第四十五話
しは かたです。
続きです。
よろしくお願いします。
日曜日のお昼時。幸はいま胡座をかいてローテーブルに向かっている。その顔は真剣だ。
「ふへへ」
私達はかなり遅めの朝食を食べたところ。私はキッチンで片付けをしながらたまに幸に目を向けて、この顔をだらしなく綻ばせたりもしている。
幸は時どき氷の溶けかかったアイスコーヒーを啜り、私の買っておいた缶に入った昔ながらのクッキー、微妙に硬くてシナモン、この場合はニッキと言うべきそれがふわっと香る気がするほんのり甘くて美味いヤツを食べながら、あの分厚くて重たいヤツを横に置いて問題集に集中している。
「ほら正解」
ここ最近よく見せてくれる真面目なきりっとした表情で、みんな知ってる懐かしの緑色のセロファンの目隠し的なヤツをずらし、なんだ、やっぱり簡単じゃないとか呟いている。
私も試しに少しだけ参考書を読んでみたけれど、横文字だらけだし、持って回った言い回しが多すぎてあまりよく理解できなかったから、結局わたしにはなんの参考にもならなかったというのに。いま幸がこてんぱんにしている問題集は私を全く問題にすらしなかったというのに。くっ。
「くそう」
とはいえ、それを簡単とまで言えちゃうところはさすが幸だと思わざるを得ないところ。
やはり幸は優秀で聡明。そこは疑いようのないところ。
「うんうん」
その幸の手首はいまだ無事。幸は毎日それを持ってローテーブルとベッドの間を移動している筈なのに、手首に包帯を巻いたりとか湿布を貼ったりとかそんな素振りを見せやしないのだ。
「おかしい」
昨日、ちょっと読んでみようかなと気まぐれに手を出した私は、思い切り油断して片手で持ってしまったせいで手首がぐきっとなってしまったというのに。くっ。
「くそう」
実際にはあまり痛くなかったし今はなんともないけれど、あれだけ重そうだから絶対に手首が危ないなと警戒していた筈の私が油断とか、もう自分に腹が立つやらがっかりやら、なんともいえない感情のせいでその時の私は確実に涙目だった。
「ててて」
私はぐきっとなった手首を摩りながらそれを睨み、なんだよもうと悪態を吐いた。
「どうしたの?」
「幸。超痛い」
「なにやってるのもう。大丈夫?」
「ここ。ぐきってなった」
私は呆れながらも心配してくれる幸に甘えたくなって、ぐきっとなった手首を向けた。幸は、ちょっと貸してみてと私の腕を取って、懐かしの言葉とともに手首を優しく摩ってくれた。
「痛いの痛いの飛んでけー」
「え」
「飛んでけったら飛んでけー」
「まじだったか。でもありがと幸」
「効いた?」
「うん。すっごく久しぶりに聞いた気がする」
「そうじゃない」
幸は違うでしょと触れるくらいに私を軽く叩いたあと、効いたでしょう、もう大丈夫でしょうと、何かを期待して私を見ている。その目はきらきらと輝いている。
たぶん幸は、うん、もう大丈夫とかそんなことを言ってもらいたいのだ。
「えっと」
私と幸は、重い方ってことはないけどたまに辛い時もある。だからお腹が痛い時には互いにいま幸がしてくれたように摩ったり摩ってもらったりすることがある。
幸に大丈夫だよ痛くないよと声をかけられながら優しく摩られれば、精神的な効果は絶大だし痛みもとれて楽になるような気がする。それは幸も同じ。凄く楽になったよと言ってくれるから。
けれど、それとこれとは話は別だ。
「うーん」
できることなら期待に膨らみ過ぎて今にも破裂しそうな幸に応えたい。幸は今もきらきらした眼差しのまま。私には眩し過ぎて、サングラスを掛けたくなるくらいのヤツ。紫外線が出ているのなら麻呂っぽくしたくなるくらいのヤツ。
「ねぇ?」
そんなに期待されてもなぁと思うけれど、私は幸のためにもどうか全然痛くありませんようにと手首をくいくいとやってみたけれど、残念ながら特に変わらずちょっとだけ痛かった。
「ててて」
「どう?」
どうなのよと、幸が効果の程を早く教えなさとせっついてくる。
