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woman  作者: しは かた
58/102

第五十話

続きです。


よろしくお願いします。

 


「罠は…うん、ないな」


 私は今、またしても頼んでしまったいつもの里香さんのヤツをじっと見たりお皿を持ち上げたりして見た目は特に異常はないなと確認をしたところ。


「あむ。ほっほふ」


 ではいただきますと箸を取り、簡単にほぐれるところまではさすがだなと思いながらとろとろのタンをはふはふと、ひと口食べてもみたところ。


「んー」


 否応なしに季節は進んですっかり秋めいてきた今日この頃、焼き芋とか栗とか超美味い季せ…朝晩はだいぶ冷える季節になったから温かい食べ物はありがたい。いま食べているタンシチューがまさにそれだ。



「美味いなコレ」


 口に入れた瞬間に美味かったソレ。

 ただ、やはり腑に落ちないことがある。

 私は口の中でほろほろ崩れていくソレを飲み込んで首を捻りながら、一度箸を置いてそれをまた見つめてみる。



「うーん」


 見た目も普通、味も辛くも甘くも酸っぱくもなく普通に美味いというか凄く美味い。それだけ。

 まぁ、調理しているのは里香さんだから、そこは美味くて当然、何もおかしくはないんだけれど、私が気づけていないだけで罠がどこかに仕込まれている筈なのに今回のヤツはそれが分からない。


「うーん」


 里香さん特製の本日のお勧めが美味いだけとかあり得ない。必ずどこかに罠がある筈。


 変だなぁとかおかしいなぁとか呟いて、私は口を開けて、そしてまたもうひと口とソレを放り込んでゆっくりと咀嚼する。


「…やっぱ美味い」


 本当にそれだけなのか。私は更にもう一口と、それを口に入れた。


「んー」


 もぐもぐやりつつ目線を上に彷徨わせても分からないものは分からないから私はもう諦めることにした。

 いつものように面倒くさくなってしまったから。そこは私の本能だから仕方ない。


「ま、いっか」


 それに、美味しければいいんだよと、幸ならぱくぱく食べながらそう言う筈。

 なら、コレが美味いことは確かだし、私は謎を解こうと十分に頑張ったし、私は少し疑心暗鬼に陥っていたのかもしれないと思うことにして、折角の温かくて美味いコレを何も気にせず食べることにした。あたかも幸のように。


「いいのいいの」



 ちなみに、ここまでの私は決して独りごちているわけではない。なぜなら私は独りごちるが好きじゃないから。私は独り言を言っているだけだから。ついでをいえば、私は幸のせいで自ずと意識を失うことはあっても自ら手放すことはしない。それに私はご名答とかご明察とか絶対に言わない、使わない。今まで使ったことがないしこれからも使わない。そしてもうこの際だから言わせてもらうとあとはアレ。拳をこつんと合わせるグータッチ的なヤツ。それもしない。

 流行りもあっただろうけれど、私はこれら全てがどうしても苦手。うへぇと萎えてしまうのだ。


 けれど、やはり人はそれぞれだから、そこは私個人の受け取り方の問題として、へぇそうなんだ、そういう変なこだわりっていうか意固地な感じってなんかしんどそうだし生きづらそうだから私はまじ勘弁だわぁくらいで流しておいてほしいところ。



「あむ」


 私は少々熱くなってしまったなと思いながらも、ちゃんとオブラートに包みつつそれをぶっちゃけることができたことに満足してそれを頭から追い出して、再びとろとろタンに箸を入れて口に運ぶ。


「うん。美味いなっ」


 何も気にしない。たぶんこれでいい筈だ。たぶん。





 金曜日。午後八時過ぎ。出たくもなかった終業後のミーティングのせいでいつもより顔を出すのが遅くなってしまったいつものバーに私はぽこぽことやって来た。


 バーに入っていつものようにカウンターにいる麗蘭さんに挨拶をしに途中、おやおやあらあらまあまあまあと声を出したくなるような光景を目が入ってきたけれど、茶々を入れるのは駄目だからなと、ちらちらと視線をやりながらもなんとか堪えて先ずは麗蘭さんと調子はどう、絶好調ですなんて軽く話をする。


