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woman  作者: しは かた
57/102

第四十九話

続きです。


よろしくお願いします。

 


「おー、本当に綺麗だねー」


 意外だーとかそんな台詞は定番中の定番だ。こういう時は誰もが口にするものだ。だから幸がそう言ったのも頷ける。


「屋敷さんもそう言ってましたよね」


 とっとと部屋に上がり込み、さっそくあちこち物色しだした幸が漏らした言葉にリフォーム済みですからと返したあと、(くだん)の女性、主任、遠藤亜紀(えんどうあき)さんは私に顔を向けた。今その顔は笑顔。さっき、初対面の幸に何か言われてびびっていた名残りは少しもない。この前わたしが受けた印象と同じ、明るくて懐っこいヤツだ。


「そうだっけ?」


「すっとぼけたっ?」


「ふふふ」



 遠藤さんはまた幸に目を向けた。不動産屋さんの隅で幸と何を話したのか知らないけれど、幸のことを悪く思っていないみたい。その顔は笑顔だから。

 ならそれでいいかと私は思っている。やはり知らなくていいことは知らなくていい。知りたくなったら幸に訊けばいいのだ。


 その幸は楽しそうに部屋をうろついている。凄く生き生きとしていて、私はあんなにはしゃいじゃって何やってんだかと思いながらも、楽しいものは楽しいのよと浮かれている幸を見ている。可愛いから。


「楽しそうですね。市ノ瀬さん子供みたい」


「実際、幸は楽しんでる。あ。あげないから。幸は私のだから」


「わかってますよー」


 遠藤さんの手が私の肩をちょんと押した。もうってツッコむ感じ。

 彼女はあい変わらず距離感零だし、ボディタッチングも控え目ながらも健在だ。

 私はわざとらしくよろめいた。


「ととと」


 けれど、遠藤さんのそれはこの前のそれとは意味が違うから私はもう気にしない。

 それについては幸がきっちりと釘を刺したようだし、車でここに来るまでの間に私はおふたりの同胞ですよと、幸が既にそう教えてくれていたけれど、彼女は私にも自分の口からちゃんと教えてくれたから。



「けど、見るだけならいいよ。減らないから」


「じゃあ遠慮なく」


「なんで私を見るの?」


「私は面白おかしい人がタイプですから」


「どういうこと?」


「いや、ですから、ひっ」


 野生の勘がそうさせたのだろう、幸が私達をというか遠藤さんを振り返った。笑っているけれど顔が怖い。

 ほー、また口説いてんのかもう一度釘を刺ささないとダメね今度は体に思い切りやらないといけないかしらと呟きながらぽきぽきと指を鳴らして近づいて来る様は私でも恐ろしい。


「じょ、冗談ですって」


「そう」


 やってやると、詰め寄る幸と後退りする遠藤さんがわちゃわちゃやりだしたのを視界に収めながら、私は幸にバレないようによっしゃと小さく拳を握った。

 苦節三十一年と少し、勘違いかもしれないけれど、もしかしたらアレかもしれないのだ。アレ。ふふふ、やったっ。


「ついにモテ期が来たなっ。長かった。てかもう要らないんだけど」


「そうよ。夏織は私だけでいいの」


「うん。そんなの当たり前だから」


 幸が私の傍に来てうふふと私を見つめている。私もゆるふわーく微笑んで幸を見つめて手を伸ばす。

 唐突に桃色的な雰囲気を醸し出した私達。幸せオーラ全開放だから。



「なんだよー、この人たち。急にいちゃつきだしちゃったよー」


 遠藤さんが呆れて何か言っているけど聴こえない。私達は今は見つめ合うので忙しいし、それに彼女は同胞だから、その存在すら気にする必要もないのだ。


「そうそう」


「いや、せめて存在は気にしてください。お願いします」


「え。なんで?」


「なんでって。はぁぁ」


「あはははは」


 幸は笑いながらため息を吐いた遠藤さんをぽんぽんやって慰めている。

 なんだかんだ言っても、幸は彼女を同胞として気に入ったのだと思う。今となっては私もそう。一期一会、折角のご縁を大切にねというヤツだ。





 さて。なぜ私達がこの部屋を見にきたのか。それは幸がここも候補にしようと主張したから。


 転職を決めた幸はそれを理由に今の仕事を流すことなくばりばりとこなし、平日の夜とか私と過ごす休日には資格の勉強を、かつ、私の相手もしてくれて、更には私達の住む家についてもちゃんと考えてくれていた。


