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woman  作者: しは かた
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第五十一話

続きです。

またしても入れたい話があったので長くなりましたが分割していません。


よろしくお願いします。

 


「家買っちった」


「なぁに? どうしたの急に」


「いや、なんとなく。なんか言いたくなったから」


「そっか。くくく」


「そうだよ。私と幸の家。ねっ」


「うん」


「ふふふ。買っちゃった」


「うん」


 幸は微笑んで頷いた。その顔は私と同じ。とても嬉しそうだ。




 十月最後の日、週末の土曜日。午後八時半。焼肉でお腹もいっぱいな私達はあとで蝋燭を立てたケーキを食べる。今日は幸の誕生日だから。


 幸は誕生日だからといって何か特別なことを望まなかった。

 何か欲しいものはないのと私が訊ねると、欲しかったものはもうこの手にあるからねと嬉しそうに笑っていた。だから私達はいつもと同じ週末を過ごすつもり。

 けれど、そのつもりでいても、今日の日に生まれてくれてありがとうと、私と出逢ってくれてありがとうと、葛藤はあるけれど私と同じモノを抱えていてくれてありがとうと、私を好きになってくれてありがとうと、日頃の絶大なる感謝の気持ちを込めて、私は私なりのサプライズを用意してある。


「むふふ」


「なぁに」


「ううん。なんでもない」




 残念ながら買ってきたケーキはホールではないから、幸の分の三角なそれに果たして三十一本も蝋燭を立てられるのかは定かではないけれどたぶん無理。最近のケーキは美味いけれど、値段はお高めなくせにやけに小さくなってしまったから。くっ。

 だから、無理矢理立てた蝋燭が火事のようにめらめら燃えるとか蝋が垂れちゃってケーキが無駄になってしまう恐れあり。それは絶対に避けなければいけない事案。


「うーん」


 私はキッチンに置いてある小さいながらも美味そうなケーキが三つ入った箱に目を遣りながらそんなことを思っているところ。


「いける? いや、むりでしょ」


 そして私は今、からんと氷を鳴らしてスコッチを飲む幸に寄り添って座り、蝋燭をどうするかなと考える合間に家のこととかを思い返してもいるところ。



「もうすぐだね」


「ん? うん。もうすぐ食べられるねっ」


 あの美味そうなヤツ、もう食べる? お腹いっぱいだけど食べちゃうかと、私が期待を込めて幸を見ると、幸は呆れてため息をひとつ吐いてやけに感慨深げに首を振った。


「はぁ。夏織はやっぱり夏織なんだなぁ」


「そりゃそうでしょ。てか、何か込めんな。やっぱりとか言うな」


「だってさ。違うでしょう?」


「なんだ。ケーキじゃないの? だとすると、うーん」


 もうすぐケーキは私の口に入る。小さいから私は二個。幸は一個。そのこと以外に何かありましたかと、私がわざとらしく悩んでみせると、なによ分かってるくせにもうと、幸が私のおでこを指で弾く。


「あた」


 こんっと気持ちいい音がしたそれはちょっと痛かった。

 おでこを摩って暴力反対だぞと言いつつ顔を顰めて幸を見れば、時には必要なものなのよと笑って私を見つめている。


「もうすぐだね」


「うん」


 そう。私は分かっていた。私達が望んだことはもうすぐそこなのだ。

 だから、私の顰め面はすぐに消えて、嬉しさいっぱいふへへとだらしない顔に変わる。私は幸にぶつけるようにして体を寄せた。


「やったねっ」


「きゃー」


「は?」


 すると幸は持っていたグラスを素早くローテーブルに避難させて、自分は小さく悲鳴をあげて床に倒れていった。重い衝撃がーとか言いながら。なるほど幸は私と遊びたいのだ。



「まったく。何やってんだか」


 幸は倒れたままうーうーとやっている。私は遊んでくれと誘っている大根幸に冷めた目を向けている。どうしても気になる台詞があったから。

 けれど、今日は幸の誕生日だし私は私で家を手に入れて浮かれているから、重いとかいういみふな幸の台詞を聞き流してあげることにした。

 だって私達はまた一歩、確実に前に進んだのだから浮かれているのは当然だ。幸のたわ言など今はどうでもいいことだから。


「うーうー」


「幸。いつまで転がってんの?」


「うー。重い衝撃でこ、こ、腰がー。起きられないよー。ねぇ夏織、起こしてよー」


「はぁ。幸もやっぱ幸なんだな」


「ててて。腰がー」


 腰に片手を添えた幸が私に向けて反対の手を伸ばしてくる。まだ続けるのか、ほしいものを手に入れるまで諦めないとはさすが幸と、私は呆れた振りでため息を吐いて、この手を掴めと幸に手を伸ばした。


