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woman  作者: しは かた
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第三十九話

続きです。

ほのぼの、びびえろです。

長…


よろしくお願いします。

 


 七月の後半、鬱陶しかった梅雨がようやく明けて、とうとう夏がやって来た。


「私の季節だな。夏織だけに。ふふふ」


「あはは」


 そう。私の誕生日は夏真っ盛りの八月だし、名前に夏が入っているから、やった、私の季節だぞっと、嫌でもテンションが上がってしまう、なんてことはない。そんなのはもう十年以上も前の話。私はちょっとそんなふうに言ってみただけ。


 だって女性というものはやはり、歳を重ねる(ごと)に誕生日ってなんのこと、なければ歳をとらずに済むんですけど、小ジワとかシミとか白髪とか、溜まっていく一方の脂肪とか、そういうのまじ要らないんですけどと思うようになるものだから。


 子供の頃、母さんが胡瓜のパックだとか言って、輪切りにしたヤツを顔に付けていたのを見たときは、意味わかんなかったし、凄く怖かったし、顔に胡瓜をつけて喜ぶとか、ああ、母はいってしまったんだと、私は悲しくなって泣いてしまった。

 そんな私を宥めようと、あらあらどうしたのと、その顔で近づいてくる母さんが怖くて、いやだこっち来んなーと、走って逃げたのはいい思い出な筈だ。


「そうそう」


 今なら母さんの気持ちも分からなくもないなと、そんなことを思う私はもうすぐ三十一歳になってしまう。

 自分ではまだまだ若いと思っていても寄る年波には勝てはしないのだから、そろそろアンチエイジングを始めなければいけないお年頃と言えるだろう。そうしないと十年後には泣いてしまうかもしれないから。


「………はっ」


 私は今、さっき胡瓜を買ったよなと思ってしまった。三本あるから一本くらいいいかなと思ってしまったのだ。


「そんな、馬鹿な…」


 私はゆっくりと頭を振る。今のはきっと、午前中、待ち合わせてから買い物をした時に浴びてしまった夏の日差しとか既に三十度を超えていた暑さのせいで、私は少し危険な状態なのかもしれない。

 熱中症の症状はひとつもないけれど、私は取り敢えず体を冷やしておこうと、サイドテーブルにあるアイスコーヒーを手に取った。

 グラスの汗は大丈夫。底にティッシュをくっつけてあるから。



「くくく」


 幸は隣でくすくすと笑っている。やっぱりなんかバレてるぞと私は思う。幸の奴はなんか不快なことを思っているような感じもする。


「なに?」


「夏織は観てると面白いなって」


「おい幸。その字面はやめろって。見てるって言えって」


「あはははは」


「べーっ」


「ぐは」


 遠慮なく私を笑う幸にお目目バッテンなあかんべー攻撃。幸はあえなく撃沈した。

 けれど、いってしまった幸はやけに幸せそうな顔をして、ううう、可愛すぎるとか呟いている。

 これは攻撃ではなくて、寧ろ幸にとってはご褒美なのかもしれないと私は思った。


「まぁいいか」



 そしてここのところ、少し不思議なことがある。

 それはこうして(さち)と幸せな時間を過ごしている時にやって来る。

 ふと気づくと、どこからか甘いヤツを少し控えなければいけないような雰囲気が漂ってきたり、私達のために私はお酒を減らすから夏織は甘いものも減らしなさいという謎のプレッシャーを何となく感じる瞬間がある。

 それは不思議と用意しておいた甘くて美味いヤツの三品目を食べようとする時だったり量的に多いかなと自覚しつつも手を出してしまう時に感じるのだけれど、周りを見渡しても幸が微笑んで私を見ているだけで特に不穏なものはない。


