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woman  作者: しは かた
65/102

第五十七話

続きです。


よろしくお願いします。

 


 電車の中からこんにちは。


「幸です」


「知ってるけどなに?」


 出ちゃった声に耳聡く反応しちゃった夏織。スマホから上げた顔が怪訝な表情を見せているのはここが電車の中だから。


 いやいや。たとえこの場でなかったとしても、いきなり自分の名前を呟く人がいたら私でもどうかしたのと思ってしまう。それはそう。けど、私は今いま少々浮かれているから少しくらい訳の分からないことになっていても、それは仕方ないことなの。


「な、何も言ってないよ」


「そうなの?」


「う、うん。そうなの」


「わかった」


 幸がいいならそっとしておくからと、夏織は私に微笑んで、一度だけ首を捻りながらスマホに顔を戻す。

 夏織がその一瞬だけ醸し出した、私は何も聴いてないから大丈夫的な優しさと変なの的な訝しさが痛かった。


「いたたたた」


 こ、心が。そんな感じで胸を押さえてみせても夏織に反応はない。


「無視っ?」


「いや、だって」


 触れない方がいいんでしょわたし何も聴こえてないから好きに続けて。祟られても困るし。くわばら的な?

 そう伝えているとても慈愛に満ちた笑顔のまま、夏織は私に向けて大きくゆっくりと頷いて、またすぐにスマホの画面に視線を落とした。


「…くっ」




 ということで、あらためまして、幸です。 

 みんなご存知市ノ瀬幸です。愛すべき夏織の恋人で、この先ずっと夏織とともに在ることを勝ち取った愛しい夏織の唯一の最愛。それが私。私は今とても幸せなの。


「あはははは…うっうんっ、うおっほんっ、うんっ」


 思わず出した高笑いを誤魔化すように慌てて口元に手を運び咳払いをすると、夏織は体をびくっとさせたけどスマホに目を向けている。気づかなかったみたいだからたぶんいけたと思う。

 周囲の人に変な人だと思われなくて私はほっと胸を撫で下ろした。


「あぶなかったぁ」



 電車の中はぽかぽかで暖かい。もう二十分くらい揺られている。

 がたんごとんと一定の音とリズムで揺られていると眠くなってしまうから、たまに出てくる欠伸を手で隠したりして気持ちよく微睡んだりもしている。


 私の隣り、夢中でスマホの画面を見ている夏織に目を遣ると、おーとか、ほほうと楽しそう。

 その様子に満足しつつ、少し呆けた頭で私は思う。

 それは最近になって、夜、ひとりでお酒を飲んでいる時なんかにたまに考えること。昨晩も、すやすやと眠っている夏織に抱かれながら少し考えていたこと。


 いずれいつかの遠い内に、私達のような人間でも、いつでもどこでも寄り添えるようになる。手を繋いだり腕を組んだりして、陽の光の下を堂々と歩けるようになるだろうとかそんなこと。


 社会は法の下、杓子定規で狭量のように思えても、何か切っ掛けがあれば寛容にもなれると思うから。

 そうは言っても社会は変化を嫌うから、世界の流れが少しづつ変わっている今日(こんにち)でも、特に排他的なこの島国では、私と夏織が生きているうちに何かが変わるとはどうしても思えない。


 けど、あと何回か人生を経験すればそんな日が必ず来ると私は信じている。そう信じてもいなければとてもじゃないけどやっていられないから。


 そしてその時も私は夏織とともに在る。絶対にまた見つけるし夏織は私を待ってると言ってくれたから。私はそのための印を夏織の中に付けることができるだろうか? 夏織はそれを許してくれるだろうか?


