第五十六話
続きです。
ほのぼのしています。その筈です。
よろしくお願いします。
「おじさん。焼きたて、甘くて美味しいのある?」
「らっしゃい。あるよっ」
私はおじさんに大っきいやつねと注文を付けている幸に、お札も小銭もさっと出せる優れものの私達の財布を渡しながら来た道を振り返ってみる。
「うん。いい街」
そう。私はこの街にして正解だったなと確信している。なぜなら昨日今日とこの街を探索した結果、この街には甘くて美味そうなお店がかなりあることが判明したから。
「えーと」
先ずは角の和菓子屋さんでしょ、さっきのお店は確実だし、向こうのと、あっちのヤツもそうだし、ここも…うん、いっぱいあるなと、今ぱっと思い出せるお店だけでも六軒はあったから。
しかも私達の家がある逆側、駅の向こうにはまだ足を踏み入れていないのだから増えるのは確実。いい街としか思えない。
「むふふ」
これにするかい? 大っきいねーじゃあそれでとかやっているふたりに視線を戻し、さぞかし探索しがいがあるだろうと私は期待してにやにやしている。
まだよく知らない街を歩くのは面倒くさがりな私でもとても楽しい。だってそこには私と甘くて美味いヤツとの新しい出逢いが必ずあるのだから。
さらに言えば、私は見つけた甘くて美味いヤツのお店を先ず押さえ、この店を右に曲がって少し歩けば大通りに出た筈だな、みたいにして街や道なんかを覚えたりもする人でもある。
つまりこれは、今日はあっちの道を通って帰ろうと決めて、ついでに目印にしたあの角の洋菓子店で甘くて美味いヤツも買っちゃおっかな、なんてこともできてしまうという、まさに完璧な覚え方だと私は自負しているわけ。
「そうそう」
それは幸も同じこと。知らない街は美味しそうな食べ物屋さんを先ず見つけてそれからいろいろ見て回るのよと幸は言っていた。私達はそんなところも似ているのだ。
「ね」
「ん? そうだね。だから気が」
「お待たせ。六百円ね。ふたりともべっぴんさんだからおまけしちゃうよっ」
「え」
「わーい。ありがとう。じゃ、これで」
「ちょっと待ってなっ。ほいっ、四百万円のお釣りー」
「やったっ。なんか得した気になるね。ね」
「基本か。幸も喜ぶなって」
「はっはっはっ。こっちのお嬢さんは厳しいねぇ」
「あはは」
「いや、普通だから」
大晦日、午後二時半過ぎ。私と幸は晴れてはいても時折冷たい風がびゅうと吹く、買い出しの人達で賑わう街を張り切って探索しがてらお昼を食べて今はまたその続き、ぶらぶらしながらちょうど買い物を終えて家に帰るところ。
ん? どこの家に帰るのってか?
「あっち」
それ訊いちゃう? 訊いちゃうんだぁ。ふぅん。ほぉん。そぉ。
「あちち」
知りたい? ならしょうがないなっ。教えてあげる。
それはねぇ、えっとねぇ、私達の家でしたー。
「あむっ」
「はふはふ。あっふいへぇほほぃふぃい」
「ほっほっ。はひ。はへははははへふはっへ」
なぜ私がこの話を引っ張らなかったのかというと、たった今、みんな大好き甘くてねっとり、焼き芋を一つ買ったから。それを早く食べたかったから。幸の奴が私より先に食べ始めちゃったから。
「ほふほふ。うん。甘くて美味いな」
「あったかいしね」
「うん。てかさ、手袋してても熱い」
私達はらぶらぶで仲良しだからそれを半分こして、歩きながら食べてもいるところ。
「あちち。えいっ。あちち。はい」
どっちでも好きな方をどうぞと、幸は買ったばかりの焼き芋を、熱がりながら二つに割って私に差し出してくれた。
「うーん」
「あちち。ちょっと夏織。分かりやすくしたんだから早く選んでよ」
どっちが大きくて美味そうか。早くしろよと熱がる幸を脇に置いて、私がそれを真剣に見ているとだんだん右手に持っているヤツの方が大きく見えてくるというか明らかにでかい。なら私はもう迷いはしない。
「あちち。早くっ」
「じゃあこっち。あっち」
手に取るとお芋はかなり熱かった。