 家探しは私の担当だから、それについては私も真剣に取り組んでいるけれど、それでも幸に対して私の頭は下がりっぱなし。足蹴にすることはあっても、足を向けては眠れない。


 勉強とか大変なのにありがと幸とお礼を言えば、やっぱり幸は、私の髪をそっと撫でながらふたりのことだし私も何かしたいから気にするなと微笑んでくれる。


 やはり幸は、甘くて美味いヤツを減らそうと、帰り道にある駅ビルのスイーツコーナーとか、デパ地下とかスーパーとかコンビニとかのスイーツ売り場に近づかないように頑張っていたけれど、見るだけなら私だって大丈夫だからとそこへ行って長い時間あー美味そうだなぁとスイーツ達に見惚(みと)れていたら店員さんに話しかけられて、これとこれは今だけの限定ですよ凄く美味しいですよなんて言われるがままつい、じゃあそれとそれ、ついでにこれもくださいと買ってしまって、会計を済ませたあと私はほんの少し自己嫌悪に(おちい)ってしまったけれど、どうせ食べるのだから気に病んでいたらもったいないなとそれをすぐに追い出して、えへへ、買っちゃった美味そうだなぁと、にこにこ顔で部屋へと帰って物件でも検索すっかとやっているすっぽんな私と違ってまさに月。美しくて頼れる愛しの女性なのだ。


 そして、なぜそこも候補に入れたのか幸の考えを聞き終わったとき、忙しいのにちゃんと考えてくれてるなんて、幸、愛()ているよと私は思った。ふへへ。



「この四つに絞ろう。夏織はどう思う?」


「え、なんでここも?」


「だって、ねっ」


「いや、そんなわかってる癖にみたいな顔されてもさ。彼女のこともあるし、敢えて選ぶ意味がわからないんですけど」


「えーっ。伝わらないの?」


「うんっ」


「ななっ」


 私は笑顔で自信を持って返事をした。分からないものは分からないのたから、以心伝心、伝わらなくてもそこは仕方ないことだ。そう思って笑顔のまま幸を見ていると、幸はわざわざ立ち上がってどんっどんっと地団駄を踏んで悔しがった。


「もうっ。なんでっ、なんでっ」


「ちょっ幸、面白いけど落ち着けって」


 私は幸を宥めながらもはははと笑ってしまう。だって面白いから。

 付き合い始めてほぼ毎週末をふたりで過ごしてきたから、優秀で聡明な幸と言えどもだいぶ私に感化されているみたいだけれど、その面白さは幸の持っていた元々の資質。

 だから、こうして幸がたまに壊れてしまうのは決して私のせいではないと言っておく。寧ろ、それを開花させた私は偉いと私は思うの。


「そうそう」



「ふー」


 少しして落ち着いた幸は私の隣に座って、だからぁ、と話を始めたのだった。真剣なその顔は、なんで伝わらないのかなぁと半ば呆れ顔。私は幸に笑顔を向けた。


「さーち」


「なぁに」


「わかるかっ」


「くっ」




 気を取り直した幸は、私の厳正なる審査がどうのこうのと私にちゃんと伝わるように言葉を噛み砕いて話し始めた。


「長いな。まだ続くの?」


「いいの。わかってくれないんだから」


 それから、ほっい、これ見てとタブレット端末を私に渡した。


「その四つ。どう?」


 最初からやり直すから長いんだよまったくと思いながらも私はそれを受け取って、えーどれどれとチェックする。


「うーん」


 と、ちゃんと悩む振りまでしてあげてから、再び何故にと思うことを口にする。ここまでがやり直し。馬鹿くさくもあり少し楽しくもある。


「この三つはいいと思う。けど、最初のヤツが入ってる。なんで?」


「そのマンションがある区はさ、というか私が選んだ物件全部だけど、パートナーシップ制度を導入しているから。今はともかくこの先必要になるかもしれないし、物件自体悪くなさそうだからね。外せないと思うよ」


「うーん。あそこは悪くなかったけど、案内してくれた人が怪しいでしょ。知られたりしたら面倒じゃないの? そこは幸的にどうなの?」 


 幸の言うことは分かる。住む自治体にパートナーシップ制度があればいざという時にはそれを利用するということだ。


 住む自治体にその制度がなければ、利用するためには導入している自治体に引っ越さなくてはいけないとか余計な手間は増える。けれど、それをしなければ採れる選択肢が少なくなってしまうのだから。