 大丈夫。夏織はそれを許してくれているし望んでくれている。それに、一生を懸けて愛し続けているうちに、私というものを夏織の中に深く残せると今は思うから。

 それを目印にして私はまた夏織を見つけるのだ。


「うんうん」



 隣の夏織に目を向ける。いつも見ているけどいま凄く顔を見たくなったから。

 夏織は向けた視線に気づくことなくスマホを弄っている。そこにはもの凄く甘そうなヤツの画像がある。

 ふふふふふふふと不気味に薄ら笑う今の夏織はキモ可愛らしい。買っちゃうかコレ、けど幸の圧がなぁなんてぶつぶつと、見るからに口の中が痛くなりそうなくらい甘そうなそれに夢中だった。


 私も夏織には痛いほど甘いからその背を押してあげることにした。


「買えば?」


「まじ? 謎の圧とかかけない?」


「謎の圧? よくわからないけどまじまじ」


「おおやったっ。あとでぽちろうっと」


 取り敢えずコレはカゴに入れておこうと、素直な笑みを浮かべる夏織はさすがに全種類はないなと自重して、あとはどれを買うべきかと悩み出す。だから私は置いてけ堀だ。

 けど、べつにそれでいいの。いかにも夏織らしいし、私が夏織の横顔を少し見たくなっただけだから。


「くくく」



 夏織は甘いヤツに夢中。だから私は再び思考に耽っていく。


 どんな形だったにしても、私達は過去もともに生きた筈だと私は思う。そして私はこの生でも夏織を見つけたのだ。

 なら私達はまた次へ、そのまた次へと続いていく。そのたびに過ごした記憶は消えてしまうけど、新しい夏織と出会ってまたともにその時を生きていけるんだと思う。


 私はそれについて、夏織以外の誰かに理解してほしいわけじゃない。その通りだねと肯定してほしいわけでもないし、そうなんだよと押し付ける気もない。ましてや説いて回りたいわけでもない。

 意味のない願望とか希望とか、妄想だとか思われたって、あほらしいと鼻で笑われたって、怖いよそれとひかれたってなんだって構いはしない。

 これは単なる私の死生観。夏織と過ごしているうちに、いってしまったその先も傍に在りたいと願うようになった今の私が思う死生観。私が、ただ私が、そんな気がしているというだけのこと。