「ねぇ幸。いま何か感じなかった? びくってなる感じのヤツ」


「いやぁ、べつになにも」


「そうか」


 だから私は変だなと首を捻りながらも甘くて美味くてヤツを口に入れる。その時はほんの少しだけ、口に運ぶ手が遠慮がちになってしまうけれど、私は美味いものはちゃんと味わいたい人だから、それをすぐに頭から締め出して気にすることなく食べてやるのだ。


 そんな私にここ最近の幸は糖質は女性の敵なのよとか言うようになった。

 そりゃあ、老化の原因がお砂糖とか、糖質の摂り過ぎだという噂を私も確かに聞いたことがある。けれど、私の中には噂を軽々と信じてはいけないよ、痛い目みるよと思う私がいるのだから、そこは、どうなんだろう?



 私はどうなのよと幸を見る。幸は顔を上げて、首を傾げて私を見返してくる。

 点点点をあいだに挟んで暫し無言で見つめ合う私達。この感じからして、どうやら幸には何も伝わらなかったみたい。

 私がにっこり微笑んでみせると幸もにこっと微笑んだ。なんだこれはと私は思う。


 私と幸のあいだでもこういうことは極たまにある。はい残念。

 すると間を置かず、幸が残念がる私の腕を慰めるようにぽんぽんと叩いた。

 なるほどそこは伝わるんだなと私は思った。




 話が逸れてしまったけれど、夏が来ても、やったねと思えない理由の内のひとつに最近の夏の異常な暑さがある。

 暑過ぎるから勘弁してほしい気持ちの方がどうしても先にきてしまうのだ。

 仕事柄、ほぼ毎日のように外に出る私には辛過ぎる。連日のように天気予報で聞く猛暑日なんて言葉は、昔は聞いたことすらなかったのに。


 ただでさえ夏は汗とか日焼けとか匂いとか、薄着になるから要らない毛のケアとか、女性として気をつけないといけないことが増える。

 化粧崩れとかまじ勘弁してほしい。最近の化粧品は凄いけれど油断は禁物。化粧のムラとかぷーくすくすと陰で笑われてしまうし、焼けたくないからとつい日焼け止めを塗りたくってしまうと、白っ、怖っ、とか、なんか今日の屋敷さん麻呂っぽくね、ほんとだまじウケるぅとか言われかねない。もしかするともう既に、陰でひそひそと言われているかもしれないのだ。


「ほっとけ」


 とにかく夏はケアしなくてはいけないことが多いからほんとに面倒くさい。だから私が夏の到来を手放しで喜ぶことはまずあり得ない。なにも学生の頃のような長い休みが取れないからという理由だけではないのだ。


 いつかの夏の日、アイス片手に扇風機の前に座り込んで、あ゛ーとやっていた私はもういない。今はやろうとも思わない。一体何が楽しかったのか。


 清掃タイム、体にバスタオルを巻いてぷるぷると震えながらも、ピーという笛の合図とともに寒がる父さんを無理矢理引っ張って我先にと駆け出して、唇を紫にしてまで流れるプールに浮かんでいたのはいつの日か。そんな日々はもう二度とない。そこまでする必死さの意味が私にはもう理解できないからだ。


 きっと、私達はというか私は、大人になって手に入れたものと引き換えに大切な何かを失ってしまったのだ。


「そっか…そうかぁ?」


 私は今の私も好きだから、まぁ、べつにいいけどねと、悲しむことなく即座にそれを受け入れた。

 ともあれ私と幸は今、冷房の効いた部屋にいるのだ。隣り合って腿の辺りがちょっとだけくっ付いて。なんと幸せであることか。


「そうそう。これでしょこれ」


「うんうん」


 私の呟きに幸は素早く反応する。顔は合わせていないけれど弾んだ声の感じからして分かる。私の想いは伝わっている。

 そう。さっきのヤツは例外中の例外だから。私と幸はちゃんと繋がっているのだ。





 こうして色々な雑念に囚われながら、私は枕を背にあててベッドの頭のところに寄りかかってタブレット端末を見ている。


「えーと。このマンションは…」


 午後四時半。私は今お気に入りにしておいた幾つかの物件をチェックしているところ。


「わりと広いし綺麗だし、いいっちゃいいんだけどなぁ。うーん…保留で」



 はい次いこう次と、私は開いていた概要だの写真だのを全部閉じて、次の物件を開いたところで幸をちら見しては、さっきの()()を思い出して顔を赤くしたりしているところ。