「はい。掴まって」


「それっ」


「わわっ」


 私の出した手を掴んでぐっと引っ張って、幸が体の上に私を引き寄せた。幸はそのまま抱えるように抱き締めてくれたけれど、余計なことも言ってくれた。


「うっ。おっもっ」


 その体勢のまま私の体が怒りのあまりふるふると震え出す。そしてそれは予期せぬ効果を産んでくれた。


「ちょっ夏織っ。揺らさないでっ。よけいに辛いからっ」


「っんだとこらぁ」


 私は痩せたから重いわけがないの。それは幸の勘違いだから私は幸に乗っかったままでうりゃうりゃと暴れてやった。


「ふぉっ。むっ、りむりっ。おっ、おっもっ」


「わるいごはおまえがぁ。うがぁ」


「ちょっ、ほんとっに、おもい、んだって、ばっ」


「まだいうがぁ。がぁ」


 幸の奴は、ふぐ、ぐわ、うえってなってじたばたしている。その顔は凄く苦しそうでもいちゃいちゃできて暴れるほど嬉しいに決まっている。体は正直だから。

 私はそう思うことにして、暫くそうやって幸を喜ばせてあげた。私はとても優しいから。


「ぐはあ」


 そして幸はいってしまった。あー面白かったねーと、私は満足した。ぐったりしている幸もまた凄く満足しているみたい。


「はははっ。ざまあ」


 ほんと、重かったぁとか幸は言っているけれど、私は重くなんてない。絶対に。



 と、ふたりで楽しく遊んだあと、復活した幸は再び優雅にグラスを傾けている。私はその横であの部屋をどんな感じにしようかなと考えてタブレットで家具なんかを見ている。


「幸これ。どう? 使いやすそうじゃない」


「どれ? おー、いいね」


「色は?」


「白かベージュ」


「いいね」


 こうして過ごす私達のあいだには穏やかで幸せな時間が流れている。抱えたモノを考えなければ私達は概ね幸せなのだ。



「ね。夏織」


「うん」


 幸が開けた脚の間にもぞもぞと入り込んでこの背を幸に体を預けると、幸は腕を回して今度はちゃんと私を受け止めてくれた。


「重い?」


「全然。私これ好き」


「私も、って、そっちは好きじゃないからやめろって」


「いいじゃん」


「くそう。絶対無くすから」


「あはは。頑張って」


 幸の綺麗な指が私のナニをぷにぷにと弄ぶ。その感触が恥ずかしくもこそばゆい。

 いい加減にしとけよと思うけれど、よく考えてみなくても私達はいつものようにわちゃわちゃとやっていちゃついているだけだから、この屈辱的な行為はともかく、幸との時間は結局はただただ穏やかで賑やかで楽しいものでしかなのだ。


「そうそう」


「うんうん」


「けどしつこいな。もういいでしょ」


「いいじゃん。気持ちいいんだから」


「それ幸だけだからな」




 今日、私達は午後から連れ立って手に入れたばかりのマイホームを見に行った。午後からだったのは幸がいつものごとく起きられないことが分かっていたから。頑張る幸には休息が必要なのだ。


 午後一時、最寄りの駅で幸と待ち合わせをして不動産屋さんに顔を出し、遠藤さんにお世話さまでしと挨拶をしてちょっとした甘くて美味いヤツをどうぞと渡したあと、マイウエイ宜しくですという声を背中に受けて、私達は浮かれながら部屋へと向かった。