「ねっ」


「コレにするかな…なに? あっ。あーっとね。い、いけるいける。へいき。超いけるから」


 ねはねだし。それは夏織の言い分だから、私の急な振りに戸惑いつつもさすが夏織。さっとスマホから顔を上げて、慌てながらも微妙に噛み合っているかのような答えをくれた。


 大丈夫。たぶん今のでいけた筈。だよね幸と、夏織は窺うように私を見て、すぐに何かを思いついて、ああ、なんだ、もしかしてアレのことかと小さく頷いた。


「伝わったの?」


「超伝わってるから。いまも幸からびしびしってきてるから」


「本当に? 伝わってる?」


「肉でしょ。幸、心配ないから。あと三日はいけるから大丈夫」


 完璧。夏織はそう呟いて鼻の穴を少し広げている。そこからふんすと息を吐き出して、どうよと自信たっぷりに私を見ている。


「肉。熟成的な」


 全然違うけど、そう言われれば確かに寝かせている肉のことも気になってくるけど私は笑ってしまった。


「くくっ。肉、くくく」


「違うの?」


「くくく。さぁ。どうなんだろうねー」


「おかしいな。幸なんだから肉のこと以外ないのに」


「は? 夏織は私にどんなイメージを持ってるのよ」


「え。優秀でしょ、で、聡明。意識高い系で一所懸命で綺麗でかっこよくて可愛くて乙女。あと、私にはすごく優しくて甘い」


 夏織は指折ってそう口にする。あとはー、なんだろなと考えている。

 随分とストレートに私を褒めるから私は照れて少々慌ててしまう。


「そうそう。しなやか威圧ぽんこつはらぺこ酒豪えろえろかちかち。で、やっぱ肉」


「ちょっとっ」


 酷いよ夏織と怒る振りをする私を、ちょいちょいとやって夏織がちょっと近づいてと呼んだ。私はなによと体を少し傾ける。


「私は全部好き。幸だから」


「なっ」


 幸、照れんなって。そんな感じで固まった私の肩を叩く夏織。言葉はともかく小声だし、それはよく見かける、友人同士がするちょっと騒がしい感じ。そこに違和感はない。筈。

 さすが夏織。車内に人は少なくてもちゃんと周りを見ているのだ。


 復活した私も負けてはいられない。受けた想いはちゃんと返さないといけない。


「私も大好き」


「知ってる」


「どこがって訊かないの?」


「それ訊いたらだめなヤツだから。私は私をわかってるけどさ、客観的なヤツを人から言われるとさすがにへこむ」


「あはは。なにそれ? あはははは」


「ちょっ幸。いきなりでかい声で笑うなって」


「あはははは」



 こんなふうに少し浮かれている私はこれから新年の挨拶に夏織の実家を訪ねるところ。

 つまり、私はさながら夏織のお嫁さんという立場になって初めての、同じく私のお嫁さんの夏織は私を連れて実家に顔を出すといったところ。


 親が幸に会いたいってと夏織は伝えてくれた。そんな話を聞けば、ちゃんと受け入れられていると実感できてやっぱり私も嬉しいから、私らしくなくても少しくらい浮かれていてもいいと思うの。


「くくく」


「着いたよ幸。降りよう」


「あいあい」





「なんでかなぁ」


「さぁ? けど不思議だね」


「ほんそれ」


 夏織は青い空を見上げている。お正月は雨が降らない不思議、私には降った記憶がない、なんて話をしながらとことこと転ばずに歩く夏織は何気に起用。私のスキップを変な目で見ているだけのことはある。

 そして私もとことこなのは夏織の歩調に合わせているから。


 とことことことこ


 これがいつもの夏織のペース。敢えて意図しているわけではないだろう、色んなことにあくせくとしている私のとは全然違う、なんとなくほっとできる緩やかなペース。


 とことことことこ


 甘くて美味いヤツを見つけたり、ぽかして慌ててあたあたしていなければ、夏織のそれは速くも遅くもない、なんとも心地よいリズムを刻んでいてとても落ち着く。


 とことことこ、と


 と、突然、夏織が立ち止まって不満な顔で私を睨んだ。


「誰がコミカルかっ」


「へ? あはは。そんなこと思ってないよ」


「本当か?」


「本当だよ」


「ふぅん。そっか。ならいいか」


「くくく。あ、晴れといえばさ、昔の体育の日もいつも晴れてたよね。でも、今の成人式とか受験の時は雪が降ったりしてね」


「あー、そうかも」


「暦ってすごいよね。少しずれてきたけど」


「昔の人は偉大だった」


 今は、大物とか言われている人もなんか(こす)くてちっちゃいよねー、こんなもんだようわぁちっちゃっ、なんて言ってふたりで空を見上げながら、そんな他愛のない話をして夏織の実家へと続く道を夏織のペースで歩いていると、時折、破魔矢とかわたあめの袋なんかを持つ人達とすれ違う。


 あっちの方に神社があるからと、夏織は指を差しながら、私も中学生くらいまでは家族で初詣に行ってた、甘酒タダで飲んでたなと、過ぎた日を懐かしむその顔には微笑みが浮かんでいる。そうして出てきた言葉はいかにも夏織らしかった。


「わたあめいいな。食べたい」


「昨日食べたでしょう」


「なんのこと?」


「えーと、また忘れたの?」


「そんな記憶が微かにあるような。けど、毎日肉を食べたがる幸がそれを言うとか」


「なんのこと?」


「おー。なかまなかま」


「それはちょっと…」


「あ? なんだとこらー」


「あはは」



 そう。私達は昨日の元旦、午後遅くに、私達のマンションから近くはないけどそう遠くもない神社に初詣に行った。

 その時、本当は住んでいるその土地の神様に詣でるべきらしいと、夏織はよく分かんないけどさと言いつつ自慢げに教えてくれた。

 夏織はともかく私はまだここに住んでいないから、じゃあ、四月からよろしくお願いします的な感じで挨拶をさせてもらえばいいんじゃないのと、そういうことにしたのだ。


 そしてその出掛けに、帰りに出店が出ている参道でジャンクなヤツを買って、それを部屋で食べることになっちゃったの。それが夜ご飯だからなって夏織が言い出しちゃったの。



「帰りに出店で何か買ってこよう。それ夜ご飯ね」


「え、なんで。おかしくない?」


「なにが?」


 おかしいよね? だって、ステーキ肉が残っているのにもかかわらずだよ? それを美味しく焼いてくれたらいいだけなのに夏織が頑なにそれを許さなかったから。美味しく食べるためとはいえ、今でも信じられない暴挙だと私は思うの。


