閑話 恵美
閑話です。
よろしくお願いします。
いつものバー。
午後十時過ぎ。私はいつものように夏織が迎えてくれたいつものテーブル席に着いている。
「今しかないって思って洗面所にいってさ」
私がやって来てすぐに、いつものように夏織が頼んでくれたいつものお酒を飲みながら、いつものように摘んでいた夏織の定番のおつまみ、えびパンや野菜スティック、そして里香さん特製の本日のお勧め、お皿いっぱいに盛られていた魚というよりトカゲっぽい形をした何かのフリッター、美味しいソースを添えてはもう既に無い。あるのは夏織のお皿に乗っている、ほんの申し訳程度に齧られたそれを含めて二つだけ。
お皿のやつは全て食べてしまったから。主に私と由子で。あと、美帆さんの食べっぷりも中々のものだったと思う。まぁ何にしても美味しかった。
「あ、これ美味しい」
「え。まじ? いや、里香さんのヤツだから美味いのはわかるけど」
けどコレ変な襟みたいなヤツとか短い足とかあるじゃんと、夏織はとても嫌な顔で怖い怖いと頭を振った。
それを箸で摘んで手首を返して、コレどう見てもウーパー的ななにかっぽいんだよなぁと呟いている。
「ていうかもうそれにしか見えないんですけど」
ほんと、よく食えるよねさすが腹ぺこばんざい食いしん坊だよねと、半ば羨望の眼差しを向けてくる夏織に馬鹿にされているように思うけれど姿がどうであれ気にもならないし美味しい物に罪はない。寧ろ、食べることこそがその命の供養になる。
ちゃんと食材に火が通っていれば基本はなんでも大丈夫なんじゃないかなぁと、陽子も言っていたから問題なし。私に不安は一切なし。だから私は頷いた。
「美味しいよ」
「あの罪のない、つぶらな瞳とか思い出さないの?」
「特には」
「だよね。やっぱ由子といい恵美さんといい、もうさすがとしか言えない」
と、里香さんのお勧めを食べる際にこんなやり取りがあった。夏織は毎回のように疑って、結局それを食べることは無意識に口に入れてしまう時以外は稀だ。
「なんでなの?」
「腹を空かした人がいるからだよ。去年からもうひとり増えたし」
なのになぜ頼むのか訊いてみると、ふたりとも腹ぺこばんざい食いしん坊だからなんて答えが返ってきた。
失礼なと思ったけれど、あれば食べているのだから文句は言えない。そして私はふと、これはもしかして夏織の持つ母性なのかなと思い当たった。
「夏織、なんだかお母さんみたい」
「はーはーはー。誰が母親か。ウチは私も含めてエンゲル係数超高過ぎだからあとふたりも養えない」
「そんなに?」
「うん。あ、けど、私が母親なら恵美さんは叔母さんだね。娘は無理だから叔母さん。ならいいか。じゃあ、食費入れてね恵美叔母さん」
「ふふふふ。夏織、誰がおばさんなの?」
「ち、ちょっとたんま。字、字が違うって。ほらこっちっ。こっちのヤツだって」
「ふふふふふふふ」
そして気づくと夏織が頭を押さえて冗談なのにぃとぶつくさ言っているのが眼に映る。
そこから推測するに、たぶん私が叩いたのだろうけれど、この時の私は我を忘れていたのだからそんな記憶はない。記憶がないのだから私に罪はない。だから私は悪くない。
「そうよね?」
「馬鹿なの?」
「で、ショーツ以外全部脱いでさ」
向かいの席に仲良く並んでいちゃいちゃしていた由子とその恋人になったばかりの美帆さんは、少し前に揃ってこのバーを出て行った。
このあとふたりがどこに行くのかお見通しであっても、それについては私は何も言わずに黙っていたけれど、夏織はやはり夏織だから、ふたりのことを自分のことのように祝福しつつも由子にそっと、まじ痛いから。痛くて泣いちゃうけどまぁ頑張ってと、ぽんぽんと由子の肩を叩きながら余計なことも言っていた。
そのあとすぐに由子と美帆さん、そして私にも、この馬鹿者めがと頭を叩かれていたけれど。
とにかく、私達は幸せいっぱいのふたりを私は笑顔で、夏織は少し涙目で、くそう、シナプスが切れたからなっ、なんて言いながらも、手を振って見送ったのだ。
それにしてもシナプスとは。夏織は妙なことを知っているのねと私は思った。
「あのふたりどうなるかな。これから」
「さぁ? そればかりはね」