「なにそれ」


「スキップ」


 なんかヤバいな思ったけれど、その動きが凄く面白いから少し放って置いた。


「ぷっ。ははははは」


「こら。笑うな」


「ははは。むり言うなって」




 エントランスからとことこと歩き、動き出すたびにがっこんと音を立てて揺れるエレベーターに乗って部屋に入るまで、私達は誰とも会わなかった。というか私は今まで誰とも会っていない。それはいい兆候だと思う。


 通り過ぎた管理人の部屋の窓はカーテンが閉めてあった。ざっと規約を読んだところ、土日は居ないようだけれど緊急時の連絡先は当然あった。

 一度正式に挨拶をすれば、あとはほぼ干渉してこないと思いますよと遠藤さんは言っていたし、払う管理費分ちゃんと仕事をしてくれればいいのだから私に文句はない。


 このマンションの自治会的なヤツも役員にならなければ委任状で済むし、過度に干渉されなければ、幸のことは姉妹でもいとこでもはとことでもなんとでも言える。

 けれど、良くも悪くも過度に干渉してくる人は必ずいるものだから、そこは気を付けておきたいところ。



 ただ、降りてくるエレベーターを待つあいだに、階段で行こうかと屈伸を始める血迷った幸に懐かしさを覚えつつも、五階まで階段とかおかしくない? と、かなりひいた。


「やだ幸こわい」


「やだなぁ。冗談だよ」


「ならよかったけど、まじでしょ」


「いやぁ、あはは」


「やっぱまじだった」


 そうツッコまれて、漫画なら右に左に泳ぐ瞳と額の汗が見えるだろう幸は、ひとりだったら絶対に階段をつかったなと私は思った。


「超こわい」


「あ、きたきた」


 誤魔化すようにさっさと乗り込む幸が早く早くと呼んでいる。傍にいるのに声がでかいのはご愛嬌。幸はとっとと部屋に行きたいのだ。そうやって気持ちを抑ることなくはしゃぐ幸はやはり可愛いなと思いながら私もエレベーターに乗り込んだ。


「よいしょっと。幸、五階だよ」


「オッケー」




 私が開ける。幸は自分の鍵をじゃじゃーんと言いながら取り出して、がちゃがちゃとやって扉を開いてそれを押さえてくれた。


「どうぞ。上がって」


「違うでしょ幸。せーの」


「「ただいまっ」」


 私達はふたり並べは狭い玄関を、いててあたたと肩をぶつけ合いながら一緒に入った。

 理由はよく分からないけれど、そのあと私が泣きそうになったのは、さっさと上がり込んで私達の部屋をうろつき回ってあれこれ見ている楽しくも嬉しそうな幸を目にして、私の胸にぐっとくるものがあったから。



「初めてか」


「広ーい」


 部屋に入ると案の定、幸は部屋を物色し出した。楽しいものは楽しいのだと、ベランダに出たり床に転がったり、目についた扉をいちいち開け閉めしたりして始終ご機嫌だった。



「おお? あれはなんだ?」


「この前見たから分かってるでしょ。飽きないのそれ?」


「楽しいからいいの」


「まあそうか。幸だしな」


「そうそう。そういうこと」


 どうやらこの部屋の幸の一番のお気に入りは、今のところキッチンのうぃーんと降りる棚。今はそれで遊んでいる。

 幸が楽しいのならまぁいいけどねと、私は呆れながらも優しい気持ちで幸の様子を見守っている。


「母親かっ」


「夏織ママっ。これ楽しいよっ」


「あらー、よかったねー。うっせ」


「あはは」




 それから私達は、ここにテーブルを置こうとかソファはこの辺りでとか、アンテナがここだからテレビはここだなとか、そんなことを話しながらいちゃいちゃしていたの。ふふふ。


