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woman  作者: しは かた
81/102

第七十話

閑話のような内容ですが夏織視点ということで閑話にはしませんでした。お気楽にお読みくださいませ。


ということで続きです。


よろしくお願いします。

 


「はぁ。いっちゃったなぁ」


 毎年私を置いて足早に去っていく金ぴかのアイツ。アイツはなぜ行き急ぐのかと、なんならずっといてくれてもいいのにと、私は今朝から何度目かのため息を吐く。次の長い連休のお盆まで超長いなぁと嘆息しているところ。


「はぁ。長い」


「屋敷さん。まーたため息吐いてますよ」


「は? ふつう吐くでしょ」


 そんなの当たり前でしょと、私は空かさず切り返す。それが若干切れ気味なのも当たり前。

 だって、金ぴかの奴が過ぎ去って、次のお盆休みはまだ三ヶ月は先なわけだから、これでため息を吐かないでいられる吉田君の方がおかしいから。となると今日も朝から超元気だった幸がどこかおかしいことは確実。


「だな」


 幸のそれはなんだかんだで微笑ましくもなくはないし今更だからまぁそれとして、私の次なる五連休はお盆。その期間中の八一三は私の誕生日。そう。誕生日なわけ。この私の。


 そして私は今、嘆息ついでにああそう言えばと、普段から優しく相手をしてあげて、欠品しそうだと慌てているところをこっちの荷物を回してあげたりなんかしてお世話をしてあげて、訊かれれば先輩として的確なアドバイスまでしてやっている吉田君から誕生日のプレゼントを貰ったことがないなと、ふと気がづいてしまったわけ。


「この…」


 これで切れないでいられる方がおかしいわけ。若干の切れで済んでいるのは私が我慢もできる素敵な大人の女性だからなだけ。もしも相手が課長辺りなら吉田君は最果ての地に飛んでいるかもしれないのだ。


 つまり私は付き合いも七年目を迎えたというのに、なんて恩知らずで薄情な後輩なんだろうなコイツはと私は思ったわけ。


「紙か」


 うっすいなぁおい。ぺらぺらのぺらだなぁこの吉田めがって私は思ったわけ。


「え? なんです?」


「紙。紙だよ紙。紙、分かる?」


 なんて言いつつ私はデスクの引き出しから重たいバインダーをわざわざ取り出してそれを開き、挟まれた書類の一枚を摘んでぺらぺらーとやってみせた。

 そうしたのは手頃な紙がデスクの上になかったから。片付けの申し子な私のデスクはいつだって誰も使っていないかのように整頓されているのだ。関係ないけど書類だの資料だのでとっ散らかった幸のデスクとは違うのだ。


「コレが紙。で、吉田君。ぺらぺら」


 当然、私の展開の速さに到底ついて来ることなどできない吉田君は置いてけ堀。なぜだか、ヤバい、また地雷を踏んだかもという複雑な表情になっているけれど、見慣れたいつものヤツだから私は気にしない。


「わかった?」


「いえ。全然。あ、紙はわかりますけど」


「残念だな吉田君。そこが吉田君の限界か。まぁいいけど」


 何かを言おうとした口を噤んだ吉田君は少しだけ独特な風味のある私をあまり気にすることなく構っては、たまに嵌って悔しがったりする変わり者。

 けれど吉田君は変なところで鼻が効くから、私を相手に下手に話を膨らませるとこんなやり取りが延々と続いてしまってどつぼに嵌ることが時にはあることをちゃんと分かっている。