「あ。あとですね、家を買う契約をしたんです。ほぼ決まりです」


「あらあらまあまあ」


「あっ」


 なぜ私より先にそれを言ってしまうの麗蘭さんと、私は愕然としてしまう。


「よかったわね」


「それは、まぁ、はい」


「あら夏織さん。なんだか悔しそうね」


 理由は簡単。私が我慢した台詞を言われてしまったから。それが私の顔に出ていたのだ。


「だって麗蘭さんが」


 私は小さく指を差して視線を横に向ける。それにつられた麗蘭さんは納得顔だ。


「んん? ああ、なるほど」


 まぁまぁと私の髪を撫でてくれたあと、麗蘭さんがちょっと待ってねとカウンターの裏に手を伸ばして取ったものは、お決まりのように私の手に乗せられる甘いヤツ。


「それあげる」


「やったっ。いただきます」


「うふふ。いつも嬉しそうね」


「だって五個もですよ。それにコレすごく美味いですから」


 遠慮なく受け取って、笑顔満点、悔しさも忘れて喜ぶ私の髪を麗蘭さんがうふふと笑ってもう一度撫でてくれた。




 みんな知ってるお店のラスクを五つも抱えたご機嫌な私は、珍しくカウンターにいる由子には声をかけずに、その様子に更に顔を綻ばせながら席に向かう途中、忙しくすれ違う莉里ちゃんや、既にここにいた常連の女性達と挨拶を交わして、いいねいいねとにまにましながらいつものテーブル席に着いた。



「今日は何があるかなぁ」


 私はふんふんふんと鼻唄を奏で、もらったラスクのひとつを開けて、さっそくそれを美味い美味いと齧りながら、お勧めメニューを手に取ってカウンターにいる由子に目を向けた。


「うんうん」


 私が、麗蘭さんが優雅に座る逆側の端、カウンターに座っている由子に声をかけずにいたのは、隣の女性と何やら仲良さげにして楽しそうだったから。その時、もうやだぁなんて笑いながらのさり気ないボディタッチングも見てしまった。だから、もらったラスクも相まって、私の顔がにまにましてしまったのは当然だ。


 そんなものは、バーではよくある光景だけれど、この前泣いていた由子がそうなら私は嬉しい。


「ふふふ。なんかいい感じ」


 私は暫く由子の楽しげな様子を眺めていることにした。

 けれどそうすると、どうしても視界に入ってしまう女性がいた。それもまたよくある光景。


「いや、アレはダメなヤツだから」


 由子達の席から二つ開けてぽつんと座ってくだを巻く、私がもう一人、敢えて声をかけなかった顔見知りの女性。その様子から察するに、下手に声をかけたら間違いなく絡み酒をやられてしまうヤツ。

 センサーの性能の良し悪しに関係なく、私はそうした機微には敏感なのだ。私は周りをよく見ている人だから。


「うーん」


 私は直ぐに思い当たる。なるほど今夜あそこでは期せずして恋の始まりと終わりが表現されているんだなと、私は少しのあいだなんか深いぞと、真ん中に私と幸が入ったら完璧だぞと、はしゃぐふたりと落ち込むひとりに目を向けていた。

 まぁ、私達の位置は真ん中から動くことはないけれど。そうそう。それは確かなことだからなと、私はふふふと微笑んだ。



「さてと」


 それから私は手を上げて店員さんを呼んだ。眺めているのに飽きてしまったから。所詮は他人事だからそう思うのも仕方ないのだ。

 その注文が終わる頃には、ラスクは既にふたつ無くなっていた。



「やっぱ腹ぺこだな」


 私がラスクを食べ始めた時、カウンターの方から私を凝視するというか手に持つラスクに、私も食べたいです的なもの凄い視線を感じたけれど、ラスクは私のだからそれを無視して隠すことなくばりばりと食べてやった。