「どうしたの? 顔赤くして」


「な、なんでもないから」


「ふーん」



 私を見ずに顔の赤さを指摘するさすがの幸は今、私の隣でうつ伏せにのまま頬杖をついて恵美さんに渡された書類だか資料だかに目を通している。

 これがまたやけに分厚くて重いから下手に片手で持ったら確実に手首がぐきっとなってしまうヤツ。そんなものをよく持って帰ってくる気になったなと感心してしまうヤツ。


 幸はふむふむと言いながら、それで読めているのかなと思わせる異常な速さで、それをぺらぺらとめくっている。

 私はその、しゅっ、しゅっという音を聴きながら、速読もできるとはさすが幸だなと感心してもいるところ。



 そして、私と幸が今なぜベッドにいるのかとか、今の私と幸の格好がブラトップ的なヤツとショーツだけなのかとかは察してほしいところ。



「次の…場所はいいんだけど…」



 こうやって落ち着くまでには私と愛しの幸とのあいだで、お互いに対する深い愛情を持て余した若いふたりがしちゃうようなむふふなヤツ、まだまだこれからよ夏織、覚悟してねとか、なにこれ、ひゃあ、もうむり、幸もうむりだからぁ的なあれこれが色々とあったのだ。


 その()()あと、私と幸は抱き合ってひと眠りして今に至ったところなわけだけれど、そのお昼寝は、涼しくて愛しの幸は温かくてなんとも言えない幸せなひと時だった。


「ふふふ」


 あ、そうだった。私達はひと眠りしたあとにちゃんとシャワーを浴びたのだ。あれ以来、異臭騒ぎは一度も起きていない。そこは気をつけているから大丈夫。


 そしてお風呂から戻った私達は、用意したアイスコーヒーと私のためのチョコを普通にサイドテーブルに置いて、普通にベッドに戻ったのだ。



「…なんか狭いよなぁ。これは駄目か…次」



 私は物件をチェックしていながらも、それにしても幸の新しい技は凄かったなぁと、それを何度も思い返しては、ぽーっとしてもいるところ。


 はぁはぁと息を荒くした私を焦らしつつ弄んでいた幸曰く、これはねぇ、スペシャルライトニングストライクっていう技なのよ、私が開発して私が名付けたの。ここをね、こうするでしょ、ほら、奥の方がぽわぽわするでしょう? んん? もう痺れてきちゃったの? ふふふ。あ、夏織、体に力を入れちゃ駄目よ。怖がらずに受け入れてね。そうそう、リラックスして、そうよその感じ。そしたらすぐ辿りついちゃうから。こら、目を閉じちゃ駄目。夏織、私を見て。そうよ、いい子ね。わたし素直な子は好きよ。うふふ、さぁ夏織、全てを受け入れなさいと、優しくも妖艶な微笑みで私から片時も目を離さず、導くように囁いていた幸の技、ライトニング…何とか攻撃によって、私は我を忘れてしまった。まさに忘我の境地を彷徨い続けるというヤツだった。



「…できれば駅近で、周りが閑静なとかじゃない、ほうが、いいん、だけど…」



 そのライト何とかとかいう微妙な技の名前はほんとにどうでもいいけれど、私が憶えている限りでは何ごとにも屈っしたことのないこの私が、なんだったらもう一度くらいならしてみてもいいかも、あんまよく分からなかったしと、遠回しにおねだりしてしまうくらいの破壊力があった。なんというか、すぐにお腹の辺りがぽわぽわしてきたなと思ったら、体がだんだん痺れてきて私の奥の方から蕩けるほどのもの凄く気……いや、これは駄目、むり。これは幸にも絶対内緒のヤツだから。