「あー、浮気相手ね」


「あほ。違うから」


「あはは」



 私のそこそこセンサーではよく分からなかった彼女が同胞かも説。

 彼女の方は私がそうだと思っていたと思う。彼女が始終見せていたあの言動はたぶんそういうことだ。たぶん。


 私は意図せず誤魔化せたみたいだったけれど、一度はバレたことには変わりはない。だから私は、敢えてまた彼女に触れなくてもといいんじゃないのと思う。幸と一緒に見に行くことは避けた方がいいのではと思う。私がそうだと気づいた彼女のセンサーは優秀だから。

 つまりこれはアレ。君子は危ないヤツには近づかない、虎穴に入ってはいけないパターンのヤツだと思うから。


「そうじゃないの?」


「まあね。けど大丈夫。私がちゃーんと確かめるし、ちょいと話もするからさ。そこは任せてね」


 その瞬間、幸の目が光る。何かあろうものならとその口の両端が上がっている。両手は何かをくいっと締めている。幸の中の猛獣が目を覚ましたのだ。


 そりゃあ、幸の優秀なセンサーなら一発だろうけれど、それを確認して幸は一体何をするつもりなのか。


「えっと。幸? 話すって、なにを?」


「釘を刺すだけ。いいから私に任せておきなさい」


「うへぇ」


 にやぁ。真っ直ぐ前を向いたまま笑う幸。私に被害は全くないと分かっていても、私がつい口にしてしまったくわばらは仕方のないことだ。だっていま私はぶるってなってぶわわぁって鳥肌が立ったから。思わず両腕を擦ってしまう。


「さむい」


「ん? 平気?」


 けれど、その手で私の頬に触れる幸の顔に浮かんだ筈の獰猛な笑みはとても優しい笑みに変わっていた。私も自然と微笑みを返す。


「ねっ」


「わかった。幸に任せる」


「よろしい。それにね」


「なに」


「もしも夏織の浮気相手さんが私達と同じならさ、きっと色々と力になってくれると思うんだよね」


「あー。なるほど。その発想はなかったな」


 同じ立場の人間なら私達の事情とかそういうのを考えて動いてくれる。幸が言いたいのはそういうことだ。

 私は疑り深いから、そうそう上手くいくのかなと思ってしまうけれど、幸は何やら自信たっぷり余裕の表情。それは幸に任せておけば大丈夫。そう思わせてくれるヤツ。

 だからきっと大丈夫。いけるいけると、私は幸の言に従うことにした。



「だから、ね」


「わかった。また予約しておく」


「よしっ」


 両手を握り今回は伝わったぜと喜ぶ幸は何の心配もいらないよと私に向けて微笑んだあと、また前を向いて、ふっふっふっと不敵に笑っている。


 それだけ説明してくれればなんだって伝わるけどねと思いながら、幸がこのまま高笑いを始めたらどうしようと、それはそれで怖過ぎるなと思いつつ、これからはあまり幸をからかい過ぎない方がいいのかもと、私はちょっとだけ思ってしまった。


「まぁ、やめられないけど。幸は超面白いからなっ」


「夏織の方が面白いよ。そこは譲れないね」


「いや、幸には負けるから」


「くくく。それは私の台詞。私は絶対に夏織には敵わないよ」


 なにを馬鹿なことを、夏織ったら面白いと幸は笑った。その目は優しさが溢れているけれど、その中にやれやれ感が混じっているのは確実だ。多少の憐れみまで伝えてきやがるような気もする。


「全部伝わってるぞ幸っ。うりゃー」


 私は両手の爪を立てるようにして幸に襲いかかった。幸はマイウエイで観せてくれた棒読みのぽんこつ芝居でそれを受け止めてくれた。


「こわーい。やめてよー」


「逃げるなー」


「きゃー。だーめー」



 そのあと暫く、私達はいちゃいちゃしていた。ばたばたとやりながらふたりして床に転がったり、幸の上に乗った途端、重いねーと言った幸に制裁を加えたり、ふぐぅと声を上げた幸を笑っていたら左耳に悪戯されてうひゃってなったり、触れるようなこそばゆいキスしたり抱き締めあったり。