「どう? どう?」
幸が痛いの痛いのと口にしたそれもまた、みんなが懐かしく思うヤツ。子供の頃に親の口からよく聞いた魔法の言葉。
私はそれを聞きながら、傷なら唾とか今はなき赤チンとか、しみるマキのロン的なヤツを塗ってもらったし、ぶつけたり打ったりして痛いところを摩ってもらったり撫でてもらったりしたけれど、それはもう今となっては過去の遺物、魔法は解けて久しいのだ。
良い子にしていてもサンタさんは来ないとか猫のバスには乗れないとかマイノリティは生きづらいとか、年齢を重ねるたびに世界の暗黙のルール的なヤツを色々と知ってしまった私は、もはやそれが単なる気休めの言葉でしかないことも知っている。
私はもう魔法にはかからない。もう二度とかかることなどできはしないのだ。はい残念。私は首を横に振った。
「効いてない」
「なっ、なななっ」
「いや、そのリアクションはおかしいでしょ」
捻った痛み自体にそんな言葉が効くわけないのに、まさかそんなと驚いている幸を見て私は気づいてしまった。
なるほど幸は、羨ましくも大人になった今でも御伽噺を信じることのできる純粋で無垢で、心根の綺麗な優しい乙女。幸は優秀で聡明な大人の女性でありながら、私が失くしたものをいまだに持っている大人になり切れていない未成熟な部分も待ち合わせている少し残念な気もするなんとも複雑怪奇な女性なのだと。
「あ、いや、それは知ってたな」
あー、そうだったと私は腑に落ちる。
よく考えてみればぽんこつ幸がそんな感じだから、私はそんなことはとうに知り得ていたのだ。
さすが私と私は思う。今の私は幸のことなら何だって知っているのだから。たぶん。ふふふ。
「よいしょ」
そして私は驚いて固まる幸に大いなる羨望と少しの憐みを込めた視線を向けつつも、私はそんな幸が世界で一番大好きだよという想いを込めてその肩を優しくひと叩きして立ち上がった。
虚な目をしている幸を置いてとことことソファを回って、私はこの前買った赤十字マークの入った救急車の形をした可愛い薬箱をしまってあるロータンスを開けてぴたっとして冷えるヤツを手に取った。
「まぁこれでいけるかな」
湿布は無いからくそ暑い夏のためにと買ったそれを、私は湿布代りに貼っておくことにしたのだ。必要ないと思うけれど一応、念のために。
「はい幸。これお願い」
私はぴたっとして冷えるヤツを一枚持って幸の傍に戻り、これを貼ってと幸に渡した。手首だから片手では貼りにくいから。
我に帰った幸はもの凄く複雑な顔をしながらもそれを黙って受け取って、この辺にとお願いする私の手首にぴたっと貼ってくれた。幸は優しいから。
「おほう、やっぱ冷たいなコレ」
「おほう?」
「な、なんでもない」
それは私の予想どおりそれは冷たくて気持ちいい。そのせいで、おほうとかいう今まで口に出したことのない声が出て幸に変な顔をされてしまった。
私は気を取り直して、誤魔化すように手首を確認してみた。
「うーん」
これなら元々あまり感じなかった痛みなんか直ぐに無くなってしまう筈。私は満足してにっこりと微笑んだ。
「うんっ」
「なによ。嬉しそうにして」
「なんかこれ、効く気がする」
「くっ」
幸はすぐさまくっそうくっそうとソファにあるクッションにぽすぽすとパンチを入れて悔しがった。もしもハンカチがあったらその端を噛んで、きーっと口惜しがっていた筈だ。
私は思わず訊いてしまった。
「ハンカチいる?」
「ハンカチ?」
「うん。ハンカチ」
「なんでよ」
「だって幸が口惜しそうだから」
は? ってなった幸が私の言いたかったことに気づいた途端、パンチの回転数を上げ始めた。うらっうらっうらっと、低い声を出して鋭いパンチを放っている。
私は笑ってしまった。
「ふふふ。やっぱ幸は面白いな」
「うるさいっ。夏織なんかこうしてやる」
「うわ。ちょっ、幸。うひゃひゃ。耳はやめろって」
「やだ。馬鹿にした罰だから」
「してないって、うひゃひゃあ。ぐきるって、ちから入れたらまたぐきるって」