 ことが終わって、幸にやられっぱなしだった私はなんか口惜しいなと思うところはあったから、いつものように、このっこのっこのっとやってはやったけれど、私はそれ以上の充足感を確かに覚えてもいた。



「…えっと、次のヤツは、どんな感じだった、けな…」



 そしていま私は実感していることがある。それは、私がある意味ではもう乙女では失くなったことだ。恥じらうことはこれからも多々あるけれど、()()ことについては、私は常に乙女であれ的な呪縛から解放されたのだと思う。


 嬉し恥ずかしいと複雑だった筈の私の乙女心はどこへやら、私はついにっ、愛される悦びを知ってしまった可愛くて妖艶な凄味を纏った魅惑的で蠱惑的な完全なる素敵な大人の女性に成長を遂げたのだっ。

 もうこれ以上の成長は望めないじゃなくてあり得ない、いわゆる成長限界、レベルMAXというところまで私は到達してしまったのだ。ふはははは。


 もちろんその成長は、私らしく私なりにではある。どう成長するかなんて人それぞれだからそこは気にしない。唯一無二の存在というわけだから、なんかカッコいいし。



「これは…ああ、これか…」



 今の私をどう形容するべきか自分でもよく分からなかったから、色々混ぜてしまったので少し危険な感じもするし、もしかしたら毒の気体を発生させてしまうかもしれない。


 私自身もう何を言っているかよく分からなくなってきたけれど、要するにとにかく凄い女性になったってことだけは確かだから。確実だから。


 ああどうしよう。私から溢れでてしまうよく分からない何かのせいで、週明けの通勤から大変なことになってしまうだろう。


「くくく。いや、まじでヤバいな」


 何がとは言わない。言えない。言いたくない。

 華麗なる成長を遂げた今の私にどんな印象を持つのかはその人のだから、やはりそこは、それぞれで考えてもらうことにする。なるべくならできるだけ、優しい目を向けてほしいところではある。




 こうして物件を精査したり自己分析をしたり幸をちら見しては幸はまたしてくれるかなぁとかほんのちょとだけだけど、一応期待したりと私は今とても忙しい。

 お陰で何も集中できていない。


「はぁ」


 一旦気分を変えて仕切り直そうと、私はタブレット端末を脇に置いてサイドテーブルにあるチョコに手を伸ばす。


「うん。やっぱ美味いなコレ」


 甘くて美味いチョコは私を落ち着かせてくれた。

 それでも私はまた幸に目を向けてしまう。なぜならチョコの量が少ないから。幸にお酒を減らそうぜと言った手前、私もスイーツを減らそうと思ったから。私らしく私なりに。


 結局のところ私はあの控えろ的な雰囲気とか謎のプレッシャーに負けてしまったのだ。

 だからいま食べたチョコはいつも買うヤツよりも箱がひと回りも小さいヤツなのだ。今まで二十個入りだったのに、九個入りのヤツになってしまったのだ。しかも、もう既に三つも減っている。


「つらい」


「あ、いいな。私にもちょうだい」


「どうぞ。はい、あーん」


「あーん」


 四つ減ってしまうけれど私は泣かない。泣いたら私の落ち込みを幸に悟られてしまうから。気を遣わせてしまうから。うぐ。


 その幸はチョコを齧ってもぐもぐと、これはカプチーノだ、美味しいねとか言っている。いやそれ、中のクリーム状のヤツはカフェラッテですけどねと言いたいところだけれど、幸はあろうことか、数少ない大切なチョコを噛みやがったのだ。