「だよね。けど、美帆さんは歳上だし優しいし、由子にはまずは良かったと思う」
「そうね」
「うん。なんかほっとしたらお腹空いてきた。よし。あとでアイス食べよう」
「ふふふふ」
「あ、ねぇ恵美さん、私の時もこんな気持ちだった? 嬉しいっていうかほっとしたっていうか」
「うーん。どうだったかな? 夏織のことはもう遠い昔のことだから」
からかって、というわけでもないけれど、私は誤魔化した。それはちょっとした遊びのつもりの照れ隠し。
夏織は感謝を惜しみなく、ストレートに表現してくる。それを伝えられるたびに、私は少し気恥ずかしくなってしまう。
私は私の出来ることをしただけ。私があのとき夏織に気付けなくても、他の誰かがきっと同じことをした筈だから。
「忘れたの? あ」
いま何かを思い付いて、私に向けて腑に落ちたように頷いた夏織はそんなことを言う。
その夏織をこのバーで見かけたのは十年以上も前のこと。
十年といえばひと昔。それだけ前のことだけれど、今もこうして会っている夏織が、おどおどしながらこのバーに入って来て、不安げにきょろきょろと周りを見渡していた姿を私が忘れる筈がない。
すぐに話しかけに行って、この席に連れて来て話をして、落ち込んで悔しがって、怒って泣いていた夏織が笑えるようになった日のことを私が忘れる筈がない。
それからずっと、今もこうしているように、私に懐いて慕ってくれている夏織に起こった出来事を私が忘れる筈などない。楽しそうに、時折辛そうに話してくれたことを私が忘れる筈がない。
私にとって夏織は、その言動にやる気があるんだかないんだかよく分からない、本気なのか冗談なのかよく分からない、けれど締めるところはちゃんと締められる、決して鈍感ではなく周りをよく見て機微を察することに長けて、ここ以外の世界を醒めた目で眺めていながらも、感受性豊かで涙脆くてどこか幼い一面を残す、愛すべき妹のような存在になっているのだから。
「そっかぁ。恵美さん、忘れちゃったかぁ。まぁ、恵美さんはもう叔母さんどころかおばあちゃ、い、いや。やっぱなんでもない」
「こら夏織っ」
「あたっ」
私にちょんと小突かれた頭を、てへへと笑って摩っていた夏織はもう、抱えたモノを受け容れて自分の足でしっかりと立っている。その足で前へと、夏織らしくとことこと歩いている。嬉しいことに。そして、眩しいほどに。
「それで? どうしたの?」
夏織とふたりになった今、私はいつものお酒を飲みながら、いつものように夏織のおかしな話を聞いている。
「で、隠してたヤツをさ、こうやって、くるくる巻いたの」
私は話を聞きながら、何かを巻きつけるように手をぐるぐるとやる振りを混じえて楽しげに話す夏織のお皿に残っている謎のフリッターに手を伸ばしてそのひとつ取った。
「あ」
これは夏織が齧った方のヤツだけれど、これを食べても夏織は絶対に怒らないし、もうひとつもどうせ私が食べることになるしまぁいいかなと、私は謎のソースを付けて口に運んだ。
本来なら、夏織のお皿のフリッターは由子と争奪戦になるところだったけれど、あの子はとても幸せそうに浮かれていて、この残ったふたつの存在を忘れたままこのバーを出て行ったから、私は今これを余裕を持って味わうことができるというわけ。ふふふふ。
いただきます。
「美味し」
「…最後に胸のところで蝶々結びにしてさ」
私の呟きに一瞬だけ、まじかと顰め面で反応したものの、夏織はすぐに楽しそうな顔に戻って話し続けている。私は見た目トカゲっぽい謎のフリッターを味わって食べながら、その様子にくすりとしながら話を聞いている。
「もうね、すっごく可愛くできたわけよ」
「そうなのね」
「うん。で、いざ戻ったら幸の奴、もう眠ってた。すやすやって」
「え」
「起こすのもなんだから解いたの。リボン。それ以来ヤツを見てないの。まぁ、次の日捨てたんだけどさ」
「ぷっ」
私をあげる的なサプライズ。いや、アレは失敗だったよ参ったよと、夏織はけたけたと笑って私の腕をぱしぱしと叩く。
「失敗失敗」
そして夏織は、ほんと馬鹿でしょ、アレまじやらない方がいいと思うよ恵美さんも気をつけてねと話を締めた。それからさっと手を伸ばし、食べちゃうのと声を掛ける間もなく謎のフリッターを摘んで齧った夏織はもぐってやったあとすぐに固まった。