 じっと見つめる視線が強くなって思わず笑っちゃったけれど、とにかくラスクは美味かった。


 私は腹ぺこのところまで行ってわざわざ顔を突っ込んでまでラスクをあげたりはしない。私は優しいからいい感じの腹ぺこの邪魔はしない。

 今日のところはラスクを食べて、本日のお勧めも食べながら由子を優しく見守っていることにするつもりだから。はい残念。






「次はコレにつけて、と」


 そして私は、んーとよく味わって、こってりとしたシチューの濃厚さの中に繊細な何かを感じるけれど決してあっさりはしていないなとか、何か酷いものを食べさせられているわけではないなと考えながらビールを飲んで、定番の野菜スティック本日のお勧め、とろとろ煮込んだタンシチューに添えられていたバゲットや野菜スティックをちょんちょんとつけてそれを摘みながら、ぽんっ、ぽんっと、やって来る幸のメッセージに返信したりもしているところ。


 そっちはどう?


 タンシチューが美味い


 いいな。それ食べたい


 そっちにないの? ないか


 ないよ


 じゃあ、タン買ってくれたら週末作ってあげる。


 オッケー任せろ。あ、そう言えばね、今日はかおちゃんいないんだねとみんなが言ってます


 こわい :(;゛゜'ω゜'): カタカタカタ


 なにこれあはは。みんなね、もの珍しいたぬきを観たいんだよ


 こわいこわい ((((;゜Д゜))))))) カタカタカタ


 ぷっ。うそうそ。みんな夏織を気に入ったのよ。会いたいってさ


 私は可愛いからそこは仕方ないな


 そうよ。私の自慢の彼女だからね。じゃあ明日。恵美さんによろしくね


 ぐへへへへ。わかった。また明日ね



 そんな幸とのやり取りを終えて、私は物珍しいたぬきってなんのこととそこの所は見なかったことにして、自慢の彼女だけをしっかりと記憶して、だらしなく緩んだ顔でまたちょんちょんとやったバゲットを頬張った。


「ぐへへ。やっぱ美味いなコレ」




 私は暫く疑いもせず安心してそれを食べ進めていた。けれど半分くらい食べたところで、私はふと、しかしこのタンは何のヤツの……と、そんな考えが浮かんできて、ぴたりと箸を止めてしまった。


「ま、まさか」


 その途端まさにガクブル、私はカタカタと震えてしまった。


「そんな…うそだ」


 私は震える体を無理矢理止めて、いやいやいやいやと頭を振った。

 もう食べてしまったのだからいまさら何のタンかは考えない。覆水盆に返らずだから絶対に考えてはいけない。そんなことをしたら里香さんにお腹を抱えて笑われてしまう。私は平然を装うことにした。