「あ、噛むな。味わえって」


「私はこうやって食べるのが好きなの」


「いや、知ってるけどさ」


「ね、もうひとつ。あーん」


「はいはい。あーん」


「うん。イチゴ。美味しい。ありがとう夏織」


「いいよ。けど幸、それすっぱいでしょ。それラズベリーだから。ベリーのとこしか合ってないから」


「あはは」




 これはきっと味もよく分からないのに食べられてチョコが減っていくせいで感じるストレスのせいかもなと思いながら、私はまた、ライトニング何とかを、ほんのちょっとだけ、私はべつになくてもいいんですけど幸がしたいのならいくらでもどうぞというくらいの期待に胸を膨らませてしまう。


 美味しければいいんですと屈託なく笑う幸を見ていて、なんかこう、落ち着かなくなるというかそわそわするというか、何があった訳でもないけれど今日の私は少しおかしいのだと思う。

 目を通している分厚くて重いヤツよりも、豊満でも決して重くはない気分屋な私をかまってほしいと思ってしまう。どんと恋というよりもどんときてほしいと思ってしまう。

 そして何より一番思うのは、あの凄く優しい目でずっと見つめられていたいなぁと、それでそのまま愛してもらって何度も何度もあんなこと…



「ふへへ」


「なぁに」


「へ?」


「今度はどうしたの? にやにやして」


「ななななんでもない」


「ふーん」


 思い出しふへへをしてしまった私のことを幸はじっと見つめている。その顔に妖しい笑みが浮かんでくる。あ、これはバレたなと私は思った。


「…ははーん」


「な、なに」


「また夜してあげる。今はこれを読まないとだから。今はこれで我慢して」


 それまでいい子で待っててねと、幸が私に唇で触れた。あくまでも優しくて、ぷるぷるなその感触に、私は陶然としてそれをを受け入れた。どきどきして胸が苦しくなるけれど、それは私を煽るだけ煽って離れてしまった。


「あ」


「もっと? 夏織はかわいいね」


「く、屈辱」


「あはは」


 そう。いま髪を優しく撫でられるままに、照れてしまって真っ赤な顔して幸を睨んでいる私はとても可愛いのだ。


「もうっ、このっこのっ」


 もぉ、からかわないでよ幸のいじわるぅと、照れた顔を隠すように俯きつつも膨らませた頬と上目遣いはばっちり幸に分かるように見せながら、肩叩きのようにぽかぽかとやる、必殺ゆるふわパンチ一の型、ぐうかわなヤツをお見舞いしてやったあと、私は、もういいやと開き直って、可愛い私を大事にしてねと固まったまま顔を赤くしてかはかはと苦しげに喘いでいる幸に抱きついた。


「かはっ、かはっ、がっはぁ」


 幸は私を胸に抱いたまま盛大にいってしまった。なんだこの可愛い珍獣、じゃなくてたぬき、じゃなかった夏織だったとかなんとか呟いて。


 かまってもらって嬉しい私はそれをスルーしてあげて、固いけど少しだけ柔らかい大好きな幸の胸に顔をぐりぐりと擦り付ける。なんか凄く甘えたくなったから。


「してくれる?」


「当たり前でしょう? 夏織は私の宝物なんだから」


 宝物は大事にしないとなくなっちゃうもの。幸はそう言って、私をぎゅと抱きしめ返してくれた。

 こうやってされるがままにきつくしっかりと抱かれる感じもまた堪らない。

 私の全て、ではないけれど、私はちゃんと愛しの幸のものになっているなと思えるから。

 私は素直におねだりしてみる。


「してくれる?」


「いいよ。覚悟してね」


「えと、そ、そこはほら、少しは手加減してもらうのもありかなぁと」


「なにそれ。あはは。でも嫌よ」


「わ、わかった」


「そう。よかった」


 凄味のある笑みを浮かべたまま満足げに頷いている幸は手を抜くことはしない。()()のことその全ても私を愛する行為だから。幸の愛する私を愛することに手を抜くなんてする筈がない。

