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woman  作者: しは かた
72/102

第六十二話 後

続きです。

こちらは後です。長い…いや、普通です。たぶん。


では、よろしくお願いします。

 


 恐怖の夜を上手いことやって乗り切ったかのように思えて実は全然駄目だったことはもはや忘れた次の週末、チョコの万博とも言えるあの一大イベントが目前に迫っていた。

 スマホの水没さえも今は棚上げにしている私がわくわくするのは当たり前。今の時期は街を歩けばそれだけで、必ず新しいヤツに出逢えるのだ。



「ここに移してっ、と」


 そう。二月と言えば明日、十四日は、みんな大好きかは分からないけれど私は大好きバレンタインデー。そのキャンペーン中、街はどこもかしこも美味そうなチョコで溢れる素晴らしくも心躍る期間だから。


 この時期になると、私はなぜ製菓会社なり商社なりに就職しなかったのかなと、ふと、そんなことを思う。そうしておけば甘くて美味いヤツをたらふく食べられたかもしれないなぁと思うのだ。


 けれど就職するにあたって、私には特にやりたいことがあったわけでも、社会的な使命感に燃えていたわけでもない。私達の抱えるモノについて言えば、私はその頃にはもう既に、採れる選択肢だけを採ってモノを隠して細々と生きていこうと決めていたから。モノのことで誹謗中傷を受けるのはネットの世界だけでもう十分だったから。バレて直接いじめられるのが怖かったから。

 万が一にも標的にされるのは大人になった今だって怖い、対処法を知った今でもそれは変わらない。怖いものは怖いのだ。


「…よっ、と」


 で、私が今の会社に就職したのは、先に勤めていた花ちゃんが凄く熱心にウチを受けな受けなと誘ってくれたから。そしていち早く内定を出してくれたから。その先も就職活動を続けていくなんて私にはむりだったから。

 私は既に燃え尽きていたのだ。真っくろ黒になっ。


 まぁ冷静に考えれば、もしも製菓会社とかに勤めていたとしても、きっと今頃はとても忙しくて、いま街に出回っているチョコをゆっくりと物色したりなんかとてもできなかったと思うし、花ちゃんとここまで仲良しになれなかっただろうし、そして何より愛しの幸と出逢うこともなかったから、そこに後悔は微塵もない。私は働いて稼いだお金を出して、美味いチョコを胸を張って堂々と食べるのだ。


「だな」



 そしてやって来る今年のバレンタイン。今年の私は一味違う。私は今回、ワンランク上を目指すのだ。流行りの雑誌がそうしろと謳っているのだからそれに乗っかってやるのだ。敢えてな。


「で、と」


 だから私はいま甘い匂いの漂うキッチンに立っているというわけ。


「ほりゃ」




 ご存知の通り、この国でバレンタインデーといえば、女性から美味そうなチョコを渡して想いを伝えるのが一般的。

 そして、美味そうなチョコを食べるのは受け取る相手側の男性。それも一般的。

 あげた女性はお裾分けがあったとしても、基本的には美味そうなチョコを食べるのを指を咥えて見ていなければならないという現実。なんとも言えない悲しみを感じる。


 それが私が勝手に抱く、バレンタインデーにおけるストレートなカップルの過ごし方のイメージ。いや、そんなのあり得ないでしょと私は思う。


「で、次は…」


 私も女性だから、想いを伝えたい相手がいれば当然チョコを渡す。

 それを食べるのは当然渡された側だけれど、私の場合は伝える相手も女性だから、これにしようかな、やっぱりあっちにしようかなと悩みに悩んで選んだ美味そうなチョコをあげるだけ、ということにはならない。恋人なら相手も必ずくれるから。

 たとえ恋人がいなくても、ほしければ義理チョコを持ってバーに行く。そうすれば取り敢えず、配った分だけは貰えるから。


 だから私的には、ことバレンタインデーについてはラッキーだったなと思う。あげっぱなしにはならないし私も美味いチョコを食べられるから。

 抱えているモノのせいで生きづらくても、私は嫌な面を忘れて良い面だけに目を向けられる人。それについて、くそうくそうと文句を言いながらも、甘くて美味いチョコを貰えるならまぁ良しとするかと、私の思考回路はとても都合よくできているのだ…いや、泣いてないし。幸はこんな私を凄いねと褒めてくれるし。