「何もないと広いねー」


「うん。広い」


 窓から差し込む陽を浴びて、ふたりで床に転がって、そんな話をしながら私は梁や天井をただ視界に入れている。

 今はもぬけの殻なこの部屋はそのうち私や幸の物、私と幸の物で埋まっていくのだ。それと私と幸の思い出もいっぱい。


 私は顔を綻ばせる。


「なぁに。にやにやしてる」


「いよいよだなって」


「そうだね。いよいよだ。ね、夏織。嬉しい?」


「うん。当然だから」


「私もっ」


 かおりーと、幸がころころと床を転がって、私の傍にやって来た。汚れちゃうのにころころと転がって。まぁべつにいいかと、私もひと転がりして幸にぴたりとくっ付いた。


「ててて。固いな。幸はよくころころできるね」


「気合いだよ気合い。楽勝」


「そんなとこに要らないでしょ」


「まあね。けどいま嬉しくて楽しいから、脳から何か出てる」


「なるほど。じゃあしょうがないか」


「しょうがないかってなに?」


「幸だってこと。ふふふ」


「そっか。あはは」



 幸にくっ付いたまま私は考える。

 この先、私達の人生が進めば進むほど、私達が何者であるかを思い知らされることになる。

 私も幸もその覚悟はできている。だから平気、とは言えない。きっと守りきれないないものも出てくる筈だし、そのたびに泣いたり悩んだり落ち込んだりすると思う。


 法的に定義されていない私達には、何かを守るにも限度がある。守るにためには隠すこと以外に方法がないのだから。

 今のところ私達を守るセーフティネット的なヤツは地方自治体のパートナーシップ制度だけ。ないよりはマシというヤツかもしれないソレ。



 とにかく、私と幸が一緒に生きていくということはそういうことが多分に含まれているのだ。

 ただ愛しの幸と一緒に生きて、生活するだけだというのに。そこらのみんながしていることだというのに。そこに違いなどありはしないのに。ほんと、くそったれで呆れて鼻で笑っちゃう。


「ね」


「まあね。けど諦めないよ」


「うん。頑張る」


「うん」


「支払いも頑張る」


「うん。お仕事頑張ってねっ、ママ。わたし応援してる」


「応援するなら幸。ママを助けると思ってウチにお金を入れなさい」


「えーっ。そんなぁ」


「ふふふ」

「あはは」



 私達は互いを強く抱いてその唇に触れ合った。それは、とても甘くてほんのり苦いというヤツだ。

 それでも幸は温かい。その温もりが私を癒やして励ましてくれる。


「愛してるよ幸」


「私も。夏織のこと愛してる」


 そしてまた唇に触れた。それはとても甘いヤツ。とろとろ蕩けて幸と混ざってしまうくらいのヤツ。





 ローン審査が通ったあと、十月最後の週の頭、私はその日有給を使って遠藤さんとか売り主さんとか司法書士さんとかローンの担当者さんとか関係各所の一同が会する私のメイン銀行の一室で、無事に決済、仲介手数料とか税金とか報酬とか諸々の諸経費の支払いを終えて引き渡されたあの部屋は、ついに私の物となった。


 お世話になりました、こちらこそと、遠藤さんとお昼を食べたその別れ際、マイウエイ、落ち着いたら連れてってくださいね、絶対ですよと期待に膨らんでいたその姿は、残念だけれど、行った途端に弾けて萎んでしまうのだ。その想像は私を存分に笑わせてくれた。