手が熱くて辛いから、私は両手でひょいひょいとやってしまう。
「ほっほっ」
「そっち? いいの? あつつ」
「たぶん、あちち、こっちのがでかい気がする」
「たぶん?」
「いや、明らか」
さすが夏織、目敏いねと幸が笑う。私のためにわざと分かりやすくしたくせにと私は思うから、私はゆるふわくお礼を言った。
「ありがとっ。幸は優しいねっ」
「かは。そ、そんなこといいから。ほら、食べるよ」
「うんっ」
「あむ。あっふい」
「あ。あむっ」
はふはふほふほふと、お芋を頬張って歩く私達はやはり仲良しだから、私は一つで幸も一つ、エコバッグを肩に掛け並んで歩いている。
こうしていても買い物をしにきた人の波やがやがやとした喧騒の中だから、私達もその中に上手いこと溶け込めているように思う。
だから今日、私達がこの街でしたことは私達にしか思い出せないと思う。半分こしたこの焼き芋の美味さと同で私達しか知らないのだ。
それなら完璧。私はそう思いながらまた焼き芋を頬張った。
「あっち。けど美味いなコレ」
こんなふうにして私達は家路についている。
そして私達の手にはエコバッグとは別の買い物袋がある。それは今日一番の収穫のヤツだ。
「ふんふんふん」
隣を歩いて鼻唄う幸は絶好調。それもその筈、その手には安く買えたと言い張る黒毛和牛の肉、四百グラムのすき焼き用のヤツと二百グラムのステーキ用のヤツ二枚が入った袋がある。そりゃあ幸的にはご機嫌にもなるというもの。
「すーばるー」
けれど、私の今年の一曲を口ずさむ私も負けてはいない。今この手にはクッキーとかマドレーヌとかパウンドケーキとか、五種類もの甘くて美味そうな焼き菓子の入った袋があるのだから。
つまり私達はそれぞれの理由で幸せいっぱい、すっかり寒くなった街をほくほく顔で闊歩しているところ。
「これ美味そう。ね、幸」
「これ絶対美味しいよねー」
なんつって、互いに持っている袋を掲げて微笑み合う私達は、主に食欲という意味でご満悦なのだ。
「「あ」」
「「ねぇ見てっ。年末大売り出しだって」」
こっちに行ってみようか、あっちは何があるかなぁとか、家はどっちの方だっけと、行き当たりばったりで歩いているうちに辿り着いた昔ながらの商店街の一画、お互いに明後日の方を向いて目を輝かせている私と幸は、あれを見てよとそれぞれ焼き菓子のお店とお肉屋さんを同時に指差していた。
「幸、あのさぁ」
「あのねぇ夏織」
と、それがいかに重要であるかを互いに熱く語って、ね、やっぱこっちが先でしょ、いやいやこっちでしょうよと暫しやり合ったあと、このままでは埒があかないから買い終わったらここに集合、何かあったらメッセージでねと決めて、いったん二手に分かれたのだ。私達は天才だから。
「わかった。じゃ、あとで」
「うん。あとで」
返事をした幸はあっという間にいなくなった。幸の、うんあとではまるで残響のようだった。
「なにあれすごいな」
人混みを縫うようにお肉屋さんに向かう幸は誰かにぶつかったり邪魔になったり立ち止まったりすることはない。
どんどん小さくなっていくその背中を見ながら、幸はやっぱかっこいいなと感動していた私は、気づけばしゅたっと手を上げた姿勢のまま取り残されていた。
「え。うそ」
人の多い往来でひとり手を上げている私のなんと恥ずかしいことか。
このままでは何かのパントマイムかと思われてしまうし、もしも私が足元に空き缶でも置いたなら、幸が戻ってくるまでに焼き芋代くらいはどうにか稼げてしまうし、さすが夏織、やることがぱねぇっすねと幸に褒められてしまうだろう。
けれど私は稼ぎたいわけでもないし、この状況に恥ずかしさを感じてしまうのは人の性、本能というものだから、私は素早く上げた手で頭を触り、なんかちくちくしてここ痒いなと呟いてぽりぽりしながら足早にそこから消えたのだ。