 どうやら今回、そんな匂を嗅ぎ取ったらしい吉田君の私との六年はたとえ恩知らずでも伊達じゃない。


「よっと」


 私は、やるな、薄情者の吉田君と思いつつバインダーを閉じて元の場所に戻した。



 一応言っておくけれど、私はべつにプレゼントがほしいわけでも、それを催促したいわけでもない。だから口には出さない。

 お返ししないといけないし、私が選ぶとなったら甘くて美味いヤツだし、それを選んでいたら私も食べたくなって必ず別にもうひとつ買ってしまうから。


 昔のように気ままなひとり者で代謝も良かった頃ならそれもまたラッキー的な気もしただろうけれど、今の私は家持ちの幸持ちだから締めるところはきっちり締めないといけないのだ。無駄使いは駄目だよと幸に言われているしかかる圧も凄いから。

 私はただ少し、休みと被っているからといって私の誕生日を無視するとか、いくらなんでもそれはないんじゃないのこの恩知らずめがっ、って思っただけ。


 あの、屋敷さん十三日誕生日でしたよね、日頃の感謝の気持ちにコレどうぞ、もちろんお返しは要りませんよくらい言ってみせろっ、だから彼女が居なくて久しいんだぞって思っただけ。


 腐るほどのお金持ちでもないのだから、まめじゃない人間や気の利かない人間は決してモテはしないのだから、プレゼントを渡す習慣を私でつけるようにするべきなんじゃないのと、ちょいと思っただけ。


 私は吉田君の恋愛事情などよく知らないし興味もないけれど、酔うとしつこく聞かせてくるから、それを聴き流しつつ受けた印象はまぁそんなとこ。


「全然だめじゃん」


「ぐは」


 これは救えない。私は吉田君に憐れみの目を向ける。何かを察してぐはってなった吉田君は面白くて笑える。

 けれど、私も自他ともに認めるまめで気が利く女性。なのにっ、なぜかモテなかったけどなっ…あっ、な、なんだろう。なんか目の辺りがじわぁってくるぞっ。


「くっ」


 幸。私を愛してくれてまじありがとう今夜は豚肉だけじゃなくて牛肉もつけるからねと私は思った。



「はぁ」


 ったく、それに比べてこの吉田君はと、私は隣の薄情者に冷たい一瞥をくれて、またひとつため息を吐きつつ考える。


 吉田君はたまに、コレ駅中で売ってました屋敷さんにあげますと、甘くて美味いお土産をくれたりする。そういうことが割とある。


 それは凄くありがたいことだと思うし、いーなーコレ食べたいなー超美味そうちょっと見てみて吉田君と、年がら年中そんな画像を見せて呟いて洗脳…手塩にかけて育ててきた甲斐があったなと思う。

 けれど私も貰うばかりでなく、極たまには甘くて美味いヤツをあげたりするのだからそこはちゃら。


 まぁ、言ってしまうと私も吉田君にプレゼントをあげたことはない。けれど、そもそも私は吉田君の誕生日を知らないのだから、そこはいかんともし難い話なのだ。


「あ。また吐いた。連休明けだからってさすがにそろそろ切り替えましょう」


「は? ふつう吐くでしょ」


 今のため息は吉田君のせい。前のヤツとは意味が違う。やっぱ分かってないんだなぁと私は首を横に振る。補佐としてどうなのよと思う。


 そして私は気づいてしまった。

 なるほど私が何かするたびに何か言っている隣の吉田君は朝から私に構ってもらいたいのかも。五日も私に会えなくて寂しかったのかもなと。

 確かに私は見た目がとても可愛いから男性受けは悪くない。けれど残念。それは私の性格さえ知らなければ、の話なのだ。


 ところがこの吉田君、それを分かっていてのこの態度。

 なるほどなるほどこの私に構ってもらいたい奇特な吉田君は実は女性を見る目だけはあるのかも。だって私は素敵な大人の女性だから。

 そうであるなら、ほうほう見かけによらずなかなかいい目を持っているじゃん吉田君と、今の件でべたっと底まで落ちてしまった評価を一気に五段階くらい引き上げてもいいかなと思うけれど、ある意味では全く見る目がないねという話でもある。