「肉あるよ?」


「寝かしてる。だからだめ」


「えーっ。寝てるなら起こせばいいじゃん」


「がまんがまん。すっごく美味くなるから。熟成」


「うっ、美味しく…くっそう」


「ふふふ」


 その時のしてやったりな夏織の顔ったら。それはそれは楽しそうに笑っていた。

 肉を食べられないのになんで笑っていたのか私には全く理解できなかった。


「けど幸。焼きそばとかフランクフルトとかお好み焼きとか食べたいでしょ?」


 出店のヤツ。色んなのあるよ。なんつって、夏織は私達の財布を見せてくる。先月の余った分を使っちゃってもいいからと笑っている。私はわたあめ買うしと楽しそうに笑う夏織は私のツボを心得ているのだ。


「ああいうとこって混んでて並ぶけどさ、幸と一緒ならそれも楽しそうだし」


 夏織は時々そうやって、私の鼻先に餌をぶら下げてくる。そして気がつけば、私は条件反射のごとくそれに喰いついてしまうのだ。

 私はごくりと喉を鳴らしてしまった。


「いいなぁ、焼きそばかぁ。あれはあれでいい感じなんだよねぇ」


「そうそう」


「タコ焼きとかイカ焼きとかも美味しいんだよねぇ」


「いけるいける」


「うんっ。いいねそれっ。夜はそれにしよう」


「ふふっ。ちょろいな幸」


 見れば夏織はにやにやしている。してやられたのは分かっているけど、今はもう、それを食べたくなったから悔しくないし気にならない。

 それに私はそんな話をしているうちに、昔のこと、家族で行った初詣を思い出していたのだ。



 あれを食べたい、これやりたいと環と騒いだりねだったりして、親の手を取ってあっちあっちと引っ張ったり。そんな私達を見て優しく笑う父と母。

 それは、私には何の憂いも無い頃の、抱えたモノが息を潜めていた頃の、人生を悲観することもなかった、私の世界がクラスの友達と家族が全てだった頃の話。もう二度と戻らない、いま思えば愛すべき日々たち。


 それは中学生が終わる頃には無くなってしまった日々。

 私は薄っすらとモノを自覚しつつも夏織のように周りに対してドアを閉めることはしなかった。何かあっても耐えれば済むことだと思っていたから。

 それさえ気をつけていれば、私はその頃には家族よりも友達と一緒にいる方が楽しくなっていたから。


 それはたぶん自然なことで、私自身の成長とコミュニティを広げる上で必要なことだったと思う。

 けど私はそれと引き換えにして家族との時間を徐々に減らしてしまった。父と母、環と私が笑っていた、あの、確かに幸せだった時を。


 それは今だからそう思う郷愁みたいなもの。目を閉じれば浮かんでくる帰らぬ日々。そんなものだと分かっているけど寂しいものはやはり寂しい。取り返せるならもう一度思うことは、無い物ねだりは人の常、誰にでもあることだと思うから、それを恥じたりしないし、戻りたいとも思わないけど。



「もったいなかったかなぁ」


 楽しさにかまけてしまったけど、もう少し大切にしておけばよかったなと思う。そのあとさらに失った八年を思うと余計にそんな気がしてくる。二つとももう取り戻せないものだから。


「かもね。けどさ、その分はこれから取り戻せばいいから。同じものじゃないけど、私はそれでいいと思う」


「かな?」


「でしょ。って、なんだ幸。ほら、DだよD」


「知って、るよー、だ」


 夏織が寄ってきて私を包んでくれた。夏織の胸は柔らかくて温かくて安心できて私は少し泣いた。


「よしよし」


 昔は良かったと懐かしむほどの歳ではないけど、それをべつにと気にしないでいられる歳でもない。過ぎたことは過ぎたことと思える夏織ほど私は強くない。ふと寂しくなってしまったんだから、夏織に甘えてしまうのは仕方ないかなと私は思った。