「ぷっ。おっと」


「屋敷さん両手で口なんか押さえて、どうかしましたか?」


「いや、なんでもないから。マイウエイ、楽しみにしててねっ」


「はいっ」


「ぷぷっ」


「何で笑うんですか?」


「なんでもないって」


 私は誤魔化そうと頑張って、ゆるむ顔をキッリッとさせたのだ。まるで何かに集中する幸のように。私だってそれくらいの表情は造れるのだ。


 じっと私をみて首を傾げながらようやく視線を外してくれた遠藤さん。その途端、私の顔の筋肉は再びぴくぴくしていた。



 その帰りの電車の中で私がバッグの中を漁って取り出したのはマンション関係の書類と一緒に渡された部屋の鍵は三つ。

 一刻も早く様子を知りたがって、メッセージをやたらと送ってきた幸。そして幸にしては早い時間に私の部屋に帰ってきた幸に、私はそのうちのひとつを渡した。



「ただいまー」


「おかえり幸。お疲れ」


「どうだった? 」


 全て無事に終わったことを知っている筈の幸は我慢できないといった感じで玄関の扉を開けて靴を脱ぎながら訊ねてくる。


「問題なし。けどもう知ってるでしょ」


「いいじゃん。気になるんだからさ」


「まぁそうか。なんかすごく疲れた」


「あはは。お疲れさま」


「うん。はいこれ。私達の家の鍵だよ」


「おお? やったっ。夏織、ありがとうっ。おおおー」


 鍵を握って小躍りを始めた幸。あわわわと、焚き火の周りを回っているような感じ。


 それを見ていると初めてウチにきたあの日のことが私の脳裏に浮かんでくる。あの時は確か、いってしまった人のように両手を高く上げていたんだっけな。


「幸。笑っちゃうけど落ち着けって…いや、やっぱ嬉しくて当たり前か」


「そうだよー」


「だよね。ふふふ」


 その結果、月曜日の夜から幸の奴が燃えに萌えてしまったのは仕方のないことだ。幸はえろえろのえろだから。私は喜んで幸を受け止めているだけだから幸と違ってえろくない、筈。たぶん。大丈夫。


 そして最後のひとつは、近いうちに私の両親に渡すことにしている。何かあったら宜しくお願いしますと伝えておくことにしている。




 こうして私はとうとう、小さいながらも一国一城の主人になったのだ。庭なし一戸だけ。ほっとけ。


 不動産の税金関係は遠藤さんと幸のお陰でばっちり把握している。逃げようがないのだから、不動産取得税とか高いなぁと文句を言いつつ払うしかない。


 これも私が果たす義務のひとつ。くどいようだけれど、私達は国民の義務をちゃんと果たしている。その代わり社会保障とか、人と同じように恩恵もそれなりに受けている。だから、私達のこととは関係なく、こういうヤツはきちん納めるべきものだ。たまに都合よく、法律に則って適切にーとかおっしゃる、優遇された面の皮の厚いどこかのお偉い人達とは違う。上級じゃない私達はそれを納めないと差し押さえからの競売とかされちゃうし、最悪捕まってしまうのだ。


 大体、普通に考えれば赤字の会社はボーナスなんて支給されない。これ当たり前のことだから。この国の借金は膨大な筈なのに、偉い人達は満額もらえるとか笑っちゃう。法律がそうだからーとか言って。立法する側の人間がとことん自分達に甘いよなと私は思うわけ。

 ならせめて、全体の奉仕者として仕事してねと私は思うの。私達の声を、声無き声を、選挙の時だけ調子のいいことを言わないでちゃんと拾って何とかしてねと私は思うの。偉い人達は私達の望みが何かなんてもう知っている筈だから。小さいからと、少ないからと無視しないでと私は願うの。



 そしてまた今週も、どこかの誰かが私達のような人間について何かを言った。法律で守られて広がったら困る、自治体が滅ぶとかなんとかそんなようなこと。

 本当にそう? 法で守られると広がるLとかGってなに? いみふだわって私は思うわけ。


 法が整備されれば(おもて)に出てくる人達は確実に増えると思うけれど、それは私のようにこのくそ社会からいじめられないように隠れていた人達だ。権利があるなら使おうと思う人達だ。元々の分母が増えるという話ではないのだ。

 マイノリティは生物学的にみても一定数は必ず存在する。そんなことすら分かろうともせずに自分の主義主張を正論のようにのたまう。

 それはもしかすると誰かを傷つけてでも、違う誰かにアピールしているだけなのかもしれない。


 私からすれば聞く耳を持たないあの感じは、私達を受け入れつもりなど最初から無いように思える。

 そこはそれぞれ自由だからべつにどうでもいいけれど、そっちこそ、少子化だから子供を産んで育てろと言いつつそれを都合の良い隠れ蓑にして、お前らが嫌いだから、大手を振って街を歩かれると鬱陶しいから大人しくしてろと言いたいんだろうなと私は思うの。

 唯一の正しいことみたいによく口にしてくれちゃう生産性イコール子供を産むとかいう話なら、同じ立場ですらない税金で食っているお前は一体何を生産してるんだと私は思うの。

 理論ですらないただの言葉で攻撃するのは違うでしょうよと私は思うの。



「はぁ」


 こんなふうに思う被害者意識的なヤツを、私はとっくに捨てているつもりでいても、こうしたことを言われるとどうしてもそれが頭も(もた)げてくる。言われようには正直ムカつくし、煽られて動じてしまう自分にがっかりもする。