 そう。まるで麗蘭さんのように優雅で平然、私はこのバーのことは全て分かっているのよ的にだ。



「か、完璧」


 私は大きく息を吐いてから、一度厨房の出入り口にさり気なく顔を向けて、里香さんが覗いていないことを確認する。


「よしいける」


 さて、あとはコイツをどうするかだなと考える。私は残すのは嫌な人だから何かのタンを残さず食べなくてはいけないけれど降りてきたからそれも大丈夫。


 待ち人の恵美さんはもうやって来る、筈、というか絶対来る。私には分かる。タンシチューはまだ温かいし、残りは恵美さんにあげてしまおうと私は思いついたのだ。


「いける」


 恵美さんは何気に腹ぺこだから絶対いける。さすが、私は天才なのだ。



「お疲れ夏織」


「あ。恵美さんお疲れ様」


 その恵美さんが期待通りにやって来てくれた。

 時計を見るまでもなく時刻は午後八時半。いつもの時間。

 もう長いこと変わらない正確さのせいで、恵美さんは八時半の女って陰で呼ばれいるに違いない。私は知らないけれど。


「やっぱすごいな」


「なに?」


「正確だってこと」


「ん? わかった。私を八時半の女って言い出したのは夏織なのね」


「え。バレたっ? ていうかその話ってまじなの?」


「馬鹿にしてるの?」


 悪戯っぽく微笑む恵美さんに、私は真顔で答えを返す。私はそんなこと言ってないし馬鹿にもしていないから私は少しも慌てない。そんなのは当たり前。


「そそそそんなわけないからっ」


 そう思う気持ちとは裏腹に私の声はうわずってしまったけれど私は間違っても時間にうるさい恵美さんを馬鹿になんてしていない。

 私は恵美さんは普段はとても温かく優しい心を持った女性で、たまにスイッチが入るとロボットか何かなにかのようになるなと思っているだけだから。それは私が子供の頃、父さんがよく口ずさんでいた、ドモアリガット、サンキューサンキューというヤツだから。


「え、恵美さん、いつもの?」


「ふふ。そうね。お願い」


「わかった」


 素早く話を変えて、私は店員さんを呼んで、恵美さんがいつも最初に飲むビールと定番の摘みを頼んだ。

 ちら見をすれば恵美さんは微笑んでいる。よかった。私は冤罪を免れたのだ。




「「お疲れ」」


 間を置かずやって来た恵美さんのグラスに私のグラスを合わせて適当に摘みを食べる。


「それ美味しそう」


「これ? 美味いよ。食べる? てか食べて。まだあったかいしまじで美味いから。ね。ね」


「やけに推すのね。まぁ、よくわからないけどいただくね」


「どうぞどうぞ」


 私はなんなら全部食べちゃってねと、皿ごと恵美さんに差し出して小さくガッツポーズをする。恵美さんは気づかない。仕事モードでなければ疑うことを知らない実直で素直な女性だから。


 恵美さんはさっそくそれに手を付けてあら美味しいと満足げ。続けて口に運んでいる。

 ほんのちょっと胸が痛い気もするけれど、恵美さんはげこげこのヤツも余裕でイケる人だし、いま食べている何かのタンだって味自体は凄く美味いから、恵美さんが気に入ったならそれでいいかと私は思うことにした。

 私は要らない。恵美さんは食べたい。ソレを残して食材を無駄にすることもない。つまり私は悪くない。寧ろ良いことをしたのだ。


「そうそう」



 私は新しく来たお酒をひと口飲んだ。恵美さんは差し出したタンシチューを遠慮なく食べている。時々バケットをちょんちょんとやっている。あまりそういう食べ方はしなかったから、たぶん恋人の陽子さんの食べ方が移ったのだ。