「あらら」
「うわぁ」
一拍置いてそう声を上げて、夏織は慌てて謎のフリッターをお皿に戻し、ぺっぺっ、ぺっぺっと大袈裟にやってみせてから、グラスを取ってお酒を口に含み、それを呑み込まないでじっとし始めた。
「む」
それは、アルコールで消毒したんだよと、前に、いま何してたのと訊いた時やけに真面目な顔で教えてくれたやつだ。
「ふむー」
夏織の理解し難い突調子もないこうした行動には、夏織にはちゃんとした何かしらの理由があって、夏織は周りの声など気にもせずにそれを至って真面目に本気でやっている。
今も、む、と唸ったり、ふむーと鼻から息を吐いてどこかを見ている。
どれだけ口に入れたのかしらと思わせるくらいに頬を膨らませて動かない夏織は、もはやおもしろ可愛い狸にしか見えない。
「ふふふふ」
そしていつものようにそれが私を和ませてくれる。癒してくれる。
私が陽子に抱くものとは明らか違う感情だけれど、昔、私に抱いてくれた恋心には応えることはしなかったけれど私は夏織を好き。私らしく私なりに。それは今の夏織も同じだと思う。
「くそう。美味いからよけいに腹立つな」
謎の物体ばってんのくせにさくさく美味いとかまじおかしいからなと、ようやくお酒を呑み込んだあとに夏織はそう悪態を吐た。
「ぶっ」
面白くて笑っちゃうし、何を言っているんだかと呆れもしちゃう。全く、何をやっているんだかとも思う。
けれど今のリボンの話はちょっとだけ耳の痛い話でもある。私もまたに似たようなことをすることもあるから。
「お帰り陽子」
「た、ただいま、え、恵美? ええと、風邪ひくよ?」
「そんなわけ、はっくちんっ」
「ほらぁ。もう。はい。これ着て」
「きゃー」
「あ、こら。逃げるなっ」
「はっ、くちんっ」
なんて、今年の陽子の誕生日に私はそれなりに上手くやった分、眠っている幸さんを見つめてぽつんと佇んでいる夏織の姿を想像するとやっぱりおかしくて笑っちゃう。
いや、だって少なくとも陽子は眠ってはいなかったから。私の透け透けな下着姿を見せられたから。
つまりああいうのはタイミングが大事。ことの少し前とか相手が帰宅した時にやるべきで、眠る前など論外だから。
「何してるのよ。間抜けね。ふふふふ」
「はーはーはー。恵美さんだって似たようなことしてるくせに」
「まぁね」
「またまた。そういうのいいから」
私が否定すると思ったのだろう。まったく嘆かわしいと、夏織は首を横に振った。
「いい? 恵美さん。だいたいね」
そして夏織は、わたし分かってるから大丈夫。みんなしてるんだから恵美さんがしたって全然恥ずかしくないと思うけど。しちゃってるくせに隠すとか、その歳で恥ずかしがり屋さんとか逆に見てるこっちが恥ずかしくなるからやめておいた方がいいと思うけどな恵美さんと、そんなふうに、目を閉じて腕を組んでうんうんと頷いている。考えないで感じてしまえと伝えてくる。
「陽子さんなら受け止めてくれるって。だからさ、恵美さんも恥ずかしがってないでしたいようにすればいいのに」
「だから。それくらいのこと、私だってするの。この前だって透け透けのすっごい下着で出迎えたのよ」
「はいはい。まったく、恵美さんはそうやって自分を抑……えっ。まじ?」
「まじよ。まじまじ」
「へぇ、そうなんだ。で、陽子さんに思い切りひかれちゃったと」
真面目な顔をしている夏織につられて、私はつい真面目に返してしまった。
「そうそう。何してるの大丈夫って目で見られちゃって……違うっ。陽子、喜んでたからねっ」
上手くいったと喜ぶように夏織はにたぁと微笑んでから、やっぱりひかれちゃったかと、全てを分かったような顔をする。
「はいはい。陽子さんは優しいからなぁ」
「違うのよっ。いえ、違くないけど。あーもう、とにかく違うのよっ」
「いいのいいの」
そうやって私をからかっていた夏織は何を思ったのか、不意に私をじっと見て、やっぱ恵美さんはこっち側の人だったんだなとにっこりと笑った。
「かはかは」
それは夏織の容姿と相まって、例えようのないほどに可愛い微笑みだったから、十分に見慣れている筈の私でも、かはかはと喘いでしまうほどのものだった。油断していたのだ。
