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woman  作者: しは かた
53/102

第四十六話 前

続きです。

ちょっと長いかなということで前と後とに分けました。

こちらが前になります。


よろしくお願いします。

 


「「ただいまー」」


 声を揃えた私達は今、デートから帰ってきたところ。

 湯島でお参りしてから上野をまわってインカ帝国展的なヤツを見たその帰り、餃子が凄く美味しいんだよと幸が連れて行ってくれたお店で夜ご飯を食べた。それは確かに美味かった。



 幸は生ビールをごくごく飲んで餃子を追加してはそれをもりもりと食べていた。私も私のペースで一皿目、というかそれ以上は食べないけれどそれを食べながら、幸はもう、軽く三十個はいってるよなと思ったそばから、幸は手を上げて気持ちよーく厨房に声を掛けていた。


「もう一皿くださーい。あとご飯もお代わり」


「はいよー」


「まじか。さすが幸。かっこいいな」


 私は餃子定食の付け合わせ、ザーサイをぽりぽりと齧りながらビールを飲んでいる幸を素直に称賛したけれど、そのあとニヤつきながら放った幸のふざけた台詞にも、私は素直に蹴りをくれてやった。


「ぷはー。まぁね。夏織ももっと食べなよ。美味しいでしょ?」


「美味いよ。けど私はこれで十分」


「痩せちゃうよ?」


「うらぁ」


「あだっ」



 こうしてわいわいとやりながらも、餃子は美味かったし幸とのご飯はいつものように楽しかった。


「「ご馳走様でした」」


「美味かった」


「ね」



 会計を済ませて店を出るとすぐ、幸はいつものようにお酒を呑みたがった。


「ねぇ」


 午後九時前。外はひんやりとした風が吹いていて、やっと涼しくなったなと私が思っていると、くいくいっとやっている野生ではないおっさんが現れたのだ。このあと軽く一杯どうよと私を誘っている。


「おっさんか」


「まあまあ。で、どう?」


「いや、帰るから」


「えー。ちょっと呑んで行こうよ」


 いいじゃんいいじゃんと、もはや幸のお誘いのポーズになってしまった仕草、くいくいっとやり続けて縋る目をする幸はおっさん化。


「ねぇってばっ」


 そのおっさんは可愛い声でしつこく誘ってくるけれど、九月とはいえ残暑の中を歩き回ったから、汗はかいたし日傘を持っていたか弱い腕はぱんぱんだし、外で呑むには私は少々お疲れ気味だった。


「うーん。なんかさ、ちょっと暑さにやられた気がする。今日は呑むと怠くなりそう」


 だから、ベタつく汗を流してから涼しい部屋でゆっくり呑もうよと伝えると、おっさん化していた幸は一瞬にして幸に戻って心配そうに私を覗き込む。


「大丈夫なの?」


「うん。へいき。ちょっと疲れただけだから。アイスを食べれば超余裕だから」


「アイス?」


 幸は目を細める。心配そうな顔はなくなって、さてはアイスを食べたいだけじゃないのと私を疑っているみたいけれどそんなことはない。私は至って真面目なのだ。



「そう。アイス」


 私は重々しく頷いてみせた。

 アイスは冷たくて甘くて美味いから、今日の私の疲れを確実に癒してくれることを私は身をもって知っている。要は薬みたいなものだから、私に不純な動機なんてほんの少しだけしかない。

 百利あって一害なしということだから。



「アイス」


「アイスねぇ」


「アイス。食べたい」


 幸は私を疑ったままさらにその目を細くする。私もやましいことはほんの少ししかないからと、アイスと呟いて幸を見ている。

 けれど、いつまでも餃子屋さんの前で見つめ合っているわけにもいかないから、私はここが勝負の分かれ道だとばかりにゆるふわを発動することにした。


 そんでもって、夏織は昼間も疲れたとか言ってパフェ食べたよね、あのパフェはなんだったのよと言いたげな幸からの謎の圧力を掻い潜るのだ。いざっ。

 私は幸の手をそっと握った。


「あのね幸。スーパーに寄ってさ、幸のお酒と、必要なら摘みも買おう? あとさ、ついでにアイスも。駄目?」


 両手で握った幸の手をリズミカルに左右に揺らす。それをしながら甘えた猫撫で声で、ねぇねぇ幸、すごーくいい考えだと思うんだけどなぁと、小首を傾げてみせる。必殺の瞳うるうるな上目遣いも忘れない。

