第六十五話
続きです。
よろしくお願いします。
画面に登場したアイツ。いよいよだなと、私はちょっと期待してしまう。
にゅーっ
「え」
にゅーっ、にゅーっ
「…うそでしょ」
にゅーっ
狸ってどう鳴くのかしら? と、なんか気になってついつい検索してしまった狸の鳴き声の動画に衝撃を受けて暫し固まった三月の二週目。
いや、にゅーってびっくりだわと、やっぱ狸ってないわぁと、こんなふうに私はのんびりと過ごす週末。傍には本能丸出しの私と違って頭を使う幸がいる。
幸が今の鳴き声に反応しないのは、そっくりな私の夜な夜なあげる鳴き声を聞いているからだ。あ? なんだとぉこんにゃろー。
試験まであと四ヶ月ないくらいだから、幸としてはスパートをかけているのだろう、最近は暇さえあれば問題集を広げている。
それに文句はないけれど、かけるの早過ぎさすが幸、私じゃ絶対にもたないよなぁと思う。
「むりむり」
今、朝ご飯を食べてからもう二時間近く集中して糖分を消費し続けている幸はもうここにしか帰ってこない。
しかるに念願の幸のと生活が始まったのだ。もう、やったねとしか言えない。
まぁ、幸は徐々にではあったけれど、私がここを買ってから先週末に引っ越してくるまでの殆どの時間をここで過ごしていたようなものだから、幸の居ない夜が訪れることがなくなるだけで私達の生活振りががらっと変わるわけではない。
けれど、それは日常。ふたりで生活を営んで何気なく過ごしていく日々は私達が望んでいたもののひとつ。
これから私達は、互いの愛情に溺れつつ与えつつ、この人生を閉じるまで日常を繰り返しながら、この家を基盤として、時には私達の家族と世界を頼りにしながら山あり谷あり過ごしていくのだ。
転機はその都度訪れるだろうけれど、それもまたモノを抱えた私達らしくも愛おしい、素晴らしきかな人生と言えるヤツだ。
だからきっと、私達が閉じる頃には、概ね楽しい幸せな人生だったねと、ふたりで笑い合えると思う。
「む?」
不意にキッチンの方から呼ばれた気がして、私はなに奴的に素早く顔を向けた。
その動く視線の端に幸がちょっとびくってなっていた姿が映ったけれど放っておく。私はすぐにでも安心したいのだ。万が一、誰かいたら怖いから。
「おー」
この目に映るは私専用のおやつ入れ。ソファでだらんと寛いでいても、でかいからよく見える、おーと声にしてしまう程のやたらと自己顕示欲の強いいっぱい入る優れもの。
さすが私がチョイスした自慢の逸品。やるな、としか思えない。
「お」
そこに見えるはチョコの箱。そして私は考える。
あれは愛しの幸がバレンタインにくれたチョコの内の最後のひと箱。食べちゃったら勿体ないかなぁと、ちょっとだけ思って最後まで取って置いたいたヤツ。交換こしたヤツも含めて、今年のバレンタインの最後の最後の最後のチョコ。それ以外は全部食べちゃったから。いや、まじ美味かった。
ああやって大事に取って置くのは幸がくれたものならどれでもよかったけれど、幸のくれたヤツについては、幸の愛情がたぷっり入っている他より甘くて美味いヤツだから、今日はコレだな、今日は我慢でとかやって、ひとつひとつをよく味わって食べていたらなんかアレが残ったのだ。
つまり、アレが私の特別好みのチョコというわけではない。殆どのチョコは美味いから、愛しの幸がくれたという事実を除けばそこに優劣は存在しない。私は甘ラー。そして寛容。どんな種類のヤツでも差別や無視なんてしない。それぞれ違ってて、それぞれいいねというヤツだから。
そんな感じの以前流行った、まるで、全ての存在を肯定するような、寛容を促すようなそんなフレーズ。まじ鼻で笑えるヤツ。
流行ったところで何か変わった? すっかり忘れたその言葉はみんなの中で生き返る?
