぅ」


「いてててて」


「痛いってことはやっぱ疲れてるんだな」


 まあ、今のこの国、このくそったれな社会では、結婚は? とか彼氏は? なんて誰に訊かれても、へへへ、実はねぇなんつって浮かれて、一番大事で大切なこの関係をおいそれと自慢することなどできないけれど。


 する気もないけれど、もしもそんなことをすれば社会的に終わるから。たとえ表面上、万が一にも多様性とかいう言葉に守られて終わらずに済んだとしても、水面下では確実に終わるから。


 個人の口を縛ることなんて出来はしないのだから、陰で色々言われているうちに居づらくなって、結局は所属しているコミュニティから逃げ出さなくてはいけなくなるから。


 社会なんてそんなもの。それを形作る人達も今のところそんなもの。モノを抱えた私からすれば無知で無関心で臆病で無慈悲な薄情者。

 とはいえ、テレビとかで何かの社会的弱者の特集に、それはきついよなぁとその時は心を痛めても、昔からあしながおじさんに募金すること以外は特に何かをしない私も他からすれば同じこと。それは分かっているけれど、それでも私のことについて文句の十個くらいは、言いたくなったらいつだって言わせてもらう。


「だって人間だし。かをり」


「あはは。さすが」


「まあね。あ。私は全然へいきだから。ありがと幸」


 マッサージをされて、ほほほぉと変な声を出しつつも、私の心の移ろいを鋭く察して心配してくれた幸に向けて私は明るくそう言っておく。だって、これが紛れもない人間である私なのだから。


「さすが」


「まあね」


 今わたしが無理なく笑えているのは幸のお陰。人生を閉じるまで傍に居てくれる幸のお陰。どこに出しても恥ずかしくない私の自慢。


「ありがと幸」


「こっちこそだよ」


 私がその背に抱きつくと、愛しの幸は回した腕に優しく触れてくれた。

 ああ、愛だな、と、私は思った。






 こうしてお風呂上がり、私はいつものように幸の髪をブローして、マッサージをしながら記憶を失くしたりぶつぶつ文句を言っていたところ。

 両方とも超楽しかったし幸といちゃつけたし私はとても満足しているところ。


「はい。終わったよ幸。お疲れさま」


「んーっ。気持ちよかったぁ。夏織こそ。いつもありがとう」


 私に振り向いてにっこり微笑む幸の髪がふわりと揺れて、まるで何かのCMみたいだなと私の視線は束の間、幸に釘付けになる。かはってなる。



「いいのいいの」


 気を取り直しドライヤーのコードをくるくると巻き付けながら気にしないでと笑顔で返す私はこれをしたくてしているのだ。時間のある時はいつだって、こんなふうに幸の世話を焼きたいのだ。これも私が望んだ生活の一部なのだ。


「でも、ね」


「うん」


 幸は笑ってもう一度お礼を言ってくれた。十分に充たされていた私はそれで十二分に充たされて、よりいっそう微笑んだ。



「幸。何か飲む?」


「あっついからビールがいいな」


 幸が自分の顔を手でぱたぱたと扇いでいる。五月に入ったばかりの夜でも昼間の陽射しがたっぷり入るこの部屋には暖かさが残っていて、ブローとマッサージであちちになってしまったのだ。そう思う私もほんのり汗をかいている。


「はいよ。待っててね」


「よろしくー」


 暑いから私はダッツにしーようっと。そう思いながら立ち上がって、私はちゃんとドライヤーを片付けてからとことことキッチンへと向かう。


「うーん。今日はコレにしよう」


 冷凍庫を開けて悩むこと五秒。私は数個あるダッツが眠る冷蔵室から本日のダッツ、抹茶と、ついでに幸のビールを冷蔵室から取り出した。


「よいしょ」


 さらにグラスをひとつ不器用に持ってとことこと幸の元に戻り、ローテーブルにビールとダッツとグラスを置いて幸のすぐ傍に腰を下ろした。


 この私でもダッツのためならそのくらいはどうにか持てるのだ。スプーンだって忘れずにこの手にしっかりと握っているのだ。それが無いとダッツを食べられないからなっ。はっはっはっ。