「な、なに。とても嬉しそうに。かはっ」
「だって仲間だから」
「仲間?」
「うん。なかまなかま」
私と夏織の間で指を交互に動かして、また私の腕をぱしぱしと叩く夏織。本当に嬉しそうに微笑んで、私も頬が緩んでしまうその顔を見ながら、堅物と思われている私にも、夏織のように無邪気に思える不思議な一面があるのかしらと少し嬉しくなる。
「失敗なかま」
「え。そっちの?」
「だって恵美さんも失敗したんでしょ?」
「していません」
「またまた」
服を着ろって言われたんだから失敗だから。そんなの駄目なヤツだから。
なんて、得意げな顔でそう頷く夏織は慣れだよ慣れと、失敗は成功の母だから、なんて言って笑っている。
「ね。なかま」
今度は私がその顔をじっと見る。
仲間ということは夏織と同類ということ。さて、私はそれでいいのだろうか。
「うーん」
と、考えるまでもなく私は最初から答えを知っている。
夏織は思い込みも激しい。それのせいで失敗することはこのバーでも数多くある。里香さんの本日のお勧めを、何だこれ本当に食えるヤツなのかな? と、それを眺めて悩んで騒いでいるのはそのいい例だ。私はそんな夏織を何度も見て、またおかしなことしているのねと笑っている。
となると…
夏織の仲間。それは嫌だなと私は思った。
「夏織の仲間はちょっといやかな」
「だよね。それ幸にも言われたし」
間髪入れずにそう言って夏織は笑った。なんだよくそうと文句を言いつつ笑っている。
その様子を見るに、夏織は何も気にもしていない感じ。
「そんなふうに思われて嫌じゃないの?」
「へいきだよ」
だって私は私だから。それを否定されたらそれはもう仕方ないことだから。
それに、今はこんな私を愛してくれる幸もいるし、昔から気に掛けてくれる恵美さんがいるこの場所もある。
いま私は私らしく胸を張って生きているのは、そう思えるのは、恵美さんのお陰でもあるからと夏織は平然と言って退ける。さも当然でしょと言わんばかりに。
「私は今の私に満足しているの。そう思えるのは幸と恵美さん、麗蘭さんとか、このバーのお陰」
みんな形は違うけど、みんな素の私を受け入れてくれているからさと夏織は微笑んでいる。そこには強がりや嘘の欠片も感じ無い。
「ありがと恵美さん。ほんとに感謝してるから」
「なっ」
「恵美さんがいなかったら、私はこんなふうに思えなかったから」
ほら。夏織はこうやってストレートに気持ちを伝えてくる。実は狙っているのかと思えるくらい。
真摯に私を見つめるその目がしてやったりと笑っているんじゃないかと思えるくらい。
「ありがと。恵美さん」
ここに通って十何年。その間、夏織と同じように見かけて声をかけた子は両手以上はいただろう。
たまに連絡をくれる子もいれば、音沙汰のない子もいる。その中でも、こうして定期的に会うのは夏織だけ。こんなにも私に懐いてくれたのは夏織だけ。夏織は今も笑っている。
「うっ」
その夏織が前向きに生きていけるのは私のお蔭だと言ってくれる。この私でも同じモノを抱えて悩む誰かのために何かできたのだと思わせてくれる。それを誇りに思わせてくれる。
「恵美さん?」
それが夏織で本当に良かったなと私は心から思う。
「ごめんね。なんか嬉しくて」
「そっか」
はいコレと、夏織はハンドタオルを差し出していた。私はそれを受け取って、軽く押し当てるようにして目元を拭う。気を落ち着けるためにそれを何度か繰り返して私は顔を上げた。
「ふぅ。落ち着いた。ごめんね」
「うわっ。こわい」
「なっ、なに? 」
「目元。まんば的な。あと、口開いてた」
この辺。落ちちゃったよと、夏織は自分の目の辺りを指でくるくるとした。それから、なんで拭く時に口が、あーって開いちゃう人っているんだろうねと笑って言った。
「口? まんば? え。嘘。やだ」
「うそ。ふふふ、うわっぷっ」
そしてこの会話。いかにも夏織らしい。私は貸してくれたハンドタオルを思い切り投げつけてやった。
「ばか。ふふふふ」
「ふふふ」
「はい。恵美さん。お酒きたよ」
「ありがとう」
「あ。莉里ちゃん待って」