そうだといいなぁと思うけれど、その時には私達はもういないだろうなとも思っている。
「…ああ、チョコチョコ」
大事にいつまでも置いておいても味は落ちるし、不可思議が一にも賞味期限が切れてしまって、ついでに私の愛情も切れましたさよなら夏織愛していたよ、なんて、私と幸の縁の切れ目的なことになったら超最悪。私は絶望でどうにかなってしまうだろう。
今こうして幸との別離を妄想しただけでも私は甘くて美味いヤツをどか食いしたくなるくらいおかしくなりそうなのだ。
それに、オフィスとかバーとか、私の周りにはいる人からすると私は言動が割とおかしい…個性的な人らしいから、これ以上どうにかなるのはさすがの私も避けたいところ。
しかも私は甘ラー。美味いチョコを食べずに腐らせるなんて言語道断もっての外。
食べて無くなってしまっても、甘くて美味いチョコが無くなっちゃった幸どうしようと、本気で涙を溜めた目をしばしばっとやって、ゆるふわーく幸にお願いしてまた買ってもらえばそれで済む話なのだ。
「だな」
と、くれば、私が今やれることはひとつだけ。
「しょうがないな。うん。食べちゃうか」
そして私は立ち上がる。即実行に移すのは当たり前。食べると決めたら迷わない、くどいようでも私は甘ラーなのだから。
私はキッチンまでとことこ行っておやつ入れからそれを取って胸におし抱く。
「しゃ、ありがたく」
なんつって、それから一応、念のためにくんくんと匂いを嗅いでみる。
包装紙の匂いしかしないことは分かっていても何かを期待してやってしまうのは仕方ない。しつこいようでも私は甘ラーだから。
「美味そう」
その匂いでもそう思えるのはそれも私が甘ラーだから。何度も何度もくどくてしつこいなと思うだろうけれど私は甘ラー。
こうして事あるごとに知らしめていれば、たとえ普段は忘れていたとしても、散々聞かされた私の課の人達が私の甘ラー発言をふと思い出して、そう言えば屋敷さんて確か甘いもの好きだったよな、これ買ってってあげようかな、ま、言われなくても見てれば分かるけど、なんつって、たまに思い出したようにお土産げをくれたりもするのだ。
まさにほんこれ、まあまあそこそこな私の辞書にはちゃんと載っている、
忘れていてもそこにある
言葉はいずれ生き返る
大丈夫、いけるいける
かをり
というヤツだ。
「そうそう」
そして私はチョコを持って今また我が家の憩いの場、リビングに戻ったところ。
ぽすっと音を立ててソファに座ると甘くて美味いヤツを前にした私の気分と同じように体がぽんぽんと弾む。なるほどきっと私は私が思う程には重くないのだろう。決して、幸のソファが優れものだからというわけじゃないのだ。
「だな。ふへへ」
なら、ナニを気にすることなくコレを食べられるなと、取ってきたばかりのチョコの箱を腿の上に置き包装紙をびりびりと剥がし始める。
「ふんふん、ふん?」
そして感じるお決まりの謎の圧。さっき、幸と一緒に栗とお芋の甘納豆を食べた時には全く感じなかった圧と、止めておけー、的な、自重を強く促す嫌な空気も漂い始めて私は一度手を止めた。
「…またか。ちっ」
私は舌打ちひとつ警戒心を露わにして、チョコを前にして垂らしに垂らしていた筈の目を瞬時に鋭くして、今日こそはその元凶を見定めようとリビングを見渡した。こう、首を少しずつ動かして瞳を回し、ん、そこか? む、こっちか? と、怪しげなところを隈なく窺う感じで。
私は暫く時間をかけて怪しいと思われる場所や物をひとつひとつ丁寧に潰していった。幸や恵美さんですらここまではしないだろうくらいの細心さで。
「うーん」