 つまり私達は、恋人がいれば愛情たっぷりな甘くて美味いチョコを食べられて、居なかったとしても義理チョコというものを貰えるから美味いチョコを食いっぱぐれることがない、見方によってはお得な人種とも言えるのだ。はっはっはっ。



 その一方で、私達のように恵まれた人種云々に関係なく、美味いチョコを貰う当ても何もない、バレンタインデー弱者みたいな人がどうしても存在してしまうことを私は知っている。

 この社会はとても厳しいから、私達と同じように頑張って生きていても救いの手など伸ばされたりはしない。私はそれも知っている。悲しいことに弱者は常に弱者だから。けっ。


 けど平気。もしも貰える当てが全くなかったとしても大丈夫。今回は不肖この私が特別に救いの手を差し伸べようと思うから。私はいい方法を知っているから、それを教えてあげちゃおうと思う。私はいま凄く幸せだし、普段は狭量だけれど、突然、博愛精神が湧いてくるという、もはや自身の理解も及ばない訳の分からない人だから。

 私のようにどうしてもチョコを食べたい人がいるのなら参考にしてほしいところ。


 それはアレ。そう。アレ。少し前に流行ったように思うアレ。

 欲しいなぁ、けどなぁと葛藤して悩む心にいってしまえとアクセルを踏ませる便利な言葉。アレ。


 これはあくまで超個人的な私の勝手なイメージです。が、意識高い系とかわたし流行りには超敏感ですけどみたいないかにも系がよく口にしていたと思われる、いつも頑張っている自分へのちょっとしたご褒美だしと、出来ます系のクールな感じでソレをそれっぽくアピールして、周りやお店の人に、ああこの人はいかにもだわぁと思わせて美味そうなチョコを買い込んでしまえばいいの。

 だって今日はチョコを食べる日ですからと、冬至の日が近づくとスーパーに山積みになるゆずとカボチャを買うのと変わらないでしょう? と、こんな成りでもそんな古くからの風習も私は知っているのよ凄くない? まぁ馬鹿ではないから風邪は引いちゃうんだけどね、みたいな顔をしておけばなお完璧だから。


 ね。これなら全く貰える当てのないあなたもこの時期出回るせっかくの美味いチョコを堂々と買えて、食いっぱぐれることはないというわけ。

 私は毎年やっているから大丈夫。いけるいける。美味いヤツ、私みたいにいっぱい食べてね。なかまなかま。




 とにかく、バレンタインデーはチョコをいっぱい買って食べても気にする必要は全くないという甘ラーの私にとっては堪らない、とても素晴らしい日。


 昨今では、昔なら見たことも聞いたことも、ましてやその存在すら知らずに口に入る機会すらなかったようなチョコを取り扱うお店が凄く増えて、私は社会人になってからというもの、そのお高めなヤツらを厳選すれど躊躇なく買えるようになったのだからもう大変。


 この期間、普段通う私の定番のお店だけでなく、デパ地下とか駅中とかのイベントスペースとかを巡らなくてはならないから、私にとって二月の前半は、実は師走並みにとても忙しい。


 けれど、それは仕事と違って凄く楽しいし、新しいチョコとの出逢いがあるたびに、きゃあ素敵とテンションが上がって浮かれてしまうのは私だけではない筈だ。


「これをナニする、と」


 当然、チョコを買うにあたっては、義理でも本命でも、コレ美味そうと思うだけでそれを買う訳にはいかない。美味い不味いは見た目も含めて私のセンスを問われるから。


「よいしょ」


 だから、試食という素晴らしいシステムを採用していないお店の場合、実際に美味いかどうか買って食べてみないといけないわけで、そこはまぁ、それなりに出費も嵩んで大変だし、女性にとって重要な二月の一年の計は的なヤツは、もはやどうにもならなくなるけれど、コレは必要なことだから仕方ないよなぁと割り切って、私は毎年頑張っているのだ。