その動きは私にしては珍しく素早かった。だって、気づかれませんようにとそおっとゆっくり動いても、囮にする幸がいないのだからそれこそパントマイムだと思われてしまうから。しかも、お金を入れもらうヤツが無いのだからタダ働きなってしまうから。それはなんか悔しいし。
「ふぅ。焦った」
それにしても幸の奴、肝心な時にいないなんて役立たず。覚えていろよと私は思った。
そして目的の店。私は意気揚々と入っていったものの、このお店でも似たような事態に陥ってしまったのだ。
すぐにでもなかったことにしたかったけれど、私は幸に聞いてもらうまではと、嫌でも憶えておいたのだ。
「なにここ素敵」
ひとり入った焼き菓子屋さん。私は入り口に置いてある小さな籠を取った。
「みんな美味そう」
甘い匂いが外まで漂っていた店内には、きゃあ素敵。ここはお菓子の家なのかと思わせる、焼き菓子とか焼き菓子とか焼き菓子とか美味そうなヤツがこれでもかってくらいあり過ぎて、私はどれにしようかなと悩んでいた。役立たず幸のことなどすっかり忘れていたのだ。
「ねぇ幸どれがいいと思う」
と、声をかけるもいつもはすぐに返ってくる幸の声は聞こえない。
あれ? と思ってもう一度、焼き菓子をがん見したまま幸の定位置、私の右隣りの人影に指でちょんちょんしながら声をかけてしまった。
「ねぇってば。って、いないんだった」
「えっとね。お勧めはこれとそれ。あとは、そうねぇ。あ、これも紅茶の香りが立ってて美味しいのよね」
「へ?」
私の横にいた見るからにお淑やかそうな五十歳くらいの女性が私に答えてくれちゃったのだ。私が幸だと思ってちょんちょんしちゃったから。
けれど、その女性は私のした失礼なことを気にすることなくこれは卵をたっぷり使っててとか、こっちのは他のとは小麦が違うからまた違った美味しさがあるのよと、やたらと詳しいから、私は、ははぁん、さてはこの女性はここの店員さんだなと即座に判断して話を続けることにした。
「な、なるほど。じゃあこっちのヤツはどうなのかな、かかしら?」
だ、大丈夫。いま何も恥ずかしいことなんてなかったから。勘違いして焦ったとはいえ私は今、クールに受け答えできたから。いけたから。
「それも美味しいのよ」
「そっか。あ、じゃあ、あそこのヤツも美味いのか、かしら?」
するとまた、あ。アレ? アレはねぇ、なんつって律儀に答えてくれる。
ほら。語尾にかしら? を付けることで全ては上手くいっている。私だけかもだけれど、その場を制する有無を言わさない感じのする、魔法の言葉と言えるヤツだから。
「これはね」
「ええ」
不測の事態もなんのその、入りは不自然極まりなかったけれど、私は犯した失態をお店でよく見る普通の光景、単なるお客さんと店員さんのやり取りにしてみせたのだ。今はもうというかたぶん最初からだと思うけれど、この店にいる誰もが私たちの様子を気にもしていない。
私はうっかり者だから普段からこんなことがよく起こってしまうけれどそれももう慣れたもの。他の人とは踏んできた場数が違うのだからさくっと誤魔化すことなんて朝飯前、私にかかればちょちょいのちょいなのだ。私の調子も上がってきた。
「こっちのヤツはどうなのかしら?」
「それも美味しいわよ。アーモンドの粉をたっぷり使ってあって中にクリームも入っているのよ」
「ほうほう。なら買おうかしら」
「お勧めよ」
すっかり調子を取り戻りした私は、その店員さんに遠慮なく、ついでとばかりに気になっていたヤツをあれこれ説明してもらった。
「なるほど。どうもありがとう。凄く参考になりました。けど、時間とっちゃって大丈夫だったかしら?」
「いいえ。私も楽しかったから。お気になさらず。じゃあ私はこれで」
じゃ、どうも、みたいな感じでお互いぺこりとしたあと、私の相手を終えた店員さんはくるりと回ってレジの方へと去っていった。
「よし」
私はさっそく買おうと目を付けていたヤツを二つと、店員さんの説明を聞いて、それは凄く美味そうだなと思ったヤツを三つ取った。