「貼ってあるから大丈夫でしょっ」
「やめろっ。うひゃっ」
幸が仕返しに満足するまで、私はなされるがままだった。お陰で左の耳がかなり濡れてしまった。それは幸のヨダレのせい。
「うわぁ」
幸のだからこのままでもまあいいかと思ったけれど、唾液的なヤツは擦ると大変なことになってしまうことを私は知っている。
小学生の頃、手の甲に唾をつけて、擦って臭いを嗅いで大騒ぎをしていた時があったから。いやあれは臭かった、じゃなくて男子が。私じゃなくて男子がやっていたヤツだから。
私は男子って馬鹿だなぁとそれを見てただけから。ううう嘘じゃないから。ほほほ本当だから。好奇心に負けて臭いもの嗅ぎたさに試したことなんか一度もないから。
「まじまじ」
「嘘だぁ」
「い、いや、ほ、本当だって」
「へー」
私に注がれる幸の疑いの目はともかくとして、このままではナニが発生してしまう。ティッシュで適当に拭いただけで放って置くと隣にいる幸が気絶してローテーブルに頭を打ってしまうし、打ちどころが悪かったりなんかしたら異臭騒ぎどころ話じゃなくなってしまうのだ。
「洗ってくる」
「そうしてくれたら嬉しいかな」
「ったく。これは幸のせいだからな」
「ごめんごめん」
というわけで、幸のためにも臭いの元は断つべきだと私は思ったから、少し残念だなと思いながらもとことこ洗面所へと向かった。
「あー、疲れた」
「私も」
「なんでよ。ていっ」
「はずれ。あはは」
華麗に避けた幸は笑っている。幸が楽しそうで私も嬉しい。
そして私は幸が再び勉強を始めたそのすぐ横で、騒いで変に力が入ったから、インナーマッスルとか使っちゃったかも、引き締まっちゃうかもと思いながらお腹を摩ったり摘んだりしていた。
「うーん。意外と摘めるんだよなぁ」
「意外って。くくく。そんなに?」
幸は私のナニに興味がありそうに、顔を上げて私を見る。私はしょうがないからそれを見せてあげた。ついでに触っていいよとまで言ってあげた。私は優しいから。
「ほらここ。これ」
「あれ? 意外と少ないね」
「えへへ。そうかな? いや違うから。はあ?」
「くくく」
私が摘んだところを指でつんつんしていた幸が私にも摘ませろと私を見た。その指を何か摘むように動かしている。
「えーっ」
「いいじゃんいいじゃん」
「まぁ、いいか。どうぞ」
「やった」
人の脂肪を摘みたいとか、幸は何を考えているのかと思うけれど、私は勉強を頑張るご褒美として今回だけ特別だからなとそれを許すことにした。
どれどれと遠慮なにし、しかも両手でむにゅっと摘んだ幸。
「やっぱ柔らかい。お? 伸びるっ。なんか癖になるねこれ」
「は? うっせ」
「あはは」
手を出すことはしない。私はご褒美だからと我慢するのだ。私がいいよと許可したんだし、私は元々、どうしても必要な時以外は暴力反対の人だから。
「いいねー。なんだろう、つきたてのお餅? ビーズクッション? この気持ち良さは例えようがないね」
「うらっ」
「あたっ」
拳骨。そこに一方通行的じゃない愛があるのなら時として必要な時もあるソレ。
振るう側も心が痛いソレは、決して暴力とは言わないと私は断固そう宣言する。ただし私達に限る。どこかで何かあっても私は責任を持てないから。
「そうそう」
私が思わずやってしまった制裁にもめげず、私は好きだよ夏織らしくていい感じと幸は気に入っている模様。薄ら笑ってむにゅむにゅといじられる感じがこそばゆい。
幸がそうならべつに痩せなくてもいいかなと思わないでもないけれど、私は女性だからそれを易々と受け入れてはいけない。甘い言葉に騙されてはいけない。
私だっていつまでも美しく痛いのだ…いや、痛くないから。居たいだから。
そしてもうひとつ。幸の言う私らしいとはどういうことなのか。
「うーん」
けれど、いくら考えても私には全然意味が分からないだろうから、私は当然、考えるまでもなくそれを聞かなかったことにした。