 そしてそのちょっとお偉い方はマイノリティを特別に擁護する必要はないとも言ったとか。

 それは私もそう思う。私はべつに特別なんかいらない。私達の扱いは普通でいい。普通がいい。

 これまた普通普通とばかり言っていて自分で嫌になるけれど、それでもやっぱりこの社会には普通が存在するのだから、いくら嫌だと思っても、私はマイノリティだと強く意識してしまう時もある。こんな時は特にそう。私の思考はこうしてぐちゃぐちゃになってしまうのだ。



「くそう」


「夏織。おいで」


 幸が私を呼ぶ。

 幸にだって思うところはある筈。それでも幸は幸だから先ずは私をと、そう思ってくれる。

 もしも辛くて耐えられないのなら、幸は今夜、私の胸で泣くだろう。私に世界は変えられない。だから私はそんな幸をただ抱き締める。私がいるよと伝わるように。



「さち」


「よしよし」


 両手を広げて微笑む幸に言われるままにのそのそと近づいて、ちょっとは膨らんだような気がする幸の胸にもたれて優しく抱かれていれば、その温もりと伝えてくれる気遣いが私の中に沁みてきて、そんなものはいつものことだと段々気持ちは落ち着いてくる。これも幸の魔法。



「ありがと幸」


「いいよ。私も一緒だからね」


「うん」


 暫く抱かれて顔を上げるとそこには微笑む幸の顔。変わらぬ幸がここにいる。それで私は充分に癒やされるのだ。


「よしよし。夏織はえらいえらい」


「ふへへ」



 ああそれにしても、こうして何度、私は幸にしがみ付いただろう。もう百回は超えている気がする。

 これからも幸にしがみつくことは数多くあると思うと本当にぞっとしてしまう。たぶんこのままいくと私の両手の握力は鍛えられてしまって、女性にあるまじき数値を叩き出してしまうに違いないのだから。


「こわい」


「大丈夫大丈夫」


 はい残念。伝わらなかったんだなと私は思った。ふふふ。




 まぁ、自分と違うからと攻撃してくる人間はごまんといるし、そんな人達はそれで傷つく人間がいることをちゃんと分かっている。落ち込む様を想像して言ってやったぜと笑っている。そうでなければそんなこと言う必要はないからだ。


 そしてその主張に賛同する人間もごまんといる。それは私達が存在する限り何も変わりはしないのだ。私達が一体何をしたというのか。それを訊いたところで気持ち悪いとか嫌いだからで終わるだろう。


 それでも世界を見渡せば世界は今日も概ね平和なのだ。戦線異常なしというヤツだ。

 私達に起こることはいつだって者の数には入らない。騒いだら終わり。論点は差別的な発言は良くないですねみたいな話にすり替わって、私達のことは置いてけぼり。先には進まない。そんなものだ。はい残念。


「さてと」


 こうしてぶちぶちと愚痴ったけれどいつもと同じせんもないことだからなと、幸が癒してくれたからなと、私は嫌なことをさっさと頭から追い出した。私は私。それでいいのだ。


「おしまい」


「いいの?」


「幸がいてくれるからいいの」


「私もよ」




 結局のところ、私個人でローンを組んだから、収入合算とかペアローンに必要な公正証の類は用意せずに済んだ。この選択が良かったのか悪かったのか、それはいずれ分かるだろう。


 あとは、引っ越しとか転職とかが落ち着いたら、私の遺言書を作るつもり。万が一の時はちゃんと幸のものになるように当然、公正証書のヤツ。互いの親もそれを認めてくれている。遺贈というヤツだ。状況によっては生前贈与もありかもしれない。


 団信も加入したし、その時はローンが無くなるから、資産的な価値がないとか思い出が辛いとか、そんな理由で幸が要らないというのなら別だけれど、そこは是非とも受けてもらいたいところ。私の思い出に囲まれながら過ごすなんて最高でしょ? と思うから。

 けれど、それが逆なら絶対にむり。だって絶対泣いちゃうから。寂しくて辛くて苦しくて、泣きすぎて干からびちゃうから。それに甘くて美味いヤツも、ああこれはあのとき幸がとか、ああこれも確か幸がとか、なんだよこれもだいぶ前に幸がとか思い出して、泣き過ぎて喉を通らなくなっちゃうから。