けれど怪しいものなど何もない。あるとすれば、引っ越しが終わったよ日の夜、浮かれて調子に乗ったことのあと、私の報復にのたうち回って床に転がったついでに手足をばたばたさせて、捨てないでよー、置きたい置きたいと駄々を捏ねて、終いには一生のお願い何でもしますからーとか言い出した幸の奴があまりにも可愛くてつい置くことを許してしまった、壮大な棚に図々しくも陣取った、一体なんの動物なのか、コレってまじで動物なのか? こんな生き物存在するのか? と、思わせる得体の知れない不快な顔とフォルムをした置き物だけ。
けれどアイツらは違う。アイツらがどこを見て何を笑っているのか知らないけれど、ただただ薄ら笑いを浮かべた間抜け面を晒しているだけだから違う。
その隣に置いてある対の奴ら、口をちょっと開けて、手を上げてハオとやっている感じとかが堪らなく可愛くてなんか好きな私の埴輪ももちろん違う。こんな私でもそれは分かる。私はそこまでの人ではない。大丈夫。いける。
「ふむ」
となると一体この謎の圧はどこから来るのかいよいよ持って謎。もう一度リビングを見渡してもやはりそこには何もない。
もしもくれくれお化けじゃないのならここには私の他には当然、幸しか居ない不思議。
「おかしい」
その幸は今も頑張って、ローテーブルに向かってめらめらと燃えている。綺麗な顔は真剣そのもので、頑張って勉強しているのだから謎の圧や漂う不穏な空気は幸とは無関係と思われる。
大体、そんなものを漂わすことができるヤツが人間とは思えない。するとやっぱりくれくれお化けなのかもと思ったところで顔を出しちゃった私らしさ。
「今日こそはとか。んー、やっぱ面倒くさい。やめた」
すると、なぜかがくってなった幸。リビングはぽかぽかだから実は眠っていたのかも。
なるほどそれで幸は今、足を踏み外したり転んだりする夢を見て、現実に自分の足が滑っていたりして、どきっとして目が覚めてしまう感じのヤツを体験したのかも。幸ったら笑っちゃう。
「ふふふ」
とにかく私は出来るだけのことはしたのだ。頑張って色々探ってみたのだ。そしていつものように飽きできたから諦めることにしたってわけ。
だって、いま大事なのは美味いチョコを食べることだから、余計なことに気を回すのはやはり無駄なこと。そんなこと私の矜持に反するのだから。
さすがの私はいい意味で切り替え早いのだ。
「そうそう」
「はぁ」
「さてと。食べよっと」
最後に聴こえたため息も含め、全てをどうでもいいことにした私が再びチョコの箱を手に取った途端に謎の圧がまた私を襲う。
まぁ、お化けはいないみたいだし、ならべつにいいやと箱の蓋を開けた。幸以外、何人たりとも今の私を止めることは不可能なのだ。
「お、美味そう」
ふふふ。そこにはチョコを身に纏ったオレンジの皮、長いヤツと中くらいのヤツと短いヤツがあった。内容量はグラム表示だから不揃いなのは当たり前。けれど絶対に美味いヤツら。だから私は気にしない。
私はさっそく一本取って口に咥えたチョコを齧る。
「美味ぁ……って、ちょっ、圧凄いな」
途端に増した謎の圧。か弱い私が潰れそうなくらい。このままだとさらに凄いことになりそうな勢いだ。辛い。
「さすがにこの圧はなぁ…」
ここまでの圧はなんかちょっとヤバいなと気にしつつ、それでもチョコをもぐもぐやりながら、私は少し悩んだあと、私と幸それぞれの陣地を作って箱の中の短いヤツを六本取って上蓋に入れて幸の陣地に置いた。
「はいどうぞ」
「お。ありがとう」
「いいのいいの」
幸が私に笑いかける。すると今度は途端に消えた謎の圧。どうやら私の食べる量を減らした今の行動は正解だったようだ。
けれど、私は優しいから幸も食べたいだろうなと思ってそうしただけでべつに謎の圧力に負けて私の分を減らしたわけじゃない。ない。
「ないし。ないない」