「よし完璧。綺麗になった」
昨日あった出来事を思い出しつつも私は頑張った。食器もキッチンもぴっかぴかだ。
そして、一仕事終えた私はまた幸に目を向けた。
「おお。さすが幸」
幸の集中している時の癖、無意識でもある綺麗な指の間でくるくると忙しなく回るペンは一度も落ちることなく、転がったりどこかへ飛んだりしていない。
私もたまにくるくる回そうとしてみるけれど、必ずどこかへ飛んでいったりころころと転がして、周りの同僚にまたですかと呆れた顔をされつつ拾ってもらうばかりだというのに。くっ。
「くそう」
何でもそつなくこなすとはさすが幸…まぁいいけどさと私は思った。
「よっ、と」
そして私はたった今、洗面所を覗いて洗濯機の様子を窺いがてら、開いているお風呂の扉に顔を突っ込んでお風呂の蓋の上に居るアヒルのかおりにおはようと挨拶したあと、まぁ、ついでだからとお風呂掃除もしたところ。
その際かおりも洗ってやった。痒いところはないのと聞いてみると、ぐわぐわと鳴いて大丈夫ですありがとうと言っていたような気がする。
さち、じゃなくてさっちと違ってかおりは名前の通り素直でいい子だなと、私はよしよしと可愛い顔して私を見つめるその頭を撫でた。
「ぐわわっ」
と、喜んでいると思われるかおりはやはり可愛い。だから私はまるで幸にするように優しく丁寧に洗ってあげた。
「ぐわわーっ」
「いいのいいの」
ちなみに、幸は毎日たぬきどもに話しかけたり頭を撫でたりとか、必ず何かしらしているみたい。かおりならともかく、たぬきごときにそんなことをするなんてちょっと怖いし正直ひいてしまう。幸は大丈夫なのかと本気で疑いたくなってしまうところ。
だって私はこの部屋に来てもロータンスに居るたぬきどもには挨拶はしないから。
掃除の邪魔だからとどこかへ放ったり、幸に投げつけたり、ムカついて床に叩きつけたりする以外は決して触れたりはしない。当然だ。
「そうそう」
それから私はお風呂掃除のうちに終わっていた洗濯物を持ってとことことリビングに戻り、あはははは、楽勝楽勝と高笑いする幸を横目にベランダに出て、九月とはいえまだまだ暑いなかそれを干してから、キッチンで氷をたっぷり入れたアイスコーヒーをふたつ作ってそれを持ってそのひとつを幸の前に置いた。
「どうぞ。こっちは回収ね」
「うん。ありがとう」
幸はさっそく一口飲んでいる。私は氷の溶けた温いアイスコーヒーの入ったグラスのを持ってキッチンに戻り、残りをシンクに捨ててそれを洗う。
知らずのうちにふんふんと鼻唄が出てしまうのは楽しいから。
幸は幸。私は私。お互いがこの朝に満足しているのだ。
「ふんふんふん」
「終わった」
朝の家事を終えて、といっても時間的にはもうお昼を回ったところだけれど、私はよっこらしょっと幸の隣に腰を下ろしてクッキーに手を伸ばした。
幸もつられて手を伸ばしながら私を労ってくれた。
「お疲れさま」
「いいのいいの。好きでやってるんだし」
「でも、ね。ありがとう夏織」
「うん」
ふたりでクッキーをぱきぱき齧りながら、いつもの幸の労いを、こんなの何てことないからと微笑んで返した。
幸は今朝も、私の作った朝ご飯をもりもり食べてくれた。膨らんだお腹をぽんぽんとやってご馳走さまでした、いつもありがとうと言ってくれた。
一休みしながら家のことや転職のことを少し話してから、食べ終わった食器なんかをシンクまで運び、私はそのまま洗い物を始めたのだ。当然幸もついてきた。
「かおりー」
「幸、重いって」
「夏織より?」
「あ? うらっ」
「あたたたた」
「ざまあ」
と、幸はいつものように私の傍でいちゃいちゃ邪魔をしようとしたけれど、私は不埒な悪を成敗したあとに、勉強しておけと幸を追い払ってあげた。
「あ、幸。まった」
「なぁ、んっ」
はーい、わかった頑張ると、私の頬にキスをしてリビングに戻ろうとする幸を、私は泡の付いたままの手で引き留めて、頑張れの気持ちを込めて幸の唇を奪ってやったのだ。