「待った」


「えーっ」


「私がやるの。はい、どうぞ。幸はこっち」


「そっか。ありがとう」


 もう待ち切れないとばかりに幸がビールを取ろうとするのを止めてグラスを渡す。そこにビールを注げば見た目も美味そうな泡三、液体七の完璧さ。もしも路頭に迷いそうになっても、私はこれで食べていけるだろうあまりの職人技に、幸もごくりと喉を鳴らして私の号令を待っている。


「じゃっ」


「「かんぱーい」」



 私が掲げたダッツにグラスを合わせ、すぐに呑み出して、今度は本物にごくごく喉を鳴らした幸がさっそくぷはぁとやっているのを耳にしながら、私はナッツとかプレッツェルも入っているわたし専用ではないローテーブルに置く用のおやつ入れを幸の側に置いた。

 幸が何か摘みたいと思えばそこから適当に取るだろう。


 そして私はいよいよ周りがちょっとだけ柔くなったダッツを食べるのだ。

 ぱかっと蓋を取ってびりびりっとフィルムを剥がす。では。


 あむっ。



「うまーい」


 私はもう一口と口に運んだスプーンを咥えたままカップを持ってなんでこんなに美味いのかと、その秘密を探ろうともう幾度となく繰り返した横の内容表示を読んでみようとするけれど実はそんなのはどうでもいいこと。私はただやってみただけ。


 ちな、私は資質やカロリー表示のところは絶対見ない。てか、そこは視点をぼやかしたり視線を逸したりするから見えないのだ。

 二百三十…とかなんとか、そんなことは知ったことではない。


 私は美味ければいいのだと結論づけた。つまり、いつもの答えに辿り着いたわけ。


「美味ぁい」


「よかったね」


「うんっ。やっぱダッツだなっ」


「あはは」


 この時ばかりは謎の圧は感じない。幸に目を向ければ、グラスを口に運びながら優しく微笑んで嬉しそうな私を見ている。


「コレ抹茶だし、餡子乗せると美味いんだよなぁ」


 私は閃いたのだ。そういえば私のおやつ入れには、これは四月の分な、ほんっと高いのなコレと課長が悔し涙ながらに渡してくれたきんつばがあるのだ。十二個以上という契約に基づいて一箱六個入りのヤツを二箱くれたのだ。オフィスに一箱残しておいて持って帰って来たヤツが六個、いや、昨日、一昨日と幸とひとつずつ食べたからあと二つあったなと。


「そうだ。きんつばあるじゃん」


「きんつばねぇ。夏織、さっきプリン食べたよね」


 幸は、BIGって書いてあったこのくらいのおっきいのと、わざわざ持っていたグラスを置いてまでその大きさを手で作るとかまじで無駄なことをしている。私を嗜めるようにそれを私に見せてくる。


 まるで、今日はそれでお終いにしなさいと言われているような気になってくるけれど私は諦めたりしない。

 だって、抹茶と餡子のコラボは絶対美味いに決まっているから私は食べたいし、負けちゃうにしても戦いは始まったばかり。諦めるにはまだ早いのだ。


「そうだっけ?」


「そうよ」


「記憶にないけど夜ご飯に茶碗蒸しを食べと思えばなんか同じでしょ」


「茶碗蒸し?」


「そう」


「なんでいきなり茶碗蒸しが出てくるの? え、なに夏織、食べたの?」


「いや、あのさ、今のは例えでしょ。なんでわかんないの?」


 私も夏織も食べてないよねと、まさか夏織だけ食べたの? それずるくない? あれ? 私も食べたっけ? と、幸が困惑しているのははらぺこだから。まさかまさかと少し睨んで私を見ている。


 唐突に始まった食いしん坊漫才とか笑っちゃうし呆れるし、そのまさかじゃない方のまさかでしょうよ、なんでそれが分からないのよこのぽんこつめがって私は思うけれど、これで料理がからきしな幸が理解するほうが逆にこわいよなと思い直して、私はちゃんと説明することにした。


「だからさ」


 つまりね、同じ卵を使った料理だから似たようなものだし、プリンじゃなくて茶碗蒸しを食べたと思えばおかずだから。もしも仮に、私がプリンを食べていたとしても、幸みたく人の粗を探すようにしてまでプリンをわざわざデザートとして数えなくてもいいと思うわけよ。プリンと茶碗蒸しは違うようで似てるから。