 けれど暗いからうるうるがよく見えないかもしれない恐れあり。なので私はもう一つ、声でだめを押しておく。


「駄目? ねぇ幸。駄目?」


 確かゆるふわ攻撃四の型(凄く甘える)はこれでよかった筈。

 実は私は疲れのせいで型を崩してしまったかもと急に不安になっていたのだ。


「成功か?」


 けれどそれは杞憂だった。そう呟いたと同時に、幸は溜めることなくいってしまったから。


「かっはぁぁ」


「ふっ」


 そして私はつい鼻で笑ってしまった。幸があまりにも簡単にいってしまったから。

 その様子を見るに、幸はすぐ横にあった電柱に手を添えて体を支え、蹲るのをどうにか堪えている。真っ赤っかの顔で、いいに決まってるでしょう、かは、仕方ない、私が好きなだけ買ってあげると呟いている。


「やったっ」


 好きなだけ。そう言われたからには私は絶対に遠慮はしない。

 好きなだけ。ああ、なんと素晴らしい響きなのか。この星にそれ以上の素晴らしい言葉があるだろうかと、私は少し考えてみる。


「そりゃあるでしょ」


「だよね。あはは」






「それにしても凄かったよ」


「うん」


 私は少し気のない返事をした。それは私が手に持つ袋の中の、幸が五つも買ってくれたアイスが気になって仕方ないからじゃない。


「三体も居たんだよ」


「そだね」


 スーパーからの帰り道、幸はまたこんな感じになった。幸は今日見たヤツの感動がぶり返してきてしまったのだと思う。ぶり返すとか、厄介な風邪かと思いながら私は話を聞いている、振りをしている。優しいから。


「こんなだよ、いやこれくらいか」 


 と、手振りを交えていたり、


「髪の毛とか残ってたんだよ。凄くない?」


 なんて私に説明してくれているけれど、会場を出てからもう何度も聞いたし私も一緒に見たんだから当然ソレを知っている。


 私は金細工とか翡翠の仮面の方が気になって、それをどうにか手に入れられないかなと一瞬だけ思ったし、寧ろ、立ち止まるなと言われてもひたすらソレの姿に魅入っていた幸よりも、ちゃんと説明文を読んで見比べていた私の方が今なら詳しいんじゃないかなとも思う。ただ、私はあまり興味はないから部屋に帰る頃には忘れてしまいそうだけれど。



「すごーい」


 だから私がこうして気のない返事をしてしまうのは仕方のないことだ。

 決して、いま食べ頃な筈のチョコとミルクのジャイアントでコーン的なアイスを食べちゃおうかなとか思って幸を適当にあしらっているわけじゃない。

 かちかちよりも少し柔くなったソレを口に入れると、エアインチョコみたくふわふわした食感が凄く美味いんだよなぁとか、この感じからして絶対に今が食べ頃だよなぁとか思っているわけじゃないのだ。



「それでさ」


「まあね」


 幸は私と見に行ったことを忘れてしまったのか、熱い語りは続いていく。私の返事が早すぎることにも気づかなかった。


 私の相槌いらないじゃんかと、そこはなんだかなぁと思わなくもないけれど、幸は楽しそうに話しているし凄くご機嫌だしアイスも買ってくれたから、私も見たからもういいよ、そんなの知ってるしなんて私は言わない。言えない。そんなことを口走ってしまったら幸の奴は確実にいってしまうから。私は優しいから。