「うんうん」



 と、多くを語ってしまったけれど、その、大変だけれどやっぱりチョコは甘くて美味くて最高だ的な日が今年もやって来てくれるのだ。ふふふ。





「で、これをしゃかしゃかし過ぎないようにして…」


 レシピと作り方を開いているタブレット端末を横に置いてボウルを抱える。

 それによると、温度はなるべく均一にして、メレンゲを作るときもチョコと混ぜる時も気合を入れてやり過ぎると、あまり膨らまないということだ。


 私はぎゅと固く締まったヤツも好きだけれど今回はふんわりしっとりと。濃厚でしっかりしたヤツは次に控えているブラウニーの方にするつもり。


「そりゃっ」


 しゃか、しゃか、しゃか、しゃか


 気合の言葉とは反対に、私は程よく混ざるようにホイッパーを優しく動かし始めた。


「うりゃうりゃー」


 いや、待った。違うから。混ぜ過ぎない混ぜ過ぎない。優しくだから。




 みんなは知らないだろうけれど、私達は去年もちゃんとこのイベントをこなしたのだ。付き合い始めのほやほやだったからそれは当然。私はぐへへと浮かれていたから伝えるのを忘れていただけ。



 幸は私が食べたいなぁと呟いていたお店を憶えていてくれて、それぞれのお店の売れ筋のヤツを計七箱も買ってくれた。


「じゃあ私から。夏織、手を出して」


「こう?」


「あ、両手でね。そうそう。じゃあいくよ」


 なんつって、幸は楽しそうに、先ずはこれでしょう、で、これでしょう、次はこれでしょうと、次から次へと乗せられていく箱に、私が震えながら泣いて喜んだのは言うまでもないと思う。さっそく食べ比べをして、あまりの美味さに悶えていたのも想像に難くないと思う。

 いま思えばあの頃は、不意に漂う謎の圧とかもなくて私はとても幸せだったのだ。


「だな」


 私は市販のもの、私の大のお気に入りのお店でひとつひとつチョイスしたほんのり甘くて美味いヤツを可愛らしい箱に詰めたヤツと、どこかの王室御用達の老舗の、お高いシャンパントリュフを、ついでに私の想いもいっぱい詰め込んで愛しの幸に渡したのだ。


 幸はシャンパントリュフの方をやたらと気に入ってくれて、これ美味しいと食べていたけれど、それ以外のヤツは、やっぱ美味いなコレとほぼ私が食べてしまったような気がするというかそうだった。



 しゃか、しゃか、しゃか、しゃか



 だって、幸があーんてしくれたから。私が断れないことを幸は分かっていたのだ。


「あげる。あーんして」


「あー…い、いや、しし、ししないから」


 つー、つーって、綺麗な指で摘んだチョコをゆっくり左右に動かして私の反応を楽しんでいる。目が釘付けになってしまうけれど私は負けないっ。


「要らないの? じゃあ食べちゃおうかな」


「あっ」


 幸が口に入れてしまいそうなチョコ。このままでは食べられてしまうという謎な気持ちが湧いて、私は手を伸ばしてしまったのだ。


「くくく。うそうそ。はい。あーん」


「くっ。あ、あーん」


「どう?」


「美味ぁ…」


「そうでしょう? じゃ、次。あーん」


「あーん……超美味いなコレっ」


「くくく。あーん」


「あーん」


 幸の思惑通り私はチョコに負けた。そうされるたびに口が開いちゃったのだから仕方ない。私は甘ラー、据え膳食わぬはっていうヤツだから。いや、さすが私のチョイス。いや、アレは美味かった。