 なぜなら私は私だから。モノを抱えた私はどうしたって私なのだから。はい節穴。


「節穴」


「え?」


「まぁ頑張れ」


「うす?」


 冗談はさて置き、私は結局は何ひとつ腑に落ちていなさそうな返事をした吉田君にもう一度、適度に頑張れ的に頷いて、私にいちいち反応しなくていいから放っておけと手をひらひらさせる。

 せっかく相手をしてあげているのに心外ですみたいな顔は無視しておく。私はそんなもの要らないのだ。特に今日は。


 私の嘆きは始まったばかりでオフィスに来てますます強くなった。

 私は今日一日をかけて、過ぎ去っていった幸せな日々を思い返してひとり静かに浸っていたいのだ。

 例のスペースで花ちゃんとふたり静かに何か甘いヤツでも摘みながらしんみりと浸るのもありだろう。花ちゃんもいま私と同じようにどんよりと沈んでいる筈だから。


「うん」


 私に今日出かける予定はないしつもりもない。お昼のついでに何か買ってきて、適当に花ちゃんを訪ねることにしようと決めた。


「そうするかな」



 またしても、私の呟きを拾って顔を向けた吉田君に、不毛な会話が始まっちゃうからやめておきなと再び手をひらひらする。

 当然、いつまでも遊んでいないで仕事をする準備をしておきなさいという意味も込めて。


 私のPCはたった今サインインされたというのに、吉田君のそれはいまだサインインを待っている状態という体たらくだったから。

 休み明けで弛んでいるのは吉田君じゃんと、私はやれやれ的に肩を竦めてみせた。


「まじだめじゃん。しっかりしなって」


 それでまたくっ、ってなってもの凄く苦そうな何かを呑み込んだかのような顔でPCに向かった吉田君は歳下のくせに私より大人だから私を相手にムキになることは殆どない、というかない。

 今わなわなと震えているのはたぶん寒いからだと思う。気候は暖かくなったのに寒いとか、吉田君は体調が悪いのかも。


「風邪? 大丈夫?」


「…大丈夫です」


 そうやっていつも何か言うことを諦めてくれる、薄情者でも賢くていい奴なのだ。


 けれど私の心の移ろいなど、そもそも幸以外の人間についてこられる筈も、ましてや分かる筈もないのだ。


「そうそう」




 と、ゴールデンも終わって緑色も虫も増えた五月の朝。

 暦の上ではまだ余裕で春だけれど、日差しの強さは夏のそれになろうとしている今日この頃、皆様いかがお過ごし…いや違う違う、違うから。

 私はいま幸とふたりで平凡ながらも凄く楽しかった私のゴールデンがあっという間に過ぎ去って行ったって話をしたかったのだ。



 同じ空間でそれぞれに過ごしながら、それに飽きたら互いにちょっかいを出していちゃいちゃして、ご飯とか買い物とかのついでに少し街を歩いたりカフェに寄ったり夜はベッドで超いちゃいちゃしてへろへろのへろになったりと、私達は五日間を仲睦まじくよろしくやっていたのだ。


「ふふふ」


 ゴールデンがいってしまったことを嘆き、幸を想って顔を綻ばせて移ろう私は忙しいのだ。


「はぁ。やっぱつらい」



 ということで、休み明けの午前八時五十分。私は既にオフィスにいた。それも朝から。

 これが日常だから当たり前のことなのかもだけれど今朝は休み明け。しかも五連休の。それでも私はここにいる。

 つまり私は朝から頑張ったのだ。私はえらいから。


「だな」


 例年通り休みぼけした私に比べて愛しの幸は少しおかしいから、目覚めてすぐ今日からまた仕事かぁとへこんでいながらも、料理は料理とキッチンに立つ私の傍までやってきて、おはよう夏織と抱きついて軽く頬に唇で触れたあと、ふんふんと口から音を出してトイレにいった。