「人間の神秘だよ。アレは」


「いや、幸。そこは人間不思議不思議でしょ」


「凄いよなぁ」


「聞いてないし」


「ん? なんか言った?」


「何でもない」


「そっか。でさでさ」


 私は呆れて首を横に振った。コレはアレ。たぶんラジオ。この一方的に聞かされてしまうヤツを耐え切るには私にはナニが必要だ。(さいわい)にもそれは私の手元にある。


「えーと。あったっ」


 私は袋を覗いて手を突っ込んで、ジャイアントなヤツを取り出した。

 それから私の横でいまだ熱く語っている幸を放って置いて包装紙をびりびりと破り齧り付く。


「むふっ」


 いい具合に溶け始めたそれを一口齧ればやはりふわふわ。私はとても満足だ。

 破った包装紙をちゃんと袋に入れて置く。ポイ捨てなんてもっての外。私はモラルそのものと言ってもいいくらいの人だから。


「うんっ。これこれこの感じ。やっぱ美味いなコレ」


「やっぱり高地は乾燥しているからなのかなぁ」


「食べる?」


「あ、食べる」


 私がアイスを幸の口元に持っていくと、幸はそれにぱくついた。


「んんっ。なにこれ美味しいねっ。ふわふわしてる」


「でしょ」


「もう一口ちょうだい」


「はいどうぞ」


 なんかふわふわで美味しいねと幸は微笑んでいる。

 ああよかったと私は思う。

 愛しの幸は遥か彼方のインカ帝国から私の元に戻ってきてくれたのだ。私はアイスひとつで帝国に勝ったのだ。


「もう一口」


「もうあげない。なくなっちゃうし」


「えーっ」


「うそうそ。はいどうぞ」


「やった。あむ」





 私達は今日、陽の当たる街に普通に出掛けて普通に過ごしてきた。

 それはデート。街にごまんといる恋人同士のうち、どこにでもいるカップルのしたどこにでもあるデート。

 恋人同士が休みの日にする、どこかに行って何かをしてご飯を食べて帰る、話して笑って触れ合って過ごすありふれたヤツ。私達の記憶にしか残らない筈のデート。それだけ。だから私達の視点から言えば、私達はなにも悪いことなどしていない。


 幸とふたりでどこかに出かけることは楽しいし、デートだからと浮かれて多少はいちゃいちゃしたけれど、それでもやはり私達は友人同士に見えるように気をつけていた。私達はそんなデートをした。

 それは既に身についたいつもと同じヤツ。私達は、ぼろは出さなかった筈だし周りから変に思われなかった筈。


「うん。大丈夫」


「ね」



 抱えているモノを極力隠そうとする私達はそんなふうにして自然と弁える。社会的に置かれた立場を考えて弁えてしまう。

 けれど、隠しているモノがあるということは引け目を感じてしまうということだから、バレないようにと行動することは、そんなのは当たり前のことだ。


 私の場合は私達の楽しい気分に水を差されるのは嫌だから。

 楽しそうな私達を見て何を思うかはその人達の勝手だけれど、あれ見よがしに後ろ指を差されてひそひそと何かを言われたり、何か言いたげにこそこそされるのはまじ勘弁御免だから。


「まじまじ」


「ね」



 それにしてもと私は考える。

 まったく、肌の色や人種で差別や蔑視はいけませんよと宣言がなされてからもう何年経ったのか。いまだに燻るそれを思えば、私達のことも長い道のりになるのは当たり前。


 持って生まれた身体的な特徴や抱えたモノをどう変えろというのかと思うけれど、そんなことにすら思い至らず、他人の痛みすら理解できずに気に入らないからと攻撃する人間なんて腐る程いるし、ネットの世界ならそれこそ掃いて捨てるほどいるのだ。いちいち反論していたらそれで人生が終わってしまうだろう。


 多様性とか言っちゃってるこの社会はそれを謳うだけで何かをすることはない。成熟しているようでいまだに幼いこの社会にはそれを謳うだけでは意味がないんだからなと思う私はもう、誰も分かってくれないとかこの社会が悪いんだからなとか思うほど青くはないし、私は進んで行ける方へ、ぶつぶつ文句を言いながら幸と仲良く進んでいくだけ。