 しゃか、しゃか、しゃか、しゃか


「さて、どうかな?」


 私はホイッパーです持ち上げて、でろんとした生地をみる。


「いけるな」


 もう充分だったったけれど、私はもうふたしゃかしゃかと優しくながらもついだめを押した。これはアレ。分かっていてもやってしまうという人の性だ。


「あ、やべ。おわりおわり」



 だから、私が食べられるのなら今年もその手でいこうかなと思ったし、幸が喜んで食べていたシャンパンのヤツ方が量的に少なくて私は少し申し訳なく思っていたから、今回はスイスの老舗のシャンパントリュフを二箱と、たぶん私が食べちゃうんだろう、甘くて美味いソレを少なめにしてそれを用意してあったけれど、私は昨日の帰り道、通りすがりの本屋さんでまたしても運命的な出逢いをしてしまった。一期一会は大切に、というヤツだ。



「あれは…」


 私は迷わず足を止めて、今年は手作り、心の籠ったワンランク上のバレンタインデーを的な雑誌を立ち読みしたのだ。正確には、中を覗けないように紐で十文字閉じられていたから、その雑誌を手に取って表紙をただじっと見ていただけ。

 けれど、それは私をやる気にさせるには充分だった。私は人に食べてもらうために料理をするのが好き。それが幸なら言うことなしだから。



「型に…どろどろどろー」



 私はその雑誌を元の場所に置いて、既にイメージしていたチョコのお菓子のレシピを見るべくスマホを取り出して調べ、必要なものを近所のスーパーで買って帰って来たのが昨日の午後八時半。


 それから私はついでに買った紅と安納の二種類のお芋を夜ご飯にすると決めて、トースターで焼いたのだ。その前にヨーグルトを食べるのも忘れなかった。


 満を持したほくほくとねっとりのコラボはとても甘くて美味かった。アイスを添えてなお最高。超美味かった。


 その夜幸は家には帰って来ない予定だったから、ゆっくりお風呂に浸かって、おやすみ明日ねとメッセージを送ったあと。私は早めにベッドに入ったのだ。


 昨夜、幸の寝間着を胸に抱いていたのはなんか安心するからで寂しかったからじゃない。

 あ、いや、寂しいことは寂しかったけれど、べつに、さちぃとか呟いて涙を浮かべて眠りについてなんかいない。私はあくびをし過ぎて涙目になっただけ。朝起きたら瞼のところががびがびになっていただけ。それで目が開かなくてちょっと驚いただけだから。


「そうそう」


 で、今日、私は起きてからいつものお手入れをして、朝ご飯を食べて掃除洗濯も終えて、いまチョコのお菓子、ふっくらしっとりガトーショコラとナッツの入った濃厚チョコブラウニーを手作りしているところ。


 同じようなものをとか思っては駄目。チョコという括りは一緒でもブラウニーは指で摘める甘くて美味いおやつみたいなもの。手軽さが違うのだから。



「よし。で、こいつをオーブンにっ、と」


 私は型に流し込んだ生地を電子レンジに突っ込んで、ぴってオーブンに切り替えて、ぴっぴっぴって温度と時間を設定して、最後にぴってスタートボタンを押した。


「よし」


 幸はそろそろ起きる頃。うだうだしてご飯を食べても、この家に帰ってくるのは二時か三時くらいにはなる。それまでには余裕で焼きあがる計算だ。


 半日くらい寝かせて冷ましてから型から抜けば、味が馴染んでさらに美味くて美味い、愛情たっぷりガトーショコラの出来上がり。食べる時に生クリームと苺を添えれば明日のバレンタインデーはこれで完璧というわけ。


 幸が目敏くそれを見つけて食べたい食べたいと騒いでも、シャンパントリュフを食っていろとそっちを渡してしまえば大丈夫。たぶん。


「へいき。へいき?」


 ということで、私は一抹の不安を抱えつつ、いまキッチンに立っているところ。

 どうかなぁとレンジを覗き込んでいるところ。


「美味くなれー」





「お前も美味くなれー」


 午後三時過ぎ。オーブンで次のヤツ、固めでしっとり濃厚ブラウニーが焼かれているところをびろびろやって気を送りながら覗き込んでいるとドアホンが鳴った。


「幸っ」


 やった。幸が帰って来たと、すぐに扉まで行って画面を確認すると荷物を詰め込んだバッグふたつと、何やら美味そうなヤツが入っている、最近見かけたけれど食べたことのないお店の袋を持った幸がいた。