「今日もいい朝だねっ」


「うるさいって」


「いいからいいから。ほらっ。夏織もさっ、張り切っていきまっしょいっ。あはは」


「…ぉ、ぉー」


 洗面所で女性としての一仕事を終えて戻った幸は元気も元気。私の周りをうろうろしたり私に纏わりついては、お腹減ったねご飯まだと、楽しそうに鼻唄を奏でていたのだけれど、また扱き使われる日々が始まってしまう朝なのになぜあそこまで楽しげで絶好調だったのか、恵美さんのサブに任命されていよいよだなと燃えに燃えているのは分かっていても私には謎。

 もしも私が幸の立場だったら、寧ろ、あれこれ理由を付けてどうにそこから降ることに全力を注ぎたいところだから。

 まぁ、恵美さんはきっと、冷たい眼差しひとつくれて、嫌だ離せと柱か何かに掴まって嫌がる私の首根っこをむんずと掴み、ずるずると引きずっていくだろうけれど。


「いやこわい」



 それから幸は、いただきます美味しいねお代わりあるのご馳走さまと、私の料理を幸せそうに食べてくれて、よしできた、どう? いける? そっか、じゃあ先に出るよ気をつけてね夏織ああそうだ夜ご飯なに? と、騒ぐだけ騒いで、私の、豚しゃぶのサラダにしようと思うてかソレ、を背中に聴きながら勢いよく飛び出して行った。

 きっと、サラダの部分は聴こえてなかった筈だから、ねぇ今日野菜多いねなんでと文句を言うと思う。

 そこは、甘くて美味いヤツを賭けてもいいところ。なら、甘栗を帰りに買って帰ることにしよう。ふふふ。甘栗。アレ美味いから。


「だなっ」



 たぶん、定年を迎えるか早期退職するまで、平日はこんな朝が続くのだろう。

 それが私達の朝だから、私はそれについて文句はないし、朝から騒がしい幸も好ましくも愛おしく思うけれど、そう思えるのはそれが愛しの幸だから。


「うんうん」


 つまり私は元気がいいイコールいいことだとは思っていない。

 けれど、私が声を大にして誰に憚ることなくそう主張してもそれはやって来る。人生とは往々にしてそういうもの。



「おっはようございまっすっ」


「佐藤さんおはよう。連休明けでも元気だね」


「くっ。間に合わなかったか…おはよう」


 さすが吉田君。でかい声にも優しく返すその度量が彼の懐の深さを感じさせる。

 とはいえ、耳を塞ぐ私を咎めるようにちら見するのはいただけない。そこは私にも懐の深さを見せてくれないと。


「はいっ。それだけが取り柄ですからっ」


「取り柄とか」


「屋敷さん」


 吉田君がさらに私を嗜めるように名前を呼んだけれど気にしない。元気だけが取り柄とかあり得ないから。


 確かにそれはよく聞くフレーズ。けれど違う。それは取り柄とは言わない。少なくとも私の中ではそうじゃない。現時点の彼女は、私には元気で声のでかい女性なだけ。


 前に住んでいた部屋で、朝から聴こえた不穏な鳴き声のヤツらのように慣れれば可愛く思えるのかも知れないけれどヤツらの声は遠かった。薄くとも窓ガラス一枚分は隔てていたのだ。

 朝から元気ででかい声は愛しの幸だけにしてほしいところだから、ここは彼女の指導係として苦言を呈してもいいところ。



「佐藤さん。せめて朝はもう少し静かにお願い。まだ目が覚めてない人もいるからさ」


 私は佐藤さんに向けて周りを見てみろとオフィス全体に視線をくるりと見渡した。


「おー、皆さん燃えてますねっ」


 私も負けませんよ、ご指導の元、早く一人前になって貢献してみせます的に私に向けていい笑顔をみせる佐藤さんはこの部署に配属された新人の三人のうちのひとり。


 本来なら私が面倒をみるべきところを、その話を私に持ってきた馬鹿な課長と交渉して、上手いこと吉田君に押し付けることに成功した女性。

 それはべつに、佐藤さんを嫌いだからという話ではない。そうしたのは彼女が来る前のことだし、それを判断できるほど私は彼女を知らないし、ただ静かにしてねと思っているだけ。