「ありだな。これは役得」


「なぁに」


「こんな幸は私だけのものってこと」


「そっか。くくく」


「ふふふ」


 私はぐりぐりと顔を擦り付ける。夏織は、おおお? と声を出して私をより強く抱き締めてくれる。私はより柔らかなものに包まれて息が苦しくなってしまうけど私はここが好き。

 ここは今。紛れもない今。過去が戻らない分、今はそれを実感したくて私は暫く夏織に強く抱いていてもらっていた。とても温かった。





「やった、大吉だ」


「私もっ」


 お詣りして、混んだ境内をうろうろと、御守りを買ったりおみくじを引いたりしたあと、手に入れたお目当てのものを両手に抱えて笑顔満面、参道を抜けて家に帰る途中、ふと、私は夏織にしてやられたのかなとそんな気がしたその横で、夏織はご機嫌でわたあめを食べていた。


 まぁ、料理に関しては私はからっきしの食べる専門だから、食べたいと騒ぐ以外は何も口にできなかったけど。肉もね。なんちゃって。あはは。


 あ、ちなみに、すき焼きのお肉は全部食べたから。もちろん主に私が。凄く美味しかったから。




 と、私を騙した夏織はわたあめを買って、美味いなこれとか言いながら口とか手をべたべたにしていたのだ。

 私は記憶が曖昧な夏織にそれを指摘してあげた。


「ほら。食べたじゃない」


「うーん。かもしれない。けどさ」


 地域によって味が違うかもしれないでしょ。牛だって神戸とか飛騨とか三田とかいるんだからさ、わたあめだけが全国共通、ただ甘いだけとは私はそんなこと思えないから。ざらめとか、ご当地のヤツとか絶対ある筈だからと、夏織は堂々と持論を展開していった。


 それが終わると夏織は満足そうに頷いた。


「どうよ」


「どうよってなによ」


 同意を求められても困る。私にはもはや、夏織がなにを言っているのか分からないから。

 ちょっといってしまった感のある夏織も私と同じでなんとなく浮かれているように思える。


「絶対違う味だって」


「甘いだけでしょう」


「いや、違うからな。ご当地もある。たぶん」


「そうだねー。あるある。で、どこいくのよっ」


 私は素早く夏織のコート、その首のところを掴む。コートが伸びて首にかかって夏織はぐえっと鳴いた。向かおうとした方向から考えて、夏織は神社へ向かおうとしたのだ。


「離せ」


「だめよ。夏織の実家はこっちでしょ」


 確かこっちの筈。私は夏織をぐるっとやって、体の向きを実家の方へと向き直させた。


「くそう。鋭すぎるのも考えものだぞ幸。見て見ぬ振りも大事。それが優しさの時もあるんだからな」


「くくく、なにそれ笑っちゃう」


 笑う私に夏織は悪い顔を向けた。幸がそのつもりなら言ってやるからなと口を開く。


「あのさ、笑ってるけど幸、幸ですってなに?」


「それ、なんでいま言っちゃうかなぁ」


 勘弁してくださいよ夏織さん。私はそんな顔をした。自分で言ったくせに、夏織は見て見ぬ振りをどこかへやって、電車の出来事を私に思い出させてくれたのだ。お陰で黒いヤツが私の元にやって来てしまった。


「幸です」


「いやー」


「ふふふ。幸ったらやっぱ笑える」


 悶える私を笑う夏織。少し浮かれている理由はたぶん私と同じ。クリスマスイブの夜、眠る間際に夏織が吐露していたそんな日が、恋人を実家に連れて行くなんてことができるとは思ってもいなかったそんな日が、こうして訪れたからだ。


 私達はマイノリティ。この社会から受け入れられているマイノリティではないマイノリティ。


 私は弾かれたマイノリティだから、生きていくうちに誰かと深く結ばれても、家族にさえも理解されずにその女性と二人きり、その生活が周りにバレないようにこそこそと陰に隠れて暮らしていくものと思っていた。