 さすが幸だな愛しているよと思いながら、私はリビングの扉に手を掛けつつも振り向いてちらっとキッチンを確認する。

 ガトーショコラはもう眠っている大丈夫。きっといい夢を見ていることだろうから、絶対に美味くなる筈だ。


「喜んでくれるかなぁ」


 ブラウニーももうすぐ焼ける。それは夜のデザートに幸とふたりで食べてしまおうと、そんなことを思って私は顔を綻ばせた。


 がちゃっと玄関の扉の開く音がした。続いてがさごそと扉の向こうで音がする。


「はっ」


 それよりも先ずは迎えに出なくては。愛しの幸のご帰還だ。


「いそげいそげ」


 私は急いでリビングの扉を開けて五歩くらいしかない廊下に出ると、幸はかっこよく靴を脱いでいた。


「幸。おかえりっ」


 私は嬉しさいっぱい、私に気づいて顔を上げて微笑んだ幸に声をかけつつそのちょっとだけ膨らんだ胸に抱きついて顔をぐりぐりと擦り付ける。私の甘える定番のヤツ。それはすぐ幸に伝わった。


「よっ、と。ただいま夏織。なぁに? 寂しかったの?」


「まぁね」


「そっか。ごめんごめん」


 一晩だけでも空いた隣を広く感じてしまった。リビングでも思い思いに過ごす時と違って、いつもくっついて眠る幸がいないことを強く感じてしまった。私は一人寝が凄く寂しかったのだ。


 私が顔を上げて幸を見ると、幸は優しく微笑んでいる。いつもの幸。それが私の中の何かに触れる。


「幸」


「かわいい」


 私達はキスをした。キッチンに居る、甘くて美味いヤツにも負けないくらいの優しくて蕩けそうなキス。

 そして唇を離した幸は腹ぺこらしく囁くのだ。耳元で。とても甘ーく。



「あのね、わたし夏織が欲しくなっちゃった」


「なんだよ幸。べつにいいけどお腹減ったなら何か摘…ん? あれ? こっち?」


 私を抱く腕に力が籠る。幸が妖しく微笑んで私を見つめている。昨日の夜はひとりだったから今すぐ幸の肌、その温もりに触れたいし、求められれば無条件に与えたくもなる。幸が私を望むのならこのまま食べてもらいたいと思うけれど、私はブラウニーを焼いている途中。この私にも理性というものはある。


「いいよね?」


「えっとね、今ブラウニーを焼いているからさ、夜まで待って、うわぁ」


「だめ。我慢できない、のっ」


「ちょっ、幸っ、お腹、お腹食い込んでるってっ。ゔぐっぅぅ」


 幸は素早く荷物を降ろして軽々と肩に担ぐように抱き上げた。ひょいって。ひょいひょいって感じで。まるで、夏織は重くなんてないんだよって、甘いヤツもっと食べればいいのにって感じで。