「ね。わかった?」


 と、幸に分るように説明を試みたものの、幸は私の言いたいことがまだよく分からないご様子。

 えーと、今日のご飯は鶏肉の脚を焼いたのとキャベツの千切りとかぼちゃの煮たのと玉子焼きとご飯とお味噌汁だからやっぱり夏織だけ食べたんだねあり得ないよねとぶつぶつ呟き出す始末。これはこれでこわい。


「言っとくけどわたし食べてないから」


「ほんと?」


「大丈夫なの幸。いや、まじで」


 私はちゃんと説明をしたのにこんな大事な時だけ馬鹿になるとか、普段の聡明な幸はどこいったのよとため息を吐いた。


「はぁ」


 すると、私の冷たい視線に気づいた幸は、とにかくっ、こんなに大きいBIGなプリンを食べたでしょうと、自分の理解の足りなさを誤魔化すように、その意味を理解もしていない言葉をただ繰り返すだけの九官鳥に成り下がってしまった。


「BIG。こんなに大きかったよっ」


「そんなの普通じゃん。ジャンボ茶碗蒸しより小さいじゃん」


「え? なんでわざわざジャンボを付けるの」


「幸がビッグビッグって馬鹿みたいに言うからじゃん。とにかくね、私は夜ご飯に茶碗蒸しを食べたのっ。だからプリンは食べてないことになるのっ。だからデザートにきんつばを食べてもいいのっ」


「やっぱり夏織だけ食べてる。ずるい」


 そう言ったあとぷいと横を向いて押し黙ってしまった幸。なんでそこだけに食い付くのはらぺこってまじ面倒いなぁと私は思う。


「いや、だからさぁ…」


 幸の中では私が茶碗蒸しを食べたことになってしまったけれど、なんかもうどうでもいいし今回はこれでプリンはなかったことにできた気もするし細かいことを気にしては駄目。結局良ければなんでもいいのだ。


「まぁいいか」


 私は幸を諦めて、もやもやっとした気持ちを切りかえて、どうよ? もう文句ないでしょと、私は立ち上がった。当然、きんつばを取りに行くためだ。


「どこ行くの?」


「え。きんつば取りにだけど?」


「へぇ。そうなんだぁ」


「うん」


 けれどその途端、ぐわわぁって漂い始めた謎の圧。本日二度目の凄い圧。

 ソイツに蛙のように押し潰されるその前に、もう許さない、私の邪魔をする奴はどこのどいつだこの野郎と部屋を見回しても特に見当たらない。


「ちっ」


 いつもへらへら笑ってこっちを見ている狸達だったら喜んで捨ててやったものを。くそう。


「はっ」


 まさかそんなと思いつつ、最後に幸に目を向けると、幸は優しく微笑んで戸惑っている私を見ているだけ。


「なぁに」


「あっ、と。いや、なにも」



 結局、謎の圧に耐え切れずへなへなと座った私をえらいえらいと撫でる幸。よく我慢しましたと褒めてくれるその笑顔は血の通う本物、いつもの幸。さっきまでの微笑みとは違う気がする。


「いやまさかな」


 撫でられて褒められて素敵な笑顔を向けられてえへへと顔を綻ばせていく私はもはやぽんこつ。気分よくきんつばを諦めて、単体でも美味いダッツに手を伸ばした。


「ま、美味いからいいか。ね」


「くくく。そうそう」


 大丈夫。幸のわけはないのだ。愛しの幸が私に意地悪する筈がない。

 大丈夫。平気、平気な筈。


「あ。そうだ幸」


「なぁに」


「幸も今夜はあと二杯で終わりねっ」


「なななっ」



 ただし、こうなったら幸にも節制してもらう。私だけ我慢とかまじあり得ないから。


 固まる幸を見て、ざまあと笑う私。暫くして幸も笑い出す。


「ぷっ。その顔。いつ見ても笑う」


「やられたなぁ。あはは」


 こうやって戯れ合って少しずつ、私達は互いの体を気遣っている。私達はそれをちゃんと理解している。だからその時はがーんと落ち込んでも、怒る筈もなく笑い合えるのだ。







 部屋の暗がりの中、愛しの幸が上から私を見つめている。左腕を私の首に腕を回し、慈しむようにそっと私を抱いている。幸の右手が私をなぞるようにゆっくりと触れて始めて、私は目を閉じてその感覚に耐えながらも、時折目を開けて幸を見つめてはまた目を閉じることを繰り返していると、ついに私に近づいてくる幸の顔はすぐに欲望に満ち溢れたものに変わった。