 だから、まさか夏織と私の家族が私達を受け入れてくれるなんて、私達はそんなことは全く考えてもいなかったのだ。これがどれだけ凄いことか。あの夜の夏織の言葉はまんまそういうことだから。


 そして、受け入れられたということは、私達にはそれぞれ親が増えて、親からすれば私達は娘の嫁で、義理の娘になったと言える。つまり私達みんな、義理とはいえ家族が増えたのだ。これこそがいま私達が浮かれている理由。


「うんうん」


 分からない人には分からない。分かるけど分からないふりをする人も、分かりたくもない人もいると思う。

 けどこれは、分かる人には分かることだ。私と夏織は少なくともふたりぼっちということはない。受け入れてくれる家族がいる。それは幸せなことだと私は強く思う。幸だけに。


 なんちゃって。上手いな私。


「くくく」



 残念なことに社会はそれを認めない。いまの家族云々の話は内々の話でしかない。法的な根拠がそこにないから。


 そうやって私達から目を背けることは楽だしとても簡単なことなんだろう。

 受け入れようともしないでただ存在しないものと同等に扱えばいいんだから。ともすれば、その都度何かを理由にして攻撃しておけばいいんだから。


 けど、実際にこうやって、夏織とふたりでしていることが私達の関係を事実として雄弁に語ってくれる。隠しているから伝わらなくても私達はそれを積み重ねていくだけ。それを事実として残すだけ。


 そしていつの日か社会や私達を嫌う人達は気づく筈。そこに私達の暮らしがあることを。もしくはあったことを。同性同士で暮らしていても、普通と定義された人達と何も変わらず義務を果たして頑張って生きていることを。もしくは生きていたことを。

 たとえ社会的に認められていなくても、放って置かれても、法的な根拠が存在しなくても、社会や私達を嫌う人達だってちゃんと分かってしまうのだ。同じだと。


「けどね」


 たぶんもう分かっている。知っている。けど、それでもなお、分かっていながらそのことを、存在を、お前らはおかしいからと認めないつもりで、それで済ますつもりでいるのだろう。楽だから。何も変えたくないから。変化に怯えるへたれだから。


 あまりにも小さくて鼻で笑っちゃう。私からすればそんなのは、大勢側で胡座をかいているだけの器のちっぽけな性根のねじ曲がったくそったれの嘘つきだ。


「だっさ。くくく」



「ちょっと幸。さっきから笑ったり怒ったりこわいんだけど。大丈夫?」


 夏織が私を見つめてこの腕に触れてくれた。口は悪くても、気にしちゃ駄目だよ幸、怒らないでとそんな顔をしている。

 私を気遣わしげに見つめてくれるその優しさに今すぐその胸で甘えてしまいたくなるけど、私は平気だからそれを茶化すように伝えてみる。そうして始まるのは私達の得意な掛け合いだ。