これ以上買うと謎の圧力が私を襲うからそこは我慢をしておく。気にせず美味く食べたいし。
「ふふふ。美味そう」
籠に入れたヤツに満足しつつそれに視線を遣りながらレジに向かう私はそこで衝撃的な光景を目にしてしまったのだ。
「え。うそ。まじ?」
「あら。それも買うのね」
ここで私は分かってしまったのだ。分からなければよかったのにと思うけれど分かってしまったのだ。
「私もそれ好きなのよ」
ほらっと袋の中を見せてくれる店員さん、ではなかった先の女性が会計をしていたのだ。彼女はお客さんだったのだ。
確かによく見ればというか、よく見なくてもその女性はこの店の店員さんのような制服でもなく三角巾とかエプロンなんかもしていない。
普通はお客さんだと直ぐに分かるだろうけれど、その女性の持っていた籠を見て、勝手に品出しだなとか回収だなと思った私はやはりどこかおかしいのだ。くっ。
残念ながら、夏織らしいとしか言えないねと、困った顔をしながらも笑ってフォローしてくれる幸は今ここにいない。
今ごろ幸の奴は私達のお財布を手にしながら、肉に囲まれてうははははと高笑いしているに決まっている。幸の最愛である私がやらかしてしまったというのにっ。まったく、あの役立たずの幸めがっ。
「すいませんでした」
店員さんかと思っていましたと、私は素直に謝った。その女性は別にいいのよと笑って、お店を後にしていった。じゃあ、またここで会えたらね、なんて言いながら。
「いや、びっくりした」
なんて思わず呟いてからレジに顔を向けると、私のヤツを会計をしてくれている店員さんの、いやいやあれだけ親しそうに話していたのにお知り合いじゃなかったなんて私の方が驚きですけどね的な、ちらちら向けられる視線がいやに目に沁みてくる。
人の視線が玉ねぎを刻んだ時に出るヤツになることを私は知ってしまった。私はまたひとつ賢くなったのだ。やったねっ…
私って馬鹿なんだなぁと、今更ながら私は思った…いや、泣きそうだじ。目に沁みるから。うぐ。
「幸の役立たず」
「えぇぇ」
幸と合流してすぐ私は悪態を吐いた。嬉しそうに手を振りながら変なスキップっぽいヤツで近づいてきた理由が私というより肉だと思ったから。
私はぷくぅと、可愛らしく頬を膨らませてみせる。
「いきなりどうしたの?」
「だってさぁ」
そりゃあ私だって、甘くて美味いヤツを手に入れることができたらから、そこは、まぁ、幸と似たようなものなんだけれどさ、満面の笑みを見せて変な動きをしていた幸になんかムカついちゃったんだから、口から文句が出てしまってもそれは仕方ないと私は思うわけ。
「なに言ってるのか全然わからないんだけど?」
「だからぁ」
と、腑に落ちないと首を傾げる幸に腑に落ちない私は、幸が去って行ったあとのことを順繰りに話していった。いくら幸でも今回は自分がいかに役立たずだったかということを分ってくれると信じながら。
「てことがあったの。幸がいないから超焦ったの」
二回もだぞっ、と、私は可愛く幸を睨む。
「あはは。夏織らしいね」
よかった。これでようやく忘れられる。私は全てを無かったことにする。これで私の恥など私の中にはぽっちの欠片も存在しないことになるのだ。
「そっか。ごめんごめん。私が肉に釣られちゃったから」
幸は、こんな私の言いがかり的なことも怒ることなく笑って受け止めてくれる。その途端にまたやってしまったと申し訳ない気分になる。
「あ。いや…」
幸の前で私が私でいられるのは、私のこうした振る舞いを好ましいと思ってくれる幸の度量のでかさにある。私のお猪口くらいのヤツとはまるで比べ物にならないくらい大きいのだ。
「ごめん」
「なぁに」
私は我儘、自分勝手。時には言葉で人を傷付けることもある。
そんなことは私だって分かっているけれど、調子に乗って、甘ったれて、素のままで、気を置かず安心して私らしく絡んでいけるのは私には幸だけなのだ。幸は私にはもったいないくらい本当に素敵な女性なのだ。