 そもそもの話、私に指導係など向いている筈がないのだから、私も指導される佐藤さんも可哀想だし不幸者をふたりも生み出す必要はない。

 労力を使ってまで無駄を産み出すとかまじで無駄。まさに無駄オブザ無駄だと私は思うのだ。


 その交渉の際に、私がこの名目上の指導係を引き受けるにあたって、その期間中、課長から月に一度お高くて甘くて美味いヤツを差し入れてもらえることになった。しかも一個とかそんなみみっちい話じゃなくて箱で。ふふふ。




「屋敷」


「なんですか」


 ちょっといいかとまたしても、先日に続く課長の呼び出しに私はかなりうんざりしていた。


「アイツら思っていたよりしつこいんだよ。だから頼むよ屋敷。なっ」

「無理ですね。嫌です」


 課長の、やってくれと言わんとするその先を制するように、なにを馬鹿なと被せ気味にきっぱり断ったところ、もしも指導係を引き受けててくれたらその間は、屋敷の好きなお菓子を月一で差し入れするからと言われてつい頷いてしまった。ご存知わたしは甘ラーだから。

 私は私の代名詞である屋敷という名を捨てて、甘くて美味いヤツを食べるという実を取ったのだ。


「ほほう」


「どうだ?」


 よし食い付いたっ。そんなふうに顔をにやつかせる課長に向けて私はもはや考えるまでもないことを考える振りをした。さも、いやいや引き受ける体を作って、その提案をより良いものにするために。


「うーん。それ、期間は六ヶ月でしたね?」


「ああ」


「延びませんね?」


「ああ」


「すると、少なくとも十二個入りかそれ以上のヤツが六箱は確実というわけですね?」


「え? あ、ああ。まぁいいか」


「あと、吉田君を補佐に任命してもいいですか?」


「補佐? 吉田をか?」


「はい。吉田君。あ、の、吉田君です」


 私は席にいる吉田君をわざわざ指して、吉田君を育てるんですよね、なら彼が適任ですよね的に、あのまで付けて吉田君を強調する。私を諦めて吉田君を引っ張り上げるつもりなら乗ってくるのは確実だから。


「そうだな。ま、いいか」


「なるほどわかりました。じゃ、ちょっと失礼します」


「おい屋敷。話はまだ終わってないぞ」


「すぐ、じゃないですけどちゃんと戻りますって」


 いいと言われたからには私は絶対に遠慮はしない。それが私の信条なのだ。


「よっしゃ。いそげいそげ」


 なんつって、私は課長を置いてすぐさまデスクに戻り、食べたいなぁと思っていたお取り寄せのヤツの中から厳選した、お高くて甘くて美味そうなヤツのリストを丁寧に作成して印刷にかけたあと、間違いのないことをじっくりと確認して、じゃあコレで決済をと、ぴらぴらの紙一枚をさも大事な書類ように課長に提出したのだ。


「ではこれで。びた一文まかりませんよ?」


「お前なぁ」


 当然カラーで。白黒でよく分からなかったからこれで勘弁な、なんて惚けられてしまう可能性もあるのだから手を抜くことは禁物なのだ。


「そのリスト通り、今月はコレでよろしくです」


 私はそのリストが上から順番になっていることを教えてあげる。


「丁寧だなっ」


「当然です」


「だよなっ」



 私はこうして、リストを見たあと本気なのかと驚愕して私を見てからまたリストに目を向けた課長の、うわったっけぇなぁとあげた悲鳴とか呆れた顔とかため息とか、払いが課長のお小遣いからなのか課の予算からなのか、とかそんなこと私にはどうでもいいことだしと、研修を終えたらうちの課にやってくる今年の新人さんの指導係を引き受けたのだ。吉田君という予防線まで張って。


