第五話
続きです。
よろしくお願いします。
幸。今日はごめんね。
いいよ。気にしなくて。
あと、栗あわ大福とわらび餅ありがとう。美味しくいただきました。
それも含めて気にしなくていいって。夏織。
(//∇//) そうかもしれないけどさ。幸も大変かなって。嫌なら直す。なるべくだけど。
嫌じゃないから。夏織は夏織だし。
(〃ω〃) そっか。ありがと幸。やっぱ幸は幸だ。
そうよ。それ以上でもそれ以下でもない、私は私。
私も同じ。とにかくありがと。
はい。どういたしまして。
そうそうあのね、さっきね…
なにそれ?
……
…
フリックする指が攣りそうになるまで続きそうな屋敷との楽しいメッセージのやり取りを、そろそろお風呂にとか、私もシャワーをとか送り合ってどうにかふたりで終わらせたあと、私は側に置いてあったストロング系の缶をぐいっと傾けてから煙草を取って火をつけた。そして再びアプリを開き、メッセージのとある部分を確認してみる。
「…くっ、屋敷の奴、ここで照れた顔文字を使ってくるとか可愛すぎ。ますます惚れてしまうでしょうがっ」
私はそんなことを口にして、もう一度ストロングな缶を思い切り傾ける。
「ぷはー」
私はこのまま大人しく煙草を吸って、それからシャワーを浴びることにした。
それで気分が落ち着いたら、少しばかり攻めてみた今日のことを順を追って軽く総括してみようと思う。
私は冬でもよっぽどでないとお湯には浸からない、シャワーで済ます派だから、高めの温度、四十二度に設定してあるお湯を頭から浴びている。体は既に洗い終わって、ふんふんと口ずさんでいる鼻唄とともにシャンプーを流し終わるところだ。
最初にお湯で三分洗い流して、シャンプーで洗うのに五分、流すのに三分以上かけるのが良いとテレビでやっていた。フルで四曲口ずさんでいると、時間的にちょうどいい感じになる。
「あー、面倒くさかった」
それでも髪や頭皮に良いと言われると、飽きるまではやってしまうものだ。
「ふぅ」
それから耳の辺りから毛先までコンディショナーをつける。
それが馴染むまでぼーっとシャワーを浴びながら、屋敷が見たいと言ったある筈の胸に何となく手をあてる。
「あるね」
ふとここで、歴代の恋人達が私の胸を見たあとに凄く優しい目になっていたのを思い出す。
「…くっ」
屋敷がこの胸を見たがるなんて。
今はまだそんな機会がやって来るかどうかは分からないけどその可能性がないとも言い切れない。
こんなことなら、ああ神様、もう少し欲しいですと、真面目に願っておけばよかったかなと思わないこともない。
「…い、いや、あ、あるから」
シャワーを浴びてお手入れも済ませ、冷蔵庫から持ってきた新しいストロングな缶を一口飲んで煙草を手に取った。
「よし」
顔文字で昂っていた気持ちもすっかり落ち着いたところで私は屋敷について考える。
屋敷は私のことを好きなんだろうか。
先週飲んだときも何となくそうなのかなと思ったけど、私の遅刻から始まった今日の屋敷とのイベントは、いま終ったばかりのメッセージのやり取りを含めて、やはり私がそう考えさせられるには充分なものだった。
遅れていた私が屋敷を見つけて声を掛けたとき、屋敷は既に私を見つけていた。それなりに人も多くいる騒ついている場所で、しかも私の呼び掛けた声はそれ程大きな声でもなかった筈なのに、屋敷はそれを聴き逃さずに嬉しそうに笑って手を振っていた。
その姿は、黙って佇んでさえいればさすがゆるふわ系だといわざるを得ないほどふわふわと可憐でとても可愛いかった。
実際、屋敷の近くにいた何人かの男性は微笑む屋敷に見惚れていたように思う。けど残念。屋敷が可憐な微笑みを向けているのは、私ただひとりだけなのでした。
「あはは」