 今のところ私が早くにいってしまったそのあとのことは、残してしまう幸のこと以外は心配はしていないけれど、あの時そうしておけば的な後悔はしたくない。

 先のことなど分かるわけがないのだから、幸のために打てる手を打っておくのが一番だから。

 それは私のためでもある。人は変わる。身内を信頼しているとかしていないとか、私の中ではそういう話ではないのだ。


 ただ、もしも私が若いうちに、それこそ明日にでもいってしまうのなら、いった私に縛られることなくどうか新しい誰かとその先を、迷うことなく進んでねと、ちょっとだけ思うのだけれど、これは、そんなことになった時に伝えようと思う…いや、泣ぐじ。うぐ。




 と、まぁ、私達はこれから徐々に部屋を整えていくつもり。互いの部屋の片付けとか新しく買う物とかを揃えるつもり。といってもひと月くらいでそれを終わらせるつもりでもいるわけ。


 そしてっ。念願のっ、私達の生活が始まるのだっ。

 もうね、でへへしかないなっ。でへへしか。


「「でへへっ」」


 でへへと幸が笑っている。その隣にはでへへと笑う私がいる。こうやって楽しく暮らしていければいいなと思う。


「ね」


「そうだね。あっ」


 おもむろに幸は体を捻って置いてある参考書を手に取った。片手で。けれどぐきってならない不思議。

 幸はそれをぺらぺらとやりだしている。


「どうしたの?」


「ちょっとね。いま閃いたの」


 私と一緒にでへへと笑っていた筈の幸はなぜか今、気になるからちょっと復習をとか言って参考書を開いている。


「ふむふむなるほどそういうことね」


 なんつっている幸を横目で見ながら私もなるほどと納得していた。

 私の日頃のスタンスが明日できることは明日やるだから、幸と私の差はこういうところにもあるのだと分かったから。




「うーん」


 幸が参考書を読んでいる隙をついて、私はケーキをコーヒーを用意した。頭を使う幸には糖分は必須だし私はこれ以上我慢できなかったから。


 そして私はいま悩んでいる。

 ソファの上で胡座をかいて腕を組み、ローテーブルに乗る三つの甘くて美味そうなケーキと三十一本の蝋燭をじっと見ているこの顔は、参考書を読んでいる幸に負けず劣らず真剣だ。おそらく眉間には皺が寄っているけれど、幸にはなくてなぜか私だけだけ。ほんと人間て不思議。


「おかしい」


 顔に皺を寄せるとか、美容の観点からいえば決して良くないと分かっているけれど、私はそれくらい真剣に悩んでいるのだ。


「うーん」


「どうかしたの?」 


「まぁね」


 私の唸り声に気づいた幸が分厚い参考書を閉じて顔を上げた。どうやら終わったみたい。けれど、さっきから幸の視線を独り占めにしていたそれは私の手首をぐきってやったにっくき奴。