 その思い込みのせいで、うぐぅへへへと、苦しくも嬉しくなって変な声を漏らす私。幸はくくくと笑ってすぐ横にある寝室の扉を開けた。

 そして私を優しくベッドに降ろしてくれた。


「甘い匂いのする夏織が悪いのよ」


 幸が私に覆い被さって、私が何かを喚き出す前にこの口を塞いだ。優しくて激しい幸のなすがまま私はキスに溺れてしまった。

 そして案の定、唇が離れる頃には私はもうへろへろ。私の理性などは、もはやなりを潜めてしまった。


「いいのよね?」


「うん。して」


「かはかは」


 上気した顔を幸に向け、照れたようにというか確実に照れて、けれど体も気持ちもとろっとろに蕩けた私にかはをふたつくれた幸がエアコンをつけた。

 私が寒くならないようにしてくれたのだ。私はこれからまっぱにされてしまうから。それは幸も同じだけど。


 ブラウニーのことがあるから程々にねとお願いすると幸はまかせろ的に頷いた。

 意外にも、私達には理性のかけらが残っていたのだ。私達は大人の女性、さすがだなっと私は思った。



「夏織」


「幸」


 好き。なんて互いに囁いて、そして私達はまたキスをする。私はこれから幸の好きなようにしてもらうのだ。

 夢中になって私を好きにする幸がくれる強烈な刺激に堪らなくなって私は幸にしがみついた。


 こんなことはもう何度もあった。少し、ほんの少しだけ緩くて柔らかい私の体に飽きもせずに、変わらずに私に愛を向けてくれる幸。愛してくれる幸。

 今も、私の上で夢中になって貪っている幸が私の中の何かに触れる。このえろえろのえろおんなめがと思うこともままあるけれど、私はそんな幸をとても愛おしいと思うの。堪らっ、なっ、くっ。


「んんっ」




 その約一時間後。ことの終わり、私は心地よい怠さを身に纏って、へろへろのへろで幸に抱かれている。さすが幸。短期決戦もお手の物というわけ。

 その幸はありがとうとお礼を言ってくれて、私の髪を撫でながらこんなことも言い出した。


「お腹減った」


「なるほど。今度はそっちか。幸、お昼食べなかったの?」


「お昼? 食べたよ?」


「そっか」


 食べたよ天ざる。うん、あれ美味しかったなぁと頷く幸もさすが幸。もうお腹を減らしているとはいかにも幸らしくてやっぱり笑っちゃう。こんな幸もまた、私の大好きな幸なのだ。


「お腹減ったね」


 もう何度も聞いたその台詞。幸のお腹も併せてぎゅるると鳴いている。慣れっこだけれど変わらず私の中の何かに触れる。

 それは、私の中が温かくなって充たされて心が震えて少し泣ける感じのヤツ。私は幸せなのだと実感できるヤツのうちのひとつ。


「私は減ってないけど」


「えーっ」


 嘘でしょう? と、驚く幸に私が、いや、嘘でしょうとはもう思わない。だって幸だから。


「ま、しょうがないな。私に任せとけ」


「やったっ。ありがとう夏織っ」


「いいのいいの。声でかいけどなっ」


「あはは」


 よっしゃと喜ぶ腹ぺこ幸。耳元で大きな声とかうるさいけれどそれを怒る気にはならない。

 私はね、そんな幸も堪らなく愛おしいと思うの。堪らない、の。


 うぐ。


 再び幸の胸に顔を押し付ける。幸は優しくよしよししてくれた。私は今、もう最高に幸せだから本当に堪らない。

 けれど、やはり幸せな時間というヤツは突如として終わりを告げるのだ。



「あ、ブラウニー」


 やっべ。そういえばそんなものをと、急に焼き上がりが気になって私は幸を放り出してベッドから飛び出した。


 背後でぐわって声がしたけれど今はどうでもいいことだから。

 切なくて甘いヤツと引き換えに、甘くて美味いヤツを失敗するなんて決して許されないから。幸が笑って許してくれても私が私を決して赦さない。


「いそげいそげ」


 私は急いでキッチンに行かなくてはならないのだ。私は五歩くらいある廊下をとことこと進む。まっぱとか今はそんなこと、それもどうでもいいことなのだ。


「さむっ」


 いや、やっぱここはいったん寝室に戻って服を着るべきではないのかなと、私はリビングの扉に手を掛けたまま、うーんと悩み始めてしまう。


 まっぱで。そんなもの寒いに決まっているのだ。


「はっ、くしゅっ」


 ね。





お疲れ様でした。今年一年お付き合いしていただき、ありがとうございます。


今年の投稿はこれが最後になります。皆様良いお年をお迎えくださいませ。


いまだ、このお話の仕様をどっちにしようかなと悩んでいますが、来年も、愛すべき夏織と幸を宜しくお願いします。


読んでくれてありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
[一言] 一年間連載お疲れさまでした。 来年もにぎやかな二人の日常を楽しみにしてます。 よいお年をお迎えください。
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