「くくく」
幸がチョコを咥えて笑っている。甘いヤツを食べると自然と笑みが溢れるのだから当たり前。決して私が笑われているわけじゃないのだ。ないのだ。
「くくくくく」
「ないない」
ということで今、ローテーブルの上、その端っこになってしまった私の陣地のチョコはあと十本に減っている。それはそうだ。私は既に八本は食べているのだから。
その私の陣地の横、ローテーブルのやや真ん中寄りできた幸の陣地にはお裾分けしてあげた同じヤツが五本ある。それもそう。幸はまだ一本しか食べていないのだから。
もしも幸が要らないのなら、是非とも返してもらいたいと思っているころ。
「美味ぁ…」
そして私は今、オレンジって素敵。数ある中でもこれこそチョコの最高峰かもなって、色んなチョコを食べるたびに思う私は今、ソファに座って交換こした最後の甘くて美味いチョコ、いよいよ残り少なくなってしまったそれをひとつひとつ大事に味わいながら、ローテーブルに広げた参考書なんかと睨めっこをしている幸をじっと見ている。
手首をぐきる分厚くて重たい本二冊とA4サイズのノート一冊とペン三本を、さすが幸、なんでそこまでとっ散らかせるかなぁってくらいローテーブルや床に乱雑に置いていることや、その綺麗な指の間でくるくる回るペンは今は気にならない。私にはもっと気になっていたことがあるのだから。
「よいしょ」
私は幸の隣に移動してそれを口にした。
「ごめん幸。ちょっといい?」
「なぁに」
こうして話しかければ、幸が私を見なくても話は聞いてくれる。幸は現代の聖徳太子だからそれくらいは余裕。
「わたし前から思ってたんだけどさ」
「うん」
「三週間も休める幸ってずるくない?」
「うん?」
幸はずるい。と、私は幸に恨みがましい視線を送る。そんなこと言われてもなぁと、くるくる回すペンを止めて私に顔を向けた幸は少し困った顔をする。
けれどずるいものはずるいから、私の責めるような鋭い視線は、いま可愛く困り顔をしている幸であっても全く小揺るぎもしないのだ。
「ずる」
「…はぁ。何を言い出すのかと思えば」
可愛らしかった幸の困り顔は呆れた顔に変わった。ご丁寧にため息まで吐いてくれた。
「だってさ」
私は正式に幸が越して来て一緒の生活が始まって以来の平日、ここ一週間、朝、まだ間抜けた面で幸せそうに眠りこけている幸に行ってくるねと声を掛けて家を出て、日中はあの、コンクリートdeジャングルーな殺伐とした雰囲気の中で仕事に追われてあくせくと過ごし、定時とともにデスクを片手けて速攻でオフィスを飛び出して、お腹を空かせた幸の待つ家に帰って夜ご飯を作るという生活をしている。
一方の幸は、昼ごろ起きて私の用意した朝ご飯を食べてから、適当に勉強を始めて、飽きたら私に頼まれた食材の買い出しに部屋を出て、カフェでまったり過ごしてから家に戻ってまた勉強をするという、意識高い系特有の休日の過ごし方的な、一見すると洒落た感じの、けれど結局のところ、だらだらと過ごしているだけじゃんぷぷぷ笑えるなと、ツッコミを入れたくなるような生活を送っているのだ。
つまり幸は、いつも通りに馬車馬のように働く私と違って、実はだらけにだらけた生活を送っているというわけ。
まぁ、ここ一週間の話だけれど毎日が週末なわけだから、そこをツッコみたくなるのは当然。
「ほら」
「馬車馬? 夏織が?」
「そうだよ? 大変なの私。わかるでしょ」
「わからないなぁ」
急に幸が馬鹿になったけれど私は大変。
大体、社会人の何が嫌で大変て、それは仕事よりも確実に疲れる通勤。たぶんみんなもそう思っている筈の朝の通勤だ。
帰りは平気。解放感も手伝って家に帰れるやったね早く帰ろうって思えるから。仕事自体も面倒でも慣れればそれなりにこなせるし、お給料も貰えるのだからまぁ良しとする。