ただただお気に入りのスイーツについて話したかっただけの屋敷による屋敷のためのお勧めスイーツの話。その中に気になる言葉があった。
屋敷は確か、私たちの相性は最高だと言っていた。話すことに夢中になっていたからついぽろっと出てしまったのだろう。ならあれは屋敷の本心だ。
ということは、屋敷はチョコ何たらとかミルフィーユを食べる時はいつも、私のことも想っているのかも知れない。
「うふふ」
見せ物になってしまったことや競歩と化した追い歩きっこは普段のおふざけの延長のようなものだから、それ自体は特に何かがあったとは思わない。
でも、運動があまり得意じゃない屋敷が必死に逃げている様子が面白かったから、屋敷は嫌がるかも知れないけどまたやりたいなと思う。その時はまたこてんぱんにしてしまうだろうけど。
「あはは」
ではその後のことはどうだったろう。
追い歩きっこが終って、私が屋敷の横で特に意味なく体を動かしているあいだ、屋敷は息を整えながら何かを考えていた。とても真剣に。屋敷の考えていたことは、私には分かる筈もないけどとにかく真剣な顔をしていた。
その屋敷は、私を見ているようで実は私をその瞳に映しているだけで、意識自体は自身の内側に向けていた。私にはそれが分かる。
ただ、何となく、本当に何となくだしたぶん私の勘違いだと思うけど、私に向けられる目に、時偶、若干の呆れた感じが混ざっていたような気がしてしまうのは何でだろう。
「さっぱり分からない。謎だわ」
そんな屋敷の目を気にしながらも私は体を動かすのはやっぱり気持ちいいなぁなんて思いつつ少しいい汗を掻いたあと、屋敷の意識を私の方へ向けてみようかなと思って、すみません汗を拭きたいですと屋敷の目の前に手を出してみると、それに気付いた屋敷はあっさりと私の望み通りにハンドタオルを渡してくれた。そのときも意識を自身の内側に向けていたようだけど、一瞬だけ私に意識を向けて、私の伝えたかったことをちゃんと理解してくれた。
さらにそのあと、幸のことなら分かるに決まっているみたいに言われたことも凄く嬉しかった。屋敷は何かの思考に囚われていて、私に対して無意識な状態で言ったからこその、なにも隠しようのない本心からの言葉だと思うから。
「うふふ」
時間もないのに突然耳を塞いで歩き出して意地でもスイーツの店に行こうとする屋敷を止めて宥めて笑っていたとき、泣くのを堪えている屋敷を目にした途端、もうなんなのこの可愛い女性は、ぐはっ、吐血しそうでもなんか可笑しくて笑っちゃう、くくくと、私の感情はかなり忙しくなっていた。
「くくくくく」
休憩スペースに来てからの屋敷はどうだったろう。
屋敷は私が椅子ごと近くに寄っていくと、えっと驚いて私を見ていた。確かに、あれ、ちょっと近過ぎたかなと私も思った。椅子ごとだから加減が上手くいかなかったのだ。
でもすぐに渡した栗あわ大福とわらび餅に目を奪われていた屋敷は、私が近くに寄ったことを一瞬にして意識の外に放り出したように思えた。
さすが屋敷。あれは自然とそうなったみたいだから、私はスイーツに負けてしまった、のかも知れない。
だから次回からは、私が近くに寄ったことを屋敷にちゃんと意識させてからスイーツをあげることしようと思う。
私が夏織と呼ぶようにしてからの屋敷は、敢えて流すことにしたのか、それについて何か言うことはなかった。
でも、私が夏織と呼ぶたびにいちいち慌てる様子の屋敷はとても可愛らしかったし、屋敷がいつもしてくれるように私も屋敷の世話を焼いてみると、どぎまぎとしながら慌てている屋敷の様子は鼻血が出そうになるくらい可愛くて、これまたとても魅力的だった。
私がそんな思いを隠しながら世話を焼き続けていると、屋敷はその可愛らしい一面を畳み掛けるように見せてくれた。