「ね、夏織」


「ん」



 最後に交わした長いキスのあと、おでこを付けてくくくと笑ったり、床に転がったままくっ付いて、ふたりで一緒にまったりとしたりして。



「実は部屋を見たかっただけじゃないの?」


「んー。べつにいいでしょー。見るのって楽しいもーん」


「まあね。一緒ならもっと楽しいし」


「そういうことー」


 間延びした幸の声。ここのところ、普段にも増して忙しい幸が、こうしてお(ねむ)になってしまうことを私は分かっていた。


 その証拠に幸は、くふわぁぁぁと豪快に欠伸をした。脳に酸素が足りないのだ。それに糖分も。

 それは私もだったりするんだけれど、ソレは冷蔵庫にしまってあるからこの手は届かない。幸がくっ付いているのだから今はどうしようもない。時には諦めることも肝心だ。それは私の得意分野だから私は泣いたりしない。うぐ。



「んー」


 もぞもぞと私の胸に潜り込んでぐりぐりと顔を擦り付けた幸。

 私は幸を優しく抱いて、そのあと私も欠伸をした。幸のヤツが移ったのだ。共感だ。


「ふわわ。ここで眠る? ベッドにいく?」


「うーん。このままで」


 午後三時。ちょうどおやつの時間だけれど私はちゃんと我慢する。幸より大事なものは私にはない。幸と甘くて美味いヤツなら、私にはぎりぎりで幸だから。


「なーんだ。ぎりぎりかー」


「そうだよ。当然でしょっ」


「まぁいいかー。結局は私だからねー」


「そうそう。私には幸だから」


 幸はへへへと笑って満足そうにまたぐりぐりとやったあと、すうっと寝息を立て始める。


「おやすみ幸。私も眠るけどね」


「ん」


「いい夢みてね」


「ん」



 ちなみにこのとき私のみた夢は、幸からの手紙に涙するというヤツだった。目を覚ました時には内容はよく覚えていなかったけれど、私の瞼は確実に濡れていた。


「なんだ今の夢」


「大丈夫?」


 焦った私は幸の袖で目を拭きながら直ぐにそれを聞いてもらった。誰かに話せばその夢は正夢にならないと、何処かで聞いた記憶があったから。


 話し終えていまだ瞼に残る涙らしき跡を拭きながら、私は素直な気持ちを漏らした。


「いやまじ焦った」


「そっか。けど夏織はなんか食べてたみたいだけどねー。嬉しそうに笑ってたし、口もむにゃむにゃって動いてた」


「え」


「もう食べられないよとかなんとかいってたなぁ」


「…うそだね」


「いや、ほんと」


「まじ? あの伝説の?」


「そう。伝説の」


 いやぁ、まさか夏織の口から伝説の寝言が聞けるなんてやっぱり夏織は面白いねと幸がくくくと笑っている。

 いやいやそれは私のネタでしょと私は思う。


 いやちょっと待てよと頑張って思い出してみる。


「うーん」


 手紙は確か箱の上にあって、これあげる、今は忙しいから落ち着いたら構ってあげるから的なことが書いてあったような。箱を開けたら甘くて美味そうなヤツがびっちり詰まっていたような。その箱にはリボンまでついていたような気がしないでもない。つまりアレは、寂しいけれど悲しい話ではなかったような…


「するとまさかの嬉し泣き?」


「あはは。かもね」


「なんだよもう。あー、よかったぁ」


 私は幸に抱きついてほっと息を吐いた。伝説のヤツは悔しいけれど、悲しい手紙ではなかったのだから良しとする。そのうちに幸が私に美味そうなヤツをくれるのも分かったし、暫くは忙しくてすれ違うかもしれないけれど、いずれは落ち着くのだからまぁそれも良しとする。

 ああ、美味そうなヤツは何だろうと私は期待してみたところではたと気づく。


「話しちゃったよ。それじゃ正夢にならないじゃん」


「あはは」


「ねぇ。幸は私の夢の話なんて聞いてないよね? ねっ、ねっ」


「聞いたよちゃんと。はい、残念でした」


 私は全てを無かったことにしようと試みたけれどやはり無理だった。だから甘くて美味いヤツは私の元にきっとこない。幸の言う通りとても残念だけれどこんな時は得手してそういうものだ。だったらせめて、夢の中で食べておけばよかったのだ。