 そう考えるとつい声が出てしまう。


「ふへへ」


 そう。全力で愛されるということ。私はそれが嬉しいのだ。


「好きだよ幸」


「私も夏織のこと大好き」






「コレはいまいちか」


 私は昂る気持ちを一旦落ち着かせて再びお気に入りにしてある物件を見ている。幸も再び書類とかに目を通している。


「うーん」


 幸が居て私が居て、ここでご飯を食べて、ここにヘッドを置いてとか、靴だって服だって単純に今の二倍になるわけだからやはり収納は大事だなとか、この間取りはとか広さはとか、写真を見た感じから幸との暮らしを妄想してみると、この物件はいまいちかなと思えて、私はそれをお気に入りから外す。


 けれど、一度そのマンションを見たり街を歩いてみて、住みやすそうならまぁ悪くないかもなと思い直して、私はそれをまたお気に入りに登録しておくことにした。


「で、次のヤツは、と」


 私は取り敢えずお気に入りにした十五件くらいあるヤツを眺めていく。


「コイツかな」


 まあ、こうして物件をチェックしながら私と幸の愛の巣での暮らしぶりを頭の中で色々と想像していても、候補を絞ってちゃきちゃき動いていかないと、家探しなんかは遅々として進まないものだ。

 それはそう。私はそんなことは分かっているのだ。


「けどなぁ、暑いんだよなぁ」



 そう。梅雨の時期も雨が鬱陶しかったけれど、開けた途端に夏が来て毎日がくそ暑くなってしまった。見るからにか弱い私にはもはや過酷なサバイバルのようなもの。

 そんな中を精力的に動いたら、ひ弱な私は確実に熱中症になってしまうから。休日まで外回り的なことをして汗を掻くのはこの時期真っ平ごめんなのだ。


「なんつってね」



 そんなことを思ってはいても、親は私達を認めてくれたし、その勢いのまま一気にことを運んでしまいたくもなるというか運びたい。


 私と幸は、結局は住めば都的なことになるだろうから、どこのどんな部屋に住もうがそれ自体はべつにいいのだ。

 けれど、取り巻く世界を鑑みれば、なるべく波風が立たないように、変な噂を立てられないように、周りの環境についてはできるだけ憂いは排除しておきたいと思うから、買うことを焦るつもりはない。


 私はそう思うし幸もそう思っている。夏織は少し落ち着きなさいと、私達は今のところ万事快調、順風満帆。けど、こういう時こそ一度止まってよく考えて周りをよく見るべきなのよと言われている。


「けどなぁ」


 けれど、それでもやはり気持ちは何となく急いてしまう。

 私としては、古くても使い勝手が多少悪くてもいいから、規模の小さくてファミリーの居ない、隣は何してる人? いや知らないけど? みたいなマンションを早く見つけ出したいのだ。

 そのためには、街をよく知る地元の不動産屋さんを回るのが一番いいと思うけれど。


「暑いからなぁ。嫌なんだよなぁ」



 ぴたりと肌を寄せていた幸がずこっとなった。えぇぇ、と私を見つめている。

 それから幸は笑い出した。夏織らしいよと、私を肯定してくれる。


「くくく」


「だって暑いでしょ」


「そうだね。くくくくく」


「それに私は見た目からしてか弱い女性だから。倒れちゃうから」


「そうだねー」


「けど、早くしたい」


「夏織。焦ることないよ。時間はたっぷりあるんだから」


「それこそ?」


「「人生を閉じるまで」」


 私達は声を揃えてふふふあははと笑い合う。なんだかんだと頑張ってやってきて、心も体も無条件に触れ合える女性と共に過ごすこの時間。そしてこれからの時間。

 ずっと続けばいいのになと私は思った。



「思っていたほど物件がない。条件が条件だから」


「大丈夫。焦ることないって。ね」


「うん」


 優しい幸は、家探しをプレッシャーに感じるなと私を気遣ってくれている。それは本来、楽しいものだからねと。

 普通に考えればそれはそうだ。楽しいに決まっている。私達のような人間でなければ、バレたくないとか変な目で見られたくないとか考えないで済むし、それについてぶつぶつ文句を言うこともないのだから。


「くそう」


「まぁまぁ。怒らない怒らない」


 目を通していた書類だかを脇に置いて、幸は体をもぞもぞとやって、私のお腹に抱きついてくる。


「えっ」


 幸が乗せた頭や体がぽよんとぽよんと弾んだように見えたのはなぜかしら? 