「天才だなっ」


 ということで、それについては吉田君に丸投げだし、リストはちゃんと課長に提出しているし、終わってみれば私は得だけをしている筈なわけ。私は天才だから。





「燃えてるとか。それ気のせいだから」


 その佐藤さんは見た目、背は私より少し低く、顔が小さく目鼻立ちくっきりで、髪は茶色で、ソレ後ろ刈り上げてるの? と訊きたくなる長さのワンレンショート。父さんの時代のハウスマヌカンのような、事あるごとにはぁとため息を吐いていそうなイメージの、夜霧に包まれているようなアンニュイな感じはどこにもない、はきはきしている体育会系の元気っ子。


「ほら。吉田君を見てみなよ。これのどこが燃えてるの?」


 吉田君はようやくサインインしたところ。やる気のない雰囲気を出す補佐は私の補佐としてはさすが。空気の読める凄い奴としか言えない。


「やるね補佐」


「好きでなったわけじゃないですからね」


「へー。じゃあやめる?」


「いえ。やりますよ」


「だろうね。わっかりやすいな。吉田君は」


「そっ、そこはほっといてくださいよっ」


「言われなくてもほっとくから」


「えっ、と」



 佐藤さんの言う通り周りを見れば、在庫がぁ、何とかしてくれぇと朝からでかい声で電話をしている人もいる。私からすればそれは間抜け。何を慌てているんだかと、連休前にきっちりやっておけよアホなの? と思うことも、佐藤さんにはいかにも仕事をしているように見えているのだろう。


「あんなんなっちゃだめだよ。あと、私みたいなのにも」


「そうそう」


「え。あ、はい。あ、いいえそんな。なんかすいません」


「事実だからべつにいいよ」


「そうそう」


 屋敷さんのスタイルは屋敷さんにしかできないんだよと佐藤さんに真顔で説明し出す吉田君。

 私の補佐は分かっているのだ。入れる合いの手もまた気が利いているさすがの補佐。


「いいね」





「さて、今日は予定ないし、うーん。何するかな」


「はぁ」

「ははは」


「連休明けはいつもこんなもんでしょ。そんな目で見ないでよ吉田君」


 でかい声ではははと笑った佐藤さんは私の言葉を間に受けていない。たいして面白くもない冗談を言ったとでも思っているのだろう。

 吉田君はさすが屋敷さんはブレませんねと半ば呆れた眼差しを私にくれている。けれど、こんな私を羨ましく思っていることも私は知っている。


「羨ましければしたいようにすればいいんだよ」


「ははは。屋敷さん、またそんな冗談言ってる。今日からまた元気にやりましょー」


「うーん。今日はいいや。予定ないから」


「はぁ」

「またまたー」



 佐藤さんが来てからほぼひと月。なぜいつまでもそんなふうに元気にしていられるのか、なぜやる気に満ち溢れているのか私には理解不能。五月といえば五月病。新人の特権ともいえるそれになれるというのに。


 その部分は何となく幸と同系統なんだな思わせるけれど、同じ部署で同じ課の、しかも直の下となると結構きついソレ。私は嵐なんかに巻き込まれずにゆったりのんびり生きたいのだ。


「くわばらくわばら」


「はぁ」

「おおっ。いいですねっ。私も使いますっ」


「いやいや」


 くわばらかぁ、いいですねーとさっそく使いたそうな佐藤さん。ポーズにしても心配になる。

 この子大丈夫なのかなと、吉田君に目を向けて、ちゃんと指導しておけよと私はその腕を小突く。


「いて」


「じゃあ今日も頼んだよ。てか、ちゃんとして」


 この子このままだとたぶん拙いよ分かるでしょと、顎を小さくくいっとする。吉田君の評価に関わるんだからさと優しく諭す私は先輩の鑑そのもの。さぞかしぴかぴかと光っていることだろう。