 私と幸にも気づかなくてもそういうことはあると思う。そう思うとなんとなく嬉しくなる。


「美味しかった。ごちそうさま」


「よかった」


 恵美さんは残りのヤツをバゲットとともに完食した。私は色んな意味でよかったと思ってそれが口から出てしまった。それがなんの違和感もなくて本当によかった。


 そして私はまたお酒を口にした。余計なことを言わないためにグラスを暫く口に付けておくの。保身のためなら色々と思いつく私はやはり天才なのだ。




「それで。家探しはどうなっているの?」


「あれ? 恵美さん幸から聞いてないの? 決めたよ。契約した。先週、手付金も払って、今は銀行の審査待ち。遅くても再来週の頭には分かるよ」


「大丈夫なのね?」


「うん。余裕だって。幸もそう言ってたし私もそう思うよ」


 私の財政状況は極めて健全。ガードその他の借入金は微々たるもので、審査に必要な書類を用意するのが少し面倒だっただけ。

 ただ、契約の際に判子を押す手がふるふると震えてしまっただけだから。大きな買い物だから私は緊張していたのだ。


「ふふふ。夏織らしい」


「まあね。これでいよいよ私もと思うとなんかさ」


「そんなものなのかもね。私は震えなかったから分からないけど」


「でしょうねー」


 まだまだ可愛いところもあるのねと、からかうように恵美さんは笑う。けれどすっかり大人の女性になった私は今でも頗る可愛いのだ。私はそれを証明してあげることにした。


「恵美さんこそ私を馬鹿にしたなっ。ベーっ」


「かは」


 舌を出して目をバッテンにするだけの型ですらないゆるふわ攻撃に恵美さんはあえなくいってしまった。


「ふふふ」


 麗蘭さんにも通用するのだから今や私のゆるふわに敵はいない。敗北などあり得ない。流れ作業でかはかは言わせるだけで、敗北なんて文字はまあまあそこそこの私の辞書から消えているのだ。


「ふふっ。油断したね」


「やられた」


「うわっ」


 もう、とか言って紙ナフキンを可愛く放り投げ、赤くした顔を背けた恵美さんはなんとなく砕けた感じがする。

 それはなんというか、今までよりももっと私に近づこうとしているようにも思える。私には恵美さんは特別な女性だから、私はとっくに頼って甘ったれているけれど、もしもそうなら私は嬉しい。


「へへへ」


「なによ。笑って」


 もうっ、と、今度はおしぼりを私に投げつけた。それは見事に私の顔に当たった。


「うげっ」


「ふふふ。油断しているからよ」


「やられた」


 確かに砕けた感じの恵美さん。大きく開けた口に手を添えてけらけらと笑っている。その、殆どというか今までされたことのない絡み方は私を喜ばせるには十分だった。


 私達は近づいていく。私達の距離で私達なりに。なら、そのうち恵美お姉さんと呼んでみようと私は思った。



「あのね恵美さん。親がね」


「どうしたの急に」


 それは、買う家を決めたよと幸とふたりで私の親に報告に行った時のこと。

 私はそれを恵美さんに聞いてもらいたくなったのだ。私からももう一歩、恵美さんに近づくために。



「こんな感じの部屋だよ」


 持ってきた資料とかローンのシミュレートのヤツなんかをテーブルに広げて、先ずはこのマンションはこれこれこんな感じと、幸とふたりで説明していく。


「だいぶ古いんじゃないか。大丈夫か?」


「全体のリフォームもしたばっかだよ」


「そうか」


「うん。それに、壊すぎりぎりまで住むつもりだし資産価値は考えてないから。計算上は今の家賃を払っていくよりトータル的には安く済むし。それに幸もいるから。ね。幸」


「そうね」


「なるほどな」


 なんて説明をしながら、その都度訊かれる質問に答えて報告を終えた。

 大人のふたりのことだからと納得はしても親なのだから心配するのは当然だ。けどなとかでもなとか、そんな言葉が多かったように思う。


「払っていけるのか」


「そこは大丈夫」


「大丈夫です」


 金銭的なことが多かったけれど、周りやマンションの環境についてもしつこく訊いてくれたのは、私達が女性ということもあるし、なにより私達が私達だからだと思う。


「落ち着いたら遊びにきて」


「いくぞっ。そりゃあいくに決まってるぞ。な、母さん」


「そうね。楽しみだわ」


「その時は幸の親達も呼ぶから。ね、幸」


「ええ。まずはその時に顔合わせをと思ってます」


「え」


「それはますます楽しみね。ご両親は幸さんみたいな方達かしら?」


「うん。頭いい。優秀」


「げ」


「げって、お父さんは」


「ま、頑張ってね」


 父さんは固まった。母さんに(はた)かれたけれど動けない。その気持ちは分かる。ご愁傷様です。

 母さんは楽しそう。にこにこと笑っている。その気持ちも分かる。やはり母は偉大。

 父さんは動揺を隠さずに面倒くさいなぁと、その感情を直ぐに顔に出す、ある意味素直な人。母さんは少し大変だと思うだけで楽しみの方を優先させる人。それが私への愛情に嘘のない、それを惜しみなく注いでくれる、恥ずかしくも自慢の私の親なのだ。