結果、屋敷は可愛くてかわいくてとても魅力的。そんな状態になっていた私は、幸これ美味いよとわらび餅をもぐもぐと頬張る、普段から見慣れている筈の屋敷にやられてしまった。
私が近くに寄り過ぎたせいでいつもより間近に目にしてしまったあまりの屋敷の可愛さに、これ以上はヤバい、絶対無理、耐えられないと思って、慌てて時計に視線を落とし、仕事がどうのとか言ってさっさと退散することにした。
時間的にはもう少し余裕があったけど、私の方に精神的な余裕がなくなって、とても保ちそうもないなと思ったの。あのままあそこにいたらどうなっていたかと思うと恐ろしいものがある。果たして自分を抑えられただろうか。
「いや、危なかったかな」
こうして今日のことを総じて思い返してみると、私はぐいぐい攻めているつもりが逆に攻められていたように思う。
私は屋敷のことを確かめるために色々と水を向けていた筈なのに、屋敷は無意識にも私を攻めていたのだ。
そして私は負けてしまった。
私が唯一勝てたのは競歩と化したおい歩きっこだけ。けどそんなもの、それが何だという話だし、やはり私は屋敷を好きなんだということをあらためて確信できたけど、そんな分かりきったこと今更確信したからってどうするんだって話でもある。
対して屋敷が私を好きかどうかはまだよく分からないままだ。
私がしたことに見せた筈の屋敷の反応を、私が内心馬鹿みたいに舞い上がってしまったせいでそれに気を配ることができなかったからだ。先週末、ふたりで飲んだ時は何となくだけどそうなのかなくらいは思えたのに。
「はぁ」
まったく、自分からやっておいて自らどつぼに嵌るとは。私は何をやっているんだか。
私は自分を凄く優秀な女性だと思っていたけど、本当はただの馬鹿なのかも知れない。
「…それはいやだなぁ」
それともうひとつ。
結局、今回は屋敷が私と同じなのか違うのか分からないまま終わってしまった。私の優秀な判別センサーはまたしても役に立たなかった。主に屋敷が可愛かったせいで。
「やっぱり凄いね夏織は」
極一部の間ではキレかっこいいと言われているもてもてなこの私を手玉に取るんだから。しかも屋敷はそれを意識してやってもいないんだから。
「ふっ、やるな屋敷」
なんちゃって、あはは。
これにて総括は終わり。私は自分の馬鹿さ加減に呆れて首を振り振り煙草を消してストロング系の缶に手を伸ばし、それを一気に呷ってやった。
「はぁ」
それからこの何とも言えないもやもやした気分を変えるために、今日何度となく思い返した歯を食いしばって私は絶対に零さないぞと堪えていた屋敷の顔を思い浮かべることにした。
「くくく」
瞬きをしないように垂れた目をくわっと開き、眉をぴくぴくと動かして口を一文字にして、今にも堪え切れなくなるのを懸命に我慢していた屋敷。
思い出しても私の中の何かに触れる。それは以前にもたまにあったこと。そのたびに自然と顔が綻んで穏やかな優しい気持ちになる。しかしまぁ、パフェのためにあんな顔をするなんて今もやっぱり笑ってしまうけど、それも屋敷らしさだからなぁと思う。
「ほんと、かわいかったなぁ」
私が屋敷の泣きそうな顔を見たのは何もこれが初めてではない。屋敷は稀に悔し涙を浮かべることがあった。最近はそれも少なくなったけど、私が屋敷の愚痴を聴くときがそうだ。
でもそれは、今日のような屋敷らしい可愛らしさの話とは全然違って、仕事が上手くいかなかったり、女性だからと舐められたり侮られてしまうようなことがあったときのことで、私だってそれが理由で屋敷の前でも独りでも涙を流したことは当然ある。
セクハラだとかパワハラだとか色々と取り沙汰されるようになった今だって、私達が女性として受ける不愉快な発言や出来事は、減ったにしてもそれなりにある。