「お前…」


 私は幸に顔を向けつつも、今度やったら絶対燃やすとそれを睨んでやった。

 閉じられてリアクションを取れなくても私には分かる。びびって動けないコイツは今、さぞかし肝を冷やしていることだろう。


「ふっ」


 私は満足して幸を見る。その幸は首を左右に振って思い切り呆れた顔をしていた。

 けれどそのリアクションあり得ない。私には全くもって理解しかねるヤツ。


「幸。なにその顔」


「燃やしちゃだめ」


「なっ。でも幸、こいつは私の手首をぐきってやったにっくき奴だからっ」


「だーめ。夏織がこれに触らなければいいんだよ」


 どうよ? 何も言えないでしょうと幸が慎ましくも成長しつつある胸を張っている。幸の癖にと思うけれど、言っていることはまさに正論。ぐうの音も出ないというヤツだ。

 しかも幸の奴は不思議とそいつらだけはきちんと片付けるから、私が触れる必要はまったくないというわけ。


「ぐう」


「ぷっ」


 せめてもの抵抗と思ってぐうと出してやった。

 どうよ幸? 私は一矢報いてやったのだ。


「ぐうぐう」


「夏織」


「ぐう?」


「うるさい」


「あたっ」


 ぺしと、幸が私のおでこを叩く。いててと言いつつ私は笑う。とても幸せだと感じるから。つられて幸も笑い出す。

 ほらね。私達は面倒なことは後回しにして今は幸せいっぱいだ。





 無事、蝋燭を四本だけにしてケーキを食べて、お喋りもしてお風呂も入って私達はいまベッドの上。


 ()()よりも先ず幸に楽になってもらおうと、私は幸を胸に抱いた。


「幸はえらいよ」


 されるがまま素直に抱かれた幸は暫くするとしくしくと泣きだした。幸が上手いこと消化できなかった、私が頭から蹴り出したヤツを、幸はそうやって涙と一緒に吐き出しているのだ。


「よしよし」


 私が背中をぽんぽんとしているうちに、啜り泣く声は小さくなって幸は落ち着いた。


「もう平気なの?」


「うん。ありがとう」


「幸がしてくれることに比べたらこんなのどうってことないから」


「比べるとかじゃないよ。ひとつひとつ、それぞれ、でしょう?」


「まぁそうかな」


「そうだよ。だから、ね」


「うん。どういたしまして」



 私の胸でごしごしと涙を拭う幸。そこは私は気にならないから放って置く。

 幸はもう大丈夫。ならばこれでいよいよ私のサプライズを披露する時がやって来た。


 というわけで、私は幸を離して髪をひと撫でしてベッドから抜け出した。


「幸。ちょっと待っててね」


「わかったー」


 そして私はさりげなくベッドの下から仕込みの袋を取っていつものようにとことこと歩いて洗面所に入った。

 慌てたりしたら幸にバレてしまうかもしれないのだ。


 早くねーという幸の声に若干の不安を感じながらも、私は寝間着にしている長Tを脱ぐ。

 上は着けづに、下だけを可愛らしくも扇情的なヤツに着替えてから本日のメイン、太めの長いリボンを体に巻いて可愛く蝶々結びを胸の前で作る。

 寒いけれどこれでほぼ完璧、いわゆるアレ。プレゼントは私、私をあげる的なヤツが完成したのだ。大きな箱を用意できなかったのが悔やまれる。


「ぐうかわか」


 けれど鏡で確認すればまさに完璧。いざいかん、幸の元へ。



 幸とひと声かけて私はゆっくりとベッドに近づいた。それもまたアレ。海外映画でよく見かける、女優さんが煽りながら迫っていく日本人には小っ恥ずかしい感じのヤツ。

 側から見なくてもこっ恥ずかしいソレも全ては幸のため。後は野となれ山となれ。私は黒いヤツを覚悟しているのだ。


「さーち」


 私の呼びかけに喜んで応える幸の姿はない。聞こえてくるのは穏やかな寝息。やはり危惧した通り幸の間延びした声はそういうことだったのだ。くっ。


「ん…すうすう」


「だよね。知ってたから」


「すうすう」


「くしゅっ。さむっ」


 私はとぼとぼと洗面所に戻り、着替えを終えた。もしもお風呂にいるのがかおりじゃなくてさっちだったら、私のことをぐわわわわー、馬鹿じゃないのと笑っていただろう。


「さっちの奴…」


 帰ったら覚えていろよと私は思った。



 そして私はいそいそとベッドに潜り込んだ…いや、ちょっと泣きそうだし。


「うぐ」


「んー。どうしたのー?」


 私は幸をこの胸に抱き直した。ただそれだけ。余計なことは今夜はしない。今日も全力ではしゃいで泣いた幸は疲れているだ。


「なんでもないよ。おやすみ幸」


「んー。おやすみー」



 はい残念。





これを読んでいるということは、読み切ってくれたということですね。お疲れ様でございました。


LGBTについて嫌な話題には事欠きません。


全くもってあほくさいと私は思った。

けど平気。私は幸とマイノリティと蔑まれたりしない世界に転生して幸せに暮らすから。なんつって。

今の時代では無理でも、いつかきっとと思うから。


読んでくれてありがとうございます。

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[一言] あの発言ですよねえ。 そもそも人口減少と結びつけることに意図的なものを感じますし、そもそも人口の変化に対応できない社会システムの在り方が間違っているわけで.... 発言者は自分の周りにそうい…
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