「お二人とも夏織そっくりだね。見事に混ざってるって感じ」


「まあね」


 幸がくくくと笑い出す。遺伝子は嘘を吐かないということだ。凄く恥ずいけれど父さんと母さんの子供でよかったなと思える瞬間でもあった。


 私はいまだ固まる父さんに声をかけた。


「父さん、大丈夫だから。凄く優秀でいい人達だから。まぁ、父さんと話が合うかは分からないけどね。あ、母さんは余裕でいける。ね、幸」


「まぁ、そうだね」


「ぐは」


 私と幸の容赦ない口撃に父さんはいってしまった。母さんは笑っている。

 可哀想だけれど、おっさんがいってしまっても全然可愛くないなと私は思った。


「なんというかこれは、ないな。可愛くない」


「あはは。ないね。けど仕方ないよ」


「そうねぇ。さすがにちょっと私も無理だわ」


「がっはっ」




 蹲る父さんを放っておいて、用意してくれた渋めのお茶と甘くて美味い栗入り最中を食べながら、これはこれで最高の組み合わせなんだよ美味いんだよと幸に力説していると、いってしまった父さんに母さんが、ほらあれをとか言っていた。


「ああ、そうだな」


 父さんは頷いて立ち上がり、暫し待てとリビングを出ていった。


「どうしたの?」


「すぐに分かるわよ」


「ふーん」


 なんだろねと幸を見ると、優秀なセンサーを持つ幸は何かに気づいた感じ。私を見て微笑んだあと、真面目な顔を母さんに顔を向けた。


「あ、帰ってきた」


 父さんの手には見て分かる通り、通帳と印鑑が握られている。

 これがテレビとかで見た噂のヤツかと、さすがの私もピンときて父さんと母さんの顔を交互に見つめた。


「これは夏織のだ。母さんと二人で貯めておいたんだ。結婚資金にってな」


「そうよ。夏織と幸さんは結婚するようなものなんだから受け取ってね。夏織」


「そうだぞ。遠慮なく使え」


「それと、幸さん。幸さんももう私達の家族なんだから、変に遠慮なんかしちゃ駄目よ」


「うんうん。何かあったら遠慮なく俺たちを頼るんだぞ。いいな?」


「…はい」

「…った」


 父さんが座るなり、ふたりがそう言って差し出したそれの名義は私の名前。

 言葉に詰まりながら返事をして、手に取ったそれを開くと始まりは私の生まれた年の月。ぺらぺら捲って最後のページ。目に入った積み立てられた金額。


「なっ…」


 私は言葉を失ってしまった。そして、その金額もさることながら私は気づいてしまった。


 私がカムアウトをしたその月も、それからこうして再び元に戻った今の今まで十年近くのあいだも、父は、そして母も、変わらず同じ金額を毎月積み立てていてくれていたのだ。私の結婚はあり得ないと分かっていながらも。


 そしてその十年間、父には嫌われてなどいなかったことは今はもう分かっているけれど、ビアンと知ってもなお、父が私を想っていてくれたことが分かってしまったのだ。そうでなければこんな金額に決してはならない筈だから。


 顔を上げてふたりに向けば私達に優しく微笑みかけている。


「うっ」


 私にとって大事なことはお金のことじゃない。

 私は、私にかけるふたりの愛情というものが、こうも深いものなのかとあらためて思い知らされたのだ。


 私は父さんと母さんに孫を見せることはできない。親としての人並みの人生の喜びを味わってもらうことができない。そういう意味ではもらった愛情の分だけお返しをすることができないのだ。

 私はそれを本当に申し訳なく思う。いま目の前で微笑むふたりに、私の胸がちくりと痛む。けれど、父さんも母さんも、何かをして欲しくて夏織を育てたわけじゃないと絶対にそう言ってくれる。私はそれも分かっていた。