つまり、問題は朝の通勤。
朝から疲れるそれのせいで、午前中は気力、体力の回復に努めなければならないから仕事にならない。それはみんなも同じ筈。
それが無ければ午前中からもっとばりばり仕事が出来るだろうと、まじ要らないんですけどと私が強く思っているヤツ。
だからそれを三週間もしないで済むなんて幸ずるいなと私が思ってもおかしなところはどこにもない。
「でしょ」
「もっとばりばり?」
「もっとばりばり」
私は、それさえなければ私だってできる的に大きくうんと頷いてみせる。
とはいえ、普段から俺は、私は、やればできるとか言っちゃう奴って、結局はやるつもりがないのだから、それはできないと同じことだと私は思うし、私も人のことを強く言えないところがちょっとだけあると思う。ほんのちょっとだけ。
けれど、分かってないなぁ、自分、実は凄いんですよ的な、普段は隠していていざできるとかめちゃかっこよくね? ギャップってやつ? 的な、本人だけがもはや本気を出しても手遅れなことに気づいていない、お前さぁ、一度でいいからいぅちゃってくれよぉ頼むよぉって言いたくなるようなものでも屁理屈としてはまぁありかもなと思うから、私は至って真面目なのだ。
「ぷ」
と、吹き出して、あははははと笑い出した幸がばりばりだってばりばりだってと言いながらソファを叩いている。
埃が立つからやめてほしいけれど幸は愉快に笑っているから放っておいて、私は甘くて美味いヤツに幸の綺麗な文字で隙間なくびっちり埋まった破られてそこらに放ってあったノートを被せてそれをじっと見る。やはりコレはアレだと確信する。
「あと、ずっと思ってだんだけどさ」
「あはは。はー、面白い。で、今度は何を?」
「芳一なのこれ?」
「芳一?」
「芳一。これ、どこも千切れなさそうだから耳ありの」
「ぷっ、あはははは」
また笑われたけれどとても平穏。
幸が正式にここに越して来てから初めて迎えた週末。だからといって、何か特別に目新しいものがあるわけでもなく、私はだらだらと、幸は黙々といつものように過ごしている。それがいいのだ。
少し違うのは、幸の帰る家がここだけになったことと互いの指にリングがはまったこと。空いていたクローゼットなんかの隙間が埋まったこと。
幸と幸の物があるべき所に収まって、私達が望んだ環境はやっとこさ整った。あとは、置くことを許してしまった狸をいつ捨てるのか考えるだけ。
それで完璧。私達はここから新しく始めるのだ。
「ねっ」
「うんっ」
いま幸に伝わったのは半分だけ。幸は凄く嬉しそうだからまぁいいかなと私は思う。
「幸」
「夏織」
互いの名を呼んで向き合って満面の笑みを湛える私達。手を伸ばして抱き合って、唇を触れ合った。
「いやー。終わったねー」
「うん。で、始まった」
「だね」
ねー、えへへ。なんて顔を見合わせていた先週の日曜日。幸がお休みになってすぐの週末、幸はここに引っ越して来た。
その日、幸は朝一でやって来る業者さんに指示をして荷物を送り出したあと、不動産屋さんに鍵を返してからここに戻ってくることになっていて、私もまた朝一でやって来た業者さんに不要になったローテーブルとソファなんかを引き取ってもらったあと、ここで幸の荷物を待っていた。
ちなみに、引き取ってもらったヤツは合計で千八百円になった。甘くて美味そうなケーキが三つ、確実に買えるから、夜ご飯を食べに行くついでに買いに行こうと思う。新たな美味そうなケーキ屋さんを見つけてあるのだ。ラッキー、ふふふ。
終わった。荷物出たよ
分かった。ダーリン、早く帰ってきてね。ちゅ。
ぐぐっ、ぐっはぁぁぁぁ
大丈夫?