「なにこわいって? 失礼しちゃうなっ」


「だっていま笑ってた。くそって言って。その前はうんうん頷いてた。そんでまた笑ってた」


「うそっ。出てた? まじ?」


「まじまじ。もろ出てたから」


「あーあ。ちゃんと気をつけていたんだけどついに夏織が移ったかぁ。ヤバいよね?」


「うん。確実にヤバい。わたし、そこは否定できないから」


 幸ヤバいよと、夏織は乗っかった。夏織は真顔でうんうんと頷いた。

 どうやら私はかなりヤバいらしい。夏織は割と本気でそう思っているのが伝わってくる。


「ぷっ。まぁ、そうだよね」


「はっはっはっ」


 そして夏織は朗らかに、私はその言い種に吹き出して、あははふふふと笑い合った。



「あはは。いやぁ、夏織はほーんとおかしいよねー」


「ほーんとおかしくはないからな」


「いやいやご謙遜を」


「そこも否定できない。私は奥ゆかしいから。自慢とかしないし」


「はーはーはー」


「なんで笑う」


 うりゃ。そんな声とともに何度も放たれる夏織にしては鋭い蹴りをひょいひょいと躱してながら歩いていると、見覚えのある景色が目に映る。夏織の実家はもうすぐそこ。


「はぁはぁ、幸。緊張する?」


「ううん。平気だよ」


「そっか。よかった。うりゃ」


「よっ。はい、はずれ」


「くそう。はぁはぁ」



 私は大丈夫。緊張なんてちょっとしかしていない。

 だって私達はもう家族だから。こうして夏織の実家を訪ねているうちに、私も自然とこの一家に溶け込んでいけると思うから。

 だからいずれは夏織と声を揃えてただいまと言ってみようと思う。夏織の両親のことだから、きっと喜んで迎えてくれる。そんな日が必ず来ると私は分かっている。


「うんっ」


 そして私はにんまりと微笑んだ。



「あ、幸。お前いま笑ったよな?」


「え、ち、ちょっとまだやってたの? 今のは違うの、違うってばっ」


「うるさい。まだ終わってないぞっ。隙ありっ。そりゃ」


 こうなったら絶対当てる。そう言って放たれた夏織の蹴りが見事に私を捉えた。ただし、夏織の脛が私の脛を。私も痛いし夏織も痛い。


「あだっ」

「あだっ」


 私達は夏織の実家の門扉を入ったところで、ふたりでぴょんぴょん跳ねて痛がっているところ。


「いたぁ。なんだよ幸のばかぁ。避けるの下手くそか」


「それは、いたた、こっちの台詞でしょうがっ。夏織の下手くそ」


 なんで私がこんな目にーと、夏織は脛を摩って文句を言っているけど、それは私の台詞だから。

 そうは思ったけど私はやっぱり笑っちゃう。折れた折れたと涙目で脛を摩る夏織がおもしろ可愛いから。


「くくくくく」



「もう幸。確実に折れたからな。ここ」


「その歳で骨粗しょう症なの? 毎日小魚食べなさい」


「美味いよねアレ」


 甘くないけどぽりぽりって食感がさと、足が折れた話はすぐにどこかへ飛んで行った。

 分かった食べると頷く夏織。さすが夏織と言うべきか。





「だっだいまー」


 おっきな声を出して玄関を開けて入っていく夏織が後ろ手に押さえる扉に私も手を添えながら、続いて家の中へ入った。


「おじゃましまーす」


「幸」


 夏織が私の名を呼んだ。私の脇腹に肘でちょんとやって、遠慮すんなと伝えてくる。思うようにすればいいのにと伝えてくる。


「ね」


「うん。じゃあそうするかな」


「いいね」


 それなら言い直そうかなと、声を出す間もなくばたばたどたどた我れ先にと争う音が奥から聴こえてきた。


「えぇぇ」


 まさかまたなのと、私は思わず音のすの方に、リビングへと続く扉に目を向けてしまった。


 がんっ


「いってぇ、くそう」


 蹲るのはお義父さん。勝ち誇った顔で私達に近づいてくるのはお義母さん。夏織はお腹を抱えている。父さんは懲りないなと笑っている。そして私も笑っているデジャブ。


 いつか勝てるといいですねお義父さんと、私は笑っていながらも密かにエールを送った。


「頑張れ。あはは」



「あけましておめでとう」

「あけましておめでとうございます」


「おめでとう。ふたりともおかえりなさい。寒かったでしょ」


「ななっ」


「ふふふ」


 私はその言葉を期待なんてしていなかった。私が言おうとそう思っていただけだったから驚いて固まってしまった。

 私は夏織と恋人になってから、よく固まるようになったなぁなんてことを考えていると、傍でふふふと笑っている夏織が、幸と私を促した。そっと、せーのって感じで。


「「ただいまっ」」


「おかえり」



 寒かった、いやそれ程でもなかったですよなんて答えているところにお義父さんが腕を摩りながらやってきて、やはり同じように私を迎えてくれた。


「あけましておめでとう。いてて。おかえり夏織。幸さんも、おかえり」


「ただいま父さんおめでとう。相変わらず弱いな」


「ただいま。あけましておめでとうございます。お、お義父さん」


「おう。おかえりふたりとも。いいなぁ。娘が増えたぞおい母さん」


「そうねぇ。でも私にはないの?」


「えっと。ただいまお義母さん」



 みんなにこにこ笑っている。私も同じく笑っている。私の家族はもう既に増えていて、それがいましっかりと分かったから。私と夏織は決してふたりぼっちになんてならないと分かったから。