「うぐっ」


 私は誰に憚ることなくがん泣きした。わんわんと縋り付いて泣く私を、をきつく抱いてくれたよかったねと鼻声で優しく抱きながら幸もまた泣いていた。

 結婚という言葉と家族という言葉が幸をそうさせたのだ。

 認められたと思ったら嬉しくて涙が出てきちゃったと、泣き止んだあと幸は照れながらも嬉しそうに言っていたし。



「なんか、そんな感じ」


「嬉しかったのね。それに悲しかった」


「うん。すごく」


「分かるよ。私も同じひとりっ子だから。たまにそう思うことはあるの」


「うん」


「けどよかったわね。何にしても夏織はちゃんと愛されているからね」


「うんっ」



 そして私は話したかったことを話したあと、最後にひとつ付け加える。


「ねぇ恵美さん」


「なに?」


「私なんかが言うのもアレだけどさ、幸をよろしくお願いします」


 その言葉とともに下げた頭を上げてみると、恵美さんはいつかのように驚いた顔をしていた。ぽっぽに豆鉄砲というヤツだ。私もすることはあるけれど、人がしているのを見るとなんだその顔はと笑ってしまう。


「ふふふ。恵美さん面白い顔してる」


「夏織」


「な、なに?」


「幸さんは大丈夫よ。けど、任せておいて」


「うん」


 恵美さんは微笑んでくれた。それで充分。どう思ってくれているのかちゃんと私に伝わったから。私も幸も愛されている。恵美さんなりに愛してくれている。そっと撫でられた髪にその愛情を感じつつ、いつか恩返しができたらいいなと私は思う。


「あとさ」


「なに?」


「お手柔らかに」


「それは出来ない相談ね。幸さんだってそんなこと望んでいないでしょう?」


 なぜかいきなり不敵に微笑みだした恵美さんに頷いて、負けるな幸と私は思った。

 それにしても転職が私じゃなくてほんとよかった。


「絶対むり」



 恵美さんはいまだ不敵に微笑んでいる。その目がどこに向いて何を見ているのか、私にはさっぱり分からない。

 凄く怖いから、私はカウンターに目を向ける。楽しそうな由子の姿に癒されようと思ったのだ。


「くくく。あの腹ぺこ」


 その由子はもぐもぐと思い切り頬をふくらませている。隣の女性が頬に付く食べかすを指で取ったりなんかしちゃっている。その女性は何時ぞや由子が泣いていた時、側に来て慰めていた私も知ってる二十七歳Aカップ、瑞稀(みずき)さんだ。


「ふふふ」


 ふたりはとてもいい感じ。歳の差が少しあるけれど瑞稀さんはとても優しい女性だから、どう転んだとしても、色々と初めての由子にはいい経験になるだろう。

 にしても…


「リスか」


「リスね」


 私は恵美さんに目を向ける。いつの間にか戻って来てくれた恵美さんは更に訳の分からないことを言った。


「由子にキャンディを買ってあげようかな」


「キャンディ?」


「コーヒー味のね」


「あー、って、昭和か。あだっ」


「黙りなさい」


 驚くことに恵美さんが私の足を蹴ったのだ。初めてのことに私はやっぱり嬉しくなった。


「もう、痛いな。恵美姉さん」


 私が言いたいことを言ってやると、恵美さんはごめんねと私の髪をぽんぽんして優しく微笑んでくれた。


「えへへ」


 この関係も変わっていく。より強くなる。そう。つまりはそういうことなのだ。



 そして私は今更ながらに気づいてしまった。

 こうして幸せなことばかり続くのは幸が恋人になってくれてからだ。なるほど幸はその名の通り私に幸せを運んでくれているのだ。幸だけに。


「ありがと幸」


 ならば明日か明後日、愛情いっぱい私の想いをたっぷり込めた美味いタンシチューを食べてもらうことにしよう。


「幸。会いたいな」


 そして私はソレを美味そうに食べる愛しの幸に想いを馳せる。





PCの調子が悪くてスマホを使ってみたらなんか手こずりました。くそう。


けれど私は頑張った。さすが私。えらいえらい。


読んでくれてありがとうございます。

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