大丈夫。すぐに帰るよ待ってろハニー
なんてうふふな遣り取りのあと、一時間もしないうちに幸の荷物はやって来た。
大物はソファとローテーブルとロータンスのみ。
続々と運び込まれるダンボール、なんてことはなく、それはたったの六つだけ。今日までにちょいちょい片付けた甲斐があったのだ、と思ったらなぜか一つ増えていて七つ。
「うーん」
どれかは分からないけれどなんだか不快な感じがする。
「ったく。幸の奴。余計なものまで送りやがって。バレないと思ったか」
私は邪魔臭えなぁと、がんがんダンボールを蹴りつけて悪態を吐く。それを業者さんが見て慌てている。
「えと。何かありましたか?」
「いえ。こっちの話ですぅ。ご苦労様ですっ」
「「かはかは」」
話しかけたきた業者さんだけでなく、遠くにいた業者の男性も揃ってかはかは苦しそうだった。私は可愛いから。
こう見えても私は意外とモテるのだ。異性には…いや、幸がいるから泣かないから。
昔は面倒だなと思っていたけれど、今となってはそれも笑える話。なんだよくそうと悔しがっていた私もやはり私だから、私は過去の私を否定しない。私は私なりに頑張ってやってきたのだから。
それに私は今だって、変なスイッチを入れずに口を閉じて極力大人しくしていれば、社外の男性にはまあまあ受けるのだ。私はまあまあでゆるふわでとても可愛いから。
「だな」
けれどまぁ、そこは最初からどうでもいいことではある。意味ないから。
「それな」
少ない荷物を手早く作業してくれて、業者さんはあっという間に帰って行った。
あとは荷物を片付けながら幸を待って、開けなくても分かってしまうダンボールの中身について問い詰めるだけ。
「ふふふふふ」
泣かすぞ幸、早く帰ってこいやと私は気合を入れていたけれど、結局のところ、私はあの、えろえろのえろ女に鳴かされたのだ。にゅーって。にゅーにゅーってな。くっ。
幸の奴に、ここをこうすると夏織は可愛く鳴くんだよね、ほらここ、あとここも、もう、ほんと可愛い、なんつって、細くて長くて綺麗な指とか素敵な唇とかで好きなようにしてやられたのだ…いや、泣いてないし、いっぱい鳴いたけれど泣いてないからっ。
「くっ。お、おかしい。なんで、アイツらまで…くそう」
「なに。あんなに鳴いて、恥ずかしくなった?」
「お前がっ、お前がっ。くっそ、許さないぞ幸っ。おりゃ」
「あだっ。あだだだだ」
「ほら泣けやー。おらー。おりゃおりゃおりゃ」
「ぷっぐうぅぅ」
「ざまあ。正義は勝つんだからなっ。覚えておけやー」
「や、だめっ、ふっぐぅ」
こんなふうにわちゃわちゃと、四月を迎える前に私達の新しい生活は私達らしく始まったのだ。
「やったっ、やったっ。やったっ」
「おおおー」
と、ぴょんぴょん跳ねたりいってしまった人のように、思い思いに喜びを爆発させて抱き合ってキスをして、それでも全然収まらずに長々と大騒ぎをしていたのはほんの少し前のこと。
私達はそれほどに嬉しかったのだ。その夜私達は萌えに燃えた。探す手間を省けるように互いの心にこれでもかってくらい、互いを刻んだのだ。終わって抱き合って眠る頃には空は薄っすら白んでいたほどだ。
これで完璧。私達は永遠だ。私はいっぱい鳴かされたけどなっ。
幸は私の同居人。私達がこのことを結婚と同等のことと捉えていても世間的にはただの同居人でしかない。だから、私達、結婚しましたというよくあるハガキは出さない。
その世間的には同居人という位置づけは、実はそれすら希望的観測。お役所にあるデータではそうでも、ただの、と思う人は少なくて、私達がふたりだけで暮らしていることを知れば、それを異常なことと思う輩の方が多いと思う。
人は自分の常識と違うものを見れば、大なり小なり拒否反応を起こすも。だって人間だし、かをり、というヤツだ。
そんなの被害妄想でしょと思うかもだけれど、楽観的でいることはできない。私達はそういう性だから。生きているうちにそうなってしまったのだ。だから、そういう嫌なことを無かったことにできる私は何気に凄い人なのだ。
「うんうん」
私達が暮らしていくうちに、そこになにかしらの憶測をたてる人もいるだろうし、ひそひそ噂をされたり、ダイレクトに、または遠回しに何かを言ってくる人もいるかもしれない。