アイスを頼むの忘れてた。そう言ってコレとコレお願いねと莉里ちゃんに注文している夏織。
「ダッツ?」
「ダッツ」
と、ふたりでくすくすと笑っている。
さっきの裸にリボンの話はいかにも夏織らしい。自分のやらかしたことを笑い話にできる夏織は大したものだなと思う。
大抵は自尊心が邪魔をするし、私の場合、才色兼備で落ち着いた優しい姉の様な女性という周囲の持つイメージに囚われてそんなことはできないから。
まぁ、その代わり、夏織は人のことも遠慮なく指を差して笑うけれど。
「あ、あとね。この前ね」
「他にもやらかしたの?」
「うん。やらかしたの」
そう言って、夏織は屈託なく笑う。
実のところ、夏織は何も考えていないだけなのかも知れない。私が面白かったからみんなも面白い筈だと、夏織は夏織らしくいるだけなのかも知れない。
でも、その夏織らしさ、本来の優しさと明るさが、美帆さんと寄り添っていた由子を救ったのだ。
「恵美さんのしてくれたようにやってみたけどいまいちだったかな」
はい残念と自嘲して、けどさ、恵美さんがいるから由子は大丈夫だねと、さすが恵美さん超素敵と、夏織は言ってくれたけれど、由子のことは夏織のお陰。
「そんなことないよ」
「そうかなぁ」
「由子、言ってたから」
それは由子も認めている。
インターンシップ中に、夏織さんに救われました。そんなような気がします。あ、でもなぁ、いや、やっぱりそうなのかなぁと、考え込んでしまったから、私も少しだけ悩んでしまったけれど、やっぱりそれはそう。由子だってちゃんと分かっている。
「なんだよ。違うじゃん。悩んじゃってるじゃん」
「照れているのよ」
「いや、それ絶対違うから。悩みまくってるから」
「ふふふふ」
そうやって自分のしたことを否定するけれど、由子が笑えるようになったのは間違いなく夏織のお陰。
「たくっ、あの腹ぺこめ。よし。暫くお裾分け禁止だな」
由子の前で美味いヤツ食べちゃおう、絶対あげないと、悪く微笑む夏織はやけに楽しそう。食べるならやっぱ甘くて美味いヤツだなふふふふふと軽くいってしまった。
おかしいなと、夏織はもう素敵な大人の女性になった筈だと、私は夏織をじっと見つめた。
「い、いや、大丈夫。なってるなってる」
「ん? どうかしたの恵美さん珍しく動揺してる」
「なってるよね? ね? 夏織大丈夫よね?」
「うん。全然わからないけど私は大丈夫だよ。いけるいける」
「そっか。ならよかった」
「恵美さんこそ大丈夫なの?」
「夏織に心配されるなんてどうしようだめかもね」
「ね。わたしそこも否定できないから」
「そうなの?」
「そうだよ?」
ふふふふ、ふふふと笑う私達。
夏織といるとこんなことが一晩に何度もある。楽しくない訳がない。笑顔にならない筈がない。人として好きになるに決まっている。
「夏織はそれでいいの?」
「え。だめなの?」
「だめでしょう。そもそも夏織はね」
「ちょっ、たんまたんま。落ち着いてよ恵美さん。そのモードはダメなヤツだから」
「いいから聞きなさい」
「わーわーわー」
それはもう十年以上も前のこと。
夏真っ盛りのお盆休み明け、世間が休みを引きずって、いまだ弛んでだらしない日の夜、いつもの時間、私はバーにやって来た。そして見かけたのだ。
「こんばんは。こういうところ初めてでしょう? とりあえずこっちにおいでよ」
「え。あ、はい」
いつものバー。私達はここで出逢った。今も紡がれ続けるそれぞれの物語に絡む糸は少しだけ。それはずっと変わらない
それでも紡がれ続けると私は思う。きっと、いってしまうまで。私達の物語として。
そう。私が見かけた悩んでおどおどとして、怯えていた女の子はもういない。
泣いていたあの女の子はもう既に遠い記憶になっているのだとあらためて思う。その女の子は今やすっかり素敵な女性になって私の隣でご機嫌でアイスを食べている。
「うん、ダッツ。やっぱ美味いなコレ」
なんとまぁ、いかにも夏織らしいこと。ふふふふ。
いつもの八割くらいの長さでした。私は頑張った。
けれど、もしも短いなと、物足りないなと思う方がいたのならそれは慣れたから。もはや私と同じ、手遅れということ。あはは。
なかまなかま。
読んでくれてありがとうございます。