 何やってんだよ私の馬鹿と私は思った。


「くそう」






 と、そんなことがあって、いま私達はこのマンションを見に来ているところ。幸がはしゃいでもいるところ。



「やっぱ綺麗だよね。設備も最新ぽいし。だた、寝室、っていうか、あっちの部屋が少し狭い。六畳だっけ。八はほしかった」


 畳で言うのは馴染み深いしイメージし易いから。私の場合、平米だといまいちよく分からなくて、一畳は何平米だっけかと頭の中でいちいち考えててしまうのだ。

 つい分かり易い単位に変換してしまう。私の思考回路はそういうふうに出来上がってしまっている。


 ついでをいえば、以前なんでかやる気を出してこっそり通っていた私の英会話が上達しなかったのはそのせいだ。例えば、タイムイズマネーを時は金なりと、やはり頭の中でいちいち日本語に訳してしまうのだ。タイムイズマネーはタイムイズマネー、スタマックエイクはスタマックエイク。頭の中でそう認識するべきなのだ。決してぽんぽんペインなんかではないのだ。ちっ。




「向こうの部屋は七畳弱です。まぁ、マンション基準ですから実際の広さはそんなものですね」


 そして私は我に返って、何事もなかったかのように遠藤さんと話をする。

 思考回路が英会話向きではなかったとしても、私にだって得意なことはそれなりにある。私の切り替えの早さは幸も認めるところだから。


 そう思ってつい胸を張る私。一瞬、それを不思議そうにした遠藤さんは、見事なスルーを披露して私の相手を続けてくれた。


「だよね。お風呂も広くてキッチンも使いやすそうでいいんだけど、そこがなぁ。収納もたっぷりあって悪くないんだけどさ」


「寝るだけだからべつにいいんじゃないのー」


「聞いてたの?」


「聞こえたのー」


「なるほど」



 幸は屈んでキッチンのシンクの下を覗き込みながらそう声を上げた。

 水漏れでもチェックしたいのかなと遠藤さんは思ったのだろう、水は止まってますよと声をかけている。

 けれど残念。今の幸はただ単に扉があればそれを開きたいだけ。その中を見てみたいだけなのだ。それも幸にとってはお楽しみだから。

 たぶん、全ての扉を開けて弄るものが無くなってしまったら電気のスイッチをぱちぱちとやり出してまうだろう。幸にとって、つくつかないはどうでもいいのだ。弄りたいだけなのだ。



「おー。降りてきたよこれ。しかもゆっくり。すごいねー」


 シンクの下に満足した幸は立ち上がって、次はキッチンの上にある扉を開けてはそこの棚を降ろしている。

 引くとゆっくり降りてくる棚に合わせてうぃーんと呟いている。棚ですら遊び道具にしてしまうとはさすが幸。それを何度も繰り返している。


「うぃーん。あはは。うぃーん」


 なにしてるんですかあれは。遠藤さんはそう言いたそう。

 私も一度やれば十分じゃないのと思うけれど、楽しそうな幸を見ていれば可愛すぎだなおいと私は顔を綻ばせる。


「ふふふ。ぐうかわか」


「はぁ。ご馳走様です」


「昭和か」


「ほっとけ」


「ふふふ。いいね」


 私がツッコむと空かさず返す遠藤さん。なかなかやるなと私は思った。




 どうやら棚に飽きてしまって、次の遊び道具を探し始めた幸はちょこまかとこの部屋を探検しだした。


 それはまるで、幸は新しい玩具を前にした子供ように、それで何ができるのかと色々試しているみたいに思える。私はそんな感じの子供だったと思うからたぶんそれで合っていると思う。この部屋は売主の物だから、玩具売り場にあるお試し的な物で適当に遊んでいる感じ。


「おっ。これはなにかな?」


 私と遠藤さんは話をしながら微笑ましげにそれを見ている。この部屋に来てから幸が何かをするたびに。


「親か」


「ですね」



 その幸は、寝室が狭くね? という私の意見を、寝るだけだからいいじゃないとか言っていたけれどそんなことはあり得ない。


「やっぱあの部屋、もうちょい広さがほしいなぁ」


「そうなんですか? でも、私も寝るだけならこのくらいあれば十分だと思いますけど」


「甘いな」


 夜毎(よごと)私を襲ってがっつりと愛してくれる癖にどの口がと、私は幸がしてくれることのことを思い浮かべてしまった。


「…ぐへへ」


「なぁに夏織」

「どうかしました?」


「なななんでもないからっ」



 これでもかというくらい充実している幸との夜を思い出し、ふたりには分からないように顔を逸らしてだらしなく頬を緩めた筈の私に目敏く反応するふたり。幸はいつの間にか傍にいて何やらくすくすと笑いながら、こんな感じなの、可愛いですねとか言っている。