私は思うままに幸を味わった。幸の中を縦横無尽に駆け巡ってやった。そのあいだ、私にしがみついてされるがままの幸は凄く乙女だった。ふへへ。
その激しめにしたキスが終わると、幸は顔を赤くして私にパンチをくれたあと、や、やられたとか言いながらへろへろとした足取りでリビングへと戻っていった。
「ふふふ。よし大丈夫。私は忘れてないな」
「くくくくく」
呟いてまた洗い物を始めるとリビングから幸の忍び笑いが聞こえてきた。
ぽりぽりと甘くて美味いクッキーを食べながら、私の隣でコレは中々難しいわね、でも私を舐めないでよねと呟く幸を見て私は思う。
私達はこうして過ごすことにだいぶ慣れてきた。それは自然と出来上がりつつあるルールみたいなもの。気遣いもあれば多少の馴れ合いもそこにはある。けれど、無理をしているわけではない。
私はそれを嬉しく思うし、それはきっと幸も同じだと思う。
過ごし方もそう。この部屋に、もしくは私の部屋にいる限り、私達はストレートな人達と何も変わらない。していることは日常だ。
私はこういう時間を大切に過ごしていきたいと思うし、それもきっと幸も同じだと思う。
愛しの幸の横顔を見ながら私は思う。
もしも誰かが私達ふたりが部屋の扉を開けて入るところを見たとして、その人は何を想像するのだろうか。
友人とか知人とか、あるいは姉妹とか、一次的にはそんなところだろうけれど、それが続くようだったなら、そこには何かしらの疑念が湧くような気がしてしまう。
それは私の極まった被害妄想なのかもしれないし、その通りなのかもしれない。私達を見てどう思うかなんて私はストレートじゃないから分からない。
私達はなにも特別なことなどしていない。穿った目で見られることは何もしていない。男女の違いはあっても、ストレートのカップルがするように愛する女性と過ごしているだけ。
こんなふうに思う引け目を感じてはいても、私達が一緒に居ること、それの一体何が駄目なことなのか、私はストレートじゃないから分からない。
けれど、こうやって感じたくもない引け目を私が感じてしまうのは、心のどこかに不自然だと思われても仕方ないと思うところもあるからかもしれない。
それは生まれてから育っていくあいだにそう教わるからなのか。生まれて最初に目にする男女のカップル、その両親を見て、それが自然と身につくものだからなのか。
自然と身につくものならば、女性を愛することを自然と身につけた私達は、自然とモノを持って生まれた私達は、それで自然と思うのだけれど、くそったれな今の社会はそうは思ってくれないのだ。
「くそう」
この社会は法に従う限りの自由を謳い義務を課す。私達はその法に従ってその義務を果たしている。勤労、納税、教育を受けさせる義務。三大義務の三つのうち、二つをちゃんと果たしている。最後のヤツはしない人も、したくてもできない人もいる。そこに何らの区別はない。
ならば人並みの自由を謳わせてくれてもいいんじゃないのと私は思う。義務を果たす私達には、的外れな文句を言われる筋合いなどない筈だ。
そして今の私達の現状は、ちゃんと従っている法のせいでもあると私は思う。
私達のことをちゃんと認めてくれる法がないから余計に腹が立つ。法がないから云々と、それを理由にしてこのくそみたいな社会はいつまでも私達を中途半端な状態に置いておく。
それをなんとかできる筈のお偉い人達は、いつまで私達を放って置くつもりなのか。それを良しとしているのか、したくてもできないのかは私は知らないけれど。くそう。
「はぁ。なんだかな」
疲れるなぁと顔を上げると幸が私をじっと見ていた。その顔はやっぱりいつもと変わらない、私を気遣う優しげな顔だ。
「夏織」
「なに?」
「おいで」
「べつに泣かないけど?」
「怒っているんでしょ。いいからおいで」
「うん」
私は幸の胸へともたれかかった。幸は優しく包んでくれた。
その感触にひと月くらい前から少し違和感を感じていたけれど、幸の胸はとても温かくていい感じのほっとする私の居場所。そこに違和感はない。