「う、うす」


「佐藤さんも、吉田君のいうことを聞くように。てか、ちゃんと聞くように」


「はいっ」


 じゃあ、何かあったら言ってねあとはよろしく今日も一日頑張りましょうと話を締める。ふたりはびしっと姿勢を正し、ぴっとおでこに手を翳してはいと声を揃えた。


 いや、なんか面白いし仲良しなのはべつにいいけれど、おい吉田、まじ大丈夫なのかと私は思った。




 隣の席でじゃあ今日はどこどこに顔を出して、なんて言っている吉田君の話を真面目に聞いている佐藤さんとの距離感が少しおかしい感じがする。

 このひと月で仲良くなったのだろうけれど、それだけでもないような雰囲気がある。


「まぁ、春だしな」


 ふたりを見て、少しにやつきながら私はそっと呟いた。

 私がぽーっとしたり、眠くなったりするのは仕方ないこと。こうしてまだ芽吹くかどうかも知れない恋心の新芽だけれど、こんなに身近に春を感じてしまうのだから。


「ふたりとも頑張れ」


「ちょっと。なに言ってるんですかっ」


「なんだよ吉田君。深い意味なんかないから。仕事仕事」


「あっ」


「あのぉ…」



 私は聴こえないくらいに小さく呟いたつもりだったけれど、からかわれたと思ったのならそれは申し訳なく思うところもないこともない。

 私たち親友でしょなんて言って、秘密や隠し事を暴いて悦に浸ったり口を出したり、悩みを知って親身になる自分に満足する歳でもあるまいし、人の事情や恋路などは、向こうからやって来るのならまだしも、そうでないなら知らぬ振りして放って置くべきものだと私は思うから。


 見れば吉田君は慌てている。佐藤さんはいやぁへへへなんて苦笑っている。その吉田君と佐藤さんのは顔が赤い。これは明らか、ばればれのばれだ。

 私は余計なこと言ってごめんねと思いながらも、気にしないで好きにしてくれと笑っておく。


 まっ、私のまあまあセンサーではこのふたりのことは私の単なる思い込みの可能性も大いにある。ご存知わたしのセンサーは信用が置けないから。


 まじぽんこつだしなと思う私は手首を返して確認をして頭を切り替える。


「さてとしょうがない。仕事するか。じゃあ、ふたりはいつも通りで」


「あ、はい」


「わかりましたっ」


「声がでかいぞっ」




 半年後、佐藤さんがまだやる気に満ち溢れているのなら私の得意先を分けてしまおうと思う。

 そこは課長と相談だけれど、そこそこのところとよりにもよって私を狸呼ばわりしやがったおっさんのところをひとつずつ。

 ちゃんと引き継いでおけば佐藤さんはきっとやれる。いける。



 午前九時。それぞれの仕事が始まって、暫くすると吉田君と佐藤さんは外に出るけど私は出ない。

 やはりこの私には金ぴかのアイツが去ったあとは辛いから、余程の緊急事態でもない限り、私は今日だけは例年通りPCに向かって白鳥のように仕事をする。振りをする。


「いいのいいの」


 頑張るのは明日からだから。私はそのために、わざわざなんやかんやと理由を付けて一切の予定を入れなかったのだから。


 今日はちょいちょい甘くて美味いヤツを摘んで時たま幸を想って過ごすのだ。

 長い一日になりそうな予感しかしないのだからそれは当然のこと。他は知らぬが私には。


「そうそう」





お疲れ様です。私はプライベートがてんてこまいで些か疲れました。

けど平気。私はこのふたりが好きだから。書いているとたのしいから。


「ねぇ夏織。新人ちゃんはどう?」


「アレは幸と同じ匂いがする」


「ほほう…浮気すんなよ」


「するか。私は幸を愛してるからなっ」



「「ふへへへへー」」


仲が良くてなにより。幸せでいてね。


読んでくれてありがとうございます。

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