「くっ」


 なんかバレたなと思ったけれど、私は敢えてすっとぼけて、赤い顔のまま強気で言ってみた。


「なに」


「夏織、顔真っ赤」


「あ。本当ですね。大丈夫ですか?」


 調子に乗った幸が畳み掛ける。何も分かっていませんよ、私に悪気は無いんですよという感じ。それに乗っかった遠藤さんも似たようなものだ。


「う、うるさいな。大丈夫だからっ。あ、あそこ汚れてる」


 私はその場をあとにする。あたかも壁のシミが気になる体で。


「ふふっ。本当に仲良しですね」


「まあね。あはは」


「ほら、ここ汚れて…ないな。くっ」




「夏織?」


「ふふっ」


「はっ」


 私はとことこと壁際までいって汚れをチェックしたあと、気づけば無意識に壁を叩いたりして丈夫だなぁとか呟いて意味の分からないことをやっていたのだ。こわい。


 恐る恐る振り向いてみると、幸と遠藤さんは笑っていた。


「凄く丈夫。この壁かちかちだから。かちかち」


「よかったね」


「まあね。って、なにが?」


「さぁ? 私が訊きたいよ?」


「だよね。くっ」




 いま私は壁に向いている。なんか居た堪れないから。

 すると、幸が私の側までやって来て、気にするなと私を優しくぽんぽんと叩いたあと、またうろうろとやり出してまだ手を付けていない扉という扉をぱたぱたと開けてはやはり、おーって声を上げてうんうんと頷いている。