 私は、私達について何かあるたびに、なんだかなと、面倒くせえなふざけんなと、この社会は本当にくそったれだなぁと心からそう思っているだけだから。



「はぁ」


 そりゃあ、一人の人間として成熟しつつある私だって、バレないように気をつけるとか弁えるとかなんだよそれと思うし、本当に面倒くさくて嫌になることもある。

 慣れているとはいえ、私達だって陽の当たる場所で堂々と恋人との時間を謳歌してもいい筈なのになと、悔しく思う時もある。

 けれど私は、今生ではできないことがあることも分かっている。そんなこと、私はちゃんと分かっているのだ。

 未熟でくそったれな社会に比べれば私は明らかに成熟しているのだ。別段嬉しくもないけれど、大人の余裕をかましておくというヤツだ。



「ねぇ幸」


「おいで」


「ありがと」



 私達は帰ったばかりで扉が閉まった玄関にいてまだ靴も脱いでいない。それでも幸はそんなことはお構いなしに移ろう私を抱き締めてくれた。


「よしよし」


 その、優しくて力強い幸の抱擁は、私を守りながらも励まして癒してくれる幸ならではの特別なヤツ。私が特別に感じる凄く好きなヤツ。

 と言っても今は幸の服から餃子の匂いがしているから少し残念なヤツ。まぁ、私も同じものを食べたのだから私の服とかも匂いがするのだけれど。


「餃子。あと汗も少し」


「嫌?」


「全然」


「だよね。あはは」


「髪にも付いてるかな?」


「どれどれ」


 幸は私の髪に鼻を埋めるようにすーっと匂いを嗅いだ。いや、鼻先が少し触れるくらいでいいのになと私は思った。


「どう?」


「餃子というより汗かな?」


「嫌?」


「ちょっとだけね。あはは」


「ていっ」


「あはは。じゃあ、とっととシャワーでも浴びようか」


「あ、幸。もうちょっといい?」


「いいよ」


 私は離れようとする幸を離さなかった。もう少しこのままでいたいから、顔を幸に押し付けてしがみ付く手に力を込めた。幸も空かさず、力強く私を抱いてくれた。


「幸」


「なぁに」


「餃子臭い。食べ過ぎだから」


 返事の代わりにくくくと笑って私の髪を優しく撫でる幸。私は満足のあまり、うぐるぐぐるると、わけの分からない音を喉で鳴らしていた。



 少しのあいだそのまま抱いていてもらった。突然湧いてきた不愉快な思いも、それを平気だと強がることも、こうして幸にぎゅってしてもらえばどこかへ流されていく気がする。幸のお陰で私はフラットになれるのだ。


 やはりここは安心する私の居場所のひとつ。

 私は忘れることも無かったことにすることも諦めるのも得意だけれど、こうして幸に抱かれているうちにくそったれで嫌な思いを浄化してももらえるのだ。



 満足した私は体を少し離し抱きついていた手をその腰にずらして幸に微笑んだ。


「もう平気。ありがと」


「いいよ。私も同じだからね。よし。じゃあ、まずお風呂入ろう」


「べたべたするしね」


「そう、ねっ」


「ぐぇ」


 幸は私を抱き上げたせいでまた変な声が出た。それももう、何度も出したいつものヤツだけれど今はそれが恥ずかしくて私は幸のうなじに顔を埋めてしまう。


「く、苦しいって」


「ごめんごめん」


 幸はあははと笑って私を降ろし、また優しく抱き直してくれた。


「ほんとに平気?」


「へいきへいき」


「よかった。けど夏織、残りのアイスが溶けちゃったかもよ?」


「はっ」


 なにっと、私は慌てて邪魔になっている幸の体を押し退ける。自分からくっ付いておいてなんだけれど、今はアイスを救わなくてはいけないのだ。


「ヤバい。溶ける溶ける」


 あわあわと、慌てて靴を脱いで部屋に上がった私を幸が笑っている。

 私を思い遣ってくれた幸の変わらぬ愛情をありがたく思いながら、私は部屋を急ぎ足で進んでいく。いま目指すのは冷蔵庫、ただそれだけだから。


「いそげいそげ」


「くくくくく」






後に続きます。すぐにアップしますのでどうぞ行ってらっしゃいませ。


読んでくれてありがとうございます。

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