「ごめんね幸」
「やだ。反省してるの?」
「うん」
「あのね、私は楽しいのよ。だから夏織はそんなこと、気にしなくていいの」
「調子に乗っても?」
「当然でしょう?」
「そっか。ありがと幸」
幸は笑った。幸はいつだって笑ってくれる。それは昔からそう。幸は私にはずっと優しかった。それは私が幸を好きになった理由のひとつでもある。
そしてまた私は、今よりもっと幸を好きになる。だからここだけはなかったことにしない。忘れない。私がどれほど幸を愛しているか、私はそれをこの胸の内に深く刻む。
「けど夏織。私がいないからって、まさか浮気するとはねぇ」
まったく呆れちゃう。幸はそんな顔をして私を見ている。ほらおいでと誘ってくれる。
それも私だけに向けられる幸の優しさであり甘さだから、私はそれに乗っかった。
「は? 浮気なんかするか」
「だって、仲良く買い物したんでしょ。浮気じゃない」
「あのな幸。もし私が浮気なんてしてたら甘くて美味いヤツ一生食べないから」
これもと、買ったヤツを掲げてみせる。
「それほんと?」
「まじだから。それくらい想ってるってことだからなっ」
分かったかこの幸めがっと、腕にぐーぱんを放つとそれは珍しくまともに当たった。
「いてて」
痛いなぁと言いながらも嬉しそうな幸。たぶん幸は甘いヤツに勝ったことが嬉しいのだ。思わぬところで私の本音が聞けたことを喜んでいるのだと思う。
そんなのは当然のこと。だって私の中では幸は断トツ、そして甘くて美味いヤツも断トツ、けれど勝負はいつも僅差で愛しの幸の勝ち。それは自明だから。
「僅差?」
「うん。僅差。これくらいの」
私は親指と人差し指で隙間を作って見せてあげた。空けた間は約二ミリくらい。
「このくらい」
幸は目を細めて私をじとっと見つめながら、僅差ねぇ僅差かぁとぶつぶつ呟いていて、そのうちにそれをやめた。
「ま、いいか」
「いいのいいの」
「いやでもやっぱり僅差っていうのはどうなのかな。うーん」
勝ちは勝ち。勝負事は結果が全て。だから問題なしと幸は納得したんだなと思ったらまた悩みだす。
「幸の勝ち」
「勝ちねぇ」
「そう。さちのかち。かちかち」
「勝ちかぁ。ならいいのかなぁ」
幸は、でもなぁとか言っていまだに悩んでいる。
勝負事。それにこだわる幸はそんなふうに、たまに面倒くさくなるけれど、私にはとても可愛いく思える愛しの女性でもある。私にもこだわることはあるのだから、幸からすればそれは私も同じだろう。
「幸」
「なぁに」
同じであるということは対等ということ。関係が対等でありたければ、こういう条件なんかも対等にするべきだと私は思うから、私も幸に浮気した時の罰を宣告することにする。
私は幸が浮気をするとは微塵も思ってもいないけれど私達は対等。対等である以上は対等でなければならない。この場合も同じ。
「もしも幸が浮気したら肉禁止で。ベジタリアンになってもらうから」
「なななっ」
あり得ない。そんな顔して驚いて立ち止まってしまった幸は、動き出し次第なんでなんでと騒ぎ出す筈。はらぺこ幸は食べることについても面倒くさいから。それは私も同じだけれど。
「ふふふ」
私は幸をそのままに、私達の家に向かってとことこと歩き出し、その先の十字路で立ち止まった。そしてきょろきょろと辺りを見回してすぐに目当てのものを見つけた。
「えっと。あった。こっちか」
まだうろ覚えだけれどたぶんこっち。角に和菓子屋さんが見えているから大丈夫。そこを左に曲がっておけばいける筈だなと、私はまたとことこと歩いていく。
「ち、ちょっとっ。待ってっ。夏織っ。なんでっ」
ほらね。ぎゃーぎゃー騒いで私を追って来る幸はやはり可愛くて面倒くさい。
けれど私はそんな幸が大好きで大好きで仕方ないから、微笑みながら振り返って幸を迎える。
「肉禁止ね」
「なななっ」
幸は再び固まった。
「肉禁止」
「やだ」
「いや、おかしいでしょ」
「あはは」