「ありがと幸」
「いいのよ」
「あと、勉強の邪魔してごめんね」
「夏織はそんなこと気にしなくていいの」
「うんっ」
「よしよし」
「あとね、なんか少し柔らかくなった気がする」
「夏織もそう思う? 最近ね、ブラの隙間がなくなったような気がしてるんだよねって、なにを言わせるのよっ」
「隙間? やっぱりな、って、うわっ」
幸が私を押し倒す。転がった私に被さって、さっきのお返しだからと唇で蹂躙を始めた。
自分でノリツッコミ的なことをした癖にと思うし、離れた時には私はへろへろになるだろうと思いながら、幸の想いに応えようと私はそれを受け入れた。
激しかったキスが終わり、案の定へろへろになった私は、幸の優しい手のリズムを背中に感じながら暫く幸に抱かれていた。
私はへろへろでありながらも、私には私の移ろいやすい心の様を鋭く察してくれる愛しの幸がいるし、まぁ、いま考えていたこともまた今更な、私達には分かりきったないものねだりのひとつでしかないからなと、それを蹴飛ばして頭から追い出した。
そして私はまた確信する。
「うん。忘れてないな」
そう。やはり私は間違いなくリバだ。たぶん、少し、ほんの少しだけネコ寄りのそれだ。
「そう…そう?」
ほどなくへろへろから復活した私はクッキーを齧りながら幸を見ている。正確にはその手でくりんくりんっと跳ねるペンだ。
いま幸は集中しているのだから、私はぽりぽりと音を立てながらも大人しくしている。
私の凝視に気づいた幸が分厚くて重いヤツから顔を上げた。首を傾げて私を見る。
「なぁに」
「それ。よく落ちないね」
「それ?」
「それ」
幸はああこれね、上手いでしょうと、ペンをくりんくりんっとやってみせた。小指と薬指の間から中指と人差し指の間まで二段階で移動するヤツ。私がやったら確実にどこかにすっ飛んでいってしまうヤツ。
「どう?」
「すごいな」
「ふっふっふっ」
ちょっとは成長したかもしれない胸を張り、得意げに笑う幸は調子に乗ってペンをくりんくりんとやり続けている。
私はそれを邪魔してやろうとこっそりと手を伸ばした。
「えい」
「あっ」
ころころと転がるペンを見て私達は笑った。なんか可笑しかったから、ふふふあははと声を出して。
そんな年頃はとっくに過ぎているんだけれど。
「いや、そこはほっとけって」
「ほんとだよねー」
それから私はタブレット端末を手に取った。昨日の続き、話し合いはあとでするとして、私は幸がチェックした物件を詳しく見てみるのだ。確か三つ目のヤツからだ。
「えー、どれどれ」
物件をチェックしてクッキーをぽりぽりとやりながら幸が勉強をしているその隣で私は笑みを浮かべている。
いま過ぎていく時があまりにも穏やかで、なんとまあ平凡ながらも幸せな時間であることかと私は思う。
「あ、これは私もいいかなと思ってたヤツだ」
「なるほどね。理屈はわかった」
「これ、やっぱ悪くないな」
「よし覚えた。もう間違えない」
「うん。やっぱ美味いなコレ」
食べかけのクッキーを口に放り込んだ私がそう呟いてからまたクッキーの缶に手を出した途端、隣でくくくと笑う声がした。
「ああ」
今、互いが見ているものは違っても、結局のところ私達は同じ未来を見ているのだ。
そしてローテーブルには甘くて美味いクッキーとアイスコーヒー。すぐ隣には愛する私と愛しの幸。
なんとまあ、実に平凡で、実に充された時間であることか。今はこれで完璧だなと私は思った。
そう。私達はもう既に完成しているのだ。
隙は見るものじゃない。作るんだっ。
と、いうことで私はやってやりました。
唐突ですが、私の頭のネジは131本抜けていると診断されました。どこかにネジが落ちていたらそれは私のヤツかもしれませんので拾っておいてくれたら嬉しいです、が、今のところは生きているから大丈夫。たぶん私はへいき。いけるいける。
読んでくれてありがとうございます。