 愛しているよこのえろおんなめと、そんなことばが頭の隅に浮かんだけれどきっと私も似たような顔をしている筈のこの目を閉じた。

 私の体もまた同じ。幸を迎える準備は既に万端整っていた。



 今更なことだけれど私は幸の胸も好き。慎ましくて埋もれなくても、そこに抱かれていれば、私は幸に守られている気になれる、安らげる私の居場所のひとつだから。


 幸の腕は細くて長いけれど力強くてしなやかでバネのよう。いつも私を包み込むように回される私の好きなヤツ。


 幸の手は私のよりも少し大きくて綺麗。お座なりな感じじゃなく、ぎゅっと握ってくれるから私はとても好き。


 その切れ長の目もこげ茶色の瞳も通った鼻も、大きな口もぶわわぁってなった波打つ髪も、長い手足も、細い体…はまぁ少しだけ、太ってしまえと思わなくもないけれど、かっこ良いい立ち姿も颯爽と歩く姿も凄く好き。


 美味そうにご飯を食べるのも、いつも美味しいねと言ってくれるのも、物事に打ち込む姿勢も、やるとなったら常に前向きでやる気に満ち溢れているところもとても好き。


 その反面、私に構ってほしくてくっついてくるような、実は甘えたがりなところも凄く好き。

 今より少し前の、いやいやと恥じらう乙女だった幸もまた然り。


 私にとって幸の唯一嫌なところは狸が大好きとかいう、そのあり得ない異常なところだけ。

 私は、わたし狸が大好きなんですぅ、とか言う人間に会ったことがない。そんな人間は動物園なんかの、係になって世話をしているうちに絆されてしまった飼育員さんくらいだと思う。


「だ、な」


「なぁに。ひとりで納得して」


「幸は、変わっ、て、るなっ、てっ」


「くくく。それを夏織に言われるとはね。お仕置きよ。こうしちゃう」


 とはいえそれも全部引っくるめて今はもう私だけのもの。最愛。



「んんっ。ねぇ、幸」


 幸の唇は薄いけれど柔らかい。唇なんてそんなものでしょうよと思うかもだけれど、ねだれば必ず触れてくれるそれは、私には特別そう感じる。


「夏織」


「んっ」


 それに触れられれば温かくて心地よくてこそばゆい。いつまでもそうしていてくれたらいいのになと思う。


 幸のキスは優しくて好き。それと触れ合って私の中に訪れる繊細で大胆な幸を逃すまいと戯れていると、とても愛おしく、心はどきどきというよりほんわかじんわりと充たされて、お腹の下の方がきゅんとなる。


 そして私はまた今夜も、幸の全身で私を愛してほしいと思う。この体は私が幸に与えることのできるもののひとつだから、愛しの幸の望む限り、私はこの体を幸の好きなようにしてほしいと思う。私は幸が大好きだから私もそれを心から望んでいる。


 私の我慢はもう限界。


「おねがい」


「ぐっはっ、ぐは」


 と、中々のいってしまいっぷりを見せてくれた幸。

 その幸が私を求めて私に触れてくれた。愛情いっぱい優しくてそれだけで震えてしまう。

 なされるがままに私は昂って、幸が私の奥に触れてくれる頃には、私が幸にしがみついて嬌の声をあげ続けてしまうのは仕方のないこと。





「夏織?」


「な、に」


「大丈夫?」


「そう見える、とか、おかし、い、ぞっ」


「あはは」



 望む限りにいっぱい愛してほしいと思う。それは間違いない。私は幸が大好きだから。

 けれど、ことが終わればやり過ぎだぞこのえろおんなめがって思う。この部屋で一緒に暮らすようになってからは特にそう。へろへろのへろにもうひとつ、へろを足すくらいになったのだ。

 私は今も変わらぬ乙女だから、あんな姿をあれこれ晒しながら、なぁに、やめていいの? いやなんでしょ、正直に言ってごらん、ほらそうでしょう? ふふふ、夏織ったらいやらしい、なんて耳元で囁かれるは超恥ずかしいのだ。