「ふふふ」
さすが幸。全ては幸の思惑通り。いつまでも落ち込まないでと幸は遊んでくれたのだ。
私がそれに乗っかって、わちゃわちゃとやっていれば、私の気分はいつの間にか元に戻っている。それを確かめた幸はまた笑ってくれる。
「ありがと」
「いいの。けど、あとで話があるからね」
「あ。やっぱバレた? やっぱかちは鋭いな」
「あたりまえでしょう?」
ぽきぽきと指を鳴らす幸。怖いなと私は思った。
けれど落ち込んだ気分は晴れて楽しくもあったから、お礼も兼ねて甘んじてそれを受け入れる。今夜わたしは眠れないだろう。
「あ、そうだった。これ見てよ。凄いでしょう」
幸は、肉と言えばさと、持っていた袋を開いて私に向けた。
コロッケとかメンチとかもある筈だと思ったけれどはい残念。覗いてみればやはり幸は幸だった。
「肉肉しいね」
「肉屋だもん」
「いや、そうだけどさ。他にも何かあったでしょ?」
「肉屋だよ?」
コロッケは? メンチは? カツは? そんな私の問いかけに、幸は何それ的に首を捻るだけ。肉屋に行って肉を買わないでどうするのよと、若干血走ったその目が伝えてくる。
「こわい」
「なんでよ」
生肉しか見てなかったとは野生丸出しさすが幸。口から血を滴らすいい女とは幸のこと。なら仕方ないかなと私は諦めた。
「まぁいいじゃん。安かったんたしさ。この質と量でなんと一万円」
「いや、お得なのかよくわからないし、買い過ぎだから」
「お得でしょう? A5ランク黒毛和牛すき焼き用とステーキ用、八百グラムで税込たったの一万円ぽっきり」
「値段なんか知らないし。だいたい量多過ぎでしょ」
「だって肉屋だよ?」
軍資金もあったしねと、私達のお財布を私に返しながらそう言って笑う幸。
お金についてはそのつもりだったからそれはそれとして、八百グラムとかうちは二人しかいないんですけど、どんだけ買ってんのと私は思ったけれど、残りは冷凍するか、調理してしまえばいいかなと思うことにした。だって幸がとても嬉しそうだから。それに、もしかすると残らないかもしれないし。幸だし。
「いや、いくら幸でもそれは…」
「余裕」
と言いつつ私に向けたその顔は、舐めないでよねと不敵に笑っている。すき焼きとステーキかぁ、楽しみだなぁとか言っちゃってる。
「こわい」
ローテーブルにそれが並んでいるのを想像するともの凄く怖いから、私は幸の妄想をぶった斬ることにした。
「今夜はすき焼きかステーキだからなっ」
「なっ、なななななっ」
「なにその動き。幸ったら面白いっ」
嘘でしょう。なんで一品減っちゃうのと騒ぐ幸。その発想がもう既にどうかしている。
「幸超こわい」
この世の終わりみたいな顔をする幸は、手をわたわたとやり出したなと思ったら、私の腕を掴まえてぐいんぐいんとする始末。
「なんで。ねぇ、なんで」
「ちょっ。落ち着けって。おぇ」
これ以上されたら気持ち悪くなって、せっかくの美味かった焼き芋さんがナニしてしまう。それはまじ勘弁だから、私は幸に、とっておきの凄いことを教えてあげることにした。
「あのね幸。肉は腐りかけが一番美味いんだよ。腐りかけ」
分かる? と、私は自信たっぷりに幸を見る。そうしないと今の幸には信じてもらえないから。
その甲斐あって、幸の面白い動きはぴたりと止まって、それはまじな話ですかと私を見ている。
「腐りかけ?」
「そう。腐りかけ。熟成とも言うの。少し寝かせておくの」
新鮮なヤツも美味いからみんな買ったらその日に食べちゃうけどさ、実は三、四日寝かせておくと、これがまた一味違って凄く美味いの。
「それが熟成」
分かる? と、私は再び自信たっぷりに幸に告げた。
「ほんと?」
「ほんとほんと」
「おー、なるほど」
そうだったのかと頷いて、さて、どっちの肉を腐らせようかなぁとか呟いて、うーむと腕を組んで悩み出した幸。
「いや、おかしい」
私は腐らせるとは一言も言っていない筈。なぜそんな話になってしまうのか。