けれど、もしもそうなっても私達は大丈夫。私達は同居人ですと言っておけばいいのだから。
法がそれ以上を認めないということは、法はそれを認めているということだから、私達の暮らしを誰にとやかく言われる筋合いはどこにもないということ。逆手にとって笑ってやるのだ。
いざとなれば、パートナーシップ制度を申請して最低限の権利を得ることも考えているし、遺言書作るために麗蘭さんやアイスピックママさんが、この人は信頼できる弁護士さんだからねと名刺をくれたから近々幸とその人を訪ねる予定。
面倒だけれど、やはり出来るだけの備えをしておこうと思うから。
なにを守ってなにを捨てるのか。ふたりの生活が始まったいま、私達はもう迷うことなくそれを決めている。
大事なものは大事にしないと大事になってしまうことを、私はちゃんと分かっている。
まぁそんなこと、みんなも分かっているだろうけれど、実際にできているかは分からないでしょ。
モノを抱えた私達がこの手に掴んだ特別は、そうではない人達の特別よりももっと特別で大事なものだと私は思うから、普段はのほほんと過ごしていても、いざという時には隠していた爪をにゅにゅって出す所存。
「所存て。あはははは」
「ふふふふふ」
変なのと、幸が笑った。
守るべき暮らしが始まって、守るべき女性が傍で楽しそうに笑っているのだから、チョコも美味いし私も嬉しくて笑顔になるのは当然だ。
「そっちか。チョコか。負けちゃったかな」
「ううん。こっち。幸の勝ちぃ」
「おー。やった」
「ふふふ」
幸を抱く腕に力を込める。この温もりがあれば大丈夫。私は幸を深く深く愛している。それは幸も同じこと。
「ね」
「うん。大好きよ」
「ふへへ。私も好き」
感情は形もなくて目にも見えない移ろいやすい不確かなものだ。
けれど、私にはこの想い以上に確かなものは存在しない。私にとってこの想いは揺るぎなもの。
もしも幸とスイーツ、どちらかを選べと言われたなら、私はちょっと迷って幸を取る。なぜなら幸は結局は甘くて美味いスイーツにも勝るのだから。
これこそまさに究極の愛、だっ。
「だなっ」
とはいえ私は甘くて美味いヤツもちゃんと食べる。それはそれこれはこれだしと、私は頑張って幸を煙に巻いて押し通すのだ。そもそもそんな二択は要らないから。
「だなっ。あだっ」
「結局、夏織は甘いヤツ、減らさないつもりなのかしら?」
私はお酒を減らしているのにどういうことと、幸の目が細く細ーく、糸のようになっていく。それでも冷たい瞳で私を見据えている器用な幸。私にはそんなこと出来ないからそこは素直に凄いな幸と感心する。
「ま、ままま待って、幸。こ、こんなのどうでもいい仮の話じゃんっ」
ぐわぁぁと迫り来る幸の圧に耐え切れず、私は慌てて幸に抱きついてその胸に顔を埋めた。埋まらないけどそんな感じ。そうすれば幸の冷たい微笑みを見なくて済むのだから。
「埋まらないってなぁに?」
「そ、そんなの言ってないっ」
「引っ付くな。離れろ夏織」
「いやだ。幸、押すなってっ」
ぐぐぐぐぐと私の肩を掴んで引き剥がそうとする幸と、幸の体に回した腕に力を入れて離すまいとする必死な私。いつもの癖でつい顔をぐりぐりしてしまう。
「「あだだだだ」」
ともあれ私達はこれからもずっと一緒。痛いし疲れるけれどいまとても楽しいの。嬉しいの。
そう。私はとても嬉しいの。
「痛いけどなっ」
「ばかっ」
いや、ここまで長かったですね。お付き合いのほどありがとうございます。めでたしめでたしと言いたいところですがもう少し続きます。
「「まじ?」」
「まじまじ」
さて、寒い日が続くなか、お気に入り登録が少しずつですけど増えてきて嬉しい限りのしはかたです。
私は私だから、こういうテーマとか書き方になってしまうのですが、それを気にしないと思いつつも気になることもまた事実。だってしはかたも人間だし。
けど、こうして何かしらのレスポンスがあると、思うことを思うように書いていてもいいんだなと思うことができます。
この場を借りてお礼を申し上げます。ありがとうございます。
読んでくれて超ありがとうございます。