私はそれを笑って受け流せるようになったけど、屋敷は性格上、好戦的なところがあって、ある程度我慢はしてもついムキになってそれを指摘してしまうこともあるらしかった。それもまた屋敷らしいことではある。
「それ言っちゃダメでしょう」
「だって幸、あのやろうが私の、私の、うぐ、顔を、タヌ、タヌキぽいって、うぐ」
「タヌっ?そ、そっか。えーと、それはムカつくね。じゃあ、そいつのスマホの番号教えてよ。仕事絡みだから知りたくなくても知っているでしょ?イタ電するからさ」
「知ってるけど、イタ電って何するの」
「奥さんが出るまでかけ続けてさ、私は旦那の浮気相手ですって言うの。どう?」
「それいいかも。でもさ、そんな時間もったいないからもう忘れることにする」
「そうね。本当にもったいないもんね。それがいいよ」
タヌキ顔のことはともかく、確かに屋敷は顔と雰囲気に似合わず負けず嫌いなところがある。我儘なところもあるし口を開くと何気に毒を吐いたりもする。本当に必要な時以外は自分が気に入らないモノには見向きもしないし相手にもしない。そして私に対してだけ甘えん坊。屋敷は基本、そんな女性だ。
入社した頃、あら可愛い女性が居るなと、ついついじっと見てしまった顔や黙っている屋敷の持つゆるふわな雰囲気と、口を開くと性格的になかなか癖のある屋敷とのギャップに驚いて、うわーと引いてしまったこともあった。
「あはは。懐かしい」
まあ、屋敷は今でも一緒に買い物に行ったりすると、目当てのものが無かったりあっても思っていたものと違っていたりしたら途端に不機嫌になって、わざわざ来たのに無いなら無いってインフォームしとけよだの幸がこのお店にならある筈だから行こうとか言うからだのなんだのと文句を言ったり、逆にむくれて何も話さなくなってしまうこともままあったりもする。
まったく、つくづくいい性格をしているなと思う。
「くくく」
でもいつの間にか、私にはそれがかわいく、微笑ましく思えるようになった。少なくとも私に対しては、文句を言っていてもなんか違うなと思えたからだ。それが私に甘えているんだと気付いてからは尚更だ。
それに屋敷は我儘に振る舞ったあとは必ずフォローを入れてくる。そんなことは人として当然のことだと思うけど、できない人にはできないことだ。
屋敷は凄く申し訳なさそうな顔をしながらごめんね幸と謝って、これ、もし良かったらどうぞとバッグから取り出したお高めなチョコレートとかクッキーなんかを差し出してきたりすることもある。二度くらい大きめの月餅とかを渡されて、私が思わずつっこんだりすることもあった。
「おっも。でも何で月餅?大きくない?」
「何でってなに?美味いでしょ、月餅。それ木の実がいっぱい入ってるやつだよ」
「そうなの?いや美味しいけどさ」
「大きいことはいいことでしょ?美味いし」
「そ、そっか。ならありがたく貰っておくよ」
「うん。あらためてごめんね幸」
「あはは」
ごめん幸わたし反省していますとやけにしおらしくなった屋敷に、私がそんなこと気にするなと言えば、屋敷は申し訳なさそうな顔をしながらも嬉しさを隠し切れずに口角を少し上げて小鼻をぴくぴくさせたりする。それがまた私の中の何かに触れる。
「ああ、そっか」
結局のところ、屋敷と私のこうした日々の積み重ねが私の中で大きく育ってきたということなのだろう。
時には姉のように振舞ったり妹のように甘えたり、頼りになる同期であり仲の良い友人であるひとりの女性から、気付けば私の意中の女性となった屋敷。
それは葵さんの言う、雷に打たれたとか一目でピンと来たといった運命の恋とはまるで違うものだけど、自然にしても必然にしても、成る可くして成った恋なんだと思う。
「そういうことか」
そう。つまりはそういうことだったわけ。
私はこうして探すことをやめていた理由を見つけた。
読んでくれてありがとうございます。