「すごいねー」


「ねぇ、なんか凄い仕掛けとかあったりするの?」


 私は遠藤さんに視線を向けて、あのクローゼットと指を差すと、見取り図を確認して遠藤さんは律儀に答えてくれた。


「さぁ? あそこは普通の収納ですけど。天板もずれませんし…」


 壁を叩いていた私も私だと思うけれど、ウチの相方がなんかすいませんねぇと私は思う。


「…だよね」




 幸はきっと楽しいのだろう、探検は終わらない。スイーツのこと以外はどこか冷めている私と違って、幸は楽しければいつだって全力なのだ。


「ふふふ」


 幸のはしゃぎっぷりに、遠藤さんも始めは驚いて口をあんぐりとしていたけれど、今はもう慣れたもの。


「古い造りを今風にしてあります」


 なんて説明してくれている。そんなものは見れば分かるのだから、それについて何か言わなくてはと、どうにかして絞り出しているのだ。



「おー。なるほど」


 なんて頷く幸。けれどあの感じはあんま聞いてないヤツ。それを分かっていても嫌な顔ひとつせずに説明している遠藤さんはやはりプロ。

 プロって凄いんだなと私は思った。



「ここもいいね」


「これはですね」


「ほうほう」





 粘り強く幸の相手をしてくれている遠藤さんは私達と同じ。全てを知った上で、私にお任せあれと言ってくれたと幸は言った。


 ここに来る前、不動産屋さんで、幸がちょっととか言って遠藤さんを隅に連れて行いって少し話し合っていたのだ。

 それは私には高校生の頃に見かけたヤツ、お前生意気だわ締めるからちょっと来いやとトイレに連れ込む的な感じがした。


「いやアレはこわかった」


 そうは言っても、実際のところ、単なる私の思い込みだったそれは遠藤さんを納得させるには十分だったらしい。


「じゃあよろしくね」


「ええ。任せてください」


 なんつって、幸と遠藤さんは和気藹々と私の元に戻ってきたのだ。


 幸が何をどうして、遠藤さんが何をどう納得したのかは分からないけれど、まあまあそこそこの私でも、たぶんいいの方に転んだんだろうなと何となく分かった。


 とまぁ、今の状況は、とにかくそういうことだ。


「そうそう」


 だから遠藤さんは今、同じ立場の私達に対して本気で親身になろうとしてくれているのだと思う。

 幸はもちろんのこと、私のそこそこセンサーもそう判断している。


 ぴーーー


 こんな感じで、この人に悪意はないから大丈夫だぞと、安全だぞと、さっきからずっとフラットのまま。



「お二人の話、聞きました」


「そうなの?」


「ええ。もしもここを買うなら、私に何かできることがあれば喜んでお手伝いしますよ」


「まじ?」


「当然です。同じビアンですから」


「そっか。ありがと」


「当然です。仕事ですから」


「は?」


「冗談です」


「はーはーはー」




 部屋を出た帰りの車の中で私は考えている。

 先に誰かに買われてしまわない限り、たぶん、私はここを買うことになると思う。


 寝室にするつもりの部屋はあまり広くないけれど、他の条件はクリアしているし、帰ってから幸に確認して、幸がいいよと頷けば問題はないということだ。


 それに、物件を買うに当たり、遠藤さんが私達の唯一の窓口になってくれるのなら、不特定な人達に知られてしまうかもという不安もだいぶ減る。そうできるならそれに越したことはないわけだし。


「だな。いける」


 遠藤さんが力になってくれるというのだから私は遠慮はしない。頼れるところは目一杯頼ることにする。

 だって助け合いは大事。面倒く…できないことはその道のプロに助けてもらうのが一番いいのだから。


「完璧過ぎる」


「そうだね」


 幸と私は頷き合う。にこっと笑ってよろしくねと遠藤さんに顔を向ける。


「なんかそれだと一方的に頼られるだけな感じがしますけど…」


「仕事でしょう?」


 なんか大変そうな気がしますと若干引き気味の遠藤さんに幸が笑いながらツッコんでいる。


「もちろん、契約してくださるなら当然きっちりとやりますけど」


 顔を引き締めてそう言った遠藤さんを見て、彼女になら頼れそうだなと私は思った。隣の幸も頷いている。

 そして私は思いついたことを彼女に提案してみる。


「大丈夫。ちゃんとお礼はするから」


「お礼ですか?」


「うん。今度、幸とふたりでマイウエイってバーに連れていくから。たらふく呑んでね。ね、いいよね幸?」


「いいよ。もちろん」


「えっと。マイウエイっていうと、あの老舗中の老舗と名高いけど、実在しているのかもわからなくてみんな噂でしか聴いたことがないという、あの?」


「そうなの?」

「へぇ、そうなんだ」


 驚くほどに喰い付いた遠藤さんは私達の呟きなど聴こえないくらい盛り上がって、今時ホームページも載せてないし、場所もよく分からないし、そこで働く女性達も、お客さんも綺麗で素敵な大人の女性しか訪れないとかって、みんなの憧れ、もはや伝説のお店ですよ伝説のとか言っている。


「まじ?」


 あのホラーハウスが本当にそんな扱いなのと私は幸を見ると、幸はいや知らないよと首を横に振った。


「だよね。びっくり」


「あはは」


「うわぁ、それは楽しみです。どんなところなのかなって、仲間内で話していたこともあったんですよ」


 私達のやり取りにまたも気づかなかった遠藤さんは興奮したままだ。その夢を壊すのは忍びないから私はなにも言わないでおく。隣の幸も頷いている。

 そして、やはり万が一、営業妨害です訴えられても困るから、マイウエイがどういうバーなのか、彼女自身の目で確かめてもらうことにする。たとえ現実が残酷で無惨で救いようのないものであったとしてもそれは私の知ったことではない。隣の幸も苦笑しながら頷いている。


「ああ」


 楽しみですと浮かれている遠藤さんを見て、知らないって幸せなんだなと私は思った。隣の幸は忍び笑っている。酷いなおいと私は思った。



 けれど、ちょっと可哀想な気もするから少しのヒントくらいは与えてあげてもいいだろう。笑う幸と違って私は優しいから。


「いや、あそこはね、ほんとまじすごいところだから。ほんとまじですごい。ね、幸」


「まぁね。くくく」


「おー。そうなんですね。どんな感じかなぁ。楽しみだなぁ」



 そんなことを言いながら嬉しそうに微笑む遠藤さんの顔がバックミラーに映っていた。


 なんかごめんと思いながら、私は窓に顔を向ける。

 当然、笑うためだ。





長かった…


なんかごめんなさいと私は思った。

けれど私は気にしない、ようにしたい。書いちゃったものは書いちゃったから。だから大丈夫。いけたいけた。あだっ。


見放さずお付き合いしてくれている皆様、これからもよろしくです。


読んでくれてありがとうございます。

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