 ああ、なんて幸せであることか。


「幸だけにねっ」


 大きな声でそう言って、よしっ、上手いこと言いました私、さぁ褒めて褒めてと慎ましやかな胸を張り、さぞかし褒めそやされるだろうなとみんなを見ると、三人は顔を寄せ合って、今のはないわよね、いやでも可愛いじゃないか、だって幸だしと、ひそひそとやっていた。


「あれぇ?」


「幸、頑張れ」

「幸さん、次はもうちょっと頑張ってね」

「幸さん、なんだ。大丈夫だからな。まぁ頑張れ」


「なななっ」


 またしても私は固まった。やっぱり夏織と恋人になってから、私は固まることが増えたように思う。今日だけでもう何度目だろう。



「お疲れ幸。すべったからって気にすんなって。ほら上がるよ」


 まぁね、あれだよあれ。人には向き不向きがあるからなと、とんとんと肩を叩いて励ましてくれる夏織はやはり優し…い?


「そうよ。すべったからってね。ぷ」


「そうだぞ。俺なんてしょっちゅうだからな。ぷぷ」


「そうそう。ぷぷぷ」


「あ。うん。そっか。そうだよね。じゃないぞっ。お前らー」


「あだっ」

「いったぁい」

「いって、あだっ」


 ぺし、ぺし、ぺしぺし。


 夏織に一発、お義母さんにも一発、お義父さんには二発、私はお見舞いしてあげた。


「ふんっ。馬鹿にして」


「「「なんのこと?」」」


 揃って右に首を傾げた馬鹿家族たち。きょとんとした顔が三つ並んで私を小馬鹿にしているように見えるというか絶対にしているのが分かる。みんなの頬がぴくぴくして肩がぷるぷる震えているから。


「ぶふっ」


 そして吹き出したお義父さん。私はもう許さない。こいつらの性根を一から叩き直してやると決めた。


「おっ、おおお」


「「おっ、おおお?」」

「あ、やっべ。お先にっ」


「おっ前らーっ」


 あはははは。こわいこわいと一斉にばたばたと走り出す馬鹿家族たち。お義父さんはリビングに、お義母さんは真っ直ぐ進んでトイレの方に、夏織は見たこともない素早さで靴を脱ぎ、だだだと階段へとそれぞれ違う方へと消えていく。ここまでおいでーと声を揃える辺りもまた屋敷家の(クオリティ)とも言うべきか。


 しかも夏織に至っては、わざわざ止まってあかんべーをしたあと、あの可愛いお尻を突き出してぺんぺんと叩いてから階段を上がっていく始末。


「ほほう」


 私は大きく息を吐きながらゆっくりと靴を脱いだ。私の狙いはもう決まっている。夏織だ。

 私をこの屋敷家特有の、面白くも楽しく愉快なコントに巻き込んだのは絶対に奴だから。

 なんといっても奴は、私の想いを機敏に察してくれるし、いつでも私を注意深く見てくれているし、さっき落ち込んだことも分かっていて顔を曇らせて心配してくれたし、何よりも私を笑顔にしたいと思ってくれている掛け替えのない愛すべき最も愛しい奴だから。もはや奴のいいところしか思い浮かばない。


「大好き」


 やっぱり大好き。私はそっと呟いて気合を入れた。先ずは奴を倒す。私は今から奴を腰砕けに、めろめろのめろにしてやるのだ。いざっ。


「まーてーかーおーりー」


「ははは。てか懐かしいなっ、それっ」


 二階からそんな声がする。あ、バレる、私の馬鹿とか言っている。バレるも何も階段の途中でお尻ぺんぺんしていたというのに。


「あはは」


 愛すべき夏織はやはり夏織。どこか抜けていてとても可愛い女性。


 そう。可愛いのだ。





お疲れ様です。いつものように長くなりましたがここまで来てくれてありがとうございます。いけたいけた。


けど、気にしなくていいのいいのと私は思うからこれからも遠慮はしません。あはは。


読んでくれてありがとうございます。

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