「このっ、このっ、このっ、えろ、おんなっ」


「いてて。痛いなぁ」


「よくもっ。よくもっ」


 あんなことをしやがってと、私はへろへろになりながらもぺちぺちと幸を叩いて照れを隠す。


「なぁに。あんなによろこんでいたくせに」


「う、うるさいっ。だからそれを言うなっ」


「ふぐぅ」


 へろへろのへろへろでも肘は平気。私は幸の脇腹をぐいぐいってしてやった。


「ざまあ」


 幸は変な動きをして悶えている。私の方が断然、悶えていたけどなっ。



「もう」


「いいのいいの」


 そして私は酷いなぁと文句を言っている幸を無視してその胸へと潜り込んでいく。さっきの約束通りここで眠りにつくためだ。

 幸の鼓動を聴きながら、本当に安心できる私だけの居場所。私はおやすみ幸と囁いてこの目を閉じた。幸のおやすみの声は聞こえなかったけれど構いはしない。私はへろがひとつ多かった分だけ疲れて眠たくなってしまったのだから。今日という日はこれで終わりのまた明日。


「夏織」


「ん、なに?」


「いいの?」


「なにが?」


「異臭騒ぎになっちゃうよ?」


「なんの…くそう」



 女性としてなんのこととは言えない。絶対に言えはしない。

 つまり今日という日はまだ終わらない。それはもう少し先ということ。いや、そこはべつにどうでもいいんだけれど。


「くっ。なんだよもぉ」


 ちょうど眠りに入ったところだったのにと、頭がぽわぽわしていい凄くいい気持ちだったのにと悪態を吐いて、へろな体に鞭打ってもぞもぞと起き上がろうとする私。


「くくく」


 幸がくくくと笑っていやがる。


「早く言えって。ていっ」


 くそう、眠る前に言ってくれたらよかったのにと、私は幸をひと睨みして、ついでにていってやったけれど、やられた場所を摩りながら楽しそうに忍ぶ幸を見るとやっぱり私も笑ってしまう。


「もぉ。ふふふ」


 私の好きな幸が私の好きな顔を困ったように眉を八の字にしながらも楽しそうに忍んでいるのだ。私がそれにやられないわけがない。


 私の大事な居場所はいつでも傍に在ってくれるから戻ったらまた潜り込めばいいのだ。

 ならそれでいいし、今はこの体をなんとかしないといけない。異臭騒ぎは女性としての尊厳を踏み躙られるのだ。何をと思うかもだけれど、なってみれば分るから。


「よいしょ」


 私は今度こそ起き上がった。


「幸。お風呂いこう」


「はいよ」




 寝室を出てとことことバスルームへと向かう私と幸。その幸が私にねぇねぇと呼びかける。


「なに」


「明日、茶碗蒸し食べたい」


 幸はさっきの会話で食べたくなっちゃったらしい。作るのは構わないけれど、私は季節的に、肝心なものが売っているのか気になった。


「いいけど。銀杏売ってるかな」


「銀杏かぁ。私あんまり好きじゃないんだよね。べつに入れなくていいんじゃない?」


「なに言ってんの幸。銀杏入ってなかったら茶碗蒸しじゃないじゃん」


「はぁ? なくても茶碗で蒸せば茶碗蒸しでしょう。夏織、馬鹿じゃないの」


「はぁ?」


 やり合いながらバスルームの扉を開ける。

 シャワー出して、要る要らないとやりながら暫く待ってお湯になったところで高いところにソレを掛けて、いつものように抱き合ってふたりで浴びるあいだもやいのやいのと騒がしく言い合う私達。


「要るのっ」


「要らないよっ」


 まったく。楽しくて堪らないなぁと私の顔は笑っている。それは幸も同じこと。すぐ傍にある顔がにこにこして楽しそう。

 やはり私達は私達。最高だなって思う。





お疲れ様です。いつもありがとうございます。


長くなっても日常を書くのは楽しくて私は好き。


「けど、夏織がちょっと馬鹿っぽいよね」


「うん。そうそう。って、なんだとこらー」


「あだ」

「うっ」


「はっはっはっ。天誅だからなっ」


幸は頭を摩っている。しはかたはみぞおちを抑えて蹲った。夏織は満面の笑みできんつばを齧った。美味そうでなにより。


読んでくれてありがとございます。

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