「いやいやないない」


 いや、気のせいだったかなと、それを頭から消し去ろうとしたけれど、幸の奴は、わっ、ゆれるゆれるとか、ウォーターベッドってこんな感じかな、これは酔っちゃうなとか言ってやがる。


「くそう」


「まぁまぁ。怒らない怒らない」


「うるさい。幸なんかこうしてやる。ふっふっふっ」


 私はいま不敵に笑ったわけじゃないから。腹式呼吸で自らお腹を揺らしてやっただけから…いや、もう泣いてるから。

 私はさらにくそうくそうとお腹を揺らす。


「くそうっ、くそうっ」


「うわぁ。ちょっと、酔う酔う」


「どうよ。まいったか」


「まいった」


 じゃあこれで勘弁してあげると、私は、くらくらするよと、ぐったりした振りをして私に甘えて抱きつく幸をお腹に乗せたまま冷蔵庫へと目を向ける。


 実は私は野菜室のその奥の奥に、甘くて美味いエクレアを三つ、いけるいけると思いながらこっそり隠しておいたのだ。

 その理由は三つ。第一に、幸は野菜に興味がないから覗かない。第二に、幸はそんなことはしない。第三に、幸がする筈がない。

 というわけだから幸には今のところバレていない。たぶん大丈夫。私にはそのくらいの自信がある。


「へいきへいき」



 私はスイーツを減らす。幸と一日でも長くいるためにそれはちゃんと頑張りたい。

 ただし私らしく私なりに。今回はそこが肝だから。

 私はひとりほくそ笑む。我ながら完璧だからどうしても笑っちゃうのだ。


 さてあとはこの状況からどうやってそれを食べるかなんだけれどと、私が完璧な作戦を立てようとしたとき、顔を上げた幸が私に向かって微笑んだかと思いきやあり得ないことを言ってきやがったのだ。


「あ、そうそう。ねぇ夏織」


「ん? なに」


「エクレアは夜まで我慢だよ」


「え」


「私も今夜はワインだけにするからさ。ね、わかった?」


「わ、わかった」


 よかったと、微笑む幸をお腹に乗っけたまま私は考える。

 なんでかな。おかしいな。バレていましたはい残念と、私は泣きそうになった。


「いや、なんでバレた?」


 いやおかしいでしょと不思議がって頭を捻る私のお腹に顔を埋めて幸はくくくと笑っている。


「え、なんで?」


「ワイン」


「なに?」


「さっき入れたの。ワイン。私はあそこで冷やすから。なんかいつもそうなんだよね」


「はあ? なんでわざわざ…まじですか?」


「まじですよ」


 実家がそうだから私もそうしちゃうのかもねと幸は言う。その顔はしてやったりととても楽しそう。

 いつも空っぽの冷蔵庫なのにわざわざ野菜室に入れるとか、そんなの分かるわけないじゃんかと私は大きなため息を吐く。


「はああ。くそう。失敗かぁ」


「はい、残念でした。あはは」






妄想は夏織の得意とするところ。それは幸も同じこと。

お腹に顔を埋めるってなに? くそうくそう。夏織は地団駄を踏んだ。


ほのぼのいちゃいちゃびえろとか、ほんの少しの悩みとか、色々詰め込みました。

長いけどたぶん大丈夫。いけたいけた。


読んでくれてありがとうございます。

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