「むむむ」
と、悩むぽんこつはらぺこ幸は既に手遅れだけれどやはり可愛い。だから、どっちの肉も余すことなく美味しく食べてもらおうと私は誓った。そこは私の腕の見せ所だから。
とにかく、怖いからこの話はもう終わり。私は幸に話を振った。
「美味そうなお店がいっぱいあった」
「あー。私も思った。この街結構栄えてるよね」
「向こう側もいっぱいありそう」
「楽しみだね」
よし成功。なにはともあれ幸は戻ってきてくれた。ほんとよかった。
「にしても人が多い」
「大晦日だからね」
活気に溢れた商店街は混雑しているから、さほど不自然じゃなく、おっと、とか言って幸にくっついたりできる幸せ。
そのたびに幸も楽しそう。たまに私をわざと避けたりして遊んでいる。
「おっと」
「はっ」
「なんで避けるの」
「重いから衝撃が腰に。だから、ね?」
「そうだった。幸の方が重いもんね」
ああ、荷物かなと、私は納得する。いつものように幸が重たい方を持ってくれている。幸は優しいから。
まぁ、幸の方が軽いけど…いや、泣かないから。だってわたし増えてないから。
「くそう」
「はい。残念でした」
「幸の家はこういうの食べる? それなら持っていくけど」
それは私の買ったアーモンドとかピーナッツとか、カラメル状の砂糖で固めたナッツ達がぎゅうぎゅうに入った袋のヤツ。見ているとヨダレが出てくるほど超美味そうなヤツ。
それを袋から出して幸に見せる。
「あれば食べるよ。なければ食べないかな」
「なんか深い」
「深い?」
いや、待った。幸はあまり興味なさそうに人間の真理みたいなことを口にしたけれど、よく考えてみれば当たり前のことのように思われるというかそう。
「間違えた」
要は、幸一家は甘くて美味いヤツがあまり好きじゃないということだ。それだけだ。
「そう言えって」
「あはは」
甘いのはあまり食べないからさと幸は続けた。私は驚きとともに立ち止まる。
「あ、すいません」
お陰で後ろを歩く人達を慌てさせてしまった。バタフライのエフェクトというヤツだ。たぶんその後ろ、またその後ろと、何らかの影響を及ぼしてしまった筈。私達は慌てて端に寄った。
「信じられない。お邪魔したとき甘いのいっぱいあったじゃん」
マカロンとか、ケーキとか。私がお腹いっぱい食べることができたヤツ。
「あれは夏織のためだよ。実際、殆ど夏織が食べてたよね。だから夏織は痩せないんだよ?」
「なんのこと? うりゃ」
「バズれ。あはは」
「くそう」
こうして幸とふたり、いちゃいちゃしながら並んで歩いていると私達のマンションが見えてきた。
とことことエントランスを進み、全く人けのない通路を過ぎてエレベーターに乗り込んだ。
がっこんってなって揺れる。
「揺れる」
「揺れるねぇ」
「ねぇ幸。結局、夜ご飯、すき焼きとステーキどっちがいいの?」
「すき焼きで」
「わかった」
「よろしくね」
「いいよ。美味いの作るから」
「わーい」
そんなことを話しながら玄関の前、私はその扉を開けた。幸とふたりの時は、私達の声が揃うこの瞬間が私には堪らないのだ。
「「ただいまー」」
揃って靴を脱いで部屋に上がり、五歩しかない廊下を歩きリビングの扉を開けて、あ、そうそうと、私は幸に一つ確認をしておく。
「そば要らないよね? 肉をたらふく食べるから」
「ななっ。なんでっ?」
「なんでってなに?」
なんて言いつつ私は幸がお目目ぱちくり固まるこの瞬間もすごく好き。幸はやっぱり面白い。
そしてこのあと、ねぇ夏織、そば食べようよー、食べないと年越せないんだよーと騒ぎ出す幸ははらぺこ、面倒くさ可愛いのだ。
そう。可愛いのだ。
書いたヤツがぶっ飛ぶということを経験しました。ヤツは一体何処へいってしまったのか…
けれど平気。私はバックアップを欠かさない人だから。えらいえらい。
ただ、今、内容からしてよいお年をと書きそうになりました。あはは。
読んでくれてありがとうございます。